催眠と教育、社会問題について

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催眠で子供を操れと言われて

まず話す努力、一緒に考える時間を

Echo 複数の人 アイコンこう書き綴ってしまうと、何だか難しいことのように感じるでしょうが・・・。本当は子供達に接する時、あまり難しく考える必要はありません。

子供の前で「大人ぶらない」ことなんですよ。

「大人だからこうしなければならない!」とか「大人だから正解を教えなければならない!」とか「親だからしっかりしないと!」は、子供たちにとってあまり深い意味を持ちません。

それは単純に大人たちの見栄です(笑)。

子供が喜ぶのは「共にいてくれる存在」ですよ。正解が無くてもいいんです。

正解を「探そう」とする姿勢。「共に悩んでくれる」存在です。

親や先生、広い意味では「大人たち」の誰でもいいんです。おじいちゃんおばあちゃん、それがダメなら別の親類でもいい。

おまけに解答も知らなくていいんです。「なんで、そんなことになるんじゃろうねぇ?」と、解答がなくでも曖昧に一緒に考え、悩み、時間を割いてくれることがもっとも大切です。

特に幼い子供のうちは一人にしてはダメなんですよ。誰かが共にいて導く必要がある。価値観が定まったり、ある程度自分の面倒がみれるようになったらサポートは要りません。

安易に「こうすればいい」「これが正解だ!」と押し付けてしまう前に、子供や家族、友人と直接向き合い、話し合う時間を割いて向き合うための努力を。

正解なんざ出なくたっていい。一緒に「考えて悩んでやる」だけでも意味はあります。

参考本とかアンチョコ本、変な熱血学習塾の影響か何か知りませんが、安易に「俺が正解を教えてやる!」と怒鳴る変な大人が増え過ぎました。

何が正解か、なんてのは長い人生を振り返ってみれば誰にもわかりませんよ(笑)。絶対に潰れないはずの大企業、バブル期には絶好調だった証券会社や銀行もリストラや統廃合の嵐でした。このコーナーに改訂を入れている2017年には東芝やSHARPが窮地に陥っています。

護送船団方式とまで言われて他の国とは違うから「絶対に潰れることがない」とまで言われていた銀行だって国際社会の荒波に揉まれて苦労はしています。Amazonの台頭でヨドバシカメラやビックカメラも危機的状況ですよ? ネットの発達、電子書籍のダウンロード販売が加速して。大手書店や出版社にまでその影響は及んでいます。

東芝やSHARP、日本航空が経営難に陥ると1998年当時に私が書いたとしたら。このコーナーを読みに来た人は腹を抱えて笑って馬鹿にしたでしょうね(笑)。

これも私は初期の頃からこのサイトに載せているのですが・・・。

今後はテレビ局とか新聞社にもそれは及ぶでしょう。

何が正解だったかなんて親や教師どころか誰にもわかるはずがありませんよ? 優れた経営者にだって無理です。だから名門企業、日本の代表とまで言われた会社でも倒産やリストラの憂き目に遭っています。

それが良い人生で正しい選択だったかなんて。誰しもが死の淵、その瞬間まではわかりっこないのです。誰にもわからない未来を追い求めても正解は得られない。

大人たちとか親たちが「過去の問題集を」集めて雁首突き合わせても、良い知恵になりませんよ。それはあくまで過去問であって現在の解答ではないですから。

効率を求めて従うことばかり教えてはいけない

ロボット アイコン誰かが押し付けた価値観で結果が失敗だった時には深く恨まれますよ(笑)。親や先生言うとおりの進路や企業を選んだのに。結果として失敗に終われば「あの先生、ウチの親が悪いんだ」になってしまいます。

迷った末にでも自力で選択して歩んだのであれば後悔ばかりではなく思い出も残りますし、やりがいや納得もあるものです。

面倒だから一律にしてしまう、というのは簡単ですが・・・。黙って従えとか余計なことを考えるなと教えるのは間違っていると思いますよ?

「仕事や家事が忙しい」は大人の都合です。

確かに生活は大事ですよ。その生活のために一部は子供たちや家族に我慢させたり背負ってもらわないといけない部分もある。お金稼がないと家庭そのものが崩壊しますし。

ただし、だからといってそのための時間、子供との触れ合いがゼロになったら、子供たちがまっすぐに育つ訳ないでしょう(笑)。

黙って大人、先生や親の言いなりになるならロボットです。永遠に誰かからの指示を待つ人形でしょうね。親が生きている間とかまともなうちならいいですが・・・。歳をとってボケてきたり先にお亡くなりになったら大変でしょうね。誰も守ってくれないし指示してくれませんから。

