コミュニティの心理学1

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異質なモノに対する不安と恐怖

なぜ、お咎め(おとがめ)はなかったのか?

基本的にはそういった「罪一等を減じる」措置を受けられるのは、生まれた時から思考能力を持たなかったり、事故や病気(高い発熱等)で社会生活が営めなくなった者に限定されていたようですが。

現代のように「犯行前までは普通に生活していて」しかも「酒を飲んでゲームセンターに行って」「犯行の直前まで車の運転をしていた」者などは含まれません。

江戸時代にも心神喪失や、乱心者(狂人)については、「お咎めナシ」という制度がありました。大宝律令の頃からずっと日本はそういった形式になっています。

明治時代の刑法はその頃からの流れを引き継いだものです。

意味合いは現行の法律と同じですね。心を失う(乱心)して、起こした事件ですから「勘弁してやって欲しい」といった届け出を家族なり周囲(だいたいは上司)が行います。

それが認められた場合には責任を問わない、お家のお取りつぶしを行わない、親族への影響や連座制をとらない。といった温情、特例制度は厳しいはずの江戸時代にもあったのです。

現行の制度の幾つかは過去の制度や法律、歴史の影響や流れを引き継いでいます。江戸時代とか大宝律令と書くとなにやら遠い昔の話のようですが、昔の法律に現行のシステムがまったく影響を受けていない、とは誰も言いきれないでしょう。その頃の名残りは現在にも引き継がれています。

法律ができ上がった理由に、この制度が施行された当時の時代背景、宗教観や社会情勢があります。

武家の社会において、「異常者」とは、そのコミュニティを脅かすものでした。

江戸時代の枠組みは完全に縦割りの社会になっており、上司の命令は絶対です。江戸幕府は士農工商という身分制度によって運営されていました。

誰かが明確に逆らえばその制度そのものが成り立ちませんから、幕府も強気に出ます。システムを守るためにも法律や枠組みを定めて厳しく取り締まる必要があったのです。

そこが緩めばそれはそのまま幕府の崩壊を意味します。下克上と呼ばれた戦乱の時代に後戻りする訳にもいかないので厳しくする理由があったんですね。

それで「異常者」とか幕府に逆らう言動をするものは徹底して厳しい扱いを受けます。下手をすればその「たった一人の乱心者」のおかげで、お家はお取りつぶしになってしまいます。

元は名家とか戦功を認められて旗本になったりその名誉を引き継いでいるのですから。一人の愚か者のためだけにお家ごと取り潰すのは幕府の本意ではなかったかもしれないですね。

ただし何事にも規律や前例がある。当時の江戸幕府は財政の負担、政治上の都合もあって各地において盛んに「家」とか大名を潰しています。ですからそれは決して他人事ではなく、どんな大大名や譜代の名家でも、ほんの少しのきっかけやトラブルからも十分に起こりうることだったのです。

それは武家のみならず、「村」とか商家にとっても他人事ではありません。

どんな世界でどういった時代にも跳ねっ返りは居たんですよ(笑)。今の時代と変わりません。

何の意味もなく盗んだバイクで走り出したり夜中に校舎の窓ガラスを割るような連中、街中に落書きをして悦に入るような連中も出るわけで。現行法や幕府に逆らうような反抗者も出てきます。

上司や部下の命令を聞かず、自分の考えのみで身勝手な行動をとる人もいましたし、地位やお金を手に入れた途端に強引な行為や無理を行う者も、力を持ったことで自惚れてしまう人も出てきます。

そういった「異常行動」つまり、反社会的な行動を行う人は「革命だ!」と思っていたり、ご本人は正しいと思ってやっているのかもしれませんが、周囲にはその言動がそうは映りません。枠組みとかコミュニティが荒らされているだけで何なる迷惑行為です。

責任は多くに及ぶ時代ですから。「あいつ個人がやっただけ」にはなりません。単なる悪戯とかノリですでは通らないんですよ。打ち首や火あぶりだってあります。

体制を維持するための「なで斬り」はもっとも愚作

で、結局は社会とか家でも疎まれ(うとまれる)嫌われてしまったり、場合によって捕方(当時の警察)に捕まってしまうことになる訳ですが・・・。

そういった時、ご本人の家族とか上司や部下などの家族や親族が「恐れながらあの者は心の病で」と、お上(おかみ)に申し出ることになります。

運が良い場合はその申し出が管理者側(当時の施政者)に受け入れられます。

問題を起こした当人は厳しい処分(今でいう所の強制入院、閉門や蟄居、下手をすれば一生幽閉、病死扱いで殺される場合もあった)を受けますが、お家やそのコミュニティは「お咎めナシ」になります。

裏話になりますが、これは一種のガス抜きの部分がありました。

あまりに管理を厳しくしすぎると体制に対する不満が高まります。その決定が御定法通り(当時に定められていた法律の通り)だとしても、あまりにも画一的だと恨みも買いやすいのです。

現政権(当時の幕府)へのあまりの不満とか内圧が高まれば、大規模な一揆とか内乱や反乱にも繋がりやすい。お取り潰しが確実な例であっても、幾つかを「お目こぼし」することで相手に借りを作る事もできる。相手の家とか直接逆らったのではない親族に「恩を」売ったわけです。

それが結局、幕府を支える力になったり不満分子が結託することを防ぐ効果もあったようですね。

社会を管理統括する側からすれば問題を起こしたご当人はともかく、その周辺がしっかりしていれば、御定法通りにその枠組みを丸ごと潰してしまうよりは形を変えて残そうと考える訳です。

