ZONE(ゾーン)集中力の世界

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タキサイキア現象

苦しみや悩みのない人はいない

タロット 教皇

こういった仕事をやってるくらいですから私もジャック・マイヨール氏の著書は読んだ事があります。

グラン・ブルーも観たことはありますし、私が子供の頃に放映されたジャック・マイヨール氏のドキュメンタリーは凄まじいインパクトがあった。

なのにそのジャック・マイヨール氏本人が、自殺という形で人生を閉じています。

海外で自殺が禁忌とされるのは、キリスト教やユダヤ教では「リイン・カーネーション」つまり、生まれ変わりという思想そのものを否定しています。

人生は一度きり。だから「懸命に生きて自分の義務をまっとうしなさい」と子供の頃から教わります。それが神の国へと至る道筋だとは教わりますが、自殺するとそのルートから外れるとも諭されます。

そのキリスト教圏の人が。自殺という選択をする。その一点だけみても生きてゆく事や悟りを開く事、様々な現実と向かい合うことがいかに困難かを思い知らされます。

彼は世界的な知名度もあって社会的に尊敬されていました。著書もあれば講演会もやっており日本のは別荘があった。世界各国に親しくしていた複数の友人や知人もいました。

それでも自ら、死を選ぶことはあるのです。

私にしても死にたい時はあります。悩む時も苦しいときもある。社会には悪意も多く嫌な思いもありますから・・・。時節とか社会情勢、不幸なタイミングもあります。

肉親や家族の死、体調不良や事故、仕事の失敗や資金繰りが思うに任せない場合もあります。

生活においても何もかもがうまくいくとは限りませんよ。いわれのない中傷、勝手な思惑をぶつけられたり、誰かに勝手に利用されたりもします。

私のように催眠などに長く取り組んで一部には催眠の専門家だ、第一人者だなどと持ち上げられてもそんなものなのです。

前記したジャック・マイヨールさんも、お亡くなりになる前に「寂しい」「孤独だ」と語られていた、と外電には書かれていました。

その報道が真実かどうかはわかりません。マスコミ報道は事実とは異なり、ゆがんだ形で報道されることもよくあります。なので真実はよほど親しい友人や親族にしかわからないと思います。

親しかった人達とか近親にいた周囲はただ、故人の気持ちを推し量り推測するしか方法がありません。ただ、ご本人が自殺という形で亡くなられた今から思えば、ジャック・マイヨール氏が何かに悩み、真剣に考えていたことだけは事実なのでしょうね。

私も彼の考え方や生き方、映画や著書に影響を受けたことがありますから、彼の自殺という現実とその外電(孤独だという言葉)に強いショックを受けた一人です。

ジャック・マイヨールさんの講演も本も素晴らしいものでした。地球規模の汚染や海洋問題にも触れていますし、社会や子供たちにもメッセージを送っています。

その言葉と姿勢、取り組みに感銘を受けた方も大勢いますし、亡くなった今でも惜しむ声は絶えません。それでも、人は自ら命を絶つことはあるのです。

報道番組である女子アナが・・・

彼の自殺の直後、あるテレビ局の女性のアナウンサーがジャック・マイヨール氏を名指しして「あの人は気難しい人だったので」などと言っているのをみて、私はとても驚くと共に呆れました。

親しかったわけでもなんでもなく、取材でわずか数回、会っただけの関係のようでした。

私が呆れたのは「亡くなった人の、いったい何がわかるというのか?」と思ったからです。

そのアナウンサーが言うように自殺した「彼」は弱い人で、気難しくて孤独な人だったんでしょうか? 

亡くなった人には、亡くなった人なりの事情と考え方、決意があるでしょう。

死を選ぶ、というのはそういうことです。

自殺が簡単なわけがありませんよ。死は苦しいもので汚いものです。痛みや辛さ強烈な怖さもある。それでもその「死」を選ばざるを得ないくらいの「悩みや苦しみ」がある人が自ら死を選ぶのです。

それを悼む(いたむ)のでもなく偲ぶ(しのぶ)のでもなく、ただ単に「彼に何度か取材で会ったことがあるから」だけでわかったつもりになり、そういったコメントを垂れ流す女性アナウンサーの姿勢に嘲り(あざけり)と哀れさすら感じます。

