芸名、ペンネームが「nobee谷口」

芸名がnobee谷口です。1999年にnobee.comドメインを取得してます。
公式サイトはnobee.comとTwitterだけで他とは一切関わりがありません。

芸名をつけた番組

呪いはマイナスのプラシーボ?

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丑の刻参りが行われた背景 応用と実践

2018/12/19改訂
2002/05/02初稿

我(われ)の心に棲まう鬼

丑の刻まいり 風刺画

※この文章が最初に書かれたのは2002年5月02日です。リニューアルで一部、時代背景にあわせて修正を行ってあります。

上に貼ってある浮世絵は江戸時代に書かれた風刺画です。

頭に五徳を乗せて三本の和ろうそくを立て、ゲンノウ(今で言うトンカチやハンマー)を持って藁人形を打っているのですが、顔が変な形に歪んでいます。

海外の好事家が蒐集していて現代に残されていますが。実はこれ、顔が女性器の形になってます。

「丑の刻(牛の時)参り 男○人形をうつ」

との文字が入っていますね。

日本は寺子屋制度があったり紙漉き(かみすき)が盛んだったので。江戸の街の識字率は7割を超えていたなんて話もあります。これは当時の世界常識からはかけ離れていて海外の研究者でも驚いています。

もっとも難しい漢字とか複雑な表現だとわからないので。平仮名とかカタカナが中心。

お上(幕府とか奉行所)からのお達しは名主とか長屋の大家さんにお願いして翻訳というか、わかりやすく解説して貰っていたという話が残されています。

いわゆる離縁状(三行半)も自分では書けない男性、夫もいたようで。半紙に筆で立てに線を三本引いて最後に自分の名前と捺印をすることで。離縁状の代用、簡素化したものでも受け付けられたと言われています。

この絵が意味することは何かと言うと。平安時代に始まった「丑の刻参り」が江戸期になっても大流行していて。風刺画とか浮世絵で描かれて、ある意味でユーモラスな形に作り変えられていることですね。

男女の仲というか、その種のトラブルは。数千年も前からあまり変わっていません。

日本では丑の刻参りですが。似たような話は聖書の中にも記述があります。

夫に捨てられたとか裏切られた女性が。神に祈って復讐を果たすとか供物を捧げて相手の不幸を願うというのはいわば定番で。ギリシャ神話や北欧神話ならもっと多いですね。

男性と違って即物的な力とか社会的な背景が弱かった女性たちは。刃物を持って復讐に行くとか恨みを晴らす方法がありません。

ですから相手を「呪う」行為で憂さ晴らしをするというか、貢物を捧げて代行者に「代わりに行ってもらう」ことが世界中で定着していったのでしょう。

興味深いのはそれを風刺画、浮世絵として「男根に恨みを込めて釘を打ち込む」怖い姿を書き、顔を女性器のように描いている点ですね。洒落が効いているというか何というか・・・。

これ、当時としても発禁モノです。風紀を乱すとして裸絵とか男女の睦み合いとか「まぐあい」いわゆる、性行為だけをストレートに描いたものは取り締まりの対象となっていまして。

いわゆる「春画」(しゅんが)と呼ばれるものに連なる作品となっています。

それでもやはり人気があったんでしょうね。

こっそりとというか、風刺画とか日常生活を描いたものの中に、こういったものを紛れ込ませるとか描くことが流行して。大量に発行されていたそうです。

ゲリラ的に売りに出されて売り切って逃げる。今で言う無修正のアダルトサイトみたいなもので。写真やカメラが普及する前は多くの人達の娯楽になっていました。

利益のためというよりは、どちらかと言えば愉快犯とか抗議の意味があったのかも。捕まったら結構、罪が重いですからね。享保の改革辺りでは出版社(版元)だけではなく、作者や紙の提供者まで捕まって罰金を課せられたり江戸から追放されたりしています。

そういったものの幾つかが海外に流出して保管されていたり。古い蔵の中から時折発見されます。

企画、内容が丸かぶりすることがある

以前に、テレビ番組を視ていて不思議に思いました。異なる局なのですがまったく同じ内容を放送していたからです。

微妙なニュアンスこそ異なりますが趣旨は殆ど同じです。

呪いで「人が殺せるか?」といった内容でした。

まあ、タイトルや内容そのものが視聴者のインパクトを求め、強烈な印象を与えるように煽ったものであるのは明白ですが・・・。

最近は冬でも怪奇特集などで煽っています。以前は怪談噺など夏と相場が決まっていたのですけどね。

雑誌やテレビ等も含め、季節感はなくなっていますね。厳しい世界なので仕方ないんでしょうが、数字が取れるなら形振り(なりふり)構いません。

どこかの局で何かの企画が当たれば、それに近い内容が次々に現れます。

似通うことなら「たまたま」ということもありますが、タイトルから内容までそっくりそのまま企画がかぶる、というのも珍しいでしょう。

いったい、どっちが先に企画したんでしょうね????

