2018/12/03改訂
1997/08/23初稿
勇気とか強さの意味を考える
みなさんはサル山の猿の話をご存じでしょうか?
以前、上野の動物園でメス猿がボスになったというのがニュースになりました。猿の群れにとってボスが交代するというのは大きな出来事なのです。
人間の世界で言うトップ交代どころの話ではなく、群れの存続、生死をかけた戦いもまま起こります。
残念ながらメス猿のボスというのは長続きしないそうです。続いても2、3ヶ月ほどでオス猿と交代してしまい、長く持ちません。
通常であれば力の強いオス猿が群れを率いるのが当り前なのでしょうね。
なぜなら、外敵から群れを守らねば鳴らないから。人間に飼われていたり餌付けされている、捕食者がいない状況下ならば雌が群れをひきいても何とかなるかもしれないですが、厳しい自然環境の中ではやはりたくましい雄(オス)を中心に群れは集まることになります。
オスのボス猿が群れでの政権闘争に負けて交代する時、私たち人間からみるととてもショックなことが起こります。
(今回の上野動物園のケースのようにメス猿がボスになったような特殊な場合は除きます)
新しいボスが、まだ生まれて間もない子猿を殺してしまうようなことが起こるのです。
先にも書きましたが、ボス猿の大きな役目は群れを外敵から守ることです。
群れを守る役割を担ったリーダー、ボス猿が群れの一員で、最も弱く守らなければならない立場の子猿を殺してしまうのはなぜでしょうか?
実は乳ばなれの済んでいない子猿たちは基本的には前のボス猿の子供達になるんですよ。
人間に例えるならばいわば前の夫の連れ子です。
今のオス、つまり新しい群れのリーダーの子供ではないばかりではなく、逃走に破れた弱いオスの子供であったり、群れから追われた個体、闘争に破れて死んだオスの子供になってしまうのです。
自然界の厳しい現実
厳しい話になってしまうのですが。前のボス猿がリーダー争いに敗れた時点でその個体(小猿)は「弱い遺伝子を持つオスの子供」に転落してしまうのです。
ボスが交代して新しいボスが現われても、子猿達を育てている途中のメス猿(達)は新しいボス猿に対して発情しません。人間とは違って動物には一定期間の発情期が存在します。
一定期間の排卵周期があってその時期をわかりやすくするためにお尻が赤くなったり、フェロモンを発します。それで異性をひきつけてその気にさせるわけですね。
ニホンザルにも発情期と周期があって動物園で飼われていてもそれは変わりません。
メスザル(達)と書くのには理由があって、猿の群れはハーレム制度に近い構成になっています。
ゾウアザラシやライオンなどでもそうですが、強いオスが群れとかグループの長に立ちます。自分が率いている群れの頂点ですから、メスの殆どを支配下に置きます。
ですから生まれてくる子供は殆どが「ボスの子供」です。
ボスになれない若い個体は群れを離れてそこで新しいハーレムやグループを作るか、別の群れに所属します。今のグループのボスを殺して自分が取って代わるしかなくなってしまうのです。
動物園で飼育されているなら出て行く場所がないですから。
または何かのきっかけで自分の序列が変わることを願って、隅っこでコソコソやるしか方法がないのです。パートナーを持てたりメスと関係を持てるのは基本的に強い雄、つまりボスザルのみになります。女性側(メスザル側)からも断られるんですよ。
アフリカで新しいボスになった若いライオンが、前のボスライオンの子供を殺して共食いしているシーンが撮影されたこともあります。
前のリーダーの子供、特にオスは自分を脅かす存在になります。そうなってしまう前に殺してしまえ、群れのメスを自分のものとして扱うために邪魔な息子は必要ない、という厳しい感覚は自然界にも存在しています。
中世ヨーロッパの王族や貴族、戦国時代の日本の武将の相続争いのような争いは、自然界や動物界においてもよく起こる話なんですね。
自然界の動物において妊娠の機会はそう多くありません。前の子供がいる限り母親の愛情はそちらに注がれるのです。つまり、母親としての機能が優先してしまいメスとしての機能が後廻しになってしまう訳です。
不思議なもので、前の個体(子猿)を殺してしまうとすぐに母猿達は新しいボスを受け入れる体制が整い、発情し、新しいボス猿の子供を宿すようになるとのことです。
不思議に思いませんか? 要するに相手は前の夫を殺したか群れから追った男で、自分の子供を殺したオスです。
大切に育てていた自分の子供を殺してしまった相手であるにもかかわらず、受け入れてまた子供を作ることになるのです。
一見、ショックで不思議に見えるこの出来事も、生物学上でいうと何の不思議でもないそうです。
厳しい筈の自然界にも保護はある
生物は強い子孫を未来に残そうとします。次の世代に「生き残る」ことこそが、その生物に課せられた使命なのですから・・・。
強い子孫が生き残り、個体として増え続けるためにだけにそこに存在していることになります。
ボスとしての争いに負けることは「弱い」ことになります。生物や種として他のオスや他の種に「喰い殺される」可能性が高まる訳ですから。
遺伝子を残し種としての厳しい生存競争に生き残って行くためには、どうしても強いリーダーを求めることになるわけで。本能の中にそれが仕込まれているのでしょうね。
人類も含め草食肉食を問わず、小さな小さなウィルスから象、巨大なクジラのような生物まで含めて生き物がずっとその生存競争を争い、お互いが生き残りをかけてずっと争ってきたことになりますね。
それが現実です。
だからといって私は「弱い子供は死んでしまえ!」とか(障害者や身体の弱い子は)「生まれてこなければいい!」などとは欠片も思っていません。
自然界は厳しいのです。弱い個体が淘汰されてゆくのはいわば必然で、体調の悪いもの、または足の遅いものや身体の小さいものから捕食者の襲撃の対象になってしまいます。
ところが、シマウマなどは子供を群れで守りますしね。子供を中心に円陣を組み強力な後ろ足で蹴りを入れてライオンを撃退することすらあります。
象も似た行動をとります。子供を社会の大切な宝物として捉え、群れ全体で保護しようという働きも自然界にはあります。
一概に「弱いものは全て切り捨てられる!」それが「弱肉強食の世界だ!」と言えるものではないですね。異種、まったく異なる動物が子供を保護して育てた実例もあります。
アフリカの動物保護区で実際にあったのは、鼻のない象の子供が長く群れに保護されていた例があります。これは人間でいうなら両手が無いに等しい。
足の悪い小馬が群れに保護されて無事に成体になった例もあります。
弱いはずの草食動物が、真っ先に子供を見殺しにして自分だけが助かろうとする「大人」ばかりであれば、象の子供やシマウマの子供なんて真っ先にライオンの食卓にのぼってしまうでしょう。
大人たちが助かっても子供が育ってこないなら、その群れは滅びますしその種は絶滅します。だから危険を顧みず、命をかけて保護を加えて救おうとするのでしょうね。種族の未来、種としての存亡をかけて。