丑の刻参りの装束
この物語はここから意外な展開を辿ります。本来なら当時、何の復讐の手段も持たない筈の女性が祟り(たたり)を成すのです。
その後、捨てられた女(貴族だったとされています)は、貴船神社(現在の所在地、京都市左京区)に詣でて七日間こもり「生きながらに鬼となり、憎いと思う女にとりついて殺したい」と一心不乱に祈りました。
ここが女性の不思議です。
裏切った男性に祟りを成せばいいものを、男が心変わりして愛している次の女を祟り殺そうと祈願するのです。
その折、「本当に鬼になりたければ宇治の川瀬に21日間浸かっていればよい」との神?からのご託宣を受け、彼女はそのお告げのままに服装を整えます。
その格好は顔には朱(しゅ、赤い色)をさし、身体には丹(に、と読みます。
一説には松やにともいわれますが、これも赤に近い色です)を塗り、頭に金輪(七輪などに使う鍋などを載せる五徳)をかぶり、その3本の足にたいまつを結びつけ、両側に火を付けた1本のたいまつを口にくわえるというものです。
最初に貼った浮世絵は江戸期に入ってからのものですので。その後の数百年間でかなりアレンジが入っていて。衣装とか服装とか「小道具」が異なります。
この宇治の橋姫(はしひめ)の話、スタイルが原型です。
その格好で大和大路を風のように南に走り、宇治川にたどり着いて21日間水につかっていると、本当に生きながら鬼になって憎い女の縁者と男の親族を祟り殺した、と伝承されています。
伝承ではそのように書かれていますが、これが後世(江戸時代)になってから白装束(白い着物に白い帯)に変化します。
元は赤い色(陰陽道などでは赤が儀式に用いられる正式な色であった)の装束が白に変化するのは、当時(江戸時代)盛んだった儒教などの影響でしょうね。
たいまつも都市部(江戸や大阪、京周辺)では手に入りにくかったのか、ローソクや櫛に変化します。
白装束に白い鼻緒の一本足の下駄、頭には五徳(コンロや七輪に付いている金具)を逆さにして頭にはめて火が消えないように太いローソクを立てる。
柘植(つげ)の櫛を口にくわえて顔に白粉(おしろい)歯には鉄漿(かねつけ、と読みます。お歯黒のことで成人した女性の証明)をして、胸には鏡を下げます。
そして五寸釘と木づちを持ち、腰に一反(約10メートル)の白い木綿の布を巻いてたらし、それが地面に付かぬように急いで走って神社仏閣の古い大木にわら人形を打ち付ける、といった形に変化してゆくのです。
最初の浮世絵は江戸の中期以降でしょうが、木づちが金づちに変わっています。
その姿で人に見られぬように7日間、丑の刻(現在の時刻だと、深夜の1時から3時の間)に神社に出かけて釘を打ちつけることができれば、願い(呪い)がかなうとされています。
当時の「呪いグッズ」の価値や価格
呪いが「あるかどうか?」は別にして、この方法を考えた人間はある種の天才でしょうね。
これは私の推論に過ぎませんが、この装束(スタイル)やこの方法は呪いを「かなえるため」にあるのではなく、依頼者(呪いの祈願者)に諦めさせたり失敗させるためにある、と思われます。
一本足の下駄で風のように早く走れる筈がありません。天狗でもないんですから・・・。
一本足の下駄は修験者が用いたものです。荒行で知られる山伏がバランスがとりにくいものをわざと修業のために履きました。
体幹トレーニングになるとのことで、今は海外でも人気です。何が流行るかなんてわかりませんね?
江戸時代になるとよほどの変わり者か傾奇者でもない限り身に付けたりしませんよ。
歌舞伎の勧進帳の世界です。義経に使えた弁慶(僧形で修験者の風体をしていました)が履いていたことで有名になったくらいで。一般人ならバランスが悪いから履かないでしょう。まして女性なら尚更です。
そもそも腰に巻き付けた一反の木綿が、地面につかないように走るなど不可能なんですよ。また当時、五徳(七輪などの鍋乗せ台)は大切な調理器具でしたし、そうそう簡単に捨てたり他の用途に用いることはしませんでした。
鉄器は材料費が高いので修理して使うのが当たり前で故障品でも売れます。今では馴染みのない五徳ですが、当時としては電子レンジかガスオーブンくらいの価値はあったかもしれないですね。
蝋燭(ローソク)も同様です。当時、蝋燭は貴重品ででした。一般には行灯(あんどん)が主で菜種(ナタネ)油でさえ、灯火にするには気を使ったのです。
蝋燭は現在のように石油から簡単に作れるものとは異なり、一本一本が職人による手作業でした。だから高いのです。一般庶民向けの商品ではありません。
走っても火が消えない太いサイズの和蝋燭になれば、昔ながらの手法で作られたものは現在でも8千円から一万円(当時の貨幣価値ならもっと高額)もします。
最近になって安くなったのは原材料が東南アジアの植物性油脂に変わったからですね。ハゼの実から絞った木蝋(もくろう)は原材料不足で殆ど作られていません。仏事や神事などの特殊用途ですね。
よほど裕福な商家や武家や遊廓、大奥でもない限り、常時蝋燭を灯している屋敷は少数だったでしょうね。
高額であったが故に、江戸には蝋燭の燃えかすや垂れてこぼれたロウまで買い取る業者が存在しました。定期的に巡回して回収しています。
石油での精製や合成はもっと後になってからです。原料は豊富ではなくアメリカでは鯨油(くじらの油)から蝋燭を作ったりもしたんですよ。
この頃(日本の江戸時代中期)からアメリカは盛んに捕鯨に乗り出していますが、明かりのための油が欲しかったからだ、ともいわれています。
まして、呪いをかけ始めても満願までには7日もあります。
金額が高いからといって「蝋燭は三本のみで使い回し」という訳にもいかないでしょう。
まあそういった記述も古い文献にはあることはありますが・・・。
鏡も櫛も当時はとても貴重品です。完全なリサイクルシステムを誇っていた江戸の街は、鏡を磨いて綺麗にする職人や、櫛を直すことを生業(仕事)にしていた職人が何人もいたくらいです。
新品は高くて手が出せない。花嫁道具の一つとして親が子に渡すこともありました。
初期の頃の装束(平安時代)にはなかった道具、つまり、皆が直して丁寧に使っていた大切な道具、女の命ともいうべき鏡や櫛を「呪いのために差し出せ!!」という部分にかなり意図的なものを感じます。
というか、条件を難しくして何とかそういった行為を止めさせよう、という心遣いではなかったのでしょうか?
