催眠術師のひとりごと / 第三章

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多重人格と向き合って催眠を使う

私の原点となったエピソード(68ページ)

もう、その話自体が何年も前の話になります。

元々が作家志望だった私は、いつか体験した内容を書くことを本人に了承を得ていたんですが・・・。

やはり事情が事情なのでずっと躊躇(ちゅうちょ)していました。ですから、これまではホームぺージにも詳細は書きませんでした。

あまりにショッキングですし、彼女は今、他の方と幸せに暮らしているそうすから、もし万が一にでも迷惑をかけたくなかったので。

別れたとはいえ私が一度は好きで愛し、一緒に暮らした女性ですから。

ですが、最近になって彼女と同じような過去や悩みを抱える人が何人もいることがわかりました。一人ではないんですよ。現在、そういった方達の相談にものっています。同じ悩みを抱える人たちの参考や支えになればと思い、ここに少しだけ載せる気になりました。

この出来事がなければ、私は再び、催眠などやらなかったでしょう。そのまま違う人生を歩んだと思います。私にとってそれぐらいショッキングで大きい出来事になりました。

これをここで書くのは、とても悩みましたし勇気が必要でした。

結論から先に言いますと、私が催眼にまた深く関わるようになったのは多重人格とおぼしき女性と付き合い、それをなんとかしようと自分で取り組んだからです。

私と本当に仲の良い数人はその詳しい経緯について知っている人もいます。

ですが、殆ど人に話した経験がありません。どこかに書くのはこれが初めてです。

あまりに重く凄まじい話だからです。普通の人ならばそれを聞いても簡単に信用しないでしょう。また、それをここで詳しく全部書くには紙面も足りません。

何度か真剣に書きかけましたが、今回の内容とはそぐわないんですよ。重いです。十分、ノンフィクションの小説が一本書けるだけの量と内容があります。

詳しく知りたいといわれる人もいるでしょうけどね・・・。ただ、私以外の人の人生や生きにも関わってくる話ですから、私の一存だけで全てに触れる訳にはいかないのです。また、興味本位なものとしてだけで扱っていい話だとは思いません。

ですから、もう少し時間を待ちます。私になんらかの機会が与えられれば書きます。この本ではあった事実だけを軽く触れるに留め、事件の背景やその深い事情の部分までは触れません。

それでも十分にその迫力は伝わると思います。

内容があまりに重いのでまったく触れないでおこうか、とも何度も考えました。ただ、私がもう一度、深く催眠にかかわった理由を考えると、どうしてもまったく触れない訳にもいかなくなるんですよ。そのエピソードがなければ、私はこのような仕事などしていないでしょう。

よくカウンセリングを「手順」だ、と勘いしている人がいます。催眼についても同様です。手順をいかに効率よく行い「相手の意識を薄れさせるか」などと勘違いしている連中もいます。

自分たちで構築したと考えている方程式やマニュアルに当てはめ、それを用いることが解決への近道だと考える人がいます。

私はそのような人たちを真っ向から否定しています。そのような人は確かに催眠や心理学に対する知識の幅も広く、何でもよく知っています。催眠の歴史やその方法、現在行われている手法、エリクソンメソッドがメスメルの動物磁気が、などとやたらと何でも詳しい。

そして、自分のそのマニュアルに絶大な自信を持っているケースが多いのです。

どこかから拾い集めて読んだだけなんですよね。実際のカウンセリングにおいては、そこに心がこもっていなければ、まったくといっていいくらいに意味などなく、満足できる効果など現れないことになります。

相手は人間なんです。数式ではない。手順の通りに行えば全てが解決するなら悩みなんて存在しません。頭で理解したいのではなく感情、「心」がついてこないことで精神的な悩みやトラブルは起こります。

型通りの受け答えやマニュアル通りの対処、投薬さえ受ければ悩みや精神的なトラブル、疾患から立ち直り、逃れられるならどんなにいいでしょうね。

私の元に相談にくる人の殆どはそんなことは求めてはいないのですよ。自分が孤独であったり、話を聞いて欲しかったり、何かを理解して欲しかったり。真剣に一緒になって悩み、話を聞いてくれる相手を求めている場合も少なくありません。

