偽りの記憶症候群について

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リアルすぎて区別がつかない

忘却は悪いことばかりではない

鍵束

難しいのは依頼者が、その辺りを理解してくれないケースも多々あることですね。

何でも鍵穴に突っ込んで回して開けてしまえばいいというものではないでしょう。

「催眠(術)で」「今すぐ簡単に」指先さえパチンッとならせばすぐに「自分が楽になって救われる」と思い込んでいるケースもありますから、理解させるまでが一苦労です。

まして私は医者ではなくただの民間業者に過ぎませんからね(笑)。

確かに医療関係者や医者への指導こを行うことはありますが、基本的には一般人なんですよ。

投薬も医療行為も行えません。アルコール依存症や洗脳者への対応をやっていても、そこの部分が医療関係者でないが故のジレンマとか、もどかしさもあります。

相談者(被験者)が苦しまないように、後でトラブルにならないようにと願ってプログラムやカリキュラムを整えスケジュールを組んでも、理解してもらえず厳しい対応になることもあります。

依頼者男性
依頼者男性

あっという間に治したいから「催眠を」頼ったのに!

と怒鳴られるとか

あんたはきっと下手なんだ!

などと罵られるケースも過去にはありましたね。

長い年月をかけてトラウマとなった出来事は隠ぺい封印され、下手をすれば一生、思い出さない事例すらある。

それをカウンセリング(催眠も含む)で思い起こそうとするなら、当然、時間はかかります。

ですが、催眠さえ用いれば「何でも再現できる」「治る」との思い入れや錯覚も多いので、そこを説明したり理解してもらうのは大変です。

それでも、私は十分説明して理解して戴いてから施術に望むようにしています。

いわば、これはドブ浚いのようなものなんですよ。

記憶、特に「嫌な記憶や体験」は底のほうに沈み込んでしまいます。触れれば火傷したり、古傷が痛みますから・・・。苦い経験や思い出したくもないような経験など生きていれば一つや二つあるものです。

無いほうがおかしい。無いと主張する人は、ご本人が忘れているだけでしょう。

心の奥底に何か「嫌な匂いを放つもの」や、腐っているものもあるかもしれない。見るどころか触れることも思い出すことも、そんなことが「あった」事すら忘れてしまいたい、無かったことにしたいものもあるかも知れません。

多重人格(解離性同一性障害)などもそういった形で起こってきます。

自分の人格とか内部にある心を「本体を守るため」に切り離すのです。

勘違いする例が多いので解説しておきますが、私は多重人格を「統合する」ことが全てにおいて正しいとも思っていません。場合によってはそのまま放置することもあります。

大切なのは「実害がないこと」なんですよ。

人格とか命とか心を守るために生じた副人格を、強引に他者が統合すれば自殺する可能性が高いでしょうね。

過去を正確に再現したり、思い出すことに他なりませんから・・・。

統合すれば全てが解決、と言う訳ではありません。実生活や家族や周囲に迷惑をかけていないで、自分自身を上手に守っているのならそれを興味本位で暴きたてる筋合いもないのです。

健在意識の働きかけが弱まったり、その人の苦しみが弱まる瞬間が重要です。

物事にはタイミングとかきっかけ、状況の把握が大切なんですよ。

多重人格とか、忘却が罪なのではありません。

その別人格が犯罪行為を繰り返すとか、周囲に多大な迷惑をかけ続けるとか、自分自身の「命」や生活を脅かすようになる場合には、対処が必要となるだけです。

ドブ浚いが必要になる理由

多重人格に関する考察
2018/12/18改訂1997/09/01初稿時系列と背景、当時の状況※初稿が書かれたのは1997年になります。24人のビリー・ミリガン、作家であった「ダニエル・キイス」もお亡くなりになりましたので、一部、考察を追加して述べておきます。最...

