催眠術師のひとりごと / 第二章

育った環境と初代引田天功への憧れ 催眠術師のひとりごと

催眠術師になりたい!?(36〜64ページ)

やっぱり多少は育った環境も影響しているかも?(36ページ)

ウインク アイコン私は現在、催眠誘導(催眼術とは本来は表現しません)を用いた悩みごとの解消やカウンセリング、また催眠を覚えたい人への指導などを中心に活動を行っています。

テレビ番組への出演ばかりやっているのではありません(笑)。実際には催眠の実技の指導やカウンセリングが殆どです。その活動の中には、悩みに関するメール(無料)での受け答えやホームぺージの更新なども入るでしょう。

元々、私は好奇心が旺盛で様々な職種や環境、そこに携わる人に興味を持っていました。「どうしてそれが起こったのか?」に子供の頃からとても興味を持つ性格でしたね。

心理学や催眠に深入りするようになったのは、そういった自分の性格や性分からでしょう。

決して最初から「催眠術師になろう!」と考え、努力を重ねた訳ではないんですよ。ただ、普通の人よりも「なんでだろ?」とか「どうしてこういった現象が起こるんだろ?」などに興味をそそられやすく、首を突っ込みたがるところがあっただけなんですね。

特に人間の心の反応には子供の頃から興味がありました。「この人はどうしてこんなことをいうのだろう?」とか、その結果「この人は何を得るのだろう?」とか。

最近、よく誤解されるんですけどね。「谷ロさんは昔から催眠術師なんですか?」とか「子供の頃からそういった才能があったのか?」等々。

催眠は超能力とか霊感などとは関係ないと思いますよ? 確かに、相手の一瞬の反応を見逃さない集中力は必要になりますけどね。ですが、才能というのはあまり関係ないと思います。

指導の際に練習生にもいつもいっていますが、きちんと勉強してトレーニングを重ねれば、どんな人でもできますよ? 取り組む側の姿勢や熱意の問題です。

できるようになる人と諦めてしまう人
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ただ、才能という訳ではありませんが、確かに自分の育った環境には影響を受けたのかもしれません。

詳しくは書きませんが、私の子供の頃、私を取り巻く環境は少々複雑だったんです。両親は私が中学の頃に離婚していますし、私はその家庭で板挟みになって育ちました。

私が板挟みになった理由は簡単です。「両親のどちらも嫌いになれなかったから」。

親にとって離婚すればお終いなんですけどね。子供にすればそうはいかない。どちらの相手の悪口もどちらの親の感情も、子供には受け入れがたい状況があります。

どちらかが簡単に嫌いになれれば苦しむ必要などないんですよ。私の兄弟は割とあっさりどちらかを支持しました。私だけが釈然としなかったのを覚えています。

記憶力が変に良い子供でしたからね。過去にあった出来事を親よりも明確に覚えている場合は少なからずあり、朝に父親に起こされて母親や他の兄弟には内緒で散歩に連れて行ってもらったり、優しく頭をなでてもらった記憶が明確にありました。

逆に母親に優しく抱き締めてもらった経験も、大事にしてもらった記憶もあり、その思い出がどうしても忘れられなかったんですよ。

元々、勘も銳いほうでしたから、どうしても両親双方がいうようにどちらかが一方的に悪いように受け取れなかったのです。子供心ながらそのどちらにも良い所があり、どちらもに間違っているように感じました。

子供の頃のあまりに正確で、いつまでたっても薄れては行かない、消えて行こうとはしない私の頭の中にある記憶は、その後もかえって私を苦しめる場合が多かったです。

両方が好きで、両方を理解したいと願い、それがどうしても叶わない場合、それはある意味では残酷なのかもしれません。答えが出せないままに時間だけが過ぎますから。周囲からは答えを求められます。それは苦痛であり、悲しくもあります。離婚する親は、どうしても「どちらかを選べ」と求めますからね。

ですから周囲の大人たちの思惑に生活が左右されて育った部分があります。大人の顔色を伺ってしまったり、相手の感情を先に読む習性が良くも悪くも子供の頃に身についたのは、どうしても否定できませんね。

自分では自分の持つそういった「敏感な部分」が大嫌いでしたね(笑)。

勘違いしている人が多いのですが、私は今も自分のそういった所が嫌いです。優秀な臨床心理士であったり、催眠術師であるよりも、鈍くてもいいですから普通の人でいたかったのかもしれません。

