コミュニティという考え方、ルール
事件報道などでもありますよね? 「何をしている人かわからなかった」と近隣住人が言い出しているケースが。
向こう三軒両隣で近隣住人との連携がしっかり取れていて、長屋の住人は皆友達とか幼馴染、家族も同然だった時代と今は違いますよ。
私も最近は自宅で仕事してることが多いですからね(笑)。物書きとかデイトレーダー、ネット通販業者などは自宅で全てが完結してしまうことがある。光ファイバーを使えばバイク便が原稿取りに来るよりも遥かに速い。家から一歩も出なくても仕事として成立してしまいます。
私も含め、そんな時代が来るとは誰も思っていなかったのですが。
写真入りの版下でも原稿でもネット経由であれば届けるのは一瞬です。ネットの普及でバイク便は次々と消えています。交通渋滞を避けるための自転車便というのもあってエコだとマスコミが取り上げてました。New Yorkでも日本でも持て囃されたのですが、残っているのは極少数だけになっています。
買い物にしたってネット通販やAmazonがある。仕事の効率を考えるなら一分一秒が惜しいでしょう。自宅でせっせと仕事していても外目にはわかりませんから「怪しげな仕事をしている人だ」という枠組みとかイメージで近隣住人には見られているかもしれませんね。
人が集まれば生活があります。
そのそれぞれに価値観や生活習慣があり、物事の考え方や進め方は異なります。社会には大きな集団も小さな集団もありますが、その「集まり」(コミュニティ)そのものが一種の生き物のようで個性があり、様々に感覚は異なるのです。
コミュニティとは一種の枠組みです。
大きな「枠組み」としては国家があげられます。地方自治体や県(アメリカなどなら州)などもそうでしょう。学校や会社、宗教とか宗派、イデオロギーである資本主義と社会主義なども含まれますね。大小様々なものがあり、時には複合する形で人は自分の場所を求めたり存在することになります。
それぞれの集まりや枠組みに、多くの人が「複合的に」含まれてそこで生活しています。
無人島に一人で住んでいない限りどこにも所属しない人はいません。どこかに所属しないと生活そのものが成り立ちませんから・・・。そしてそれは一箇所だけではない。ここがポイント。
どこかの国かどこかの会社(または学校)にいても、どんなご家庭や集団にいても。何箇所かの「複合的なコミュニティに」必ず含まれて組み込まれることになります。
すると、当然、その「コミュニティ」には多くの制約ができます。
自然にその「コミュニティごと」に約束事や決まりができるのです。面倒くさいですね(笑)。そこで生活する大勢にとって有害な物やトラブルとなるものを除くためにある程度のルールや取り決め、何らかの決まりごとが必須となります。
そのコミュニティ独特の「感覚」とか「常識」ができるのですね。
最近は禁煙の場所も増えました。駅のホームやバスの停留所も禁煙になりましたね。航空機も全席禁煙です。私がこの文章を始めて自分のホームページ上に載せた1997年当時にはまったく気にしないで良かった部分も、時間の経過と共にそうではなくなってきています。
はっきり見える「形」としては法律や税制などが含まれますね。歩き煙草の禁止も市や県、自治体での条例で定まっています。通称、淫行条例(青少年健全育成条例)なども同じ。2016年をもって全ての都道府県において条例が制定されています。
国の法律では定まっていなくても地方自治体独自で定められた法律で縛られることはありますよ。未成年者保護を目的として法整備や条例の設定は国際社会の要請でもあります。世界がインターネットやSNSで簡単に繋がってしまう現代社会においては。日本だけはそのままというわけにはいかないので。
特に子供に関するものは厳しくなりつつあります。リベンジポルノの対応も進んでいます。うっかりそういった法律を破るならば、罰金を取られたりいきなり捕まってしまうことはあります。