大切なのは、「今、何をするべきなのか?」に時間を割き、話し合うことです。

効率のみを考えて「無理に従わせること」で問題は解決しません。時間をかけても話し合い、子供たちが自分で選択し考えさせる必要があるのです。

その手順や時間を何らかの理由を楯に省く(はぶく)ことは近い将来、何も自分で考えない、何の責任も負わない大人を増やしてしまうでしょう。

そうやって育ったのだから「役に立たない親や年寄りの面倒など、どうして私達がやらなけらばならないの?」と考えるのが普通ですよ。何も教わっていないのですから・・・。

一緒に悩み考える手順を惜しんで与えていないのですから。大人に育った子供たちが「自分のためにこの人達が支えてくれた」とか「育ててくれた」とは絶対に感じませんよ。

餌だけ与えておけばペットが必ず懐いたり「恩義を感じるか?」と言われればそうではありません。

常に檻に閉じこめ、散歩にも連れてゆかず怒鳴りつけたり殴りつけていた場合、感謝どころか激しい嫌悪感と憎悪を燃え立たせることになるでしょう。

おそらくは名目上、戸籍上の「親とか飼い主」ではなくてですね。愛情を持って接してくれたお手伝いさんとか祖父母とか、一緒に遊んでくれたり散歩に連れて行ってくれた人を自分の味方だとか仲間だと判断するでしょう。祖父母やお手伝いさんに冷たく当たれば噛みつかれます。

手間暇をかけず、時間も省略してるのに主人として認めろというほうがどうかしていますよ。

まして人間の子供はペットではありませんから・・・。もっと考える能力もありますし成長過程も複雑です。「お前らのために俺は働いてきたんだ!」「あんたの面倒を散々見てきたのに!」といくら叫んでも認めてはもらえないでしょう。

触れ合う時間、つまり「共に過ごす時間」がお互いの関係を育てるのです。種を蒔いただけとか、産んだだけでは子供たちは親には懐かず、その後、手間暇かけたり愛情を注いで一緒にいてやって始めて、相手を自分の親、信頼できる仲間として認識します。

単純に餌(食事)を与えて衣服を買い与え、「塾にも行かせてやったじゃないか!」では親に懐きませんし感謝もされないのです。

やはり、触れ合う時間が大切です。

面倒でも触れ合う時間をとり、ご本人に選択する機会を

私は常に「こうしなさい!」と命令はしません。カウンセリングを行う場合でも催眠の技術指導を行う場合でも、事前によく話し合って「自分で行い、考える」方向で常に指導しています。

「こうすれば良い」と指導することや施術を行うことは簡単ですが、私は教祖にも神にもなりたくありませんし、なれっこありませんよ(笑)。

私自身が迷いも苦痛も抱えて生きているただの人間です。

その「ただの人間」が誰かに「正解を導き出すことが出来る」と考えるのはただのエゴであり自惚れでしょう。私はそんなに偉くもなれないし自信家でもありません。

その人の生き方はその人本人が決めるものです。

話し合いは必要でしょう。経験者としてのアドバイスもできる。息抜きやストレスの軽減を勧めることもできますし、私なりの手法や技術も持っている。

ただし、それらはお互いの話し合いや状況の把握後に決めてゆけばいいことであって、私が一方的に押し付けるものであってはならない筈です。

私が正解を与えてあげる、などといった考え方に傾倒することは極めて不遜(ふそん)であり危険な考え方でしょう。少なくとも今後も行う予定がありません。

私がそんな行為を行えば、どこかのインチキ新興宗教の教祖のような傲慢な感覚の持ち主になりかねませんし、相談にくる人の自立や回復を妨げると考えるからです。

全てを相手に任せてしまって考える能力を失うならば、それは魂を売り渡す行為に似てはいませんか? 「魂を捧げればお前の望みはなんでもかなえてやろう」と持ちかけてくる悪魔のようですね。

魂(心、魂魄)を失うとは自らの意思や方向性、考えを失うことです。

何かを一方的に信じ拝めばいいと教えるのなら、そこに自主性や自立性、個性や独創性は存在しません。たった一人の支配者や独裁者が必要なだけになってしまいます。

一部の人間だけが私腹を肥やすただの差別社会がそこにでき上がってしまいます。

苦しくても、面倒でも、自分で考えることを止めてはなりません。それはあなたの魂、未来や将来性を失わせる行為です。悩んでいる時や悲しい時や寂しい時はどうしてもそちらに傾きがちになりますが、それでも歯を食いしばって「自分で」考えるしかない。

なぜならばその「悩み、自分で考える」行為そのものが、あなたを育てるからです。

耕し、育てるのは大変

「私を信じて拝みなさい。そうすれば良いことがありますよ」と告げることが最も簡単です。

私だってそう言いたい時はありますよ。クヨクヨと同じ思考に囚われていつまでも同じ言動に終始して動き出さない人もいますから・・・。

採算や効率を第一に考えるなら「あなたはこうしなさい!」と高圧的に迫って占い師のような発言をしたほうが楽ちんです。

「さあ外に出て、荒れ野に赴き一緒に耕しましょう!」

「汗まみれになりますし苦労しますよ!」

「いつかきっと、豊かな収穫が得られますよ!」

と告げてもなかなか聞き入れてもらえないでしょうね(笑)。

「あなたに幸運を授けてあげましょう」ですから「私を拝みなさい」「この壺を買いなさい」「この御札を持ち帰ったら、あなたのお子さんは頭が良くなりますよ」と告げる人のほうが多いでしょうね。そのほうが簡単ですから。理解もしやすい。

