この解説は小説のネタにもなっていますが
おそらくは漫画とかアニメの影響で若い世代が中心かと思いますが。ZONE(タキサイキア現象)について検索してウチにたどり着く方が結構います。
体調不良や時間的な制約があって個別の依頼を引き受けることができないので、自己催眠に比率を割き「自分でも行えるトレーニング方法」に重点を置いて更新しています。
せっかくなのでもう少しだけ掘り下げて追記しておきます。
テキストにも一部、記述があります
今回のテキスト(正しい催眠誘導の方法)の無料公開で「ZONE(タキサイキア現象)」についても追加記述しています。下記にリンクしていますので、よろしければ参考にしてください。
死にかけたり大きな事故の遭った人が「走馬灯を見た」といった表現をします。命の危険から回避するための命令をいつもどおりに指示していたのでは間に合わなくなってしまいます。
ですから緊急通報を「別の手段」を使って送ります。 この緊急通報のシステムは基本的には常時、開かれることはありません。
ですので本来は自分の意思でも開けないし使えないのです。
といった記述を行っています。
このサイトを開設したごく初期の頃、催眠のヒントとか手がかりになるものを探し回りました。今のようにネット検索やGoogleの自動翻訳がない時代ですからね。
必然的に古本屋とか図書館を探し回るようになって、色々と苦労したものです。
日本語での自己催眠についての記述は殆どありません。
当時、探し回って見つけた解説書や専門書には「シュルツの温感法、自律訓練法」が中心でスポーツトレーニングとか自己改革に繋がりそうなものは少なく、あっても眉唾なものかカルト宗教絡みのものでとても参考にする気にはなりませんでした。
その中にいくつかZONE(ゾーン)に関するものはあって。当時はまだタキサイキア現象といった表現方法や単語は使われていませんでしたね。
ZONE(タキサイキア現象)に興味がある若い世代が増えたのは、漫画やアニメ、ラノベの影響でしょう。
面白いのはZONE(タキサイキア現象)について触れた漫画とかアニメ、ラノベや小説を書いたのは私と同世代か「もっと古い時代の」知識や専門書を元にしているということです。
「死にかけた」人の数なら古い時代のほうが多い
古い記述を調べるとZONE(タキサイキア現象)について述べたとしか思えないものが結構ありますよ(笑)。宮本武蔵の五輪書とかね。興味がある方は調べてください。
兵法者と称した連中が武者修行に出たり辻斬りも同然の試合を繰り返していますが、失敗すれば死に至ります。
徐々に戦争が無くなって平和な時代が近づきますが、腕っぷしとか実力でのし上がりたい人には辛い時代でもあります。剣の腕が立つといっても所詮は人殺しの技でしょう。
剣豪に憧れ有名になりたいと願い仕官(大きな藩に召し抱えられる)を望んでも、実力を証明する機会がなかなか与えられなかったのです。
江戸幕府が政権安泰のために「長男世襲制」「血筋や家名重視」の政策を行いましたから。そこには下剋上の時代が終わって実力至上主義で配下とか部下、血縁同士で争って世の中が乱れないようにとの配慮がありました。
それでもまだ戦国の名残りがありますからね。
有名な兵法者とか剣豪に喧嘩を吹っかけるというのは蛮勇でもあり迷惑行為でもあります。
ところがそれを一般人も武士も幕府や諸藩の大名も面白がる気風が残っていました。各地で物見高い連中が群がったり、高名な兵法者が来ると大歓迎までしています。
今の時代からみれば迷惑行為、辻斬りに近い行為ですし荒くれ者が刃物を振り回して殺し合っているだけに過ぎません。なのに諸大名とか時には幕府、時には将軍や貴族までがそれを応援してタニマチになったりお抱えにして尊重しました。
本当に死ぬからですよ。運が良くても手足が無くなる。
当時は医療が発達していませんから、手足を切られた時の致死率は60パーセントを超えています。抗生物質等がない。壊死を起こすことが多いので木刀で殴り合って骨折しただけでも完治が難しくなる。
対症療法や漢方薬などが中心の時代です。血管を繋ぐとか骨を摘出する手術などはできない。結局は壊死した場所から広がる前に手足を切断するしかなくなります。
