自殺したい、手伝ってくれと言う前に

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自殺依頼のメール

障がい者と一口にいっても様々な人がいる

木馬 アイコン2、3日経ってからね、無断欠勤している彼のご両親が会社に訪れて泣くんですよ。「あの子は可哀想な子なんです」って。

連日、父母、両方が訪れて泣きます。おそらくはこれまでもそういった行為の繰り返しだったんでしょう。

ご本人はその2日後くらいにご両親に伴われて訪れてやってきて隣に座っていましたが、仏頂面で嫌々やってきたのがはっきり見て取れます。

ご本人は悪いとも思っていないようで、ろくに頭も下げません。社長も苦り切っています。

ご両親だけが延々、「済みません、済みません」言い続けており、「首にしないでください」「可哀想な子なんです」とばかり繰り返します。

私の育った四国の高校でも、障がい者の受け入れは行っていました。一般校なんですけどキリスト教系の学校でしたので。軽度の障がい者とか、小児まひで影響を受けた人なども通っていました。

私の外見は、高校時代はどちらかというと色白でやせっぽちでした。両親が中学生の頃に離婚して生活苦でもあったので母子家庭の奨学金貰って高1の頃から新聞配達のバイトしてました。

小柄だった私は障がい者を差別したり見下ろすような習慣は持っていませんよ。

今のように背が伸びた(182cm)のは卒業間際になってから。

当時の私はどちらかというと気が弱いというか、優しげなタイプだったと思います。

障害を持つ人がいたら手助けするのが当然だというような教育を離婚した実父から受けて育っており、彼らに悪い感情なんて持っていませんでした。

実父自身が交通遺児の支援団体の理事もやってましたし。

高校に入学してしばらくした時にね・・・。その足が不自由な同級生からいきなり、一方的に詰られて(なじられて)びっくりしたことがあります。

階段をあがるのに苦労してるようだったから手伝おうかと思って、近寄っただけなんですよ。悪意が会ったわけでもない。その瞬間に大声で怒鳴られました。

「なんだよ! お前は!」

過去に一度もそのような経験がなかったのでとても驚きました。

私は手伝おうとしただけなんです。

障がい者の中には、誰かが手伝おうと考えて手を添えようとする行為が「見下している」とか「哀れんでいる」と思って過激な対応をする人だっています。

仕事を放り出してしまい、一度も自分では謝りもしない元会社の同僚。その我が子の隣で泣きながらいつまでもいつまでも頭を下げ、謝り続けているご両親。

高校時代、私がほんの少し手助けしようとしただけで一方的に怒鳴り散らして睨みつけてきた同級生。それを年齢が上昇した今になっても、時折思い出すことがあります。

社会には様々な人間、様々な状況があります

こういった仕事とかサイトを長くやってるとね、思い知らされることがあります。

人間というのは何と脆く、なんと弱い生き物なんだろうか?ということです。

また社会には非常に身勝手で卑怯な人もたくさんいます。このホームページを読んで盗用や流用を繰り返す連中にも私や兄が長く真面目に取り組んだ内容や中身を歪めようとする者もいます。

色々な人とか様々な立場の人に会ったり、ネットを通じて悪意やトラブルを知れば知るほど、複雑な心境にはなりますね。

大抵の人は自由に動くことが出来てね。目も見えれば耳も聞こえる。身体に障害があったり別にどこかの強制労働所に収容されている訳でもないでしょう。

自分の意思で何かを選択することも出来る。歩む意思や学ぶ意思があれば、様々なことに挑戦できる。なのに親が学校が社会がといって言い訳ばかりしていて、自分からは何も踏み出さない人もいます。

人間は精神的なショックに脆い(もろい)ですね。他人から見ればほんの些細な出来事にみえたり、恋愛の失敗、仕事のトラブルで死に至りますし、何年も棒に振ってしまうことはあります。