そうすれば自分が傷つくことも少なくて済みますから。周囲の表惰や反応に敏感すぎる子供はね、おそらくは自分が傷つくことを恐れているに過ぎないのです。

仕事として催眠をやっている人の中には、私と同じ悩みを抱える人もいますよ。周囲の反応に敏感であるがゆえにできる仕事ですが、それは時に自分をも傷つける両刃の剣なんです。

好きでそうなったのではありません。仕方なかったんですよ。大人の顔色を読まなければ、どこにも自分の居場所がなったから。読みたかったのではなく「読めるように」なった。

自分が子供であり、どちらかの親に面倒を見てもらわなければ生きていけない弱い存在であることを、当時の私は随分と嫌だと感じましたね。今ならば自分の意思で生きて行けます。誰かに頼る生き方をしなくても済みますが、当時は子供でしたから・・・。

良くいえば大人びた子供、悪くいえばヒネたガキだったんでしょうね。よく学校の先生とは反りが合わずもめました(笑)。

他人の表情から感情や立場を先読みしますから、依怙矗貭したり、平気で自分の立場を利用して何かの見返りを求めるような大人は大嫌いでした。普通の子供なら気がつかない筈の反応を、大人顔負けにあっさり嗅ぎつけて、露骨に嫌そうな顔をします。

その上、子供特有の純粋さも潔癖さも持っています。そこで行われている内容や、相手の魂胆はわかっても、それを曖昧にしたり、絶対に受け入れられない部分を持っていました。

きっと周囲の大人もやり難かったのでしょう。

「お前みたいな大人びた子供は嫌いだ」と学校の教師に罵られたり詰(なじ)られ、その時、悔しくて涙が止まらなかったことがあります。好きで大人びた訳ではなかったんですよ。そうしなければ生活ができませんでした。当時「お前なんかに俺の何がわかる!!」と思ったのを覚えています。

考えてればよくグレませんでしたね? 小学校の高学年くらいから、そういった状況が続きました。同級生の中でも浮くんですよ。良くも悪くも「大人びたガキ」でしたから。同い年の子供たちとは感覚が違っていますから、どうしても話がうまく嚙み合いません。

今も「谷ロさんは色々なことがすぐにわかっていいですね」といわれる時がありますが、決してそうとばかりは限りませんよ。私をよく知っている人は決して、私のそういった部分を安易に捉えて「いいな」とはいわなくなりました。

何でも読めればいいかというと、そうではないんですよ。自分の付き合っている彼女の心変わりや、友人の態度の豹変、得意先や仕事で組んでいる人の自分勝手な思惑などに気がついてしまうと、いいかげん嫌になります。

人間の生活ではやはり知らなくていい部分もあるでしょう。

本人にすれば、気がつかなくていい部分に簡単に気がついてしまって、かえってどう対処していいか困ったりします。

そんな時には騙されたフリや、何も気がつかないフリをする習性が身ついてしまいました。気の弱そうなフリをしたり、何もわかっていないフリをして、そういったトラブルからは徐々に離れるようにしています。

あっさり気がついて指摘することで自分が傷ついたり関係を壊したくないからでしょうね。私と仲の良い友人は、見ていてそれがわかるから、やはり辛そうに見えるのかもしれないです。ですから私に安易に「いいな」とはいわなくなりました。

なんでもわかればいいと思うのは、自分がわからないからいえる言葉だと思いますよ? 実際にわかる人にはわかる人なりの苦しみや痛みがあります。

後のコーナーでも時々触れていますが、自分がこんなに嫌っていた「他人の表情や感情を先に読む力」が、後に催眼術師(今も催眠術師とは自分では思っていませんが)としてとか、販売、営業の仕事において、こんなに役立つとは思わなかったですね。

そういった能力というか、生活や育って行く環境の中で、嫌が応でも身についてしまった習性が結構、便利で役に立つのではないか? と初めて勘づいたのは、私が社会に出てセールスなどの仕事についた時です。

初めてそのような自分の持つ能力(というか嫌っていた特性)がいかに役に立つものかがわかりました。

商品を買う人が殆ど、瞬時にわかるんですよ(笑)。冗談のようでしょう? 私もそう思いました。これは私の勘違いではないのか? と。ところが、実際にわかるんですよ。

私は元々、セールスや営業、接客業などの仕事をやっていました。もちろん、最初から催眠術師だった訳ではありません。普通に会社に勤めていた経験もありますよ。

ですからセールスや営業といった人間の思惑が関わる仕事においては私は抜群の成績を残しました。一部の地域では神様か超能力者扱いされましたね。いまだに私の作ったレコードが破られていないからでしょう。