最近のアナウンサーとかニュース番組は程度が低くなりましたね。特に女子アナは酷い。

自分が芸能人やタレントであるかのように錯覚している例がかなりあります。

普通は人が亡くなった場合、公的な場所では「お悔やみ申し上げます」とだけ言うものです。そのニュースに衝撃を受けている家族や友人、仲間だっているのですから・・・。

亡くなった方は反論できませんからね。それが自殺であれ他殺であれ事故や病気であれ「亡くなった」という事実には変わりがない。直後は避けるのが礼儀でありマナーです。

まして女子アナの私的なコメント、それも生放送中に故人の中傷に近い発言など誰も求めていないでしょう。他の出演者が息を呑むのがわかって印象的でした。

遺族や友人、ファンや視聴者のためにそういった言動は慎む。そういう発言そのものが報道陣、マスコミ関係者として恥ずかしい行為だから。そういう発言はその人が生きている時にのみ許されることです。

最近の女子アナは、その程度の配慮や知恵もないんですかね?

と、私が憤って(いきどおって)いたのも遠いお話で・・・。この発言をされていた女性アナウンサーは結婚して退職したのですが、若くして癌でお亡くなりになっています。

不思議なめぐり合わせですね。おそらくですが、自分とか自分の周辺、家族や親族にはそういった不幸が訪れることは絶対にない、と考えていたのでしょう。

あとに残される者の痛み、先に「逝く者」の辛さ。それをほんの少しでも感じとっていたなら。そういった迂闊な発言をすることは絶対になかったと思います。

彼自身が講演や著書で著していた通り、海やイルカとの触れ合いを通して悟りに近い境地を体験していたり、ZONE(水と一体化したような感覚になって、普通では潜りえない深度に到達した)記述、何度も達した経験はとても興味深いものでした。

一部の人達からすればそれは素晴らしい経験で自分も手にしたいと望みます。

彼に憧れる人からすれば「それさえ得られれば、自分の人生はバラ色に変わる」と思い込んでいたりもします。

どんなに素晴らしい才能を開花し、周囲に羨まれるような状況にある人でもきっと悩みや苦しみや悲しみ、痛みや怒りはあるのでしょう。

悟りを開いたとかトランスに陥った、「何か?」に触れた瞬間に全てがなくなる訳ではありません。

その痛みや苦しみ、その人の人生の重みはその人だけにしか理解できないのです。

私は彼がただの頑固者、気難しいだけの老人であったのならここまで多くの人の支援、協力を得たり、多くの人達の気持ちに影響を与えることなどなかったと思っています。

哀悼の意を表します

彼の著書を読み、影響を受けた人達によって映画が作られています。

わざわざ彼の講演を聞きに来る人がたくさんいたのは、彼の「言葉」体験、技術、歩いてきた道筋や過程、叫びにも似た「魂」に共感できる「何か?」を見つけたからではないでしょうか?

ZONEに入ることができたから素晴らしいのではなく、自分の得た体験を一人でも多くの人々に話そう、技術や知識を後世の遺そうとした彼の姿勢が素晴らしいのだと思います。

未来の予知は誰にも出来ません。私達は神でもゲームマスターでもないから。

多くを支え、信念を持って「何か?」に熱心に取り組んでいても、寂しい時、悲しい時、辛い時はあるのでしょう。あなたはそれを笑いますか?

私は不思議に思います。

世の中に強い人なんて一人もいませんよ。なぜそんな単純なことを忘れてしまう人が多いのでしょう? 人間はどこかに弱さと脆さ(もろさ)を抱え、それでも生活を守り、生きていかなければならないのです。

死んだ今になって彼を「自殺した」ということだけで勝手に悪く評価している人や、たった数回の面談でわかったようなつもりになって発言している女子アナウンサーなどは、なぜ「相手を簡単に計れる」「自分はあの人を理解している」「知っている」と単純に思い込めるのでしょう?

あなたがもし亡くなったとしたらそんな言葉で表現して欲しいですか?