生活に追われ、仕事でがんばり、家族や生活を懸命に支えていますが、それでも時々、自分の居場所や思いを伝える場所がなくなって疲れてしまったり、家族には話せない悩み事を相談に見える場合だってあるんです。

理屈通りで感情が満たされるなら誰も困ったりしないんですよ。心理学やカウンセリング、催眠誘導などの手法は、その人の気持ちを理解し汲み上げるためにこそ存在しているんです。なのに、そこを曲解し相手を都合よく操れるだとか、効率よくマニュアルに当て嵌めることを中心に考えている連中に私は反対なんですよ。

手順とマニュアル通りでは、相手を思いやる余裕など生まれないからです。

効率の良さだけを求めるなら、そんなものは社会にいくらでも存在します。商売としてならそれが正しいのでしょう。ただし、カウンセリングや催眠にまでそれを持ち込むのは本末転倒ではないのでしょうか?

そういった社会の構造や枠組み、スピードに疲れストレスを持て余しているのに、また新たな枠組みの中に嵌めるだけでは、そこに救いなど存在しないように感じます。

その先生が素晴らしい知識と経歴を誇るよりも、ほんの少しの思いやりを持ち、相手の立場や悩みと真剣に向き合い、懸命に取り組む姿勢や意識、気持ちが大事なのではないでしょうか?

青臭いようですけどね(笑)。実際の生活や施術、仕事においては「わざわざこんなことやってられるか!」と悩む場合も多々ありますから。

催眠術さえあれば「何でも簡単に解決してもらえる」と勘違いして依頼してくる人間もいます。身勝手な思惑から結婚に反対する相手の親を「洗脳してくれ」と堂々と頼みにくる頭のおかしな人だっていますよ。

ですが、だからといってその「青臭さ」をすべて捨ててしまうわけにもいかないでしょう。

そこが私の原点でもあります。

私はカウンセリングや相談は、心の安らぎというか息抜きの場所でもあると思います。時には叱り、時には励ます場合もありますが、効果だけを求めそのために何でもやっていいとは思いません。

人間はロボットではないから・・・。

じっくりと話を聞き相手と向き合い、そこにお互いの信頼関係ができて始めて意味のあるものだと思っています。

ですので「催眠さえかければいい」とはまったく思わないんですよ。そこが他の催眠術の先生方と大きく違うポイントかも知れないですね。どちらかというと「催眠推し」ではない。

私がカウンセリングや催眠において、それを手順とかマニュアルだと思わず、そこに自分の思いや感情、相手を思いやる気持ちこそが大切だ、と捉えるようになったのはこの後で触れる自身の体験談が元です。

ショッキングな出来事があったから、安易な発想に染まらなくて済んだ。

なければ、他のいわゆる「自称、素晴らしいカウンセラー」のように、知識と技法ばかりにこだわり、そのマニュアルと方法のみを誇る人間になってしまったように思えるのです。

私にすれば、その人の知識がや経験が乏しくまた技法に稚拙さがあったとしても、その人(カウンセラー)の姿勢が本当に相手を心配し大切に思い、真摯に取り組むならば、そんなに悪い結果ばかり招くとは考えていません。

逆にいえば、どんなに素晴らしい技術を持ちキャリアのある大先生といわれる人物であっても、そこに相手に対する思いやりや配慮がなければ、その結果が良いものになるとは到底思えないのです。

薬害のAIDSの問題などもそういった歪みから起こってきたように思うのです。血液製剤の第一人者だとおっしゃる大先生の意見を鵜呑みにして医局や学閥の人たちが逆らえないことで被害が拡大してしまった部分があります。

あのトラブルに関わった医師達は自分の家族や友人にも、ああいった投与や処方、処置を行うのでしょうか?

自分自身がやって欲しくない治療、投薬、広い意味では「方法」は、相手も嫌だと思うのです。自分の家族や友人にできない内容は、どんなに立場が変わろうと行ってはいけないように思うのです。

仕事や生活に追われ、それを当たり前のようにこなす内に彼らは何かを置き忘れて来たのではないでしょうか?

私が催眠に関わり、そしてカウンセリングや悩みの相談の依頼を受けるようになった原点はここにあるのでしょう。他人事ではなく「自分のこと」として恋人と向き合った経験が、カウンセリングなどを手がけるようになった理由の一つです。