かない鯉 かなうの?恋 鼎(かなえ)の恋?

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ちょっとおもしろいものをみつけたので紹介

2017年に撮影、山手側にある神社に鯉の流水口、蛇口があります
リニューアルに合わせて神戸市内で撮影した写真です。異人館、ハーバーランド周辺を中心に撮影中。

2006年に撮影したものとは別に新規に載せています。

北野の異人館の撮影の際に面白いものを発見

北野 神社 見事な紅葉の写真

異人館周辺を「北野」と呼ぶのですが、その地名の由来がわかりました。

800年以上前、治承4年(1180)に福原遷都に際して平清盛の命を受けた大納言邦綱が、新しい都の鬼門鎮護京都の北野天満宮を勧請して社殿を造営した、とのことです。

昔は寺社仏閣が目印であり社会の中心でもあったので、この地に新しい神殿が築かれることでその地名が定まったんですね。北野天満宮が出来たことでこの辺りの地名が「北野」になったと。

明治期になって異人館ができるわけです。北野天満宮のほうが異人館よりも遥かに前。

初詣にたまに行くのですが、そんな由緒のある神社とか古いものだとは思ってませんでした。まさかあの辺りの地名の由来、原点になった神社だとまでは思っていなくて。

以前から私がたまたま借りた場所が北野天満宮にゆかりのある場所が多くて。この仕事を始める前ですが、大阪に住んでた時は天神橋筋商店街の二丁目に部屋を借りてました。

マンションから出た所、真向かいに大阪天満宮がありました。そういったことが度々あったのでご縁があるのかと考え、見かけた時は御参りにゆくようになったんですよ。

紅葉の季節だったので、「そういえばあそこに枝振りの良い楓(かえで)があったなぁ」と考えて撮影の為に立ち寄ったので、後で気になって調べてみたら由縁がわかりました。

楓(カエデ)の木よりも気になるものが

北野 神社 「かない鯉」 写真

元々はホームページ、自分のサイトのリニューアルのために素材となる写真を撮るために神戸市内を彷徨っていたのですが。楓の木よりももっと気になるものがありました。

これですね(笑)。「かない鯉」と書かれています。

手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや)と言いますが、寺社仏閣に参拝に訪れた人が「手洗い」つまり身を清めるために用意されたもので、元は水垢離(みずごり)を簡素化したものだと言われています。

お参りする前に一々、白装束に着替えて滝行や行水は難しいでしょう? 柄杓で手に水をかけて口を濯ぎ、用意を整える場所です。そこに見慣れないというか私も初めて見た鯉がいます。

いやいや(笑)。手水舎(ちょうずや)といえば普通は「龍」でしょう? ましてここは天神様、荒ぶる神と言われた菅原道真様を祀っている神社なわけですから。

手水舎、鯉で検索してもココしか出てきません。出てきてもたいていは龍(竜)か亀なので、よほど珍しいタイプだと思われます。

鯉が出世魚とされているのは、黄河上流にある竜門の滝と呼ばれる急流を登りきれた鯉は、竜(龍)になって天に昇るという中国の故事に基づくもので。登竜門という言葉の語源でもあります。

端午の節句、こどもの日に鎧兜や鯉のぼりを飾るのは男の子の出世や世間の荒波に負けることなく、大きく育って欲しいとの願いが込められています。

落雷とか大雨、気象異常を恐れて神として崇め奉られるようになった菅原道真公は。登竜門を経て神へと至った「天神様」扱いだと思うのですけどね?

なのにその方を祭神として祀っている神社に、全国的にも珍しい「鯉の手水舎」流水口があるのはとても不思議なことのように思います。

推測ですが元の意味は「鼎(かなえ)」だったのではないか?

これが出来て間もない新設の寺社ならともかく、この地の由来にもなった800年の歴史のある神社でしょう? さすがに色々と突っ込みたくなりますよね?

よく見ると流水口に更に変わった部分を見つけました。普通、龍の口から流れる水は一つです。一箇所から複数に分岐している流水口というのも珍しいです。

蛇口(じゃぐち)という言葉がありますが、龍や蛇の口から水が出ることを指し示しています。それを私達は日常的に今も使っていることになりますね。

蛇口とは水の化身、龍や水神の使いである蛇が「口から水を吐くこと」で火事が納まるとの願いを込めたもので。本来なら勢い良く吐く必要があります。なので分岐してるのはみたことがない。竜吐水(りゅうどすい)とも言うのですが、消防用のポンプにもそう名付けられています。