一般の人、それも男性より収入が低かった女性が全ての道具を揃えることは簡単ではありません。
当時(江戸中期から末期)この装束を呪いのためだけにフルセット買いそろえようと思えば、半年から一年、下手をすれば二年分の給料は十分に覚悟しなければいけなかったでしょうね。
一本足の下駄も簡単には売ってないと思いますよ。修験者用ですから(笑)。
女性が直接買いに行けば「呪いに使う」と自白するようなものです。
下男なり友人なり幼馴染なり、誰かに頼み込んで入手するしかないですね。
男性にフラレて恨みを晴らすために、また誰か男の手を借りたり頼み事をすることにもなりかねません。それを知った人はやはり、「バカなことはお辞めなさい」と止めたでしょうね。
先人の知恵、呪いの手段ではなく恨みを解く鍵
丑の刻参りに対する番組(両方)における結末は「呪いが実際にあって、それはマイナスのプラシーボ効果だ」になっていました(笑)。
医者や専門家?(神主)まで引っ張り出してそう結論づけています。
これには笑ってしまいました。
プラシーボ(プラセボ)効果については、私は初期の頃からテキストやホームページで解説を加えてあります。番組で触れられていた母親が子供に与えるおまじない、つまり、「痛いの痛いの飛んでゆけ」についても、何年も前(初稿は1997年)から書かれています。
呪われている相手に通知(お前を恨んでいる、呪っていると伝えること)しないと「呪いが発現しない」ことを根拠として掲げ、だから「マイナスのプラシーボ効果なんだ」で整えられていましたね。
まあ、お気楽なというかなんというか・・・。興味本位で一部のみを抜粋してそう描けばそうなってしまうのでしょうね。実際にはマイナスの暗示効果や反応など、そうそう簡単に起こるものではないんですが・・・。
私としては当時の劇作家、いわゆるテレビや新聞の無かった時代のマスコミ(歌舞伎や瓦版)が、安全性も配慮した上(一本歯の下駄や一反の木綿を腰に巻くは後から書き加えられたもの)で大衆に受けいられるように演出した部分が過分にあったように思うのですが・・・?
いわゆる「トンデモ本」や娯楽本、今の時代なら「ムーという雑誌」に近かったと思います。
どうも一面だけが突出して煽られているようですね。私が先に触れたような価格の問題、入手が難しい品物がふんだんに取り入れられている理由はどこにもありませんでした。
弱い立場の人間が恨みから安易にそういったもの(呪い)に傾倒することをいさめようとした知恵や配慮は、番組のどこにも触れられておらず、紹介されていませんでした。
丑の刻参りは江戸期に大流行したらしいんですけどね(笑)。
人にみられたら呪いが返るとも言われていましたが、そんなことは聞き入れずに何度も繰り返した人もいたようですね。
後に幕府から正式に禁止令まで出されています。
悲しくて辛くて何とかして相手に一泡ふかせたい、ほんの少しでもいいから相手に自分の痛みをわからせたい、どうやってでも「自分の思い、苦しさを理解させたい」と悩む相手に、ストレートに「呪いなんかで殺せる訳がない!」などと安易に否定すればどうなりますか?
他の方法を探すでしょう? その人は苦しんだあげく短絡的にある日、突然、刃物を持ちだして相手を刺すかもしれません。その可能性は十分にあります。
何らかの痛みにのたうち、相手を恨み、どうにかして仕返しがしたい、せめて何らかの反撃がしたい、と考える人に「そんなことは間違っている」と道を説いても無駄ですよ?
そんな理屈はご本人にもわかっているのです。理屈ではなく感情です。
痛みや苦しみから感情が暴走してしまい、本人にもどうにもならなくなっているのです。
女性とか弱い立場の者でもできる、何らかの仕返しの方法が「ある」として考え、専門家(?)から「効果はあるけど道具がなかなか揃わないよ」と告げられば、成功させるために必死になるのかもしれませんね。
少なくとも、その方法を試した方は呪いの効果が現れるまでは待とうとするでしょう。
しばらくは時が稼げます。高値で入手困難な物が多い。
そういった道具を揃えているうちに一部は馬鹿馬鹿しくなって辞めてしまうかもしれないですね。
なんせ半年から年収分は必要です。簡単に揃えられるものや諦められるものは一つもない。嫁入り道具とか身だしなみを整えるための鏡や櫛、それも当時は手作りで大事にされていたものばかりです。
そのうち溜まってしまった強烈なマイナスのエネルギー(相手への恨み)が減って諦めるか、新しい恋人が辛いことだって忘れられるかもしれない。
そういう可能性だって高まります。
そう考えれば難しいハードル、つまり当時は高価で手が届きにくかった道具を「呪いのために必要だ」としたことにも、先人の深い知恵と造詣(ぞうけい)がくわえられているのかもしれません。