コミュニティの心理学1

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異質なモノに対する不安と恐怖

気が「異なる」人達

レインマン DVD 写真調べてみると興味深いですよ。アメリカのネイティブ・インディアンから始まって中国の占い(陰陽の技術は大陸からもたらされたもの)インドやチベットの密教や仏教、ヨーロッパのジプシーに至るまでありとあらゆる場所にそういった記述がありますから。

現在ではひと括りに「あの人はキチガイ(差別用語です)だ」などと揶揄したり、「精神障害」とか、「異常者」といった安易な言葉や枠組みにしてしまう場合が多いようですが、昔は異なります。

「きちがい」という言葉は、そもそも差別用語ではありませんでした。遥かな昔は「気が異なる(違う)人」という意味で、誰かを差別したり悪く言うための言葉ではなかったんですよ。

すなわち普通の人とは異なる気、つまり「鋭敏な感覚」(第六感、御神託)を生まれながらに持った人、との考え方もあったようで、コミュニティ(村や国、社会)が手厚く保護を行ったこともあります。

映画「レインマン」(ダスティン・ホフマン主演、トム・クルーズ出演)の中でも、一部紹介されていますが、精神障害者だと言われている人が、特異な才能を発揮した例も数多くある。

不思議なのは一般人どころか、最新のコンピューターがどう努力、予測しても到底追いつかないような特殊な才能、能力を発揮する例もあります。

確かにそういった方たちは一部が壊れています。まともな受け答えとかは期待できず一般的な仕事に従事したり、普通に生活はできない。ただし普段はおかしな行動ばかりしているのに、何かのきっけかで素晴らしい特異能力を開花させたりみせる者もいます。

おそらくは過去の事例から、昔の人達は経験則(けいけんそく)でそういったことに気がついていたのでしょう。簡単に排斥したり馬鹿にして追い出したり殺してしまうのではなく、村や集落で面倒をみていた記録があちこちに残されています。

生活も楽ではなかった筈なんですけどね? 不思議な話です。

コンピューターも天気予報も人工衛星もない時代ですから「気の異なる人」が何かの予想とか予言とかを行って的中したら、それはそのコミュニティ全体の生と死を分けます。

それはやはりとんでもない恩恵なんでしょう。予知して欲しいのは大地震とか大火とか疫病、特に気象異常による飢饉でしょうね。日照りや長雨で村ごと死んでしまうことはありましたので。

今なら気象予報があります。ただしそれはどこの国でも気楽に利用できるものではなくて。日本はかなり恵まれています。気象衛星は軍事利用にも使える側面がありますので、有事には情報を提供しないとか他国には気象目的であっても公開していない国も存在しています。

毎年のようにやってくる台風でも気象衛星や予測システムがない国なら大変ですよ。それはいつ起こるかわからないものです。誰かがそれに気が付いて一度でもそれを避けられたとしたら、それは迷信とかただの偶然程度では済まないでしょうね。

飢饉の時に雨ごいをして偶然でもいいですから「たった一度」でも雨が降れば神と崇めたでしょう。

「託宣」(たくせん)という言葉がありますが、これは神から託された言葉、すなわち神懸かりを意味します。巫女さんとか神官とか占い師などはそういった形で受け継がれてきたものです。

ですからそういった特異な人(能力者)が一族から出た場合、その社会、村とか街、家などのコミュニティで神官や巫女として奉り、保護を加えた例も多いのです。

気が違う人をコミュニティが保護したのは、そういった血筋とか家系の中からも特異な能力者が生まれたり、神に近付いている人達だとの感覚があったからではないでしょうか?

そういったものの適中は幾つかはただの偶然だったのかもしれないですが・・・。現代なら検証もできるし追跡調査も可能でしょう。当時はそうは受け取られない。

竹の華が咲くと飢饉が起きるなどの言い伝えもありますが、そういった自然の変化とか山の動植物の動きに敏感で、変化に反応できるだけの感受性とか知恵が授かった家系とか一族だったのかもしれないですね。

江戸末期にはすでにそういった意味合い(巫女、神様のお告げとして)は薄れていましたが、しばらくは昔の名残もあったでしょう。明治や大正の頃までは大切に保護した例もあるのです。

このコーナーの初稿は2001年に書かれています。年数が経過しましたので2017年のサーバー移転の際に、読みやすいようにレイアウトと一部に加筆修正を加えてあります。

2001年09月01日 初稿

2017年12月14日 加筆、修正

谷口信行

コミュニティの心理学2 に続く

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