思考能力の低下、応用力やイマジネーションの無さ
現実の社会においては、問題の解答とか正解よりもその「解答」がなぜ導き出されたかがポイントになります。
情報化社会において求められるのは過去問とかこれまでの数値を正確に覚えていることではなく、その辺りはおぼろげでもいいので「違うアイディアを」思いついたり、提案できることです。
過去の問題とかね。記録とか「アイディア」はネットに載ってるんですよ。それは利益や収益には繋がりません。検索すれば誰でもたどり着くものを幾つ知っていたとしてもあまりありがたがられませんし、仕事や業績に繋げられないのです。
即応性とか柔軟性、応用性が求められるようになっています。
そのトレーニングのために子供達に考える時間ときっかけを与える必要があるのです。
「面倒だから」とか「時間が無いから」は、本来は子供たちのためにもっともやっちゃダメなんですよ。子供の頃にしか感受性とか応用力、柔軟性や思いやりは育ちませんので・・・。
感受性が鋭く、感性や優しさ、独創性が育つ幼少期だからこそ「考えさせる」「誰かが一緒にいて考えてあげる」必要性が出てくるのです。
自分で考えさせて多くの例題とか解答とかに触れさせないとニューロン(脳神経細胞)は発達しませんよ(笑)。初期の頃のままで結びつきが増えないのです。その頃に「周囲の大人たち」が子供たちのために様々なことに触れさせる時間を割く必要があります。
反対に言えば「幼児期から少年期にかけて」きっちり教育を受けたり、誰かから愛情をもらった子供には極端な歪みは生じません。
本来はね。それこそが親とか周囲によって子供たちが受け取れる最大のプレゼントなのです。
子供達にとって求められているのは、解答を「教えてくれる」(押し付ける)大人とか先生ではなく、一緒に悩んだり考えてくれる「仲間」であり「家族」なんですよ。その仲間や家族と集ったり考える機会であり、共に悩んで考える時間、そのための「環境」なんですから。
現代社会では効率とか試験への合否を考えるあまり、色々なことを省略し過ぎです。
最近の若者に読解力とか思考能力がない、と言われるのは、そもそも「そういった機会」つまり、何かに対して真剣に考える時間とか悩んだり話し合う集まりをあまり与えられていないからでしょう。
幼少期に教えてもらってないのに、大人になっていきなりできるようになる訳がないと思います。一度も運動したことがない人にフルマラソンを走れとかトライアスロンをやれって言うようなものですよ?
日本人総ロボット化計画のようですね(笑)。どこかの国の陰謀でしょうか?
ちなみにね、テレビや映画の原作が次々に「漫画」になってしまうのも、カット割りがあるからです。映像の制作現場にいる若手に想像力がなくなって、自力でコンテを起こしたりカメラワークすら決められなくなっていますよ。
先輩とか誰かの「模倣」は出来る。ただしいわゆるアンチョコ本(安易な解答が書いてある本、という意味です)に頼ったり解答の丸写し、年号や歴史の丸暗記で育った人達にはそれを改良したり、自分の言葉とか環境に置き換える能力がありません。
絵を描くのは難しいですからね(笑)。ディレクターやプロデューサー、映画監督を目指すなら絵心も必須です。説明が簡単になりますからね。ところが最近は何の実経験も下積みもなく、いきなり責任者になったりCMディレクターになっているケースがあります。
コンテも起こせませんので口先だけで説明するようになったり、その説明がしどろもどろだったり。しっかりしたイメージが伝わらないので完成映像は監督の頭の中にだけあることになります。
それで怒鳴られたり怒られても周囲はついて行けないでしょう? 結果として「誰にでも一目瞭然である」漫画などが原作に選ばれやすいわけです。
誰かに従うだけ、で済みますか?
