「私の正体」は・・・
はっきり言えば現在は「ただのおっさん」です(笑)。趣味と実益を兼ねて様々なものを作ったり改造したりもしてます。
徐々にそっちの方が有名になっていたりして。
ただし多少は他の人より経験量が豊富です。普通の人とは異なる経験とか場所に出入りしたこともあり、様々な職種の経験がある。
各種業界のかなりコアな部分も知っています。
いわゆるブラック企業とかアンダーグラウンドな世界、社会の影とか闇の部分も覗いたことがありますし、超がつく大金持ちから浮浪者寸前の人まで付き合ったことがある。
まあ家族にも話したことのない経験は結構ありますね。
今後はYouTubeに公開する予定ですが古い友人やクラスメート、同僚や親族にも話してない経験、苦かったり辛かったり、怖い思いも何度もしています。
ド派手な生活から超貧乏まで一通り経験はあります。
変に好奇心が旺盛でしたからね(笑)。
私が中学生の頃、両親が離婚して急に貧乏になりましてね。背負わなくていい筈の苦労とか余分な経験も自然に増えました。奨学金借りて新聞配達してやっと高校を卒業しています。
どちらかというと父親に似ていた私は、母親にあまり好かれなくて実家にいられなくなったんですよ。
これは最初の著書にも書いていますが・・・。それで催眠「術」に憧れたんですよ。
親が揉める前に一緒に見ていた番組が「初代、引田天功」の特番でした。喧嘩したりいがみ合うのではなく、私に残されていた数少ない家族全員が幸せだった頃の記憶です。
家に居場所がないので、自宅になかなか帰ろうとしなくなった理由でもあります。
両親の離婚時、私は中学校の2年生のガキに過ぎません。その頃の私に出来ることなどたかが知れています。地方都市なのでアルバイト先を見つけることすら難しかった。
その当時、学校で認められていたのは新聞配達だけでした。
あとは同級生や教師に見つからないよう隠れてやるしかないですね。
これまでそういった部分について、このサイトで触れたことはなかったですが・・・。
学歴とか親の後ろ盾や応援がないまま、各地をさまよって仕事をするようになり、様々な嫌な思いや苦労もあって経験を増やすことに繋がっていきます。
自分が異質であるとは思っていなかった
私は自分が最初に本を出した時には、あとがきに両親への感謝の念を綴っています。
教師にも環境にも決して恵まれていたほうではなかったと思いますが・・・。恨み言ではなく感謝から始めたかった。
こちらの状況とか環境も知らず、一方的に罵ったろくでもない教師の思い出ならいっぱいあります。
その頃の両親の立場とか環境を思い、何があっても周囲に感謝の念を持つことが出来る者が、きっと大人となった時に誰かを支えて行くのでしょう。
私自身は自分を「異質である」とは考えて無かったんですよ。
年齢が上昇して始めて自分がある部分で普通の人とは違うことに気が付きました。
記憶が異様に鮮明なんですよ。
私は2歳からの記憶が明確にあります。
上の兄と2歳違いなんですが子供の頃に住んでいた家とか近所の子供とか、どこに遊びに行って誰と話したかなど。ほとんどの記憶が残っています。幼稚園の先生の名前も覚えてますよ。
もちろん離婚した実父の記憶もありますし、母親がなんて言っていたかも覚えている。
いわゆるスライドのような形で記憶に刻まれていて、それが動画の状態でいつでも引き出せるわけで。
このサイトを開始してすぐに一定数のヒットを得て多くの方からメールを戴きました。
その中にはテレビ局とか有名人も何通かあったわけですが、その中にこういった記述が何件かありました。
どうやったらこんなサイトが出来ますか?
これは自分でもまったく理解していなかったのですが・・・。
私は記憶が他の人とは違って延々ストックできる上に、その記憶が後からインプットされる情報と次々にリンクするようです。
ですから子供の頃に読んだ本とか不思議に思ったことが、年齢を重ねるごとに解き明かされるというか、時代が追いついて行く姿がみえるわけですね。
他の人も同じだと思っていたので・・・。
わずか2、3年前のことまで、多くの人が覚えていないとか簡単に記憶を失うと思ってなかったんですよね。
私からすれば20年前でも30年前でも同じことです。当時の服装とか街の雰囲気、流行っていた物とか音楽まで明確に思い出すことができます。
だから「父と母が」延々いがみ合っていることも理解できなかった。
今でも覚えている子供の頃の記憶、両親の良い思い出もいっぱいあります。
母親が大事に着ていた一張羅(いっちょうら、特別という意味)の白に水玉のワンピースとかね。いつも壁にかかってた。
おまけに私の場合は、このホームページとか過去のメールなどもありますからね。
ブログ、というのは本来は個人的な日記のことを指すのですが。1997年に私がホームページを開始したその頃はブログシステムそのものが社会に存在していませんでした。
以前は自宅で「自分の日記帳」に書いていたわけです。それがいつからか通信機材とかネットが発達して今ではネット上の自分のスペースにスマホや携帯、パソコンで書くようになりました。
Twitterとかインスタグラム、SNSも一種の記録とか日記といってもいいかも知れないですね。
同級生に会って高校時代の思い出話をしてみれば、何もかもが違っていたりします。
話している内容がすっかり自分中心のことになっていたり。
全然、話が違うじゃん
口には出しませんけどね。
人はこんなに何もかもを忘れてしまったり、自分に都合よくしか覚えていることができないのか?と、とても驚きました。
そんな当たり前のことにすら、私は長い間気が付きませんでした。
おかしいなと思うようになったのは30代くらいから。同級生や昔の彼女、家族や兄に会って話していると記憶に欠損というか、忘れてしまっていることが多いとやっと気が付きました。
そりゃ話が噛み合うわけないわ(笑)。相手は覚えていないんだから。
番組に出たり書籍を出した時に古い知り合いとか友人から連絡を受けました。その中にはさんざん仕事で迷惑をかけた末にいなくなった部下とか、浮気をして自分から別れを言い出した女性がいたり。
トラブルや迷惑をかけていなくなった人が平然と連絡してきます。
それが一人は二人ではなかったり。
最初は自分のやったことを知らないふりをして、平気で連絡してきてるんだと思いました。
とても腹が立ったのですが、そのうち「ああ、この人達、本当に当時のことを忘れているんだ」と気が付きます。