よく見ると3分岐しています。そこではたと気が付きました。

「これ、鼎(かなえ)ではないのか?」と。

鼎(かなえ)とは元々は肉、魚、穀物を煮炊きする土器として出土していたものを、後の世に祖先神を祀る際にいけにえの肉を煮るために用いられたことから礼器の地位に高められたそうです。

要するに足が三本ついた青銅器を神事に用いるようになったわけですね。精巧に作られた青銅器の鼎は国家の君主や大臣などの権力の象徴として用いられた、他にも3本に分けることで物事が安定するとか穏やかになるとの意味もあります。

三方向に分岐していて青銅か黄銅製。神社で一般的な龍ではなくて鯉。作られたのは江戸か明治辺りの日本製で、古代中国の故事に倣ったものかな? と漠然と思ったりするわけで。

真相は宮司さんにでも直接お話をお伺いするしかありませんが(笑)。この蛇口、鯉の流水口が800年前からこの神社に備わっているものなら大変ですよ。おそらく日本では過去に前例がない。

面白いのは語呂合わせ、言霊(ことだま)を信じる日本人の考え方

織田信長 肖像画 写真

日本では「語呂合わせ」つまり、言葉によるおまじないとかお祈りが昔から流行ったんだそうで・・・。おそらく今のTwitterとかインスタより凄かったと思いますよ?

元は口コミですからね。携帯電話やスマホ、ネットがない時代にも流行とかおまじないはあったわけで。そういった便利な情報伝達のツールがない分だけ行う側は真剣です。

あの織田信長でさえも戦勝祈願に熱田神宮に詣っています。出陣式で語呂合わせを信じて「勝栗」(かちぐり)「打鮑」(うちあわび)「昆布」の三つを口にしています。

「我、この軍に勝栗、我、この敵を打鮑、なにとぞ勝利を得させたまえ!」

超現実主義で宗教関係者にも容赦が無かったと言われる織田信長でもここ一番という時に縁起は担いでいるわけで・・・。今川義元に攻め掛かる直前に行った儀式として記録が残されています。そういった「語呂合わせ」を馬鹿馬鹿しいことだと一笑に付してはいません。

ここの鯉も最初は物珍しいくらいではなかったでしょうか? ただしそこに「語呂合わせ」が関わってくると意味が異なってきます。

「鼎(かなえ)の鯉」「かなえ、こい」「かない鯉」「恋が叶う」

に徐々にニュアンスが転換していったのではないかな? と思います(笑)。

事の真偽はともかくとして。少なくとも「恋が叶いますように」と願ってここを訪れて、絵馬を掛ける人達が大勢いることにはなりますね。見てください。看板に後ろに架けられている絵馬の量を。ハート型の絵馬は全て恋の願掛けです。

織田信長の時代から変わらず、人は言霊(ことだま)を信じて今も「願い」を掛けるのかも知れませんね。

片思いの人向けの神社なんでしょうかね?

菅原道真公って勉学の神というか学業成就、努力した時に成果が結ばれることを祈ることが多かったように思うのですが? なぜかこの神社では恋愛の絵馬が結構掛かっています。

元々は楓を撮りに行きました。楓の木というのは山の中にもたくさんあるのですが、剪定されていない木だと近づくのが難しくなります。布引の滝のコーナーに載せてありますが、蔦が絡んでいたり他の木が邪魔になったりね。木々が陰るので影が出来る。意外と綺麗に撮るのが難しかったりもします。

幹が太すぎても枝が広がりすぎて撮影しにくい。ここの楓は石垣の上で一段高い場所にあります。ちょうどいいサイズで見上げる位置にあります。楓の撮影とか素材でお悩みの方にはお勧めしますよ。

この神社と私とはまったく繋がりはありませんのでご迷惑にならないように。撮影させていただく場合は御参りしてお賽銭くらいはあげておくようにしましょう。私は初詣でまた行くと思います。

「かない鯉」なんですから片思いの人向けなんでしょうかね? 確かに女性の参拝客が多かったようには思いますが・・・。各地の他の天神さんはどちらかというとカップルが多いような気がします。

菅原道真公は生前は女性への愛情が深かったと言われている方です。そういった意味では荒ぶる神であっても女性の願いには寛大で「叶えてくれる」のかも知れないですね。

え? 男性の願いはどうするのかって? そりゃ私にはわかりませんね(笑)。私は恋愛成就を神様にお願いしたことがありませんから。男性の方は自力で頑張ってください。

風見鶏で有名な旧トーマス館が一望できる、高台の上にあります。天気の良い日にはなかなかの撮影スポット。カメラ片手に行ってみる価値はありますよ。

2017年12月21日

谷口信行