阪神の赤星選手の実話です
難しいのはですね。どんな世界、どんなコミュニティにおいても、実際に愚かな人とか身勝手な行為を繰り返す人はいるってことです。
阪神(野球)の赤星選手が支援として車椅子の提供を行ってきました。2003年から自分の盗塁数に合わせて車椅子を自治体に贈り、それを活かしてもらおうと現役生活中からずっと行ってきたものです。
私も大好きな選手だったんですが、残念ながら首の怪我で引退を決め、2009年12月には現役を終えられました。
7年間で贈られた車椅子は301台になります。
その車椅子をね、オークションで転売しようとした障がい者もいます。その行為が発覚して周囲に咎められた時に「貰ったんだから売って何が悪い!」と言い張ったという話もあります。
この人本人ではないか? と思う人が、掲示板などで赤星選手の中傷や誹謗を執拗に行っていた時期もありまして・・・。眺めていてとてもびっくりしました。
これも非常に残念な話なのですが・・・。実話です。
実際に車椅子を贈られたのは自治体とか病院であってですね・・・。ご本人に個人的に直接贈られたものではないんですよ。赤星選手のサイン入りなので高く売れると思ったらしいのですが、幾らなんでもそれはダメでしょう。善意の転売になってしまう。
これは2007年の出来事なのですが、赤星選手はそれで支援や車椅子の提供を辞めてしまうことはなく、引退までずっと寄贈し続けていました。
引退後も何らかの形で障がい者への支援や応援は続けたいとも言っていらっしゃいます。
同じようなことがあったらね。普通は辞めたくなってしまうでしょ? それでも赤星さんは辞めていません。
それはね。私が上記したのと同じでね。全部の障がい者がそんな人達ではないからですよ。
贈られている車椅子をきちんと運用管理してくださる施設の方や医療関係者がいる。不自由な方の手足となって役立っている例もある。感謝している人や助かっている人も大勢いるのです。
たった数回の嫌な出来事で、障がい者全体を敵視してしまったり、嫌気がさして支援を辞めてしまう人ばかりになると育つものは何も無くなってしまう。
ですから、取り組んでいる人は粘り強く続けていたりします。
制度っていうのは難しい側面がありますね
本当の意味で支援が必要で、保障や手当てを受けるべき人がいます。
ですが、その制度とか保障を悪用して私腹を肥やそうとする者とか悪意のある組織もあります。そういった連中が制度を食い物にすることで結果として真面目な人とか、本当の意味で支援が必要な人が苦しむ例も多々あります。
最初はそんな人ではなかったのに、途中から目が眩む人もいますしね。
生活が苦しくなったり、事業が傾けばそういった感覚に陥ってしまう人もいるんですよ。もちろん、裕福に暮らしたり遊ぶ金欲しさでそうなってしまう人もいます。
貧困ビジネス、とも言いますけどね。本来は無報酬で行うべきNPO活動を用いて仕事が無い人とか障がい者から金を巻き上げようとする行為もあります。
最近になってやっと行政が重い腰をあげて多少は調査したり、審査してNPO法人としての資格を取り消すようになりました。
どんな素晴らしい制度や支援したいとの思いも、運用するのは所詮、人間です。
人間が人間である限り、そこには歪みが生じますし身勝手な思惑も挟みます。
トラブルを防ごうと思って敷居を高くすれば弱者の救済という名目からは外れます。かといって簡便にすれば制度を悪用する迷惑な連中ばかりが群がってきます。
その辺りの折り合いが難しいですね。
健常者にも障がい者(精神障害も含む)にも様々な人がいますよ。もちろん「催眠術師」にもカウンセラーや医者にも色々な人がいるでしょう(笑)。
職種とか肩書きとか団体とかでね。全体を簡単にひと括りにして敵視してしまうのはよくない。やはり相手をよく知ることから始めた方がいいと思います。
誰かにレッテルを貼ってしまったり括るのは簡単です。
一度、張ってしまったレッテルはなかなか剥がすことができません。あなたの「心の中に」できる壁なので、それを壊すのには時間が必要となるでしょう。
大勢の心の中に壁ができれば、繋がりは絶ち切られます。
実際に必要なのはそうではなく、相互に立場とか状況を確認し合って「接点はないか?」「協力し合える部分はないか?」を探すことだと思うのです。
自立を促すために本当の意味でのサポートを
これはこのホームページ上で何度もしつこいくらいに書いてありますが、サポートとか手助けの意味はよく考えてください。
サポートとか手助けっていうのは「おんぶに抱っこ」で全部を誰かに丸投げして、頼り切りになってしまうことではないんですよ。それではまともな行動のとれる人がいなくなってしまいます。
人間は弱いんです。子供の頃から「この子は可哀想な子なんだ」と親が言い張って何でも好きなものを与えたり、自分で努力したり勉強する機会を奪ったら自分の足では立たなくなるでしょう。
私は、それを「サポート」とは呼んでいません。相手をダメにしていっているだけです。
時には相手に嫌われることや、後でネットに悪口を書き込まれること(笑)を覚悟の上で、厳しく接したり突き放すことがあるのは「相手を想う」から・・・。
私個人は依存心を育てたり立てなくするためにカウンセラーや催眠、心理学の知識があるとは思っていないのです。お金儲けのためを中心に考えるなら、甘い言葉ばかりを並べますよ。
私がこのホームページ上で初期の頃から「相手を哀れんではいけない」催眠やカウンセラーに「頼り切りになってはいけない」と言い続けてきた理由でもあります。
可哀想だから「あなたを助けてあげる」なんて思ってるカウンセラーなんて最低だと思いますよ。その時点で見下ろしていることになりますから・・・。
同じ意味で、全部を「私に任せなさい」「任せておけば大丈夫!」と言い張る人もおかしいと思います。そのやり方では自立する意思、下手をすれば思考能力や才能、本人の可能性を奪うことになりますから。
それが説明したくて、今回は目の見えない方のご両親の対応を紹介しました。
と、同時にすぐに仕事を辞めてしまって、ご両親が頭を下げている障がい者の例も出しました。
本来はその人にも、もっと高い能力や才能があったのかもしれない。
ですが、それを鍛える機会を持たずに安易に与えられるものに慣れてしまったら、自分で狩りなどしませんよ。それは障がい者だからとか健常者だからではなく人が環境に弱いから。甘えは自分自身の中にあり、それと向き合うのは骨が折れるのです。
楽なほうがずっと開いて誰かが手招きしていたら。誰だってそっちに行きますよ(笑)。私だってそうでしょう。わざわざ厳しいほうには行かない。
問題なのは、おそらくはそれが「一生は続かない」ってことなのです。
野生動物だって子供の頃から甘やかされて育ち、そのまま野に放たれれば死に至ります。獲物を獲ったり自立するためのトレーニングを何一つ受けていない状態なのですから・・・。
その子が可愛いからこそ、無理をしてても自活を促したり心を鬼にして放置しなければならない瞬間もあります。過保護に扱って危ないものに一切、触れさせないのが愛情ではないですよ。
厳しい社会環境でいきなり放り出されるより、誰かの庇護の元にあって「いざという時は頼ることが出来る」状態の時に勉強や経験をさせたり、転んでも放置しする。
立ち上がる勇気や根性を身に付けさせるほうが、ご本人のためだったりもします。