2018/12/13改訂
2000/03/15初稿
メールでの問い合わせ、カウンセラーになりたい
※この文章が書かれたのは2000年3月です。メールを戴いた方から公開の許可を得ています。
このホームページを開設して公開した当初から「私は将来、カウンセラーになりたいんです!」といったメールが時折、舞い込みます。
大学などで心理学を専攻される方も増えているようですね。時代の背景でしょうか? 以前はそれほど人気が無かったと思うのですが?
日本もいずれアメリカなどと同じく、カウンセリングの施設が整うのかも知れませんね。
アメリカにおいては精神科医(カウンセリングを専門で行う人)は、弁護士と同等の報酬を得ていて、良い弁護士とかかりつけのカウンセラーを持つことは一種のスティタスにもなっています。
日本においては悩みごとを抱えることは「恥だ」といった感覚が根強くあります。
これは江戸時代(場合によってはもっと前)から、精神的な疾患を持つ人は家柄とか、血筋に問題がある、などと考える風習が根強くあったためで。
だからそれを「バレないようにそれを隠そう」とする慣習があったからではないでしょうか?
ですから、現在においても表立って医者や専門家に相談に訪れるには抵抗のある人も多いようです。
残念ながら場合によっては精神科にかかっている、というだけで、周囲から酷い誤解や錯覚を受けるケースもありました。
そのために日本においては精神的な悩み事とか鬱状態になった場合には、隠そうとする例が多い。
そういった状況に陥ると施設や病院ではなく、殆どは宗教関係や占いなどに相談に行ってしまいます。
これも歴史の背景があるようですが・・・。
興味深いのですが日本においては「宗教や占師のほうが」都合がいいのかもしれません。きちんとした医者にかかるより、そちらのほうが気楽だ、という部分もあるようです。
情報化社会の急激な状況の変化
社会の変化するスピードが急激に早くなったため、昔のような精神的な疾患というよりは、情報化社会に適応できな人が増えています。
早い流れの中から生じるストレスや変化の勢いに耐えきれなくなって、トラブルを引き起こす例も多くなりました。
ネットが発達して誰でも簡単に検索できるようになった現在では。若い世代が手にする情報量が20年前(私がこのサイトを開設した1997年)より数百倍も違うと言われています。
そりゃ疲れもするでしょうね。
これはいつの時代でも同じなんですが・・・。戦国時代とか明治維新の時も激動と言われています。
時代の節目とか新たな技術開発が進んだり、外からやって来た「何か?」に当たると変化が大きい。
明治維新の頃も移り変わる街並みとか激変する情勢に苦しんで。自殺したり追い詰められて一家離散したなどという実例は数多く報告されています。
おそらくですが、お休みがいるんですよ。
人間が何かに適応しようと思う場合には休憩が要ります。情報化社会で常に検索が可能でスマホや携帯電話、パソコンやパッドを持ち歩くから気の休まる暇もなくなる。
一種の強迫観念のようなものに追いかけられるので。
自分が送ったメッセージが既読にならない。
だけで眠れなくなったりもします。
休憩を挟んだり情報の流入を遮断する
ネットやSNSを見ないとか、一時的に情報を遮断する必要があるんですけどね。
所詮は人間なんですから・・・。
どんなにツールが発達して新しい情報が氾濫しようとも、人間の脳が高速化したり処理能力が飛躍的に高まったわけではありません。
閉じておけばパニックというか焦燥感や切羽詰まった感覚も遠のくのです。
洗脳問題と同じで。「自分で情報を取捨選択」して検索しているようで、実際には違います。同じ文言とか同じテーマで検索したり、エゴサーチで「自分の名前や評判を」調べてしまう。
それも毎日のことになったら、真新しい情報ばかりにはなりませんよ。悪口とか自分が傷つく情報も含まれますし、それが簡単に入れ替わることもないので。何度も同じものを読み返すことになります。
何かで悩んでいたり、眠れなくなった人には
ネットにしばらく繋いじゃ駄目ですよ?
