久しぶりに自分のサイトを

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円と棒グラフ ロゴ付き私(わたくし)的な観察

生活のためには他の仕事も多少、受けなければ

スピードリミット55 アイコンしばらく放置してて申し訳ありません。

別のサイトを複数、調整して一から作り直していました。WordPress(ワード・プレス)とHTMLを知っていることと、このサイトなどを長く自分で運営管理を行っていること、文章を書き慣れていることを評価されて某企業からの依頼です。

最近はなぜか、催眠よりもそっちの依頼とか依託のほうが多かったりなんかして(笑)。こっちをなおざりにして捨ててしまうつもりはありませんが、やはり心理的な圧迫感が少ないので受けやすいんですよ。

もちろん、このサイト経由ではありません。実社会、実際に面談したり過去に一緒に仕事をしたりしたことのある得意先や顧客、またはそういった方々からの紹介です。

大きな仕事も入りそうだと言うので慌てて自社サイトも修正していたり。

痛みで首がまわらなかったり。長時間、キーボード打ってると吐き気が止まらなくなったりと体調のほうは散々です。ですが、自営業ですからね。自営業には基本的に「できません」はありません。

それがサラリーマンとか公務員とは違うところ。辛い部分でもあり面白い部分でもある。

誰かの責任にも出来ませんし、後回しにして逃れることも出来ません。結局は自分で努力して自分で勉強して全部を地道に片づけるしかないのです。確かに自営業なら休むのは自由ですが、その間に仕事も収入もなくなるでしょう。

何かの困難にぶち当たって、すぐに「できません!」と言える人はよほど、親御さんに甘やかされて育ったのでしょうね。おそらく、これは男女問いません。

社会で実際に求められるのは「出来ます!」と答える人です。

出来ることが大切ではなく、やる気の問題

本当は「出来るかどうか?」は関係なかったり(笑)。その人のやる気を試されているんですよ。もっとも無難で上司や得意先に喜ばれる返答は「可能かどうかはわかりませんが、全力でやってみます!」と答える人ですよ。

学生の方で就職難で困っている方は覚えておくといいですよ。

できない、とすぐに答えてしまう人は責任感がないとかやる気がない人と捉えられがちで、いわゆる弱者であったり能力のない人に分類されてしまいます。

慎重を期してとか自信が無いからそう答えただけでも、たったそれだけのことで社会においては重要な仕事とか儲かる話、責任が必要となる話には参加させようとか、混ぜようとはしなくなるんですよ。

自営業とか中小企業、ベンチャーを目指すようになると、そこから更に一歩進める必要が出てきます。

仕事が「やれる人」ほど、だらだらとした前置きが一切無くなります。

ですから「できます!」とだけ言ってクライアントから案件を持って帰る。

で、実際にやるんです。つまり、クライアントが無理だとか難しいと思っている納期に見事に間に合わせたり、思っている以上に綺麗な仕上がりだったりきちんとした仕事や納品を行うのです。

それが後の信頼に繋がる。自営業の場合、受けたら「出来ません!」はありませんよ。

本来はサラリーマンでもそれは無い話なのですが、最近は責任逃れに終始する若者も増えたようですね。

何でも、どこかでチャンスを拾おうとか人とは違う評価を貰おうとすればそうなります。

広い意味では私が以前、催眠の実演に各地に一人(助手も被験者も連れずに)で飛び回っていたり、番組関係者の無茶ぶり、路上や雪山でいきなり「催眠術をかけてくれ!」に応じたのもそういった背景はあります。

「できない!」は言った時点でお終い。仕事に繋がりません。

誰にでも出来ることをやったって金にも仕事にもならない

若い方は覚えておくように。

私は若い頃、かなり無茶をやった部類です。仕事で成功したかった。手っ取り早く金になりそうなものは何かと考え、水商売も散々やりましたし、営業やセールスもやった。肉体労働も片っ端やりましたよ。西成のあいりん地区で日雇い労働者もやったし飯場で住み込みで働いた、北陸に季節工に行ったなどもあります。

