催眠術師のひとりごと / 第三章

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多重人格と向き合って催眠を使う

当時の私の苦しみと願い(98ページ)

女性マーク アイコン当時はずいぶんと苦しみました。その問題が生じてからの半年間の間に私はへトへトに疲れ果てていました。

自分の部屋に帰ると一睡もできない日々が続いていましたから。いつトラブルが発生するかわからなかったから。

そしてそれはいつも唐突にやってきました。

このままでは自分がノイローゼになる、とも感じていました。正直「これがいつまで続くんだろう・・・?」とも思いました。

出張に出ると深酒してしまい、いつかかってくるともわからない彼女からの連絡に怯えもしました。

誰にも相談できませんでした。どこに相談に行ってもまともな答えなど返ってきそうもないからです。そんな経験をしている友人や上司などいるわけがないですし。

彼女のことを他人にペラペラと話す気持ちになれなかったからです。

毎日、時計と睨めっこしながら「早く夜が明けるように」と祈りました。私は彼女をパジャマに着替えさせベットに横たえると彼女の手を握り、身じろぎ一つしないで一晩中、様子をみていました。

彼女を見つめ呼吸を数える。少しでも息が止まる徴候があれば見つけようと必死になっていたので・・・。

狡いのかもしれませんね。なんだかんだといっても私はその状況がいつまでも続くのではないか? と考え、それを恐れたのかもしれません。だから小康状態になった時に彼女が出ていってしまった時、強引に連れ戻すことはしていないのかもしれないですね。

もっとも恐れたのは自分が目を覚ました時に傍らにいた女性の息が止まって死んでいることでした。

出張の度に何かのトラブルが生じ連絡が入る。慌てて駆けつけてみれば彼女の荷物がなくなっていて部屋から出て行ってしまっている。連れ戻しても常にその不安がつきまとうならば、私は普通に生活も仕事もできなくなってしまう。このままの毎日がずっと続き、いつか死んでしまうかもしれない。

私も、弱い人間に過ぎないのかもしれません。

おかしな話なのですが、私が出張の間にはトラブルが殆ど起こらなくなっていたんですよ。

別人になって外をフラフラと出歩くような行動もなくなり普通に生活していました。以前は時々あったんですよ。そういった行動をとった時は必ず出張先に彼女から妙な電話が入つていましたから、すぐにわかりました。

「今、どこにいるのかわからない」とか、「あなたにもらったブレスレットが見つからない」などと電話でいってきたりしていました。

彼女の中に隠れている別の人格が本人には黙って、彼女を他の場所に連れ出したり、私からもらった物を捨てたり隠したりしていたんです。

その頃には人格の統合もほぼ終わり、普通の生活には支障がなくなっていました。なのに、私と一緒にいる時に限って別の人格が現れるとしたら、私は会うべきではないのかもしれない、と思いました。

私の存在が圧迫感になったり、別の人格が現れるきっかけになっているのならば、どんなにお互いが寂しかろうと、会ってはならないように思ったのです。

正直、辛かったですよ。彼女と生活を続けるために向き合ってきただけで・・・。彼女と別れるために頑張ってきた訳ではなかったから。

でも、私が会うことが原因で彼女の症状を悪化させるのなら、会う意味がなくなります。

もちろん当時はカウンセラーでもプロでもありませんが。彼女が良くなること、また彼女の苦痛が少しでもなくなることを願って私は施術に取り組んだのですから・・・。

ここまでで、私の役割は終わったのではないか? と感じました。それが無理に元の生活には連れ戻そうとしなかった理由です。