多重人格についての考察でも触れていますが、記憶の一部が閉鎖されたりロックされて伝わらないようになるのは、基本的には自己防衛のためです。

深層心理の奥底とか、別の人格を作り出してその「心の中」とか、自分では容易に近づけない場所とか部分に隠してしまうのは、それが振り返るととても辛い出来事だったり、どうしても思い出したくないと思うような経験だから。

誰しも、色々なことを忘れてゆきますよ。急速にではなく徐々に、ではありますが・・・。

それはその人にとって救いでもあるのです。

どんな情報も正確に覚えていればいずれパンクします。脳の容量がというよりも、心の許容量がそれを許さなくなるでしょう。相手とか他人、自分を許せなくなるかもしれない。

辛い体験とか苦しい体験、いやな出来事とか何かのトラブルを、いつまでも正確に覚えていて完全に再現してしまうなら、心の痛みもそのままの状態で保存されます。

それは流石に苦しい。

ですから、徐々に「消したり」「流す」のです。

ところが、その浄化作用とか痛みの軽減、忘却機能が働かなくなったり間に合わないケースがあります。

あまりにも激しい怒りとか悲しみ、苦しみ、虐待の記憶とかいじめなどは時間が経っても消えないことがままあります。マイナスのエネルギーが強くなってしまい、簡単には消えないのです。特に幼児期とか思春期に至るまでにそういったトラブルに見舞われた人はそうそう簡単に立ち直ることができません。

何年もかけて内部で怪物が育つ例もある。恨みによる犯行で時間が経ってから復讐に赴く人の多くは途中で諦めません。こと犯行に及んだら、相手を殺すまでやってしまうケースが多いでしょう。

通常はわざわざ蓋(ふた)を開ける必要はない。ご本人にとっても辛い記憶ですから・・・。相手がカウンセラーだろうが医者だろうが肉親だろうと同じ。他人に自分の恥部(ちぶ、恥ずかしい部分)とか汚点を覗かれたい人はいない。

一切見られたくない、知られるくらいならそのまま死にたいと望む人もいます。

それくらいの「衝撃」であり「嫌悪」「悲しみ」なんですよ。

ですから、いくら催眠をかければ引き出せるからといってそれを無理矢理に思い出したり、わざわざ全てをめくり、表に出してしまう必要がある訳ではありません。

それでも時折、過去や原因を思い出す必要があるのは、その精神的なショックや出来事が消化できず、マイナスのエネルギーとして溜まってしまい、現在の生活に適応できないケースがあるからです。

安易に手を出す必要はないのでは?

チェスト 引き出し

何が入っていてどういった保管状態なのかわからない「引き出し」を。

むやみに開け放ってトラブルを拡大する必要はないのではないか? と私は考えています。鍵がかかっていたり簡単に開かなくなっている引き出しには。それなりに理由があるものです。

原因がわからず、「車や飛行機に乗れない」とか「他人が恐くて集団行動できない」とか。

また「狭いところ、暗い所がどうしても苦手で近寄ることができない」などの状況がずっと続けば、普通の人達と同じ社会生活を送ることができなくなってしまいます。

時間の経過と共に症状が軽くなる場合はいいですが、どんどん悪化してしまう場合には、面倒でも「ドブ攫い」が必要になったりもします。

ハッキリ言ってしまえば、そういったことがなければ無理に思い出す必要はありません。

生活に支障がなきゃ、そのままほっとけばいいんですよ(笑)。

多重人格であっても自然に人格が統合する例はあります。ドブ浚いをしない代わりに全体を小分けしたり柔らかなベールで覆っておいて、時間の経過と共に少しずつ忘却してゆきます。

小出しにして忘れ去ってゆくことで、自らの心とか環境、仲間や家族を守っているケースがあるのも事実です。

人の行動パターンなんて千差万別ですよ。十人十色。

同じもののほうが珍しい。

飲んだ勢いで片っ端異性と関係持ったり、あちこちで浮気繰り返す人もいます。

ギャンブルが止まないとか、毎日掲示板に他人の悪口を書き殴るのが趣味とか、露出狂、SM趣味、他人のプライバシーがどうしても知りたいとか。近所の主婦同士で噂話に花を咲かせている人もいます。

毎晩どうしても飲み歩きたいとか、浪費癖が止めれない、窃盗や万引き癖があるとか、おかしな習慣とか趣味とか性癖を持つ人なんて社会に無数にいます。

そういった人と比べれば自分の中の「人格の一人や二人」どうってことはない。

どちらかといえばそれは「多くを守るために」存在しているのですから・・・。

世間の懐(ふところ)は狭いようで広い。より多くの人に多大な迷惑をかけたり、犯罪とかトラブルに積極的に加担しない限り、黙ってとか笑って許してもらえる部分もあります。