この文章を書いた時には、まさか本当にお亡くなりになるとは思ってもみませんでした。

私も、ジャック・マイヨール氏が亡くなったことにショックを受けた一人です。死の真相は知りません。悩み、苦しみ、何かを決意し何かを選んだ故人にしかわからぬことはあります。

ただ、できることならもう少し、何かを綴り語っていて欲しかったですね。

孤独はとても辛いでしょうが、孤独でなければわからない、孤高(ここう)でなければ綴れない言葉もあるのですから・・・。

末期癌の患者さんがモルヒネや麻酔が効かなくて転げ回ることもある。痛みや苦しみから「殺してくれ!」と叫ぶような例もある。耐えきれずに自殺を選ぶケースだってあるんですよ。

外電ではジャック・マイヨール氏も「持病に苦しんでいた」との報道はあります。

安易に「自殺した」という一点だけとって相手を誹謗中傷できる人は、本当の意味での痛みとか苦しみを背負ったことのない人か、元々、人としての優しさを持ってない人でしょう。

究極というか最終手段として自殺があるのです。好き好ん死を選ぶ人はいませんよ? まして欧米ではキリスト教が主体です。神から貰った命を自ら絶つことを最大の禁忌だとか罪だと考えている人が多いので。キリスト教圏ではなかなか自殺には踏み切りません。

彼が最後に自殺したというその一点だけで。しかも宗教に寛容で自殺に禁忌感の少ない日本でそれほど悪く言われる必要があるのでしょうか? 個人のブログにもそういった記述を行っている人がいます。

家族に末期癌の患者とか、介護で苦しむ人を持ったことがあったり、精神的な疾患も含め病気で苦しむ人を一人でも見ていたら絶対にそんなこと言えませんよ。

故人の失われた才能、これからはご本人から語られることのなくなった言葉に、哀悼の意を表します。

その人の知識、技術、経験はこれからも残る

義父が亡くなったのが2002年の1月で、女子アナがジャック・マイヨールを「気難しい老人だった」と生放送で揶揄(やゆ)したのが2001年の12月23日です。

1、2ヶ月ほどのズレがありますが、偶然、父親が亡くなった時期とも重なったので。

ジャック・マイヨールの死後に不謹慎な発言をして得意顔をしている女子アナにとても腹が立ったんですよ。

ですから半年ほど経ってこのコーナーに追加で色々書き込んだわけですね。

2017年にサーバー移転で読み返すまで、そんなこともすっかり忘れていました。

彼の凄かった所は、彼の後も弟子達が記録を打ち立てた手法が常識として確立されたことです。

彼の編み出した手法、ヨガなどの呼吸法を用いて集中力を高めて数十メートル深く「潜る」という行為は、当時の科学者すら予期できなかったことです。

今となっては人間が素潜りで100M以上潜れること(重りを持っての下降です。フィンや重り無しですと88M前後)が常識となりましたが、当初は徹底して否定されていましたので。

でき上がった手法のアレンジとか、達成後からもっともらしい解説を付け加えることは誰でもできる。それを「最初に出来る」人はとてつもない勇気と努力が必要です。

彼が不正出の天才であったことは誰にも否めませんよ。

講演、著書、ホームページやインタビューなど、どのような形式をとるにしろ、その人の綴る思い、経験や考え、語る言葉に影響を受ける人が何人もいるのは、そこにその人の魂、心の中の叫びがあるからです。

場合によっては歌や詩、音楽もそうでしょう。絵画や映像の場合もある。

そこに込められる「何か?」が、見る者や聞く者、受け取る側の「何か?」を刺激し、魂を揺さぶる時、そこには感動や驚き、新鮮な衝動があるのだと私は思います。

故人は帰りませんが、その人の遺した技術、知識、経験は後世に引き継がれます。

ジャック・マイヨール氏の残した技術、知識、そして彼の言葉や表現、記録を通して伝わった「魂」が誰かに引き継がれ、きっとまた新しい「何か?」を育むのでしょう。

今は亡きジャック・マイヨール氏に哀悼(あいとう)の意を込めて、この文章を綴りました。

このコーナーの初稿は2002年に書かれています。年数が経過しましたのでサーバー移転の際に、読みやすいようにレイアウトと一部に加筆修正を加えてあります。

► ZONE(タキサイキア現象)の正体 (関連事項)

ZONE(タキサイキア現象)の正体
この解説は小説のネタにもなっていますがテキストにも一部、記述があります今回のテキスト(正しい催眠誘導の方法)の無料公開で「ZONE(タキサイキア現象)」についても追加記述しています。下記にリンクしていますので、よろしければ参考にしてください...

2002年08月28日 初稿

2018年12月20日 加筆、修正

谷口信行

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