他人との心の距離の不思議

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カリスマ店員はなぜ生まれる?

「売りたい」時点で魂胆のある人

ダイヤモンド アイコン繰り返しますが、「販売員」とは、いったいなんでしょう? 簡単な質問ですが、これが意外に難しいんですよ。

販売員、とは「物を売って利益を得る人」ですが、お店にやってくるお客さんから見れば、それはこうも言い換えられます。

こういっては何ですが、販売員とは「何かの魂胆がある人」です(笑)。もっとわかりやすく極端に説明すればある意味では「詐欺師」と同義語です。

営業や販売員は、どんな奇麗な言葉で飾って言い繕っても顧客、すなわち物を「買う」側からすれば「何かを売りつけようとどこかで待ち構えていたり、押しかけてくる人」に過ぎないでしょう。

当然、迷惑な場合もあります。その意味がわかりますか?

昔はね。今のようにネット検索とか情報端末やスマホが発達していませんでした。商品の流通も限られた範囲であったので、セールスマンが戸別訪問した時もそれほど嫌われてなかったのです。

百科事典とか典型ですし。変わったものでは避妊具とかコンドームなどもあります。

これも人間心理が関わっています。当時は避妊具を近所の薬局に買いに行くのは恥ずかしいと考えられていました。商店街も顔見知りですしね。

だからセールスでまったく知らない営業マンが、直接売りに来てくれるほうがありがたかったり。

学校の他の生徒に負けないように「子供に社会常識とか学力を身に着けさせたい」「図書館ではなかなか順番が巡ってこない」と思った親たちがこぞって百科事典を買った時代もありますよ。

情報が行き渡ってネットもコンビニもあります。どこででも商品が買えるようになれば商品を持ち込んでくる人は押し売りと変わらなくなってきます。ですから一般人の意識としても店員とか販売員は「何か魂胆がある人」で詐欺師と同義語にも近づいていきます。

「物」を売って対価を得るということは、その時点で人件費や店舗代、宣伝費、光熱費が必要になってしまいます。商人に利益があるということは、お客とは商品に自分の利益を上乗せされて「お金を奪われる」側でもあるのです。

今の時代ではどこかの店舗とかショップに「入った瞬間」から、お客さんは身構えてしまっている訳です(笑)。商品や情報の無かった時代とは微妙に立場が違っています。ある時期などデパートの店員がひどく上から目線で。買い物に来る一般人を見下ろしていた時代もありましたよ。

バブル期などには「ウチはお客様を選ぶ」と堂々と言い放っていた百貨店もありました。

今、そんな商売をやっていたら。あっという間に悪評がTwitterやSNSで拡散して潰れてしまいますよ。

販売員がショーケースやハンガー(服飾など)の内側、店内に立っている時点で、実際には「何かを売りつけよう」という魂胆を持っていて、そこに待ちかまえていることになります。

店員とか社員である限り「何かを売りつけようと」していることを「最初から来店者に見抜かれる」というハンデを背負っていることになりますね。

わかりますか? 入店の時点で、どんなに店員がヘラヘラと笑っていてどんなに猫なで声を作って近づいて来ようとも、その印象は変わりません。よほど暢気(のんき)な人でもない限り、店員側から強く話しかければ身構えることになるのです。

昔なら当たり前だった受け答え、店員が「何をお探しですか?」「どんな品物が必要ですか?」「これがいいですよ」なども、お客さんが望んでいないうちに話しかけると逆効果でしょうね。

接客を一切しないスタイルのショップも近年は現れています。これは接客をないがしろにするという意味ではありません。圧迫感を減らして自由に商品を選んでもらおうという試みです。

呼びもしないうちから近寄ってきて、「これがお似合いです」とか「これがお勧めの商品ですよ」などと懸命に説明を始めると、安心感が増すどころか、うっとおしさとか不信感がより増してしまう場合も多いでしょうね。すでに接客スタイルが大きく変化しているのです。

理由は簡単で、初期の対応方法が間違っているからです。

時代によって「心理障壁」の乗り越え方や売り方が異なる

壁 レンガ アイコンでは、それをどうやって乗り越えればいいのでしょう?