「無くて七癖」(なくて、ななくせ)との諺(ことわざ)もあります。

人間なんてのは多少の難や問題はある。社会生活に支障がなかったり、大きなトラブルに発展していないならば、多少のものは抱え込んだまま前向きに歩いたほうがいいんです。

私は現在、幸せで問題が起っていない、と本人や周囲が認めているなら、無理に嫌な思いをさせてまで引き出しやタンスを漁ったり、まして痰壷(たんつぼ)掃除やドブ浚いをする必要はないと考えます。

記憶の一時的な封印、時間の経過と共に起こる記憶や体験の忘却は、一種の安全弁のような役割を果たしていると言っても過言ではないでしょう。

「偽りの記憶症候群」のような実例もあるのですから・・・。

解決を焦って強引な問いかけを繰り返したり。催眠誘導を過信してしまって「父親に暴行された!」と大騒ぎするようになったら始末に困るでしょう。周囲の困惑もあるでしょうがその子の母親、父親のパートナーである妻がもっとも傷ついたのではないか? と想像します。

心の「安全弁」がうまく働かない、鍵や扉が壊れたとか完全に機能がおかしくなってしまった場合(例えば、フタが中途半端に開いたり、閉まったりして不安定だ、とか)には調整が必要となります。

細心の注意と思慮深さを

カバン型Camera

催眠中は連想する範囲を限定すべきではないか、と私は考えます。

特に高圧的な質問や、催眠中に返答に詰まる人への安易な追い討ちとか「あなたは何かを見たはずだ!」といった問い掛けは危険を伴います。

被験者が自分の「頭の中にあるイメージ」を増幅して現実にあったことのように錯覚する可能性が出て来ますから・・・。

誘導には細心の注意が必要です。強引な方法や指示、暗示を用い、誘導者の主観を押し付けたり、意図的にどちらかの方向にもっていってはいけません。

私は誘導を行う場合にはどのような状況においても必ず記録を残します。

ビデオカメラを複数用意して動画などを撮っています。それは自分の手順を確認するためと後に、膨大なヒントの中から情報を拾い集めるためです。

それを残すのは被験者のためでもありますし、自分自身のためでもあります。催眠のかかり方が深く、被験者が施術中に記憶を失うことがあっても、おかしなことはしていないという証明にもなるものです。

多重人格や前世催眠などでもそうですが、それが「あるはずだ」と考えて、最初からそういった方向に用いれば、被験者は自分の感覚に合う幻をつくり出しかねません。

はっきり言いますが、そこには救いなどないのです。

※ちなみにですが、普段から妄想癖の強い人は催眠誘導中にも長々と幻想(?)を話すことがあります。

作家とかタレントさんでも数時間、話し続ける人もいますよ(笑)。自分の作った「前世」というストーリーや架空の「実体験」を遠大な物語として展開する例もありました。

過去にそういった体験が何度かあったので、私は催眠と前世とは切り離して考えています。

強引な誘導、特に何かを決めつけたような問いかけ「○○について話せ!」と強要するような行為は、催眠中には行うべきではない、と私は思います。

カウンセリングや催眠の取材を事前にきちんとせず、現実を知らない思いつきだけで作られたテレビドラマや映画には時々、間違った誘導を行うシーンがありますね?

先に触れた

ディレクター

お前は何かを見たはずなんだ!

何を見たかを話しなさい!

などといった問いかけは、その典型でしょうね。

催眠は確かに便利な部分も多く持ちますが、いくら催眠とはいえどんな事でも正確に思い出し、何だって行える、という訳ではありません。

自意識が遠のいて現実感を失っている人とか、自己防衛本能に根ざす防御が働いている人に、強引に問いかけを行っても正確な事実とか真実などは現れませんよ。

かえって偽りの記憶などが出現する可能性が高いと思われます。

ああいった手法(時折、テレビドラマやマンガなどで行われる強引な方法)で行えば、今後、日本においてもあちこちで、様々な問題を生じさせることになるでしょう。

催眠中に起こった偽の記憶、現実の体験にそっくりな「勘違い」はタダの勘違いでは済みません。現実に近いか、現実とほぼ同じだけの重みを持ちます。

催眠誘導においては、施術者には客観的で冷静な判断が求められると思います。

彼女は嘘をついていない(長文テスト)
長文、初回投稿(記事、ポスト)テスト彼女は嘘をついていない

このコーナーの初稿は2000年に書かれています。年数が経過しましたのでサーバー移転の際に、読みやすいようにレイアウトと一部に加筆修正を加えてあります。

2000年04月10日 初稿

2018年12月19日 加筆、修正

谷口信行

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