「映像は私の頭の中にだけある」というのは、黒澤明のような超大物映画監督だけが行っていいやり方だったんですけどね(笑)。
まったく経験がない人でもマラソンや泳ぎについて語ることはできます。どこかで見たものを参考にすればいいですから。
ただし実体験が伴わないのでリアリティはないでしょう。結局はモノマネとか盗作に終始するしかなくなる。
自分で創作したり企画するのではなく、常に盗める新しい相手を探すことになります。スマホやネットもそれにしか使わないでしょうね。
結果としてご本人から読解力、想像力が失われます。効率を追い求めるあまりにその場面とかシーンを「文章で読んで」想像したり理解する努力を惜しむようになっています。
イマジネーションとか想像力とか発想力、表現力を失い、自分で工夫したり考えることをしなくなれば操り人形と同じですよ? そこに自らの意思とか嗜好、工夫は存在しなくなりますから。
「失敗したくない、間違えたくない」だから最初から「解答を教えてもらおう!」「盗もう!」と考えれば思考能力を奪います。ご本人は努力しなくなるでしょうね。
最初から抜け道ばかり教えれば、ご本人が道を切り開くわけがありません。努力しなくてもそちらを通るほうが簡単ですし、手間をかけて何かを探したり作るわけがない。
真っすぐには歩かなくなるでしょう。
簡単で楽だからとか、そっちが近道だから「そのようにしなさい」と親なり周囲に教わって育った人は、自分で道筋を探せません。探すためのトレーニングを詰んでいませんし、面倒な努力や下積みを重ねるなんて「馬鹿馬鹿しい」としか感じなくなるからですよ。
うまくいっている時はいいのですが・・・。突発的な事故とかトラブル、急激な社会情勢の変化とかリストラや倒産などが起こった時に自分がどうしていいかがわからなくなるのです。
何をやったらいいかがわからずに引きこもったり、自暴自棄になって暴れるタイプもいますね。そういう意味も含めると、運動とか辛い経験はまったくしないままに「大人になるのがいいか?」と言われれば、私はそうではないような気がしています。
無理やりにでも歩かせたりね。嫌がっていても何かに挑戦させて経験を積ませたほうがいいのでしょう。ただ単に過保護に扱って「傷一つない状態を」保つ必要はない。それじゃコレクションですよ。
努力して頑張った経験、怪我をした経験、苦労して「何か?」を摘もうとする経験、成功だけではなく挫折を経験をしないままに、年齢を重ねて大人になればどうしても安易な方向に傾きます。
楽して儲けたいから「何かのフランチャイズかシステムに乗っかろう!」とか。そう考えませんか? 何らかの裏道とか抜け道、楽な方向を親とか誰かから示された経験があったらそうしますよ(笑)。
裏口入学などが典型です。親が金を用意して替え玉を受験させたり、大学教授にお金を掴ませたらバラ色の人生が巡ってくると思えば、そっちの道を選びますよ。
昔とは違う社会情勢、大量の情報と携帯端末
実際には甘い話なんて転がってないんですけどね。きちんと警告する人が少ないだけです。商売とかお金儲けをするにはそういった「鴨(カモ)」が多いほうが楽しいに決まっていますから。
私でもこういった仕事(カウンセリングや催眠、心理学)に携わっていなければ何も言わないでしょう。
家族とか親しい友人以外にそこまで親身になる理由が存在しません。
「なにか抜け道、簡単なやり方があるに違いない」とといった安易な感覚が世間には蔓延っています。そういった感覚が増えたのはスマホやパソコンのような情報端末機器の普及、ネット検索の発達、あとは親とか大人たちの教育の問題ですよ。
解答がいつでも簡単に手に入ると勘違いしてしまっていますから・・・。将棋や囲碁、チェスですら自分の頭で組み立てて相手とは戦おうとせず、スマホやアプリ、ソフトウェアで計算してその解答を「対戦、対局の場に」こっそり持ち込めばいいと考える輩までいますから。
それじゃ考える事の放棄であって(笑)。競技でも遊戯でもないですよ。
高性能のパソコンや演算能力の高いスマホ、アプリを持っているものが勝てる競技なんて。金持ちだけが有利になるに決まっています。新たな才能とか努力の入り込む隙間がなくなってしまいます。
学校や家庭においても何かのマニュアルを盲信したり、誰かの用意した道筋、「親や学校の先生が言うことに黙って従えばいんだ!」が多くなっています。
ところがね。最近の子供達は馬鹿ではないんですよ。
以前の子供達(私達の子供の頃)とは手にする情報の量が違っています。膨大な知識と経験をテレビやマスコミ、パソコンや書物「携帯電話」によって一瞬で得ます。20年前(私がこのサイトを開設した時代)との比較でも400倍から1000倍とまで言われているんです。
ある意味で昔は良かったのです。比較対象も情報もなかったから(笑)。子供たちに自分の意見を押し付ける大人は今も昔もいたでしょう。そこの部分に大きな変化などない。
ただし、残念なことに今はネットも検索もある。
携帯だけではなくてね。子供向けに売られているゲーム機にもネット機能はあったりします。私のサイトへの接続もPlayStationなどが入るようになっています。スマホにフィルターや設定かけて安心していても、それをあっさり外してしまうアプリとか情報もある。
生まれた時からネット環境があって。ゲーム機のブラウザ機能でも接続は可能です。ネットゲームで高速タイピングしてチャットやってる小学生だっていますよ?
