空間と心理的な圧迫感

スポンサーリンク
少子化の原因はウサギ小屋

貧しい国々での子供の現状

おしん DVD 写真貧しい国々にとって、子供は「子供」ではありませんよ。

労働力なんです。

かつての貧しかった頃の日本においても、子供達を「労働のために」酷使することは当たり前のように行われていました。

今の東南アジアや中国、インドなどの現状とも重なっている所があるでしょう。そういった地域や国で、これから発展を目指そうという国々にとって、子供は重要な財産であり貴重な労働力でもあるのです。

「働かせるな!」といくら言っても聞き入れないでしょう。「働かせるために」彼等を生んだ、と思っている人たちにとって、それは元々の考え方に反するからです。

フィリピンなどでは親のために子供が犠牲になるのは当たり前だとの感覚や風習も色濃く残っていますよ。宗教的な背景もあって子供達もそれを当然だと受け入れている部分があります。フィリピン人の女性が海外に出稼ぎに出て風俗業や水商売に身を投じるのは。

それがもっとも簡単な商売で資格とか免許証、身分証明証や学歴を必要としないからです。

山間部や田舎になると娘を口減らしのために売り渡したり、出稼ぎに出します。

酷いことだと思うかもしれないですが、日本においても数十年前までは行われていたことです。東北の寒村などでは珍しくもなかった。「ああ、野麦峠」などの小説は日本が貧しかった時代に、紡績工場に売られてゆく(働きに行く)娘の悲哀を描いたものです。

NHKの「おしん」などが東南アジアで放送されて大人気を博していましたが、それは地域社会が日本の昔に似ているからです。

そういった地域や考え方が根強く残っている地域の場合、少子化問題は発生しません。それこそ、自分達で「作れるだけ」がんばって作ります。いくら子供が増えても「産んだ分だけ」自分達の生活は楽になる筈ですから・・・。労働力といった観点で見るならば一時は苦しくても徐々に楽になります。

少子化に悩む日本とは正反対に、人口の増え過ぎた中国では出産規制を導入しています。

「一子化制度」(別名、一人っ子政策で一家庭に子供は一人)といいますが、労働力欲しさにどんどん子供を作ってしまうので法律で規制しています。

もっとも、その法律そのものを無視して子供を作ろうとする人も後を絶たないそうですが・・・。そういった形で生まれた子供は出生届を出さないので、国籍すら持たない子供になってしまいます。

黒孩子(ヘイハイツ)といってこれも社会問題化しているんですよ。数千万人から数億人がいるともいわれており、中国では一人しか「子供が持てない」となると、跡継ぎとして男児を望むので女の子を簡単に売り飛ばす事例も増えています。

そういった違反に手を焼いた中国では違法出産された子供や家庭を発見した場合、高額な罰金を課するようになりました。それらが功を奏し、現在では少しずつ減少の傾向にある模様です。

少子化に悩む日本や先進諸国とは正反対に、人口がパンクしないように悩む国もまた存在するのです。

先進国の場合は義務と責任「リスク」が生じる

房付き博士帽 アイコン先進国、つまり、経済的な基盤を手に入れた国の場合、少々、色合いが変わってきます。教育や生活のレベルがある一定水準に達すると、「子供達を強引に」仕事に従事させることは難しくなります。

年端も行かない子供を労働に従事させることが社会的に認められず受け入れなくなるからです。経済的な基盤もありますから「子供にそこまでさせなくていい」といった考え方が、社会全体の意識として芽生えるのでしょう。

昔の諺(ことわざ)で「貧乏人の子だくさん」というものがありますが、これは日本だけではなく世界各国に当て嵌ります。貧乏だからこそ子作りに励みますし、生まれてきた子供には働かせるのです。

ニューヨークやニューオリンズ(2005年大型ハリケーン、カトリーナの直撃を受けた)でも黒人の貧民街のほうが出生率は高いでしょう。どんなに先進国になった、自由の国アメリカだと言っても全員が学校に通って勉強に励めるわけではなく。

地域格差や人種差別も厳然としてあります。子供の頃から働きに出てしまうため黒人の子供は識字率(文字が読めるかどうか)が白人よりもかなり低いとの統計があります。

収入や状況によっては子供が働いている実例もあり一概には判断が難しい部分もありますよ。

先進国にとって子供を労働に従事させることは(表向きはですが)罪になるのです。法律でも規制を受けますし、社会通念や国際常識としてもそうなります。

ほんの何十年か前まで日本でも子守りは子供の仕事、といった側面がありましたね。前出の「おしん」でもやっていたでしょ? 赤ちゃんや小さな子供の面倒をもう少し大きな子供やおねーちゃんが見て、大人(親)はその間せっせと外で働く、といったパターンです。

地方や農村ではそういった光景が当たり前でしたが、現在はまったくみられなくなっています。

アメリカにおいては明確な法令違反です。両親が未成年者に子守り(ベビーシッター)を頼んで出かけてしまい、その間に火事や事故で子供が起きたら収監されますよ。他の家庭や子供を巻き込んだら、巨額の賠償を請求されて親権も失います。

先の貧しい国々の人は子供を「自分達の生活を豊かにするための道具である」と本気で思っている部分はあります。だから厳しい生活状況でも子供を増やすのです。また生活のためにそれが仕方ない部分もあり、周囲もそれを常識として受け入れています。

