手助けしてくれる人がいるうちに
自立できてないご本人にとって一番辛いのはね・・・。準備が整わないうちに親が死んだり、周囲から誰も居なくなることです。
自殺したいとかね。洗脳してくれとかね。恨みを晴らすために「催眠術で何とかしてくれ」もいいですけどね・・・。そういったメールを送ってくる前に、あなたには何か見落としていることはありませんか?
あなたの周囲には誰もいない? 支えてくれる家族とか仲間は? お子さんや旦那さん、奥さんはどうでしょう? 感謝していますか? ご両親はどうでしょう?
実際にはね。「自分一人」で生きている人なんて一人もいやしませんよ。
木の股から生まれたり、爬虫類みたいにどこかに放置された卵から生まれる人間なんていやしませんから(笑)。人間の赤ん坊は生まれるのに10ヶ月もかかります。生まれた直後は立つこともできない。
アフリカのサバンナなら即座に捕食されて死ぬでしょう。人間の赤ん坊の場合は誰かが面倒をみて、ミルクを与えたり子守をしたりする必要がある。
あなたがこのホームページにたどり着いて文字が読めるのは。誰かが食事を与えて世話をしたからここにいるのです。
ネットや実生活も含め、誰か自分の敵を発見してね。その人を責めるとか虐めるとか攻撃するとか。過去の恨みごとを晴らすとか考える前に、自分自身も誰かを支えたり応援する気にはなれませんか?
あなたが孤独で悩むように、同じように孤独だったり苦しんでいて助けを求める人はいます。
「私は精いっぱいだからそんなことはできない!」「金銭的にも苦しいんだから!」「あなたとは違う!」ではなくてですね(笑)。
お金持ちとか裕福な人、精神的に余裕がある人がボランティアやったり、講師に立っているのではないのです。
障がい者とか社会的な弱者や貧困層を手助けしている人の多くはね・・・。過去に何かを失った人です。
阪神淡路大震災を経験して現在の「NPO」という組織の枠組みを作った人にもお会いしていますが、家族とか仲間を失ったり死なせてしまった人が、その代わりというか他の苦しんでいる人を「少しでも手助けできないか?」と考えて取り組んだものなんですよ。
亡くしてしまった友人やご家族を思い、あの時にこういった枠組みがあったら「もしかしたら手助けになっただろうか?」と考えていた方(すでに故人です)が最初に作り上げたものです。
粘り強くやってる人はね。世界平和とか世界愛みたいな、一部のサヨク系が掲げる馬鹿げた大風呂敷や見え透いたスローガンは嫌いですよ。
そんなもののためにはやってないのです。
助けたくても助けられなかった人。失ってしまった知人や家族への思い。同じ過ちを繰り返したくないとか、同じ痛みを「家族や親族、仲間や子供たちに与えたくない」と願って、そういったことを続けているケースが多いでしょう。
何もこのホームページでこういった文章を読んだのを機に、そういった活動に積極的に携われとはいいません。
ただし、「自分自身」「ご家族や友人を」を救うための行動くらいはしましょう。
あなたを手助けしてくれる人がいるうちに・・・。
身勝手な言動を繰り返し、周囲や社会に甘えているうちに家族や仲間がいなくなり、ご両親が死んでから焦ったりどこかに放り出されるのでは辛くなりますよ。
安易な内容には協力できません
私は死そのものを否定はしません。自殺する権利すらも個人にはあると考えています。その辺は、ちょっと異質かもしれないですね。
そこが他のカウンセラーとか宗教家とかとは違う部分でもあります。
ただし、安易な死(洗脳してくれも含む)を認める気も毛頭ないですよ。
私が嫌いなのはね、たいした努力もしてないのに安易に死を選ぼうとしたり、他人に全てを変わってもらおうとする人間です。
歳をとってね。持病が悪化したり巨額な借金があるような場合は自殺を思いとどまれとは言いにくい。なぜならその道程の中で、十分に様々な経験を通して社会を知っている方の選択だから。
生命保険で借金を返そうとしたり、家族に介護の迷惑をかけないようにと死を選択する例もあります。それに「ともかく思いとどまれ!」「生きていれば良いこともある」と告げたってなかなか止まりませんよ。どんな優秀なカウンセラーであれ、難しくなると思います。
若い世代が安易に「死にたい」と言うのは流石に反則だと思いますよ(笑)。
まだ、やれることなんていっぱいありますから・・・。やれるだけの手を打って、それでもどうしてもダメなら、そこから考えるべきことだと思うのです。
自殺サイトで知り合って死んでいる人の中にはね・・・。私から見るとそんなことで死ななくてもいいだろ? と思う人も何人もいます。おそらくは相談する場所とか誰かがいたら、確実に避けられたのではないか? と思う例も幾つかあると思います。
安易なものには協力できませんが、真剣な内容であれば相談には乗ります。
私はただただ「もったいない」と思いますよ。
生きたくても生きられないとか、障害や問題を抱えながらも懸命に生きる人もたくさんいるのですから・・・。体調不良もあって私自身も何年も苦しんでます。
人間なんてね。いずれは死んでしまいます。
2011年の年始のご挨拶で、一休禅師の話を取り上げていますが、「親死に 子死に 孫死に」ですよ。いずれみんな、死んでしまう。一休さんの最後の言葉らしいのですが「死にとうない」と言っても全員が死ぬのです。
死ぬのはいつでもできます。
私は「だから死んだ気になって頑張れ!」なんて月並みな事は言いません。
死ぬ気になれば本当に死んじゃいますから(笑)。生きてゆくほうが辛く、苦しいことが様々あります。生活のために「稼いで食って寝る」ってその単純なことがなかなか難しくてね。生きているだけで悩みや痛み、苦しみや悲しみ、寂しさは尽きないものです。
人間なんて放っておいたって、いずれ死んじゃうものですからね。だからこそ、生きてるうちに自分にできることとか、何かやりたいことを探しましょう。
このコーナーの冒頭に述べたように、犯罪被害に遭いながら親や親族が知らんフリをしている例もあります。助けを求めたくても友人や知人が少なかったり、相談する場所がない場合もあります。
どうしても、周囲に相談すべき人が誰もいないって時にはご連絡を。
励ます意味、自立させる意味で時には厳しいことも言うことはありますが、私が相談者を馬鹿にすることは絶対にありません。
ネットでは恋愛問題程度で「死ぬ」って騒ぐのは愚かだとか、「本当は死ぬ気がないから騒いでいるんだ!」って叩く人もいるようですけどね。
そんなことはない。人間は精神的な衝撃には弱いんです。
かく言う私も、若い頃には恋愛で大失敗して死のうと考えたこともありますから(笑)。痩せっぽちで実家が貧乏だった私は、中学高校時代にイジメの対象にされたこともある。
その経験がある私が「そんなの些細な悩み事じゃないか!」とか「その程度で死ぬなんて言うな!」って説教はできませんし、しないと思いますよ。
視点を変えたり息抜きの方法を覚えればまた、元気になります。新しい友人や素敵な恋人に恵まれることもあります。経験者からのアドバイスを受け、そういったやり方を覚えることも時には必要です。
PS.
テーマがテーマだけに、今回は長文になってしまいました。
ネットを通じて安易な自殺に傾く人とか、苦しいから「自分を洗脳してくれ!」と考える方のために、過去の実例や私の体験談を元に「サポートの意味」を書きました。
2011年01月15日 初稿
2017年12月06日 加筆、修正
谷口信行