「手当て」の意味(56ページ)
接触法(パス)について説明したので、ついでに「手当て」の意味について解説しておきます。この説明はごく初期の頃、私のホームページ上でも行っています。参考にしてください。
人間の手の平からは何かが出ているのではないか? といった考え方があります。
最近はそういった観点から気功とかオーラ(生体エネルギー、キルリアン反応)などといった技術の解説や研究も進んでいるようです。
人はどこかをぶつけたり、痛みを感じるとそこに自分の手を当てます。また、子供が怪我をしたり、頭痛がすると訴えてくれば、親は子供の痛いといっている患部に手を当てたり摩ってあげようとします。
誰に教えられた訳でもなく、皆が自然にそうするのです。
手当て、という言葉に代表されるように、「手を当てる」ことは医療や癒しにとっては昔から当たり前でもあったのです。一般の方が接触法(パス)を理解するには、手当ての意味を考えるのが、もっともわかり易いのではないでしょうか?
母親が子供の痛みを癒そうと頭に触れる時、そこには優しい気持ちと労りがあります。そしてそれらの雰囲気や表情は子供にもに伝わり、相手に安らぎを与えるのです。
被験者に対しても、同じような感覚を持てばいいと私は思っています。
これはですね。本来は私が説明するまでもなく。
被験者とか相談者、ショーに参加してくれる一般人とかギャラリーに対し、思いやりとか優しさとか感謝の念、誰かを見下ろすことなく「対等であろう」とする感覚があれば、ここで改めて学ぶことなんてないですね。
思いやりや優しさ、労りの気持ちから被験者に近付いたとしたら、そんなに嫌な感覚ばかりを相手に受け取られることはないと考えています。
催眠を簡単に「テクニックだ」と捉え、手順さえ踏めば相手の意識を奪ったり、コントロールすることが可能だなどと思う人間はセクハラと何ら変わらない感覚を持ちますから、雰囲気には強引さや圧迫感が増します。
怖いでしょ? 子供が泣きますよ? そういった人はパス(接触法)も強引にでも被験者に触ることが信頼度を増す方法だと勝手に思い込んでしまいいますから、結果として同じ失敗を繰り返すでしょうね。
セクシャルハラスメントなどに代表される「嫌な感じのする接触」と、母親が子供に対する優しい接触などは正反対であり、対極にあるものだと理解してください。
力が抜けたり意識を失いそうな人を支えるために手を差し出すのと。異性にベタベタ触るような感覚は違います。また自分の権威を誇ったり自慢するために相手に高圧的になったり、逆らわせないように押さえつけるのも違います。
被験者に悪い感覚の接触を持つのではなく、常に正しい接触を持つように心掛けましょう。