1日に3つの仕事を掛け持ちして睡眠時間が3時間。近所の銭湯入るだけでシャツだけどこかの安売り店で買って、そのまま次の仕事へなんてのを3年~5年くらい平気で近く続けていましたっけ。

誰にでも出来る仕事ならお金にも評価にもなりゃしませんよ。

私の座右の銘は「技術、知識、経験こそが自分を裏切らない」です。

人は時折裏切りますよ。それは親や親族、家族、恋人、教師や友達、同僚でも同じことです。誰しも我とわが身がもっとも可愛い。

どんなにいい人でも我が子とか自分の恋人や奥さんが苦しんでいるのに、他人を助けるのを優先する人はいません。保身というのは当人よりもその当人の周辺に強く働くのです。我が子を飢えから救おうと食料や金を盗もうとするものが、隣の家の台所事情を汲んでくれるか?と問われればそれは難しいでしょう。

不況になればなるほど、不幸な連鎖も続きます。自分の会社が危ないとなったり、自分が首になるかもしれないと思った時に、自分より他人を優先するのは稀です。

だからこそ、私は技術とか知識、経験を高め、自身で持つべきだと思っています。

そういうものは盗めませんから。

人は裏切りますよ(笑)。あなたが大好きであなたのためになら何だってすると言い張っていた女性が心変わりするのなんて珍しくもありません。目の前にお金をチラつかされた途端に態度を変える女性を、私は過去にあちこちの職種、場所で様々な形で見てきました。

男だって似たようなものです。

私自身が肉親の死で苦しんだり通夜で帰っている最中に事業を乗っとろうとか、私が苦労して揃えた機材で勝手に金儲けをしようとしていた連中だっています。

これらは女性ではなく男ですね。女の腐ったような男、という表現は現代では差別用語のように扱われるようですが、男らしくないとか卑怯者なんて社会にはそれこそ掃いて捨てるくらい存在します。

その全てを憎んだって意味はない

私は常に、他人がやってないことを「先に」手を出してきたほうですね(笑)。

催眠のサイトとか。心理学の応用の話とか。社長である兄に覚えるように強引に勧めて「お前に殺される!」とまで言われてしまいましたが、「データーベースの開発」とか。

当時、販売のために必要なサイト構築、バックグラウンドでの商品データの管理を社長に「出来るようになれ!」と迫り「俺は動画編集を覚える!」と怒鳴っていたのは私です。今ではお互いにそれなりに形になりました。

繰り返しますが人は裏切ります。

信頼すべき人もいます。愛すべき人もいる。ですが、お互いに他人です。一生、その関係が変わりなく続けばいいですが、どこかでまた「別の人間」も絡んできます。

親の思惑や生活環境、立場やそれぞれの個性が異なります。どんなにその人が好きでも周囲が付き合いを許さない場合もある。巡り合わせやたまたまのタイミング、運の善し悪しでも個人を取り巻く環境は大きく変わります。

戦争が起きたりね。今回のように100年に一度という不況が重なれば「裏切りたい」と思っている訳ではなくても、結果として家族や社員を守るために身勝手な行動をとる人だって出てくるでしょう。

その全てを一々、恨んでいたって仕方がない。

社会には様々な悪意があります。明確な悪意を持って接してくるものや詐欺もあります。

ありますが、実際に人が深く傷つくのは親族や家族であったり、仲間や友人、親しい人、恋人だと思っていた人の心変わりであり、そういった人の対応の変化です。

赤の他人や詐欺師が行う行為は意外に心理的な圧迫感、悲しみや憎しみといった感情に関しては長続きしないものです。むしろ親族とか仲間、恋人だったからこそ、そういった感情が長続きします。