昔は良かったことでも時代背景や社会情勢の変化で徐々に変わって行きます。それが法律や条例であったり、契約とか常識であったりします。そのそれぞれがコミュニティのルールと考えられます。
お金を払ってどこかのマンションに住み、近所のコンビニに買い物に行くだけでもその義務は生じます。ゴミを出すだけでもルールや取り決めは守らないといけませんし、破れば生活できません。何度も無視すれば追い出されるでしょう。「家賃はキチンと払っている」という言い訳は通用しないのです。
皆が無視すれば無茶苦茶になってしまいますから・・・・。最近はマンションやゴミ捨て場の利用規約にもそういった部分はきちんと書かれています。
マンションではなく高い一戸建てだからいいではなくて。町内会とか自治会でもそれは決められているんですよ。どこに住んだとしてもそれは同じになります。
買い物をすれば消費税を取られますし、自分だけ「払いたくない」と拒否することはできません。枠組みとしてはっきりとした形ではなく法律にもなってないが、それでも「はっきりとして存在する物」には各自の「意識」があります。そこには常識とか良識とかマナーと呼ばれるものを含みます。
注意が必要なのは誤解や錯覚から排斥に繋がりやすい
人々は自然に異質な物は遠ざけ、危険だと思う者に近寄らないようにするとか口を効かないなどの反応を起こすことになります。
自分達のコミュニティにあった「常識」で相手を計って当てはめようとしたり、そこから外れている場合には近付かないようにすることですね。
先にも述べましたが、その常識の範疇(はんちゅう)からはみ出す人は受け入れられません。そこには見た目の印象だけではなく言動も含むのです。
障害者とか見た目に異質な人(例えばタトゥまみれであったり、金髪のお兄ちゃん)がバスで奇声をあげると、周囲が受け取ってしまう「恐怖」などがそれに含まれます。
よく観察してみるとインナー式のヘッドフォンで歌を聴いてそれを口ずさんでいるだけかもしれません。ところが、頭が金髪で見た目がヘビーメタルな感じのお兄ちゃんがへたくそな歌をバスで歌っていれば、周囲はそうは受け取らないものなんですよ(笑)。「頭がおかしい」と判断します。
コミュニティは「自分達」を守ろうとします。
これがコミュニティを生き物のようである、と私が表現した由縁(ゆえん)です。自分達の生活や集団を守るために、自分(達)とは異なる習慣、感覚、雰囲気を滲ませる集団、個人、団体を毛嫌いしたり、遠ざけて怖がるようにもなりがちなんですよ。
ある部分は仕方ありません。それは一種、家族や個人、大切な「何か?」自分の身を守るための本能にも近い部分を含みますから。それは理屈ではなく感情であり生物に備わる本能なのです。
怖いものは怖い。異質だからこそ排除する。危険は家族や自分に近寄って欲しくは無い。
そのためにルールとか取り決め、法律がある。それにプラスしてコミュニティ全体の総意、漠然とした雰囲気や独自に働く意志があります。「常識」とか「マナー」といった言葉表現されますが・・・。
それはある意味では人間の持つ防御反応ですからなかなか止められるものではありません。
ですが、これは気をつけないと危険なのです。時にそれは容易に差別や強烈な拒否反応に繋がります。特異な個性や感性の否定、弱者の排除、国際社会からの孤立とか移民への攻撃などにも繋がりやすいのです。
怖さや不安感に目がくらんで相手を最初から「否定する」所から始めると、いがみ合うことにしかなりません。元から話し合う意思がないですから(笑)。
本当は好きな音楽を聞きながらヘッドバンギング(頭を振ること)を行っているだけの気のいいお兄ちゃんかもしれませんが、それをバスの中でやれば周囲は好意的には受け取らないでしょう。
目の前の席のお姉さんや子供が恐怖でブルブルと震えていれば、それは周囲からみると恫喝しているように思えるかもしれないですね。そこで誰かが悲鳴の一つでもあげたらどうなるでしょう?