時代劇とか映画、漫画の影響でガンガン斬り合っているような印象を受けますが(笑)。実際には斬り合った時点でどちらかが死んでしまう可能性がとても高かったので。
よほど度胸が座っているか頭のおかしい人でないと、刀は抜かなくなっています。
そんな中でも強い欲求とか願望というのはあるもので。兵法者の良さは「強ければいい」ということです。家柄も血筋も後回し。とりあえず野試合や御前試合を繰り返して五体満足で生きていればいい。
木刀であっても手足の一本を折っただけで「仕官」は叶わず、元通りには戻らないでしょう。それどころか、6割が試合後に苦しんで死ぬことになります。
極限状況に追い込まれた場合に発動する
現代社会のように安易に「有名になりたい」とか「アイドルになりたい」程度ではなくてね。セリエAのトップ選手になりたいと望んで試合に出ていますが、その一試合で負けたら死ぬか手足を切り落とされ、歩くこともできなくなります。
おまけに次の機会もない。野試合や御前試合、兵法者同士が立ち会いを望んで失敗したら嘲笑の的になるか世間から忘れ去られます。
文字通りの命がけの試合で次のチャンスはない。
そこまでのギリギリの状態で戦っているから「たかが無法者」扱いではなく、娯楽の少ない当時ではヒーローとして扱われることが多かったんでしょうね。
今のプロレスラーや格闘家などの何百倍も人気はあったのでしょう。当時は賭けているリスクが違います。よほどの強運か背景に恵まれないと、次の試合も再戦もほぼありません。
どんなことをしてでも勝ちたいでしょうね。死への恐怖に打ち勝ち、自分の弱さを戒め、それでも前に進む、試合に望むとの気概がないといけない。剣豪や兵法者の話は様々な形で残されていますが、卑怯だっただとか策を弄したと批判されているケースもあります。
そりゃ「策くらいは弄する」でしょうよ(笑)。命は一個しかなくて一回の試合で全てを失うのですから・・・。正々堂々と戦って勝つことは理想ですが、死んじまったら元も子もありません。
その極限状態でですね。自分の命とか将来とか家名とか家族の生活とか未来を賭けた試合とか殺し合いにおいて生き残り「素晴らしいものを体現」したとして書き記されたものが、奥義とか兵法書になります。
現代なら「ZONE」(ゾーン)と呼ばれるものになります。
鹿島新当流の古い記述などにもありますが、試合の勝ちを神に祈ることはしなかったそうです。
私は剣道も空手もやりました。食えない時代のアルバイトでは飲食店のボーイ兼バンサー(用心棒)までやったことがあります。
直ぐ側でドンパチやられたら。神に祈りたくなりますよ(笑)。
誰だって勝ちたいですし死にたくはないから。
銃の発射音とか抜き放たれた刃物が光る瞬間にね。平然としていたり平気で相手に立ち向かえるのは一種の異常者です。恐怖心が過るのは当たり前。
それが普通でしょう。ところが生死の狭間とか自分が「死の直前」まで何度か踏み込んだことのある人はそうはなりません。
神に祈ったって死にますからね。それを目の当たりにする。
その結果、恐怖心が麻痺したり身体が先に反応します。反射的に危機回避行動に移りますね。銃声を聞いた瞬間に伏せたり、猛ダッシュで逃げたり、身を守るための盾をさがします。
試合に勝ちたいと望む、勝たせてくださいと祈る、それが邪念になるとの考え方があります。
剣術とか生死を賭けた真剣試合では「勝ちたい」と望むことは相手の死を願うことでもあります。
真剣勝負を繰り返したその先にあるもの
「真剣勝負」という言葉は今では軽い扱いになっていますけどね。
当時はそういった意味ではありません。どちらかが必ず死ぬか不具者になる。頭を殴られたことで話しもできなくなったり、手足を切り落とすことになってそのまま死んだ実例が多い。
試合に勝つこと、五体満足で「生きて帰ること」を願うと邪念となって動きが鈍る。真剣勝負では瞬間の気の迷いが死に直結しています。
ほんの少しでも自分が弱気になったり、迷うことがないように滝行をやったり呼吸法を整えたり、古い言い回しなら「胆力や気を錬る」ことで備えようとします。
ところがそうそう、気力の充実が重なり合うこともない。相手があることですし相手だって勝ちたいから自分のタイミングを望む。死にたくて立ち会いに臨むわけはないでしょう。
勝ち目がないとわかった時点で逐電(逃走)するか、仲間集めて闇討ちでも仕掛けると思いますよ?