以前、映画でもこれによく似たことがありました。

両方の映画共が、深海に人類とは異なる他の文明があって、トラブルに見舞われた登場人物がそれに救われる、といった内容です。

アビスとリバイアサン、という映画ですね。

これは企画段階で他の映画会社に内容が漏れてしまい、脚本からプロットまでが流出した。

それを双方がそのまま映画化して一歩も引かず公開時期がかぶった、というものでした。

普通はどちらかが諦めるのですが。それも後発の映画(物まね、もしくは盗用したと噂された)のほうが出来が良かった、といういわく付きの作品です(笑)。

アビス(原題: The Abyss)は後にタイタニックを撮ったジェームズ・キャメロン監督が高校時代に書いた短編小説だと言われています。

リバイアサンのほうも「ランボー/怒りの脱出」を撮ったジョージ・P・コスマトス、主演がロボコップで有名になった人なので。お金はかなりかかってますね。

共に1989年に封切り。面白いというか、驚きますよね。

ジェームズ・キャメロンがTitanic(タイタニック )を当てたのが1997年ですから。大ヒット作の8年前です。どちらかというと、かかかった費用ならリバイアサンの方が上だったかも知れない。

興行的に当たったのは「アビス」です。

まあ、テレビや映画関係ではよくあることなのかも知れませんが・・・。日々の数字に追われ、生き馬の目を抜くとも言われるテレビ業界関係では、そのようなことも当たり前なのかもしれませんね。

私は「たまたま」その番組、企画の両方を視ました。

プラシーボ効果について、呪いと重ねて考証していました。

どちらか一方だけなら気にしませんでしたし、ここでわざわざ書く必要ももなかったのですが、そういった内容が何度もテレビ番組で流されると強い偏見を生むでしょう。

少々気になる部分がありましたので、歴史背景を交えて解説を試みます。

丑の刻参りの起源

丑の刻参りについて番組では触れていました。

丑の刻参りとは一般的には「呪いのわら人形」として知られている手法です。

この手法の原点になったのは、平家物語の剣の巻に出てくる宇治の橋姫(はしひめ)という女性の話です。ですから起源はとても古く、今から一千年も昔の話です。

簡単にだけ解説しておきますが、平安時代、公卿の女が男に捨てられたことから物語は始まります。

当時の恋愛は現代とは大きく異なります。直接対面や相手の顔を直接みる機会などはなかったのですから・・・。

現代においても、アフガニスタンやイスラムの女性が顔を隠しますが、日本も平安時代は御簾(みす、一種のすだれのようなもの)や衝立(ついたて)ごしにしか相手を伺い知ることはできませんでした。

写真もビデオもインターネットもありませんからね。噂でしか相手を知ることはできません。

乳母(うば)や下働きの女性、あちこちで広がる噂で相手の評判を知り、推測するしか方法がなかったのです。

ですから相手の女性と付き合いたいと望む人は、まず使者を通して文(ふみ、手紙)や歌(和歌)を何度も贈り相手からの返歌を待って、相手の家にお忍びで夜に出かけてゆくことになります。

深夜ですし現代では信じられないくらいスピードの遅い牛車です。

到着までに時間もかかったでしょう。訪ねていったおりに追い返されて恥を掻かぬよう、ラブレターを何度も贈って情を結んでおく必要がありました。

和歌を詠む(よむ)のは当時の貴族のたしなみでしたが、歌ができないことはそのままモテないとか格好良くない仕事できない人の代名詞で、それをこなせて始めて恋愛も仕事を円滑に行うこともできたのです。

今とは異なり、恋愛や逢瀬(相手と会うこと)を楽しむことに手間も暇もかかったのですよ。手紙すら往復には時間がかかりました。その手紙を何度も往復させて何週間も何ヶ月もかけてやっと出会いにこぎ着ける訳です。

ですが所詮、噂は噂です。絶世の美女とか素晴らしい女性だなどと言われても男性側が直接確認した訳ではありません。また、女性側からすれば良い縁談に恵まれたかったり有力者の後ろ盾を得たいとの思惑がありました。

