社会情勢や環境、関わる人達の変化
これも勘違いしがちなのですが・・・。親が子供に「正解を教える」必要はありません。
大人は「単なる親」であり聖人ではない。私も含めて神様になんてなれませんよ(笑)。絶対確実な安全路、間違いのない人生の道筋、ダンジョンを攻略できるパーフェクトガイドを。誰が持っていますか?
そんなものラノベや漫画、アニメでもありませんよ。
人生は長いですし社会には大勢が関わります。先にも触れましたが未来予想図が完璧に描けるならその時点で大金持ちです。
私はこれまでに数度の震災と何度かの商売上のトラブルに遭遇していますが・・・。運良くそれらの災害やトラブルからも逃れることができた。おそらく、そのどれか一発でもストレートに当っていたら。その時点で死んでいたでしょう。
幸運も不運も、事前に予測することなど不可能です。
震災とか戦争とか不慮の事故やおかしな連中に付け狙われることもある。優秀だとか仕事が出来ることでやっかまれたり嫌がらせをされることもありますよ? 理不尽なものも多くて公務員だとか大手企業なら安心かというとそうでもありません。
公務員とか官僚とか「大手企業だからこそ」内部で派閥闘争もありますし、イジメやセクハラ、パワハラもある。足の引っ張りあいやスキャンダル、不倫とか浮気のネタを探すものや暴露する人もいます。
昔は「人が良い」ことは美徳とされましたが、残念ながら現在においては馬鹿と同義語です。
私はもちろん、その現状が良いとは思っていませんよ? 誰かのために何かをやるとかボランティアの精神は尊いものです。金銭目的とか営利目的だけで社会が成り立っているとも思っていませんし、社会には悪意とは真逆の温かい善意もたくさんあります。
善意を持って誰かを手伝う事、誰かに親切にすることは人間の美徳であり尊ぶべき事です。
ですが社会には多くの悪意もある。振込め詐偽を筆頭に誰かの善意とか優しさを利用して騙したり、まったく無関係の人にお金を請求したり何かを売りつける行為も横行しています。
なーんにも悪いことはしていない。ただ真面目に生活していたり家族と暮らしているだけ。
それでも忍び寄ってくる悪意はありますし、誰かを騙したり踏みつけにして金儲けをしたい連中もいます。単なる嫉妬や羨望から誹謗中傷を繰り返したり、嘘を言いふらす人間も数多く知っています。
現代社会において自分の意思を明確に持たず、他人に指示されないと「何もできない人間」は早々に駄目な人だとレッテルを張られ、適当に利用されます。
その場合、どんな高学歴も何の意味も持ちません。
厳しいようですが、やはり自分の意思や考えで「間違っている」ことは間違っている、「嫌な事は嫌」とはっきり言わなければなりません。
その強い意志、自立性や独立性を育て、詐欺や悪意ある連中から身を守るためには親御さんが「私の言うことは絶対」だとか「黙って言われたとおりにすればいい!」と求めることはタブーですよ。
勘違いしている人達は目を覚まして
昨今の厳しい社会情勢では「命令に従う」ことだけを先に覚えると死亡フラグです。情勢の移り変わりも激しい。
何十年も会社の言いなりになって懸命に働いた方が、一方的なリストラに合う現実もあります。終身雇用制で一生会社が面倒をみてくれた時代とは違います。
公務員ですら組織が民営化されたケースが幾つもある。仕事の過程の中で何かの汚職や贈賄に関わってしまい仕事どころか社会的な信頼や命を失うケースもあります。命令に逆らえないとか上役からの指示に「NO」と言えない人になってしまうと、巻き込まれます。
その報道とか事件を眺めてみれば、会社や上司の指示に従い「自分で考えていなかった」「はっきりと拒否出来なかった」ことが原因であることも多いのです。
倒産してゆく企業もありますし合併や統廃合もある。今後社会は益々、複雑化し加速するでしょう。
どういった状況においても、生き残って行く人は「自分の意思を明確に持っている人」でしょうね。その条件を満たした上で「他の者にはない何か?」を併せ持っているなら理想でしょう。技術、知識、経験。学歴や人脈も含むでしょうし、才能なんてものもあれば素晴らしい。
ただし、才能や学歴が先ではないでしょうね。意思の確立が出来ないと周囲に利用されたり使い潰されますよ? 社会には悪意のほうが多いのですから。
一般的な親御さんがよく勘違いすることですが、親が子供に「正解を教える」必要などないのです。
お母さんの言うことに従いなさい、お父さんの言う通りにすれば間違いないではなく、なぜ、お父さんやお母さんは「それが正しいと思うのか?」と考えているかを話すことがもっとも大切になります。
親は神様ではないので絶対的な正解など持っていません。間違えますよ(笑)。それは大人になった私達がもっとも知っていることの筈なのです。子供の頃は二十歳の人でも大人に見えたでしょう? では今になって周囲を振り返ってみたらどうでしょうか?
二十歳どころか三十代、四十代になっても子供っぽいでしょ? 全員がそんなにしっかりした大人になったとか、素晴らしい人格でバランスのとれた大人に育ったとも思えない。いい歳こいておかしな言動を繰り返していたり周囲に迷惑をかけている人なんて大勢いますよね?
そういった人達が「自分が子供の頃に思い描いた大人か?」と言われると微妙に異なっているようにも感じます。自分自身も含め、そこまで激変したわけでもないでしょう。
なのになぜか「自分が親になった途端に」我が子には絶対的な正解を示さなければならない、と思い込む。これが驚くほどに多いですね。
子供を将来の社会における多くの悪意や荒波から守ろうと思うならば、まず、親がやらないといけないのは「何が絶対に正しいのか?」を教えることじゃありませんよ。
何が正しいのかを一緒に考えたり「一緒に悩むこと」です。
一人ではなく誰かが一緒にいて。正解が何かを共に考える姿勢が大事なのです。
父親:「んー、どうしてかなぁ? お父さんにもわかんない」
子供:「どうしてわからないの? お父さんにもわからないことなの?」
父親:「わからないこともあるよ。一緒に図書館に行って調べようか?」
子供:「うん」
父親:「パソコンでまず図書館を調べよう。一緒に検索してどこに行くか考えてみよう」
教師や親が解答だけをポンっと与えたら何も考えなくなりますよ? 大切なのは絶対的な正解を教えることではなく「一緒に悩んで考えよう」とすることなのです。解答を「自らで導き出そうとする姿勢」が大事で、親も含め周囲はその手助けで辞めなければならない。
方程式は解答だけ書いたって褒めてもらえないでしょう? その過程、証明が必要になります。ネットにも時折、そういった感覚の人はいますが・・・。解答だけを何処かから盗んで自分のサイトに公開したとしても、それで尊敬を集めることなどないのですよ。
単なる盗人とか身勝手な流用者ですので。別の設問をぶつけられたら解答などできなくなってしまう。
過程を無視して解答だけを強引に教えると楽な方向に走ります。難しい事とか複雑なことは考えず、誰かの指示だけを待つ大人に成長します。親が生きているうちや保護者や善意の第三者がいるうちはいいですが、悪意を持って誰かに接せられるとひとたまりもありませんよ。
結果としてそれは、社会からドロップアウトすることになりかねません。
絶対的な「正解」を教えることではなく「これが正しいのではないか?」を親とか大人が子供と一緒になって考えたり、自分で頭を悩ませる必要があるのです。