あっという間にパニックです。
相手の情報が行き渡っていないとか、何も知らないままで異質なものをストレートに受け入れるように人間は出来ていません。緊急用回路というか回避行動用のコードが埋められており、それに触れると無意識にガード(防御)を行ないように最初からセッティングされています。
そういった不幸な行き違いとか勘違いからも叩きとか排斥は起こりますよ。すでに社会ではそういった問題から、多くのトラブルが起こっています。
外国人と雇用、就労や住居に関するトラブル、学校や会社におけるイジメやリストラ、精神障害や身体障害者に対するいわれのない差別、騒音やゴミの捨て方によるトラブル、近隣に住む旧住人と新しい住人との間のトラブルなどです。
最初に述べましたが、「どこか一箇所のコミュニティ」団体とか組織にだけ所属している人はいません。実際には必ず何箇所かで複合しています。余計に複雑なんですよね。安息日には働くなとか工事をするなって禁忌、宗教的な戒律を守っている人達もいますので。イスラエルでは閣僚が辞任してます。
日曜日に工事するなって言ったら地下鉄の人身事故の時はどうしましょう? 牛を食うな豚を食うな、スープに使っていてもダメだって言われたら外食は不可能です。ご本人たちは超真面目に言ってますがその宗派とか戒律に従っている人以外からすれば迷惑なだけ。
一部の人間の「単なるわがまま」のようにも見えるでしょう? ですから人種、宗教、イデオロギー、年齢、性別、性癖や趣味、趣向も含めて、様々な状況下でぶつかり合いが生じてしまいます。
精神障害者に対する偏見
精神に障害を持つというと、とかく危険な者のように言ったり思う例があります。先にも書きましたが、人間は異質な物(者)を恐れます。
自分の会ったことのないタイプや、これまでに触れ合ったことのないタイプ、コミュニケーションの手段を持たない者(言葉の通じない者、外国人)、雰囲気の異なる者には恐怖を持ちがちなんですよ。
元々、そういった偏見や錯覚を持ちがちな上に、そこにマスコミやメディアの作り上げたイメージが重なります。
先に述べたような「キレる世代が暴れている」との作為的とも思える報道ですね。すると、本来、そういった世代を恐れる筈の無かったなかった人達もそちら側に傾いてしまいます。
以前に大阪の小学校に刃物を持って乱入し8名もの尊い命、幼い子供ばかりを襲った男がいます。
2004年9月14日死刑執行。
無縁仏として市の墓地に埋葬されたようですね。獄中結婚も含め計5回の結婚をしたと言われていますが、結婚相手は誰一人遺骨を引き取っていないようです。 一人の親族も遺族もそれまでの支援者も駆けつけなかった、と大阪の司法関係者から伺いました。
こういった犯罪を行うものが犯行後、精神障害者を装うことはよくあります。
そう言い出すものの殆どは全て犯行後であったり逮捕後なのです。心の病を偽って罪を免れようとしたり、周囲に同情を得ようとか別れた奥さんとよりを戻そう、子供たちの関心を買おうと精神的な疾患を詐病したり利用することがあります。
実際には精神障害者が問題を起こしているのではなく、犯罪行為を行った者が精神障害や心神喪失を偽ることで無罪を主張する。それが結果として不信感や危ないイメージを増幅したと私は考えています。
脳疾患や末期癌患者のふりをする、なども昔はありましたが今はCTやMRIなどが進んだためにそういった詐病は行いにくくなっています。そのために医者が病名をつけられるというか、バレにくい精神疾患を装って罪を軽くしたり情状酌量を狙ったり、家族にまでそう偽るケースが増えています。
「心の病だ」と言い張れば周囲が心配したり、罪が減じられるケースも確かにある。精神的な疾患は骨折とか癌とは違って証明しにくい部分もあります。ネットを使って検索し、精神疾患者や多重人格だと偽ることで周囲を騙したり、人を殺しても俺は無罪になるんだ、などと言い張った例もあります。
また日本においては弁護活動を行う側が加害者の罪を免れるためだけの道具として精神疾患や障害を持ち出す例が結構あります。これも非常に残念ですね。最初はまったくそういった主張をしていなかったのに、裁判で不利を悟った途中からそういった戦略をとるケースもあります。
他に情状酌量の余地がないとか、弁護するための道具がないので戦略としては仕方ないのかもしれないですが。本来の法解釈、心神喪失とは異なる形で引用や多用が起こってしまい誤解の種です。
酷いものになると「事前に覚せい剤を使用してたから無罪」などを主張しているケースもあります。それで殺人無罪になってしまうのなら、皆が犯罪前か犯行後に覚せい剤を買い集めますよ?
司法関係者や裁判官にぜひお聞きしたい。それでいいんですか?
裁判官が誰だったかは官報に載っていますよ? 裁判結果に不満を持つ凶悪犯罪の被害者家族は、覚醒剤を購入して裁判官やそのご家族を付け狙って直前に使用していけばいいのですかね? まさか有罪にはなりませんよね? 裁判官ご自身が「覚せい剤で心神耗弱状態だった」と証明しているのですから?
それで罪を問われないということになれば法制度そのものが崩壊します。