父親にすれば実力者に嫁がせたいのは当たり前です。一種の情報戦ですから嘘や偽り、流言(噂)も利用して、自分達に都合のいい内容を世間に広めようとします。激しい足の引っ張り合いも記録として残されています。

当時の記録でも、清少納言と紫式部も仲はあまり良くなかったとの記述がありますね。

和歌や返歌も代筆屋がいた模様ですしね(笑)。女男共に一人でもいい歌詠みを雇おうと必死になっていました。

下手をすればその時点で結婚や恋愛、下手をすれば出世にまで支障が及ぶのですから・・・。

この状況を現代に例えるのなら、相手から届いたメールでどんな人か判断しようとし、写真もないままに推測で相手を計ってしまうようなものでしょう。

御簾越しで顔も覗かせませんから似顔絵絵師も存在しません。

そこには当然、双方の希望や願望を含みます。文面から相手の見目麗しい姿を想像したり、誠実さも推し量ることはできますが決定打ではありません。

その気になればどんな嘘(代筆や成り代わり)でも交えられますし、都合によって内容を使い分けることも可能になるでしょう。

出会い系サイトとかアプリでマッチングするより、リスクありますよ(笑)。

インスタグラムやTwitterの写真や文章が「全部、代理や代筆」つまり、役者とか侍女とか美形を用意して。美辞麗句、流麗な詩歌(うた)で埋め尽くされているようなものです。

顔もみたことのない者同士が自分の思惑や立場を挟んで、勝手に噂だけで相手を推測しますから、変に期待して舞い上がってしまったり、会う前に感情が高ぶる原因にもなります。

当時の恋愛事情と時代背景

和歌集風

結局は駆け引きであり騙し合いでもあって。

当然、もめ事や奪い合い争いも多かった、と(笑)。

会ってみて本人の印象が文章(贈られた文や和歌)と違う場合もありますし、女性の外見が噂と異なる場合もあります。また、次から次へと相手を探したりかたっぱしに文(ラブレター)を贈るような男性もいました。

そこの部分は現代と変わりません。

ですから女性が捨てられてしまったり、男が飽きてしまい通ってこなくなる場合もあった、と・・・。

現代と異なるのは女性は家から外出できません。直接訪問は基本的には許されていませんから、相手が自分の家へ通って来るのをじっと待つしか方法がなかったのです。

恨んだところで女性はストーカーにすらなれませんでした。

熱烈な和歌(ラブレター)を贈り、好きです、愛してると繰り返した相手が何の前触れもなくパッタリ、自分の元には来なくなるケースもまま、ありました。

女性側が「なぜ来なくなったんだろう?」と心配したり、「次はいつくるんだろう?」とやきもきしていると、「◯◯の大臣(陰陽師という映画では時の帝でしたね)は今、「◯◯家の姫にご執心だ!」などといった噂が家人によってもたらされる。

平安時代の女性はそこで始めて自分が捨てられたことを知ることになります。

これはいつの時代も同じですが、出会いを求めたりその関係を維持するためには時間も費用もかかりますが、終わりは一瞬です。

何の説明もなく一方的に連絡が途絶え、他人の噂のみで情報が伝えられ、自分の価値がなくなったことを知るのです。

これは辛いでしょうね。まともな人なら離れるために時間を置きますが、いいかげんな人(これは昔から女男共同じです)は、自分の都合ばかりふりかざし、相手の気持ちや立場など考えないのです。

結果として深く恨まれます。当時は仕返しする方法とか女性が押しかけてゆく方法がない。家人とか舎人(とねり)や使者を立てて歌や手紙を託すくらいしか方法がないでしょう。

電話もありませんし、返事も無視してしまえば済みます。

どちらかというと、肉体関係を持った後で維持するほうが難しかったと思います。

いきなり音信不通で何の連絡も無くなる訳ですから、まあそれを素直に喜ぶ人はいないでしょう。また当時は女性に直接申し開きしたり反撃する機会もないのですから余計に腹も立ちます。

この呪法(づほう、呪い)が最初に書簡に紹介されたのは、そういった時代背景の頃です。

恋愛沙汰ですったもんだするのは平安京の時代も現代社会も変わっていません。平家物語や源氏物語などをひも解くとそんな話は幾らでも載っています。

日本ばかりではなく西洋にそういった例はあります。聖書などを眺めれば人間は古今東西、数百、数千年もの昔からあまり変わっていないようにも思います。