まあ全部が嘘であり詐欺ではあるのですが。相手が信じてさえくれれば、それらはわかりやすいお題目で簡単に見えるもののほうが煽りやすいのです。

荒野に出でて耕すのは大変です。一緒に汗を流すのも難しい。

耕す役目とか種を蒔いて水をやる作業は人に任せて収穫だけには参加したいと言ってくる人や、収穫時に実りを強奪しようとする人は昔からたくさん存在します。

ただし、やはり苦労しないで報酬を得るのは筋違いなんです。特にそこに「自分の成長」を挟むのであれば、他人任せにしてはなりません。

おいしそうな言葉、簡単そうな内容を並べるのは、そこに相手を利用しようという、邪(よこしま)な感覚があるからです。

厳しい言葉を並べるのが全て正しい訳ではないでしょうが、少なくとも「甘い言葉ばかりを」ならべて、カウンセリングや催眠の指導を行うよりはマシです。

難しいのは承知の上ですが、できることなら私は「私を拝め、信じろ」というよりは「共に耕せ」「自らを鍛え、共に歩もう!」と教えたいものです。

できることなら、私と共に耕し、歩く努力を。

何かから脱出しよう、何かを習得しようと願うなら、苦しみながらも自分で歩く必要があるのです。

早い時期から自分の足で歩けるような訓練を

ウォーク アイコンお金を払いさえすれば何でもかなうと思うことは危険です。催眠とかカウンセリングばかりではなく、宗教であれ事業であれ、家庭や子育てであれ、そこの部分は同じ。

誰かとか何かを「拝む」ことでは変わりません。自らの意思がその人を変え、育てるのです。

私は身勝手な親が、メールで「ウチの子供を催眠術で操って優秀にしてやって欲しい」などと言ってきても従いませんよ。はっきりお断りしています。

支払う金額の問題ではありません。

その子の立場に立ってみてください。赤の他人である私が、ズカズカ家庭に入り込んできて「お母さんの命令で来たから、君も言われた通りにしようね」といって催眠をかけるのですか?

それでその子が幸せになるとは思えません。

後は野となれ山となれ方式でね(笑)。私が目先の利益を追うタイプなら大喜びでやったと思いますが・・・。番組収録ですら私の場合は成功報酬でした。

かかりが浅いとか納得できるような反応が得られていない時にはギャラも受け取っていませんよ? 「スタッフの皆さんで酒でも飲んでください」と言って帰ったことが何度かあります。

私も生活はあるので。確かに喉から手が出るくらいにお金が欲しかった時もありますが・・・。それでも自分の報酬のために被験者に無理をさせたり、操って好き勝手をすることはありませんでした。時には番組出演そのものを蹴って帰ったこともあります。

裏を返すならそこまで自分に厳しかったから信頼もされましたし依頼も受けたわけですが・・・。中には思ったような結果が得られなかったこともあります。

それでも依頼者とは出来る限り真摯に向き合ったつもりです。

それが長年、カウンセリングや講演依頼、出演をこなしてこれた理由でもありますよ。

子供の将来を思うなら、親が考える「幸せの方程式」に勝手に子供を当てはめるべきではないでしょう。それはいくら親であってもやってはいけない。

同じ足で立ち、同じように苦しみ、一緒に考えて歩くことで始めて解ける問題もある。

一緒に歩いてこそ、その人の痛みや立場はわかるのです。何かを決めつけてしまい、誰かが神のように振舞うならば、その人の痛みはいつまで経っても変わらないでしょう。

成長や変化を拒むことと同じなのですから。

催眠で誰かを安易に操ろうと考える人には、私の考えは決して理解できないと思います。

私は「何も考えず、私に任せておけばいい」とは言いません。何かを一方的に押し付けることはその人の自主性を失わせ自立を妨げます。

ですから一緒に解決方法を考えましょう。

人と人との繋がり、その中から生まれる他人の気持ちや立場を考える心。その気持ちを「思いやり」と呼びます。気遣いとか思いやり。その心が子供たちの成長をも育むのです。

あなたも「思いやり」を持つ努力を。また、悩める人は自分の意思を失わず「自分の意思」「自分の足で」前に進む勇気を。諦めずに頑張ってください。

その姿勢が、自らを導くのだと思います。

このコーナーの初稿は1998年に書かれています。年数が経過しましたので2017年のサーバー移転の際に、読みやすいようにレイアウトと一部に加筆修正を加えてあります。

1998年03月31日 初稿

2017年12月11日 加筆、修正

谷口信行

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