親達はそれを知らないケースが多々あります。
最近じゃこのサイトにすら、プレステやゲームでアクセスしてるログが頻繁にありますから(笑)。
便利になったり豊かになったことは喜ばしいことですが、反対に若い世代はパソコンを使えば図書館に行く必要や辞書を調べてめくる手間すら要らない。
昔なら「それ」(大人が信じる価値観、例えばいい大学を卒業すれば人生はバラ色だ、など)について疑う余裕すら無かったでしょう。確認する方法もなかった。ただがむしゃらに勉強して塾に通い、学歴とか進学校にしがみつくだけでよかった時代もあります。
今は無理なんですよ。終身雇用制度は崩れていますし情報は調べられる。会社の言いなりになることでリストラされたり、贈収賄で逮捕される例もたくさん載っていますよ?
日本航空、東芝やSHARPが倒産したり大手銀行がATMや既存店舗を縮小して数千人をリストラする時代に。いい大学さえ出て一流企業に就職さえすれば「人生は安泰だ」という親たちや学校の先生の説明には説得力が薄くなっています。もうちょっと具体的な指針が必要でしょう。
誰かの命令に諾々と従うだけで、そこそこ幸せに暮らせた時代とは明らかに異なってきています。
私が「何かに迷ったら昔の書籍とか新聞記事の引用を読め」というのは、そこに未来予想図があるからです。昔の推測、心配した記事や内容と「今現在」を比較すればいいんですよ。
「心のプリズム」などが書かれたのは45年も前です。今が現実です。当時の科学者とか新聞記者が心配したことは、当たった部分もありますし杞憂で大外れだったものもあります。
今を悩むより過去からのデータや書籍などを確認すること。そうすれば自分なりの道筋とか未来像、将来像を描くことも可能になります。
子供たちが持つ、不安感の原因
漠然と「そのほうが幸せだから」とか、ただ黙って「従え!」と高圧的に迫った所でダメなんですよ。現在のようにスマホなどが発達し誰でも簡単に巨大なデータベース、検索エンジンに接続することができる。
そういった高度な情報化社会で育った世代には明確な同義付け、はっきりとした目標が必要です。ただ単に「いい大学にさえ行けば後の人生が安泰だ」などは誰も信じなくなりつつあります。
高学歴で良い学校を出たはずの人がリストラされたり、ドロップアウトして犯罪に手を染めたり人を傷つけて逮捕されている事例も数多くありますから。
はっきりとした理由とか意味も教えてもらえず、漠然とした不安感を持ったまま猛然と勉強に励む子供など少ないでしょうね。
幾つか実例をあげましょう。
電車に乗れば、酔い潰れている大人を大勢見ます。塾の帰りとか買い物の途中でも見るでしょう。
家に帰れば不況でリストラにあったお父さんや、仲の悪くなった両親を見ることがあります。それらは現実問題として、彼等に自らの将来の選択や不安感に対する答えを求めるようになるのです。
不倫問題とかね。報道する側は気がついてないかもしれないですが、本来ならああいった報道は子供たちには見せてはいけないものですよ。ところが、それがトップニュースになってTwitterのタイムラインやスマホ、ネット関連サイトでもバンバン流れる。
子供がいて保育園に預けてるはずの女性議員が既婚者と遊び歩いていたり。不倫男の自家用車の中にベビーカーが乗せてある写真まであります。
それ、子供たちの母親の世代ですよ? それみて何も感じないと思いますか?
友人の家族や先に卒業した先輩の現在の状況を聞くこともあります。
「お父さんが失業した」ことは他人事で「あいつらのようにはならない」「あいつらは落ちこぼれで社会の落伍者だ!」と笑い飛ばせる内はいいですが、いつ自分がそうなるとも限らない。
実際に自分が目にする光景とかスマホのニュースに解答があったり、友人や先輩の家族が行方不明とか倒産で引っ越ししてしまったり。社会に失業者とか行き場のない人の数が増えてくれば、それらは決して他人事にはならないのですよ。
子供達の周囲には膨大な量の情報が溢れ、その中から現実を感じ取ってしまうのです。
意図的に得るものも、無意識に拾ってしまう情報もあるでしょう。どちらにしたって不安感は増しますよ? 何も考えずに妄信的に親にとか教師、大人たちの言い分に従おうって気には絶対にならない。
社会には大嘘つきがいっぱいいて(笑)。不倫や浮気、善意で集められた義援金すら誤魔化したり、大手企業でもデータ改ざんで報道されたり、贈収賄で捕まってるのがいっぱいいるから。
「こうすれば幸せだ」と道標を描いている筈の教職員ですら、盗撮や淫行で捕まってるのがいます。
それを毎日のように見せられたら迷いもしますよ。誰かが一緒になって考えてくれたり、家族とか仲間とか同級生と話し合う機会があって、自分なりの解答を導き出さない限り目標を見失うでしょう。