おそらくね・・・。最初から身勝手な人ってのは少ないのです。

私と似たような体験を経て、障がい者とか統合失調症(ネットでは糖質と揶揄されます)を罵っている例を掲示板などで見ますが、それは誤りです。

障がい者とか精神的な疾患を抱える人が身勝手なのではなく、人間は自分の周囲を取り巻く環境に弱いんです。

「誰かに見下ろされる感覚」に我慢できなかったり・・・。実際はそうでなくても「自分がそう思った瞬間」に怒鳴る人もいる。

相手が善意で差し出した手でも噛みついてしまう人がいる。それは弱さや身勝手さというよりは、誰かを恐れたり見下される怖さから起こる心因反応です。

私個人はそういった人に嫌がらせはしませんし、見下ろした感覚はありませんが、他がそうでないとは言えないでしょう。

あとで考えてみれば、彼らは過去に何度も嫌な思いを経験しているのかも知れないですね。

そうなれば、自分を守るために「誰かに怒鳴ったり」「寄せ付けないように」するしかなくなる。私の通った高校では、障害がある同級生だけで集まっていました。

何か「嫌なものが近づいてくるのではないか?」と感じてしまう。相手が善意でやってきても「信じられない」とか、自分の身を守ろうと異様に過敏になったり、過激な反応になってしまうことはあります。これは障がい者だけの問題ではありません。

周囲が手取り足取りやってくれる。例えば仕事を失ってもどこかから斡旋が受けられる。生活保護や障がい者控除や補助が受けられて一切、働かないとか努力しないでも生活できるということになれば、人間はどんどん弱くなるしその環境や周囲に感謝などしないでしょうね。

それは「身体に障がいがあるかないか?」ではなくてね。

おそらくは環境とか周囲に甘えてしまった結果が、その人に身勝手さや弱さを育ててしまい、心と身体に染みついてしまうのだと思います。

私にしてもいつそうなるとも限りません。人間は弱いですから。常に厳しい環境において努力していないと、すぐに怠けるようになるのでしょう。

それでも・・・やっぱりサポートは要ります

難しいなぁと思うのは、こちらが良かれと思って何かをやっても怒鳴られることはある。多少、厳しい言葉を投げ掛けると中傷されたり苦情を言ってくる例もある。

良かれと思ってアドバイスをしても。それが無償の行為であっても。自分が気に入らなかったというだけでネットに延々と悪口を書き連ねられたことも一度や二度じゃないですよ(笑)。

かといって過保護にしてしまうと働く意欲を奪ったり、相手が嵩にかかって「もっと寄越せ!」「全部を無料でやれ!」と求めてくるケースもある。

いつまでも「そうして貰えるのが当たり前だ」と思い込む例もあるんですよ。

前出の「目の見えない我が子」を送り出す親御さんもね。他の障がい者の実例やご両親の話をあちこちから聞いて、心を鬼にしてでも送り出すようになったのではないか? と推測します。

周囲の善意や思いやり、支えるための制度が、ご本人の働く意思を奪ったり足腰を弱くしてしまう可能性だってあるのです。辛くても苦しくても突き放さなければならないこともあります。

私個人にしてもいろいろありますよ?

昔の友達とか彼女とか、部下だった子や同級生の面倒をみたら、あっさり仕事を辞めて一切連絡もないとかね(笑)。影で支援してあげたり、こっそり就職の口利きしてあげたことを本人は知らないまま、私の悪口を言ってるとかね(笑)。

他での生活がうまくいかなくなったり、何かのきっかけで思い出すんでしょうか? 何年も経ってから何事もなかったかのようにメールを送ってくるとか、仕事の世話を頼んでくるなんてこともあります。

面倒なので一々説明はしませんけどね。さすがに関わり合いになるのは辞めています。別れた彼女が二股をかけていた男が連絡してくるとか。

要するに元カノの浮気相手、セックスフレンドの男が私の仕事に興味を持って「催眠術を教えろ」「仕事のアドバイスをしろ」って言ってきたケースがあります。

YouTubeなどが発達する前、今後は動画編集が伸びると考えて撮影機材を整え、それなりに仕事を受注し始めていましたので。まあ、そういうのもよくある話です。

誰かのためにとか、何かのために無償で関わることもある。その中で何度か嫌な思いを何度かすると、やはり関わるのを全て辞めてしまいたくなるんですよ。

そんな人ばかりではないでしょうし、そんな例は小数派だとは思うのですが・・・。

元は善意だったり悪意がない形でサポートしようとした人であればあるほど、失望感や怒りも大きくなります。元の思いが純粋であればあるほど、怒りや悲しみから攻撃もするようにもなります。

ネットで時折、そういった過激な発言や書き込みをする人がいるのは、過去に何らかの経験があって強烈な嫌悪感を持ったのではないかな? と推測します。

相手側が一方的に怒鳴りつけるなどしてきた場合、「なんで俺達が嫌な思いや負担までして、こいつらの世話なんかしなくてはならないんだ!」になりますから・・・。