ちなみに商売において「口コミが強い」と昔から言われるのは、その商品について語っているのが「店員」(商品を売りつける側)ではないからですよ。

直接、商品に関わる社員や店員ではない。利害関係がないので商品を褒めちぎっても得られるものがない。実際のユーザーの声というのは昔から尊重されていて、それは電子機器や通信端末、ネットが全盛になった今でもあまり変わっていません。

一般客同士で広がった商品の評価は強い影響力を持ちます。ヒット商品を出そうと必死になって、意図的にそういった噂を流すメーカーもいますが、「良い噂」が定着するには実際の使用者の感想が必要です。自作自演だけでは無理でしょう。商品本来の持つ魅力とかタイミングとか運が不可欠です。

ネットに書き込まれるレビューも「口コミ」の一種です。日本国内の企業、ヨドバシやモノタロウ、Yahooや楽天も似たシステムは投入していますが、意図的な選別や自作自演らしきものが多数あるため、Amazonほどの人気にはなっていません。

悪い内容とか批判もあえて一定数は載せる必要があるのです。ところがショップ側からの依頼で都合が悪いものは全削除してる企業もある。

あまりに酷いので「◯◯のレビューは信じない」と公然と書き込む方も出るくらいで。

そうなってしまうと「魂胆のある店員」側ですよ。どんなに良い内容を連続で書き込もうと口コミではなくなってしまいます。結局は潰れるんですよね。そういった飲食店やショップは。

時代はどんどん移り変わっています。

一部の時代に取り残された経営者は、今だに強引な販売、経営方針や手法を用い「根性で売ってこい!」と迫ります。入店したお客さんに執拗に付き纏い、ともかく商品を押し付けようとします。

ストレートに言いますが、古いんですよ、それでは・・・。

各会社共、売りたいのは山々で、毎日、それこそ足を棒のようにして懸命に歩き回っている営業社員や販売員も大勢いますが、根性論とか顧客への粘着とか、まして脅迫で商品は売れません。

顧客の「心」とか「欲しいと思う感情」を動かす必要があるのです。

以前においては確かに、そのような販売方式が正しい時代があったのです。昔の日本は貧乏でした。今のように品物が溢れていることなどなかった。忘れてしまう人も多いようですが、日本においてどこにいっても商品が買えるようになったのはつい、最近のことなんですよ。

今でこそコンビニなどがどこでも営業しており、深夜でも弁当や食べ物が都合よく買えますが、地域や場所によっては自動販売機すらなかった時代があります。

思い出しにくければ正月やお盆を考えて下さい。事前に買い物をしておかなければ三が日(お正月の三日間)には食い物がなかった(買い物できるお店が開いてない)時代は、1950年〜1970年代くらいまでは当たり前だったんですよ。

以前は流通のシステムが整っていませんでした。いざ、商品を売ろうと考えても、そう一朝一夕にはいかず、管理システムや保管、流通(配送)に到るまでのきめ細かな整備、配慮が必要となるからです。ポスレジはおろか、宅配便のシステムもまだ存在していませんので。

物流だけではなく、そこに関わる人の生活習慣や意識にまで大きな変革が必要になります。

単純な話ですが、少し前のように「他の人が休んでいる年末年始や、日曜日まで、どこかで働くのは嫌だ」と多くの人が考えれば、街のコンビニは年中無休にはならないんですよ。

忘れてしまいがちですがどこかに犠牲というか、その時間帯、曜日に懸命に働き、社会を動かす人がいるのです。「今、開いているお店がある」ということを考えれば、顧客のニーズに合わせて働く人々、開けている店舗や動く会社が増えたことに他なりません。

「人が動こうとしない」「物が動かない」「情報が行き渡らない」ことは、ある意味チャンスでもあります。そのすき間を狙って、多くの企業が様々な手法を凝らし、販売や営業の実績を延ばすチャンスを捉まえ発展してきています。

ですが、それもそろそろ頭打ちになりつつあります。

販売方法そのものが似通ったパターンになりつつあります。

一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったコンビニ業界だけでも、今では競合店が何種類にも及びます。同じ地域、狭い範囲に似たような店舗が増えれば差別化は難しくなります。

昔であれば「根性で売ってこい!」「一生懸命に廻ればきっと売れる!」もあながち間違いではなかった訳ですね。情報も商品もショップも少なかった訳ですから・・・。情報が行き渡り、競合店が多くなった今ではそれはそのまま当てはまりません。

