「危機意識」が圧倒的に足りない
こちら側(私のような専門者)が洗脳を解除しようと思っても、なかなか思うに任せないことはありますよ?
中でももっとも困るのは当事者や園周辺に「危機意識」が足りないことですね。何の知識も経験もないのに簡単に解決できると思っていたり。
お父さんとかお母さんとかね。学校の先生とかね。実際に洗脳に遭ったとか身内が被害に遭ったとかとか惨状を目にしていない人が殆どですから。
それは確かに仕方のない部分でもありますが・・・。
こちらからどういった働きかけを行なっても理解できないとか、軽く考えてしまっていて事態が急速に悪化することもあります。
私は過去に洗脳の解き方、ってコーナーにおいて、こういった記述を行なっています。
普通に考えればわかりますが、「私は騙されやすいかもしれない」と考える人は安易に危険には近づきません。普段の生活において用心します(笑)。それはおそらく根拠もなく「俺は騙されないから大丈夫だ!」と思い込んでいる人よりも、よほど手強いのです。
更に追加してこういった記述もあります。
安易に立ち入らないこと。経験や知識、満足な保障や根拠もないのに大丈夫だと思わないこと。強盗にも強姦にも遭わないと思い込んでいるから高額な商品(バックや時計、宝石)を身に付けてチャラチャラ歩けますし、薄暗い夜道を歩きます。
わかりますか?
これはね。危機意識と呼ばれるものです。
好奇心が猫を殺すって慣用句(ことわざ)も存在します。
探求心とか好奇心は人を育てたり新たな研究や世界を開くためには必須のものでしょう。そういったものを一切、持たなければ努力も勉強も挑戦もしません。
警戒心ばかりが強まってしまえば、家から一歩も出ることがかなわなくなってしまいます。
ですが、何の警戒心も危機意識も持たず、何かに安易に近寄ると大けがをしたり、そのまま帰ってこない、死んでしまうようなことも起こります。
こんな話を持ち出した理由は
親御さんとか仕事先の同僚、仲間や知人、家族、恋人の中にはね。事の重大さとか事態の深刻さにピンッと来ないというか、とても反応が鈍い人がいます。
警告というのはですね。「聞く心」要するに聞き入れて心に止める姿勢とか、相手の言葉に耳を傾ける人に対して行なってこそ、初めて効果ののあるものとなります。
こちらから必死で警告を行なっても「なーに、大丈夫。そんなこと起こりっこないんだから」程度に思っているなら何の意味もありません。
2011年に起こった原発事故でも似たようなことが起きているでしょう?
非常用電源の確保とか、震災時の対応について疑問を持っていたり、津波を心配して高台に新設すべきだとの提言や意見も出されていました。
ところが「これまでに一度もそういった事態は起きていない」ことを理由に無視したり、門前払いにすることもあったようです。
繰り返しますが全てに警戒したり備えるようになれば、切りがありません。家から一歩も出ないとか誰とも触れ合わないことになります。また、何かに備えるには費用もかかります。
ですので、異様に警戒心を持って「全てに近づくな!」と私は述べたいのではありません。
異常を察知したりね。危険を感じたら記録を残したりね。実際になんらかの変調なりトラブルが起きたら「安全だ」「大丈夫だ」などという先入観は捨て、万が一に備えるのがいいのです。
これは洗脳などに限りませんが、危機管理能力というのは「即応性」と「柔軟性」です。
万が一の事態に備えて「取り越し苦労でもいいから、なんらかの対応策を準備しておこう」「心に留め、すぐ動けるようにしておこう」になるのです。
過去に何度か、洗脳騒動で動いたことはあるんですけどね。むなしくなるんですよ。
通報者はご兄弟だったり、ご友人だったりします。
どうみても怪しい行動をとっており、このままでは危険だろうな、と判断します。親御さんや職場、学校の関係者に警告したり事情を説明しても知らんフリだったり、「気のせいだろう」程度にしか受け取らない人は多いのです。
ただの占いとかね。単なる信仰の問題ではなく、真剣に危機が及んでいると思うので初動を早くする必要もあるのですが・・・。その意味を理解して貰うだけでも一苦労です。