催眠術師のひとりごと / 第三章

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多重人格と向き合って催眠を使う

私の感じた恐怖(89ページ)

剣 アイコン人間はね、その自らの精神力で自殺することさえも可能なんだと思います。

私は当時、夜が恐かったです。

夜になると、彼女の呼吸が止まるようになったから。

催眠を用いるようになってからも、彼女の別の人格は次々に現れていました。ですが、それはそんなに恐くはなかった。彼女(たち)が私に助けを求めているらしいことに私は薄々勘づいており、それについては疑問がなかったからです。

彼女たちは彼女自身を「守ろうとする」者で悪意があるように感じられなかった。

だからどんなに暴れても私に危険が及ぶ心配はしていなかったです。

刃物を向けたり、私を殺そうとする出来事も不思議とありませんでした。テーブルをひっくり返したりガラスコップを投げつけるくらいでしたね。

それに当時、彼女に殺されてもいいくらいには思っていましたしね。それで彼女が救われるのならそれでもいいかな? くらいには思っていましたので・・・。

私も過去に色々と背負ったことのある人間です。ここで一々、クドクドと説明はしませんけどね。

自分が死んで誰かが救われるならそれはそれでいいような気もしたんです。知ってしまった事実はそれくらいに重く、私はかえってそうしてもらったほうが楽になれるような気がしたんです。

私も男性です。私も彼女を傷つけた男性と同じく嫌な部分を少なくとも持っている男性には違いありません。

聖人君子なんて(笑)。単なる妄想の産物ですよ。どこにも存在しません。

彼女は男性自身を憎み嫌ってはいました。ですが少なくとも「私」を嫌っているのではない、とわかっていました。だからこそなんとか救いたいと望み、逃げようとは考えず殺されてもいいとさえ思いました。

自分が殺されることよりも当時の私がもっとも恐れ、怖がっていたのは彼女がそのまま死んでしまうことでした。

最初、簡単に人工呼吸で息を吹き返していた彼女なんですが、段々、人工呼吸をしても呼吸が喉を通らなくなってきたからです。身体の硬直が増し、喉の奥が張りつき、少々息を吹き込んだくらいではそれが剥がれなくなったんです。

慌てました。ほんの数分の出来事が何時間にも感じられました。彼女の顔色は見るみる変わって行くのです。身体は海老反り呼吸が回復しない。ほんの一瞬の時間が私には永遠に続く出来事のように感じられました。

すべてがスローモーションのようになる。

今、思い出しても恐いんですよ。身体が震えるような恐さがあった。当時の私の焦り、苦しみ、衝撃は他の人にはわからないでしょう。

私の行った催眠がこのような状況を引き起こしたのではないか? とも思い悩みました。私が昔の記憶を呼び起こすことをやらなければ、こんなことにはならなくて済んだのではないか? と考えました。

苦しみましたよ。何度も何度も同じ問いかけを頭の中で繰り返します。

ですが、当時はどう考えても後には引けない状況にありました。記憶の欠落が激しくて日常生活にも支障をきたすようになっており、他の人格がうるさいくらいに出現したからです。

誰かが現れる度にそれぞれに違ったトラブルが起きます。水道を出しっぱなしにしたり料理を作っている最中にも入れ替わります。私は催眠を用いながら少しずつ様子を探り、それぞれの不満を聞き出し、出て来たその人格を落ち着かせ眠らせようと努めました。

恐かったです。毎日が生きた心地がしなかった。私自身がそういった症状に見舞われ苦しんでいるほうがよっぽど楽に感じました。

彼女は一時的にはかなり悪くなったものの、しばらくすると急速に落ち着くようになりました。話すだけ話し怒るだけ怒って泣くだけ泣いたら、急速に落ち着きを見せました。

途中、私は何度も何度も諦めかけ、逃げ出したい衝動には駆られましたが、結局、症状が安定するまでは彼女から離れはしませんでした。

私には過去に様々な経験があります。普通の人よりは人生経験は多いほうだと思います。普通では考えられないようなトラブルや嫌な出来事には何度も見舞われた経験があります。仕事上のトラブルもありますし、私が作ったのではない借金を背負ったこともありますし、いわれのない嫌がらせや中傷、女性絡みの勝手な思い込みから刃物を向けられた経験もある。

ですが、この時よりも恐かった体験はないんですよ。精神的な圧迫感というか恐さです。

自分の付き合っている女性が自分の目の前で呼吸が止まっているところを見るよりもインパクトののある出来事など、普段の生活にそうそうある答もないんですよ。

先にも触れた通り、私は神戸(三ノ宮)で震災にも遭いましたが、意外と落ち着いていました。不思議なんですが、あまり恐くなかったんですよ。死んだとは思ったものの、それでもこの時の経験よりはマシですね。

自分が死ぬよりも、自分の大切に思う誰かが目の前で何もすることができず死んでしまうほうが怖い。

救急車を呼んでもおそらく間に合わないでしょうね。放置したり、自分がもたついている間に手遅れになったら、あなたならどうしますか?

お子さんのいるご家庭ならわかるかもしれないです。可愛い我が子が目の前で喉を詰まらせ、呼吸困難で真っ青になっていたら? それが一回ではなく二回、三回と毎晩、繰り返されるようになったら?

そう考えると怖いでしょう? 私が直面したのは、そういった出来事だったんです。