ですから働かせることそのものが罪にはならないし禁忌感もない。子供が多くいたほうが家族全体の生活が楽になりますから「私達には一人でも多くの子供を作る権利がある」ことを主張する訳です。

子だくさんになったからといって親が冷たくなるだけではありません。愛情を持って子供達に接している例も多いでしょう。すべてが道具のように扱われているわけではないですよ? 誤解なさらないように。むしろ少子化が進んだ日本のほうが親による子供の虐待などは多いかもしれないですね。

ですが、物理的に貧乏なので。生まれてきた子供に満足な教育とか食事も与えられないままに、劣悪な環境で働かされている例も世界には多数あると思います。

先進国では子供に対して「親の持つ権利」を行使して勝手に働かせることができません。可哀想だという概念が働きます。違法ですし、社会全体ががそういった行為を嫌うようになるからです。

ですから先進国では子供に対して大人は「義務」を負って養育するようになります。

権利を「得た」のか? 義務を「背負わされた」のか?

女の子 アイコン日本も少し前まではそちら側(子供を労働力に数える国々)に近かったのでしょう。今は違うでしょうね。子供を労働力だと考えている親は極少数で。小学校や中学校、義務教育を受けさせない家庭というのは殆ど存在していません。

日本における中学までの就学率は男児で99%、女児で100%を達成しています。

そりゃ歌舞伎役者とかね。何らかの特殊な家業を継ぐとかお家が大金持ちでずっと家庭教師をつけてもらったりね。よほど変わった環境にいないと小中学校に通っていない子供はいませんよ? そんな子がどこかにいたら警察か民生委員に通報されてしまいますので。

子供が学校に通っている=その間は仕事ができない、に繋がります。

商品の多様化はそのまま文化の成熟度ですし、価値観の多様化です。様々なニーズに答える必要が出て来たから企業は資金投入して何かの商品を「作る」のです。

社会としての「欲求」は、「他の人とは違う何か?」を欲しがる文化でもあります。個別の意識、他の人とは違う商品を求める所有欲が消費を押し上げます。

まあ、私も元は営業マンで。家電製品や宝飾品を売っていたわけですが。人間は他と同じ行動とか同じものを欲しがる習性もありますが、反対に「他の人とは違う」商品とか、自分だけのためにカスタマイズされたもの、限定商品にも弱いんですよ。

ここでは、労働力として子供を求めるのではないケースについて解説します。

ある程度の社会的な成熟と経済的な基盤を持つことに成功した国があったとして。教育の水準も上がって子供達を労働に従事させることを「善し」としない雰囲気が社会に出来上がったとします。

すると、こういったことが起こります。

「アーラ、◯◯さんのお子さん、どこの大学に入ったの?」

「◯◯大学ですって」

「凄いわねー」

先に述べましたが、「子供に労働させ賃金を得る」といった「権利」を主張する側は、子供にまったくといっていいほど教育を施しません。すぐにでも働かせることが基本なのです。学校に行かせるだけの経済的な余裕がないことも確かに理由ですが、文化的な成熟度が足りないから。

地域社会全体、町や村そのものが子供を労働力として認めていて欲しています。

周囲をみれば「他の子供も働いている」のに自分の子供だけを「学校に行かせる」必然性を感じないでしょうね。読み書きができても仕事がない。

学校に行きたいという子供や勉強したいと言い出す子供に「余計なことは考えるな!」親の言う通り「仕事の手伝いをしなさい!」と怒鳴られるなどもあるんですよ(笑)。

少し前の日本でも当たり前のように行われていました。

うちの母親も山間部の出身ですが、田舎が農家だったので勉強のためにランプや電気(当時は白熱灯)点けてると「もったいない」「早く寝ろ」と怒られたそうです(笑)。勉強しろと怒られることもある現代では信じられないような話かもしれないですね。

子供が働いてくれればお金も入ってくる。貴重な労働力です。おまけに自分で「生産」した子供ですから、賃金は発生しません。働き蟻のような論理ですが生物学の基本、「繁殖」種としての繁栄にはそのような側面も確かにあるのです。

人間も所詮、動物にすぎませんから。

そこで「権利」(労働力として働かせること)を諦め、親が「養育の義務」だけを背負ってしまうと「子供を生んで育てるだけでは」自分には利益が生じないのです。

「子供に利益を求めるなんて!」とお怒りになる方もいらっしゃるかも知れませんが、世界各国でそれが現実です。日本が戦後、多少豊かになったので忘れているだけで日本でも繰り返されてきたことなんですよ。

「おしん」の例などを引いて東北の寒村の話などをしましたが、集団就職が一般化した1960年代まで子供が売られることは普通に続いていたのです。

現在は親にとって、子供は自分が「育てなければならない」存在でしかなく、労働力としての対価や利益は生みません。要するに子供は一方的に「重荷として背負うこと」でしかなくなるのです。

それでは面白くない(笑)。権利よりも義務が増えて親からすると負担が増えただけにも思えます。

すると、例に出したように子供を周囲に自慢できるような教育を施し、一種のブランドとか、ステイタスのように扱ってしまう場合があります。