それでまあ、立ち会いの場所への到着が遅れたり奇行が目立ったり、人格破綻者だと言われる人が増えるわけですね。そんなものは勝ってから考えたり整えればい。
大前提として「まずは死なないこと」になるのです。
サッカーとか野球、ゴルフや卓球、剣道などのアスリートや競技者達には。稀にゾーンに入る人がいます。それはそのまま「真剣勝負」を何度も繰り返してきたことを意味します。
簡単に「ゾーンに入った」と言い張る人もいますけどね(笑)。
その殆どは「ゾーンもどき」か単なる思い込みです。以前は一般の方が知らなかった「ZONE」(ゾーン)という言葉が認知されたため、そう思いこむだけですね。
極限状態に追い込まれて時間の観念を失う。それはそのままそれまでの練習とか鍛錬の賜物(たまもの)であり、限界ギリギリまで能力を高めた結果として起こります。
将棋の棋士とかにも起こりますから、実際には「運動能力」でもない。
延々とシュミレーションを行います。高性能のコンピューターで能力のギリギリまで演算を行うようなものでしょうね。
普通なら諦めてしまう所を抜け道を探す。解答があるはずだと信じて全ての能力を注ぐ。
その覚悟というか精神力が「時間の遅延」や「瞬発的な能力のアップ」を行うのです。パソコンに詳しい人向けに解説するなら、これはオーバークロック状態ですよ。
今回のテキストの改定で一部述べていますが。脳内ホルモンの急激な分泌が起こっています。
ピッチャーが本気で投げるボールを人は避けられない
現時点ではゾーン現象が起こった時の脳内を調べる方法がありません。ですからこれは単なる推測。ですがおそらくは間違いないでしょう。
一流の野球ピッチャーならボールの時速は150kmを超えます。これは秒速で42メートルです。
ピッチャーマウンドからバッターバックスまでの距離は約18メートルです。つまりピッチャーがボールをリリースしてから届くまでに0.4秒ほどしかありません。
距離が1秒(秒速42メートル)の半分以下ですから。
コントロールが正確なピッチャーが相手なら。まず間違いなく逃げられませんよ? 子供の頃から野球をやっているプロのバッターが当たるくらいですから。
これが更に距離が短くなったら? 部屋の中なら至近距離ですから4メートルもないですね。
手裏剣とかナイフを投げられたら? 刀だったらどうでしょう? 今回の「催眠術師のひとりごと」の改定でも一部触れていますが・・・。
ボクサーとか格闘家、数メートルの距離で斬り合う「真剣勝負」なら速度はもっと上がります。
頭で考えていたら間に合いませんよ。だから相手の動きをシュミレーションして何度も何度も反復練習して「心と身体に」叩き込むのです。考える前に身体が反射的に反応するように。
命がかかった緊急時にはね。脳内ホルモンで後ろから蹴っ飛ばしてもらう。考えていたのでは間に合わない。一般人ならそのまま死にます。見える状況がスローモーションになった所で身体が動かないから。結果は同じでしょう。
それを「走馬灯のようだった」と表現するのでしょう。
トレーニングとか厳しい練習を経ている者だけが、そこから更にワンステップ動ける。
実際には「事前反応」があります。
相手の呼吸の乱れ。剣先が一瞬だけ下がったり動く。踏み込む足先の動きや肩の筋肉の反応。それを目の端とか雰囲気から読む。その些細な動きや反応を読むことで相手より先回りしようと、全神経を集中するんですよ。
そのために全ての能力を使うと他のものが遮断されます。余計なことを考える余裕がなくなって全ての機能がそちらに使われます。CPUの演算能力の全てが「状況を読むことだけに集中」した状態がいわゆる「ゾーン」と呼ばれるものの正体です。
読んでいるのは「相手」ではないですよ(笑)。勝つためでもない。
そんなことを考える余裕、意味はないのです。それを昔の剣聖、剣豪は「邪念」と称しました。
「周囲の状況を読む」こと、そこからの抜け道を探して「生き残る」ことに全神経と演算能力をつぎ込む。瞬発的に無数の分岐点を「自らの中から」探していることになります。
過去のシュミレーション、反復運動や「棋譜の中」から正解を獲得する。そのために全ての感覚をそれだけに集中して遮断しているから、脳内ホルモンの分泌と相まって時間の流れが感覚として緩やかになります。
解答が見つかった瞬間に身体は迷いなく動き、ピシッと駒を指すことになるのでしょう。
それを獲得した人だけが150kmのボールとかパンチが避けられるようになったり、将棋の天才と呼ばれるようになったりします。
残りは小説で(笑)。
2018年11月02日
谷口信行