改訂版 催眠術師のひとりごと / あとがき

苦しかった記憶でもありますが 催眠術師のひとりごと

改訂版「催眠術師のひとりごと」あとがき

最初にこの本を書いたのは1999年

ワールドワイドWebこの本が書かれたのは1999年の6月です。私が心理的な相談所として開業したのは1996年です。当時は大阪、心斎橋に自分の相談事務所を構えていました。

ニフティ・サーブ(現在のニフティの前身)に掲示板の原型となるようなシステムがありまして。そちらで「鏡の中の私」という文章を公開したのがネット活動のスタートですね。

口コミでしかお客さんや依頼者が集められなかったので。宣伝しようとしましたがミニコミ誌などからは掲載を断られました。苦肉の策で考えたのがネット活動。

ニフティ・サーブの「掲示板」(当時はフォーラム、と言いました)には文字数制限があったり執拗な荒らし行為を繰り返す人が常駐していたので。当時、印刷の会社に勤めていた兄の勧めもあってインターネットに進出。ろくにパソコンも使えない状態からホームページの運営を開始しました。

自分のホームページを立ち上げた3ヶ月後には出演依頼を受けていて。TBSの深夜枠とか地方局とかにチョロチョロと出現するようになりました。

テレ朝の番組、TBSの番組、フジテレビの番組にも何度か出演したことはあります。

この本については1998年のTBSの「ワンダフル」という深夜番組に、催眠術師として初めて出演した時の話がメインになっています。

この本には苦い思い出がいっぱい詰まっています。

出版社を見つけてきたのは印刷業に携わってきたウチの兄です。仕事上の付き合いのある大阪の出版社で。小ぶりだが信頼できるかと考えてそこにお願いすることになりました。

私は「兄からの紹介」なので安心していたのですが・・・。実際には経営難に陥っていたようで原稿料はおろか「売れた分の」印税も払ってくれない。

発行部数や販売実数も教えようとしない。取次店からの連絡やファックスも渡さない。抗議には何度か行ったんですけどね。兄の取引先だったので矛先が鈍ったんです。

不明瞭な説明とか行為を他でも繰り返していたのでしょう。信頼を失って経営者が変わっています。今も会社は存続しているようですが、代表者や経営者はその頃とは違います。

絶版扱いとして書面を交わし残っていた本は「私が引き取ってお金を払う」ことまでやっています。ですので版権は正式に私の元にあります。

苦しいなら苦しいと言ってくれれば、やりようもあったのですが・・・。

勝手に同席していたこの出版社の代表の娘までが、私の本の悪口をいうのを見た辺りで流石に愛想が尽きました。

「アンタの本なんで売れてないし面白くない」と娘が罵ってました。

じゃあその売れてないはずの本をお前んトコの父親は扱っていて。打ち切りにもせずにずっと書店で販売してるのかと。取次店の実数もはっきり答えられないのかと。

まともな返答が得られないので全部、引き取って縁切りしたという事情があります。

その後、私はTBSの別の番組、学校へ行こうなどの出演が決まりました。

学校へ行こう!
Nobee谷口の撮影日記 TBS系に出演 撮影日記というタイトルはTBS系の深夜番組で最初にコーナーを持った時につけました。 当時はリアルタイムで撮影についての感想や失敗談、苦労話を載せており「催眠術師のひと...

関係が良好なら、大阪の小さな出版社からすればそれは宝くじに当たったようなものだったと思います。私は大喜びで続編とかノウハウ本とか小説を書いていたと思いますよ(笑)。

その後もその経営者の残党が勝手にAmazonでこの本を売ったり。引き取ったはずの本が「どこかに並んでいる」という暴挙を目にしまして。

別口で番組出演が決まったのを知って欲をかいたのでしょう。残った本だといってコチラに押し付けて売りつけた後ですよ? 呆れるやら腹が立つやらでしばらく放置していました。

訴訟沙汰にしなかったのは、それでも兄が一時はお世話になった会社だったから。独立したばかりだった兄の顔を立てただけです。当時の対応には今も腹は立ってます。