自分としては当たり前のように仕事をしたに過ぎないんですが、他人から見ると、一種の異様な感覚(才能?)に感じるのでしょう。

数字だけはどんな仕事についても、悩みませんでしたね。常に実績だけはどこに行っても作れました。周囲は羨ましがりましたけど、私にすればそれを安直に喜んでいいのかがわかりませんでした。

あっさり記録を作るとやっかまれたり、誤解を受けたりトラブルも多かったんです。私は私なりに努力も苦労もしていたんですが、それが周囲にはわかってもらえませんでした。そういった部分は周囲に見せませんし、どんな時でも辛そうにはせずに笑っているから、ただ「運が良いだけの男」に見えるんですよ。

色々やっている内に、他人の感情が相手の一瞬の表情から読めるようになったんです。おかしなものなんですが、生活において、そうしなければ生きていけない状況になれば自然に相手の表情は読めるようになるんですよ。

ただ、私の場合、時として度を越している時もあります。

毎日、いじめにあっているとか、私のように両親が不仲でそのどちらかを選ばなければならないとか、社会的に不安定な地域や環境で育ち、いつでも守ってもらえる庇護者に恵まれなかった子供たちは、どうしても「自分で自分を守ろうと」とします。

そのためには周囲の感情に常に敏感になり、先に先に、どうしても相手の感情を読まなければならなくなるんですよ。そして「そうしなければならない」理由を持って育った子供は、良くも悪くも他人の感情に敏感で、それを読み取る能力が異様に長けてしまいます。おそらく、私もそういった子供の中の一人でした。

「才能」とはいいませんけど、そういった環境で育ったことが今になって一種の能力に変わっているのかもしれませんね?

本人にすれば別に望んでそうなったのではありません。先にも述べましたが、どちらかというと嫌だったりたりします。

営業とか仕事においては確かに役に立ちますけどね。プライベートでは邪魔になるかもしれません。他人の顔色を窺ってビクビクする部分も大きくなってしまいますから。

本人は気疲れする上に、どこに行っても息抜きができません。

私は開き直るのに随分と時間がかかりました。人の表情や反応、感情を敏感に読み取る能力は、臆病さと紙一重なんですよ。便利に思うのは周囲の人だけです。感受性が鈍いと何も感じず読めませんし、高すぎると些細な出来事でも本人が傷を負ってしまいます。

例えるならば、高感度のカメラやラジオみたいなモンです。何でも撮れたり聞こえればいいってものではない。

私は最近になって、やっとその両方のバランスがとれるようになりました。

そういった部分を持って育った私が、現在、カウンセリングなどで子供や様々な環境に苦しむ人の気持ちを理解しようと取り組んでいるのは、やはり不思議な気持ちがしますね。やっと本当の意味で、こういった感覚(感受性)が役に立つようになったというか、自分の居場所を見つけた、というような感じがします。

私は子供の頃に、誰かにそういった自分の気持ちや立場を理解して欲しかったんでしょうね。残念ながら、私の周囲にはそういった人は見当たりませんでした。現在、自分で行っているカウンセリングや指導には、ある意味ではその頃の経験が役に立っているのかもしれません。

自分がいって欲しかった言葉や自分が理解して欲しかった感情をその頃の自分に変わって誰かに行い、話しているだけのような気もします。

催眠において才能を指すならば、そういった人の表情や反応を見逃さない部分ですかね? ある意味で、臆病なくらいでいいのかもしれません。相手の微妙な反応も見逃さないですから・・・。ですが、また、ある意味では臆病すぎると難しくなります。

臆病な人は確かに相手の微妙な反応にも敏感に気がつくようになりますが、反面、押しが弱く、肝心の暗示の部分の指示の際に自信が持てなくて失敗するケースがあります。

面白いのは、大胆で「私は思いきりがいい」と思っている人ほど、催眠は下手になったりします。一時的には上手になるんですが、すぐに強引になって失敗します。手順や操作にばかりこだわり、相手の気持ちや反応を見逃すようになって行くからです。

こういった人は自分の傲慢さには気がつかず、相手(被験者や相談者)の責任にばかりなすりつけてしまって、同じ失敗を延々と繰り返すようになります。

多少はトレーニングや練習で何とか修正できますが、根本の部分ではその人が育った環境や性格にも左右されるのかもしれません。自惚れや強引な押しつけがあればそれは相手に伝わってしまいます。

※これらについては後半の「ラポールについて」で詳しく触れています。

私が催眠のみならず、セールスや営業でも同じように特殊な才能を発揮したのは、そういった環境で育ったことも影響しているように思います。

好きで身についた能力ではありませんけどね(笑)。今は感謝しています。