特例として温情をかぶせてそのまま誰かに引き継がせて残したほうが、多少はこちらの言う事も聞くだろうし得策だろうと考えた訳ですね。

現在のリストラや銀行主体による会社の建て直し、会社更生法の適用などとも似ています。

気にいらないからといって新経営陣が役員を全員を首に会社がすればまとまりませんよ(笑)。業務が止まります。引き継ぎをやることすらできませんから。まして社員全員をクビにする経営者はいないでしょう? それまでのノウハウと技術、社員の労働力を活かしてこそ買収の意味はあります。

屋号とか商標だけ奪っても軌道には乗りません。

空っぽになった会社でしかも職人や商品の購入ルート、販売ルートを失ったら乗っ取り失敗です。強引過ぎる乗っ取りとか代替わりがうまくいかないのはその後の展開を考えていないからです。

たとえ買収であっても、内部にシンパとか新しい「政権」(会社の場合には経営陣や仕入先、販売先)と結びつきを深めてくれる人がいないとうまくいかないでしょう。

これは軍事行動でも同じですが、侵略したり制圧したい国であっても、全てを力づくで無理やりに押さえつけるだけだと根深い反発を食います。

何年も徹底抗戦する例も出て来ます。住む場所を奪われ、家族や親族を殺された恨みというのはそれだけ根深いのです。そういった状況が続くと結局は「皆殺し」にするしかなくなります。

昔は「なで斬り」と言ったそうですが。短期間での収益がなくなりますから乗っ取ったり制圧した意味がなくなるでしょうね。税を払ってくれる領民、働いて米を作ってくれる農民がいなくなりますから・・・。人はそう簡単に補充できません。回復には何年もかかるのです。

一般民衆を徹底弾圧する施政者や侵略者が歴史上で馬鹿と言われる理由は「なで切り」ではあまりにも得るものが少ないからです。

江戸幕府のお取り潰しでも領民には罪を問うてはいません。一揆や反乱の時だけですね。地方自治体の施政者、その藩の上層部をそっくり入れ替えて忠誠を誓わせ、上納金を納めるように仕向けています。

神の使い、お告げという考え方があった

天使 アイコン社会を混乱させ迷惑なだけにも感じる「乱心者」が、なぜか法律によって許された(死罪を免れた)背景には、もう一つこういった理由があります。

太古の日本社会、初期の日本における政(まつりごと、政治)において、「精神異常者」とは、「神と交信できる人」と同義語であった時期があります。占いとかシャーマニズム、選託(占いや神のお告げにより選ぶ)は、生活とかなり密着していたのです。

安倍晴明のようなシャーマン(占い師、神官、陰陽師)が国政や政府の根幹に深く関わる例もかなりありました。陰陽師だけではなく、修行者や修験者、巫女や神官、坊主や占い師などが御選択とか「神のお告げ」に時折関わります。

彼らは歴史のあちこちに影のように寄り添って出て来ます。興味深いのはそういった状況は和洋全て同じで、ヨーロッパ各国やアメリカ、中国に至るまで様々な形で「シャーマン」(ある種のトランスに陥る人々)の干渉を受けるのです。

御神託(神から何かを聞き取って選ぼうとする)を行うために、修験者や神官等は「ある種の」手法を行います。一種のトランス状態に入るために、何日も絶食したり山やお堂に篭(こも)ったり、延々と修業を繰り返すのです。身体の感覚を研ぎ澄まし五感を開きます。

その五感、人間が感じ取る限界を超えた部分(別名、第六感)神と呼ばれる存在、人とは異なる大いなる存在や、次元を超えた「何か?」大きな存在から、何らかの情報を聞き取ろうとする習慣があり、各地に様々な儀式があったのです。

今とは時代が違いますからね。当時はパソコンも気象衛星もなかった。電話もメールもなかったでしょう。天気の長期予想とか農作物の迅速な輸送手段もありません。灌漑用水用のコンクリート堤防とかダムとかもない。防疫に関する知識もないですし衛生についても知られていません。

ヨーロッパでペスト(黒死病)が大流行した時は全人口の3分の1近くをを失いました。病が爆発的に広がったのがペストを媒介するネズミの駆除などを行なわなかったためです。衛生知識の乏しかった時代ですから、遺体を焼くとか近付かないなどもしなかった。

スペイン風邪の大流行もありましたが、当時のインフルエンザだと言われています。1918〜1919年にかけて全世界に広がり感染者5億人、死者数は少なく見積もっても5千万人、一説では1億人以上とまで言われています。すでに19世紀の初頭で日本では大正時代に入っています。

近代に入っても科学や医療が間に合わないことはありましたよ。スペイン風邪が大流行していた当時には拝み屋とか祈祷師、占い師も各国でよく呼ばれたという記述が残されています。

具体的な対策とか情報がない時代には疫病や天候異常、気象の変化、震災や台風が爆発的な被害を生みました。人々がバタバタと死んで行く。そりゃ神にでも祈りたくもなるでしょう?

飢饉が発生したり長雨が続いたり、日照り、地震や火災、疫病や戦争が発生すると人々は次々に死にます。吉兆を占ったり、縁起を担いだのはそれだけ「死」が日常であり身近にあったからですね。

その一部は現代にも引き継がれています。各地に伝わる祭りとかお払い、お参りやおみくじなどですね。

むしろ、今の若い世代のほうが理解は早いかも知れないですね。わかりやすく言うならば異世界転生ですよ。ラノベや漫画、アニメでお馴染みですが「神様からのお告げや贈り物」ギフトやスキルがない状態で未開の地に放り出されたようなものですから。

今のように携帯やパソコン、衛星通信や観測ができなかった時代に何かを察知したり、予知しようと考えれば「ご神託」「神のお告げ」などに頼るのは自然な行為だったのです。