憎む気持ちも十分にわかる。私だってその激しい感情に自らが囚われ苦しむことは多いですから。

昔の思い出話、苦労話などを少々

オオカミの遠吠え アイコン私が「特殊な技術」経験とか、自分で物にした能力を大切に考えるようになった原因を幾つか。

高校3年間は母子家庭の奨学金受けながら高校を卒業して、虐待や同級生からの執拗ないじめも経験済みです。正直、後で考えたら辛かったのかもしれないですね。

卒業後、何年かは新聞配達の夢やいじめや虐待にあっている夢でうなされましたもの。

その後、働き口を得ようと明石のタコ部屋に間違えて働きに行ったり西成のあいりん地区で日雇いの仕事やって、極左系の兄ちゃんと「子蝿がたくさん浮いたり沈んだりしてる」ラーメン食ったこともある。

私の場合は色々あって、親と疎遠でしたからね。両親とも無いに等しい状況が長く続いた。

誰も知人も友達もいない土地に鞄一つで出ていって、商売とか仕事の足場を築くとか自分の居場所を作るってのはなかなか大変ですよ。ホストクラブの4畳半で2段ベットの上だけが自分の居場所だったこともある。

前出の「明石のタコ部屋」なんてそれより更に酷くて、30人くらいが二段ベットで雑魚寝ですよ(笑)。労働条件も栄養状態も過酷で最悪でした。

そこは喧嘩で何人もが死んでる部屋です。体調が悪い年配のおっちゃんがゴホゴホ咳出してたり、気に入らない奴を階段から突き落として死亡させた、ってことで警察が聴取にきたような場所でしたね。

施設から逃げてきたか引き取られた孤児(日本人)が、他人のパンツとか長靴を平気で盗みます。私も何度かやられました。

私を気に入らないって連中が徒党を組んで襲撃を企んでたりね(笑)。また急階段から突き落とせば簡単にけりが付くだろうと考えて実際に計画練ってた連中がいました。

底辺の底辺ってのはそんなものなんです。活きのいい新人とか元気で働いてるだけの人間でもなぜか、気に入らないと言い出して嫌がらせしてやろうなどと思いつく連中もいます。

しかも安易に殺そうとまで思う奴だっています。

ところが当時、私はすでに身体鍛えてましたからね。腕立伏せで200回くらいは余裕でした。頼るもののない世界で暮らすことになったからこそ身体鍛えてて。一歩も引かない気概があったから危険が避けられた。

数十年が経った今でも、たまに当時の頃の夢を見ます。

汚い二段ベットで寝てておっさんのイビキ(実際には夢)で目が覚めるとかね(笑)。

こういった話も、これまでは一度も自分の兄弟や親族含めて誰にも話したことがありません。

もちろん、郷里の友達にもね。彼らは私が何の苦労もなくうまくやってると思っているのかもしれません。

何でこんな話を持ち出したかというと

カクテルグラス 泡付き アイコン景気がいい時だろうと悪い時だろうとね。何かを行おうとしたらそうそう簡単ではないんですよ。

バブルの頃は好景気で沸いてた。沸いてはいましたが、じゃあ、「全員が勝ち組だったか?」と言われたらそうじゃなかったですよ(笑)。

私は派手な飲食街で働いてて当時はその地域でナンバー1とまで言われた店にいたこともありますが、好景気だったり、店に客が多くなればなるほどリスクも増す訳です。

「強面の方々」も訪れるようになります。無理難題を押し付けることが多くなってきますが、できませんとか、やりませんとかはなかなか言えない。かといって女の子を見捨ててそのまま放置しておくわけにもいかない。

女の子を席から変えると今度はそのヘルプで付けた女の子に絡むことになる。大声出されて他のお客さんの迷惑になるわけにもいきません。

どうしても怖さが先に立つから放置してしまう店もある。ですが私はそういった席から、あえて女の子を抜きました。

女の子が半泣きでしたので限界だと考えた。席で派手に触られてて。そのまま放置したら毎日やってきますし、他の女の子にもやりますよ。他のお客さんにも波及するかも知れない。