ってアドバイスをするのですが(笑)。これがなかなか難しいようですね。
適度に休憩を挟みその間にきちんとした対応さえ行えば、容易に社会復帰できる人も多いと思います。
日本人は欧米とは違い社会調和を求められます。それに応じる勤勉な人も生真面目な人もまだまだ多いですから、どうしてもストレスを抱え込み易くなってしまいます。
過労死などがその典型例なのですが・・・。
自分が「我慢しなきゃ!」と思い込んだり、悩み事や精神的なトラブルを抱えるご本人が「平気だ!」と思い込んでいるうちに、どんどん症状が進んでしまい話がややこしくなったりもしがちです。
ケースに応じてもっと気軽に相談したり、頼る場所が生まれるといいですね。
軽い問題やトラブルを解決するのにも重い問題や状況を考えるにも、全部が同じ場所(精神科や専門病院)というのは良くない気もします。
現在はこのコーナーの初稿を書いた時代とはかなり状況が異なります。私がネットで情報公開、ホームページを解説した頃はスマホや携帯端末で常時接続なんて夢のような時代でした。
なにしろ検索エンジンすらありませんでしたので。Yahoo JAPANが正式に稼働したのが1997年の4月の話でGoogleなんて影も形もなかったのです。
今ならば携帯端末やスマホ、ゲーム機でネットに接続できる。相談サイトも数多くありますし公共団体や自治体が相談窓口の設置を進めているものもありますよ。
この当時、私が返答に困った訳
全てが簡単に解決するわけではないですが、以前よりは気軽に悩み事を書き込んだり相談する体制も整いつつあります。
古い感覚の人達のように
あの人は精神病院に通っているんだって!
と言いふらしたり
精神科に通院するような人は危ない。
と主張するような人も減ってきています。
ある種の偏見とか錯覚なのですが・・・。どんなにタフな人でも何かをきっかけに鬱(うつ)になったり、トラブルに巻き込まれて精神的な悩み事を抱える可能性はあります。
ご本人やご家族だって絶対に安全ではないでしょう? 事件や事故に巻き込まれたら? 精神的に不安になった時に専門家にかかったりしばらく仕事を休むことが悪いのですか?
なのにそれに気付かない人がいます。
家族の繋がりが希薄になり友人も持ちにくい現代社会において、どこにも相談する場所がないことは苦痛でしょうね。
例えばですがゲーム仲間とチャットで話すというのもれっきとしたストレス解消とコミュニケーションの手段でしょう。
大人とか頭の固い人には批判する向きもあるようですが。・・・
確かにネットで相談したって根本的な解決にならないかもしれないです。
ですが気晴らしや気休めとしては悪くないですよ。LINEやSNS、Twitterで愚痴をこぼすとか時には罵り合うのも、私からすればそんなに悪いことではないと思っています。
もちろん「度を越さない」限りは、ですけどね(笑)。
最大の利点は「お金がかからないこと」にあります。
課金ゲームでどんどんお金を払う人もいますが、そうでないならば殆どのサービスは無料のものが多いでしょう。悩み事の相談とか問い合わせが会員制とか有料の所はむしろ減っています。
Googleアドセンスとかアフィリエイトと連動するサイトが増えましたので。依頼者本人から受け取らなくても広告料で運営を賄っている所もあります。病院とか医療関連施設、製薬会社へのリンクが貼ってあるサイトなどもありますね。
これは近年になってからの発展でありシステムですが。悩める現代人というか病院に通うことに抵抗のある一般人にとっても悪いことではないと思います。
ストレスが休日の買い物とかジム通いとか。お酒を飲む程度で収まればいいんですけどね。真面目な人ほどそういったもので上手にストレスを発散することが苦手です。
孤独感から何か?(例えばカルト宗教や占い)に取り込まれたり騙されたりもしやすくなります。
そういった意味ではネットを通じてのカウンセリングというのは理に適っています。直接、会うまでは危険が少ないですからね。
私は1997年からサイトを開設していますので、そういった分野の草分けといったと事でしょうか?
学生などの若い世代ばかりでなく、年輩の方や、現在何かの職業につき、社会生活を営んでいる人からも時折「カウンセラーになりたい」といった内容が届きます。
誰かの役に立ちたい!
誰かを助けてあげたい!
その意思や思いは貴い(とおとい)と思います。
ただ、その幾つかの中には私が返事に窮する(きゅうする、困る)ものがありました。
送られてくる内容で時々、あるものとしては
誰かの相談にのってお金がもらえるなんて最高じゃないですか!
などがあります。
また「私が(催眠術やカウンセリングなどで)誰かを救ってやるんだ!」と勢い込んでくる人や
私は今、仕事をしていません。自分で何かを始めたいので催眠術がいいと思います。
などもありました。