「誰かに見られると恥ずかしい」「家まで届けてくれるならそのほうが良い」というのは昔とおなじなんですが(笑)。その心理障壁はAmazonやネット通販なら簡単に乗り越えられます。

もしあなたが経営者なら、社会の構造の変化や時代の背景をきちんと捉える必要があります。

※加筆修正を入れている2017年にはアルバイトなどの労働力の確保が難しくなって、24時間営業を辞めるコンビニや店舗の縮小を行う外食チェーン、ラーメン屋などが増えています。

今の時代のニーズと販売形態の変化

商品が「置いてない」時代には販売員がお客さんに対し、「何をお探しでしょうか?」と問い掛けるのはごく自然ですし正しいんです。

それが無礼とか押し付けには決して当たりません。何かを「欲しい」と考えていても売っている場所がなかった。

情報が限られていた時代には、相手が何かの商品を探して来店した場合、相手にそう持ちかけるのは失礼には当たらなかったのです。

これから大きな発展を遂げようとする、一部アジアの諸国などの現状はそれに近いでしょうね。中国とか。良い商品なら持ち込みさえすれば、そこそこ売れる可能性を含みます。

ただし、現在の日本においては当てはまらないでしょうね。

日本でも化粧品の販売などでトラブルになったことがありました。一流メーカーと呼ばれる化粧品会社の商品は流通の経路が限られており、スーパーやコンビニなどでの販売が行われていなかったのです。

2000年当時、ドンキ・ホーテのような量販店には販売を許可しませんでした。大手スーパーなどが安売りしないようにとメーカーが販売規制を行い、それが表面化したのです。

自社の製品が叩き売られるのを黙ってみているメーカーはいないでしょう。安売りしますから。まして、化粧品はイメージが大切ですから、発売に到るまでに多大な宣伝費もかかっています。製作費とか原価だけの問題ではないんですよ。

ですから、メーカー側としては出したばかりの新製品が、あちこちのスーパーや量販店で安く売られることに難色を示したのです。

これは時代の趨勢(すうせい、いきおいって意味です)には逆らいます。

どんなにメーカーが規制し、その流れを止めようとしてもそれは不可能でしょう。いずれ崩れます。時代はすでに大きく動き始めてしまっており、どんな大手企業が止めようと躍起になってもそれを元に戻すことはできないんですよ。

結局はその後、訴訟で化粧品会社が敗訴します。そんなもので止めれるわけもないのですが・・・。

無駄な努力でしたね。国内のスーパーや量販店だけ商品を卸さないとか許可しなかったとしてもAmazonなど外資系大手が参入してきたら止めようがない。そういった小細工、半端な圧力で自分たちだけが儲かろうとか助かろうとした結果、国際社会との競争に敗れています。

商品の流通は大きく様変わりしています。昔風の問屋とか、中間マージンを受け取ることで利益を上げる業者は急激に減っています。

商品の価格も下がりました。こういった現象は消費者には良い部分もありますが、必ずしも良いとばかりは言えません。物を作る産業が発展しなくなるからです。

作っても儲からないから(笑)。

生産ラインに資金投入して作っても値下げ幅が大き過ぎれば回収が不可能になります。儲けたい人達は最初から倒産品や処分品を買い叩こうとするでしょう。商品や情報を「積極的に作り出す」よりも、結果としてモノマネや盗用、強引な買い叩きばかりが横行するようになるんですよ。

問屋やメーカー、デパートや製造業の苦境はともかくとして現在は昔と異なり、同じ商品がコンビニでも気軽に買えます。量販店やスーパー、ネット通販(Amazonなど)でも買えるようになっています。

先の化粧品を例にとると、少なくともデパートの一階で専門の化粧品販売員からしか新商品を買わない、買えないということはあり得ません。

私の若かった頃は美容部員と言いました。その仕事に憧れる女性も多かったですね。閑古鳥が鳴いているというか賑わっていることは減りました。新卒とか新入学の季節には、そういった売り場にお化粧方法を習いに行って、ついでに新商品を買って帰るというサイクルがあったものです。

今はYouTubeもインスタもありますから。お手本にするならそういったものでも構わないのです。動画だって上がっていますよ。途中で止めたり何回でも繰り返し見ることができます。

そうなると販売員の人柄とか技術、話術がよほど突出していないと店頭にはお客様がやってきません。