「あの店はそういうことをやったっていいんだ」と思い込まれます。

もちろん、お気に入りの女の子を抜けば強面の人は激しく怒りますよ。自分たちは楽しくやってるんだから(笑)。

店長とかマネージャーとかはそういった席に近寄ってきません。それが某大手強面軍団(全国チェーンのヤクザ屋さんです)の幹部だと知ってますから。

ですので、当時、平のウエイターで下っ端だった私に押し付けて逃げちゃった。

そこに私が座るんです。

決して反抗はせず、顔はにこやかに笑ってはいますが目はまっすぐ相手を見つめます。気を張って気力で相手を押すくらいのつもりでそこに座り、怒鳴られたり殴られるならそれでもいいくらいに腹を据えてました。殴られたら少なくとも警察くらいは呼べます。

そこまで腹括ってそこに居座ると、なぜか相手が折れてくれたりもします。人間の心の機微(きび)ってのは不思議なものですね。その後は多少、大騒ぎや女の子を触るのを我慢して普通に飲んでくれました。

もっとも、それで変に気に入られてしまい別の嫌がらせはよく受けましたが(笑)。当時はヘネシーかレミーマルタンでしたが、それを「おい、飲ませてやるからここに座れ!」と言われる訳です。

前回、女の子を逃がしたり休ませるために席に付いたことがあるのですから、今度は逃げれません。ですので「ハイ!」と笑顔で座ります。少しでも嫌な顔したり苦手な顔すると嵩にかかってくるでしょうから、一切、ひるまずに笑顔で対応する必要があります。

「じゃあ、飲め!」と言われてタンブラー(コップ)にストレートで注がれます。当時のグラスは10オンスタンブラーですから氷なしで一杯に注げばボトルの3分の1が入ります。

相手はニヤニヤみてますよ。ですからこっちも意地です。

「いやー、こんなに戴いていいんですか? 戴きます!」って言って全部を一気で飲み干します。

虎穴に入らずんば虎児を得ず

ボトル アイコン普通はそれだけを一気に飲めば倒れます。それを期待して相手は待ってるんですよ。なぜか私は倒れない。ずっと平気な顔して仕事しています。不思議に思った強面の人はまた私を呼び止めます。

「おい、もう一杯飲め!」

このパターンがあと一回続きます。

なぜ残り一回かと言いますと3回一気飲みでボトルが一本空くから(笑)。新しいボトル代とチャージが付くので「男にだけ飲ませる」のは惜しくなってだいたいはそこで止まります。当時ですから一本開けたら3万くらいは必要。

当時の私は相当にお酒に強かったです。それこそ毎日、浴びるほど飲んでいた。一時期はビールなら酔わないと思うくらい強くなった時期もあります。

が、上記の飲み方はインチキです。実は事前に準備をしてました。

その人達が来ることは事前に売り上げ(担当)の女の子から聞いてだいたい知ってるんですよ(笑)。また水商売をやってると変に勘が利きます。本来は来るはずじゃない日(例えば担当、指名の女の子がお休み)でも、なぜか「今日は来るんじゃないかな?」って予兆や予感があったり。

そういう時、私は飯を食いません。

代わりに営業開始の直前に牛乳を飲んでいます。あとはチーズかな? で、実際に呼び止められた時は必ずブランデーをストレートで一気で飲みます。水割りとかビールとか一切飲みません。

そのほうがインパクトがあるから。と、同時に濃さがあるほうが胃の中でしばらく混じらない。先に飲んだ牛乳の層でアルコールの吸収が若干遅れます。

その差、たった数分間ですが。その数分間が勝負。客の目が離れた瞬間にトイレに駆け込んで全部吐くんですよ。目をぬぐい、顔を軽く洗ってうがいをする。吐いたことや泣いたことは一切わからないようにして表に出て、また呼び止められたら嫌な顔一つしないでまた同じ行動を繰り返す。

その間、約1分ですね。

私がそういった行動をとっていたことは、当時、店にいる誰も知りませんでした。

ちなみに飯を食わないのは吐くことがわかっているからです。胃に固形物や残留物、特にご飯物があると吐くのが遅くなる上に、流動して吸収してしまうんですよ。それを防ぐために「来る!」とわかっている時は食いませんでした。

その行動を一ヶ月くらい続けたら向こうが根負けしてやらなくなりましたね(笑)。

最後はやっぱり強力な酒と胃酸が効いちゃってね(笑)。咽は焼けるし声は枯れるし、多少、血を吐いてましたが。それでも私の勝ち。

何でもそうですけどね。楽な方向を向いて楽しいことだけやって女にモテたり仕事で評価されるなら苦労なんてしませんって。実際に成功してる連中には必ず裏があります。

それを得意げに誰かに話すか、黙って努力して自分の「地力」にしようとしてるかの違いだけです。

どんな仕事、商売でも裏はあるし苦労はある

ドレス アイコン私としては弱みを見せたくなくて意地を張ったのですが売り上げ(担当者)の女の子に非常に感謝されました。そりゃそうですね。毎回、ボトルが1本か2本、自然に空きますから。

結果として店での信頼とかお客さんや女の子から一目置かれるようになったりしたものです。それを足がかりに私は自分の店を持ちました。これももう古いお話ですが・・・。

※ちなみにオール巨人さんがよく来られてたのもこの店です。以前のひとりごとで紹介しました。

仕事っていうのはね、どんな世界でも厳しいもんです。

下積みだって苦労だってある。今じゃ芸能界のヒットメーカーと言われる島田紳助氏でも18歳から3年間が下積みで苦労した話を関西ローカルで涙ながらに語ってます。

そういう経験がね・・・。おそらくその人の「人間としての厚み」を増すんです。もちろん苦労したが故に、その人の内部には多少の狂気も残る。

悪い形で残ってしまうケースとか部分もありますが、それはやはりその人にとって強い力とか原動力にもなるでしょう。

どうしても負けたくないという気持ち、苦労を思い出しながらがんばろうと思う日々の繰り返しが人とは違った視点を持ったり勉強や精進を生みます。他人とは違う語り口調、興味深い文章、「何らかの技術や能力を生むのではないか?」と私は考えます。

楽な仕事ってのはないです。おそらくですが私は各地で様々な仕事をしましたので、本当の底辺からてっぺんまで知ってると思います。絶対に転ぶはずがないとまで言われていた財閥系とか富豪と言われる人でも、何らかのきっかけで苦しんだり失敗したり失脚するところは見てきています。

不況の時期だからこそね、やはり人とは違うスキル、知識、経験を身に付けて備えるべきです。

今はもう私も若くなくなりましたのでそういったのは無理かも知れないですが、20歳くらいならやれる仕事なんて山のようにありますよ(笑)。

人と同じ、とかね。ともかく大手とか「楽な仕事を」なんて考えてるとスキルなんて身に付きませんよ。どうしても仕事がないならアルバイトだっていいんです。

複数のアルバイトを重ねて自営業を開始するのもいいでしょうし、人生経験を増やしてきちんと受け答えが出来るようになって、更に高学歴であれば将来的に景気が回復すればそういった方こそ、就職は有利になるでしょう。

私が18歳(始めて関西に出てきた頃)も不況と言われていました。求人情報誌は薄っぺらで住み込みで仕事を探していた私は苦労した覚えがあります。

30過ぎても40過ぎても結局は日々勉強です。

人は状況によって裏切りますが、あなたが自分で身に付けた技術は裏切りません。人は何らかの状況や環境、トラブルがあれば去ってしまうことはありますが、あなたご自身が自分で身に付けた経験は、絶対にあなたから去ることもありません。

それだけは忘れることなく、日々を重ねてください。

2010年03月31日

谷口信行