記者会見を見ました、18日の更新の続きです
18日にXJapanのTOSHIさんのことについての第一報を聞いて感想を書いてあります。洗脳とか宗教が関係することなのでかなりの長文になってしまいましたが、興味がある方は参照されてください。
ご本人が記者会見に出てこられていましたので、それを見た感想を補足として入れておきます。
話し口調はかなりしっかりしたものになっていました。
こういったケースにおいてはご本人が出てきてあれだけしっかり話されることは稀です。
弁護士などが会見を行い、ご本人が出てくるのはもっとずっと後になってからということも多いでしょうね。芸能人でこういった騒動になった人が自分で会見を行ったケースは数少ないと思われます。
新体操の山崎浩子さんも同様の騒動があり、後にご自分で手記を出されています。
文藝春秋社の「愛が偽りに終わる時」というタイトルですね。Amazonでのリンクを張っておきますが現時点では在庫がなく中古の本しか無いようです。
山崎浩子さんは脱会後、数ヶ月経っての記者会見(離婚)を行い、「マインド・コントロールされていた」と涙ながらに話したことで話題となります。
それが1993年の4月です。私はまだ催眠などの仕事をメインにはしておらず、仕事で全国を飛び回っていた頃かと思います。私はテレビなどへの露出も行っていません。
ですがやはり印象に残る事例でしたので・・・。よく覚えています。
当時の映像は食い入るように見守った記憶があります。
最初に見た時の印象
私と同世代の人ならご存知でしょうが秋山エリカという優秀な新体操の選手がいらっしゃいました。その方の先輩というか前によく優勝されていたのが山崎浩子さんです。
漫画で「タッチ」が公開されたのが1981年〜1986年です。この頃が日本の新体操の全盛期ですね。私が中学から高校当時にアニメが公開されていました。
山崎浩子さんが現役として活躍している最中にアニメが当たったんです。
山崎浩子さんは日本を代表される新体操の選手で、とても綺麗な方でしたのでその洗脳騒動、マインド・コントロール発言は当時、かなり話題になりました。
皮肉なことですがマインド・コントロールという言葉が日本に定着したのはこのことが原因です。一部の学者とかテレビに出ていた催眠術師が使用していましたが定着しませんでした。
自分を「マインド・コントローラーだ!」と宣伝していた人はその後、一切、そういった表現を用いなくなったり。催眠も含めてとても印象が悪くなってしまったのも1993年前後だったように記憶しています。
その山崎さんが宗教団体に取り込まれた後に、記者会見などで現れた時に表情は非常に印象的でした。
表情がボーッとしてしまっており、目の焦点があっていません。
終始にこやかには笑っているのですが、どこか上の空というか意識がはっきりしていない感覚があって記者からの質問にもご本人が答えるというよりは周囲の関係者?が答えるような形式になっていました。
近年になってからも当時の報道映像が何度か放送されていますので、録画機器をお持ちの方は確認してみてください。
コントロールを受けた人の表情は二種類ある
山崎さんの表情は一般の方、例えば記者などにもわかりやすい例かと思います。
洗脳とかコントロールというとああいった表情だと思い込みがちです。一般人の方が明確なコントロールを受けた方に直接触れ合う機会は少ないので、どうしてもそういった印象を持ちがちになるんですよ。
だいたいにおいては、ボーッとした表情とかどこか抜けたような受け答え、自分でははっきりしゃべることができず、周囲のいいなりになっている人形、そういった印象が強いかと思います。
そういう印象があるので「サングラスを外して目を見せてくれ」などといった発言を、XJapanのTOSHIさんの時にぶつけてくる記者や報道関係者などもあるわけです。
見ても無駄ですよ(笑)。おそらく見分けられません。
実際には専門家がみないと一般人(記者を含む)には絶対にわからないでしょう。山崎さんのようにわかりやすい例ばかりではないので・・・。
山崎さんは取材とか記者会見に応じる都度に目に光りが戻りました。初回の記者会見の折りには茫洋(ぼうよう)とした表情ではっきりとした受け答えもできず、新体操の頃のはきはきとした明るい人柄からは考えられないような、うっそりとしたというかゆっくりとした動作や受け答えしか出来ませんでした。
徐々に目には力が戻り、記者との受け答えにもはっきり答えるようになった。感情の露出も増えましたし離婚会見では涙も浮かべることが出来た。これは大きな進歩だったと思います。
ところが、そうでないタイプもあります。
目には最初からしっかり光りがあってね。意識も受け答えもはっきりしています。茫洋としていたり反応が鈍いなどと言ったことはありません。一人で飯を食いにいったりもしますし下手をすればお酒も飲みます。
ですから、どうみても自分の意思で受け答えをしているようにも思うのです。
このタイプの人は早口で多弁です。聞かれてもいないことまで詳細に話そうとします。
実際には自分の考えなどではなく、教祖というか洗脳者の言いなりでその言葉を反復しているだけに過ぎないのですが・・・。ご本人はそうだと思っていません。
前出の山崎さんがゆっくり話すのに対して、後者はまくしたてるように話したりもします。興味深いのは前者が「茫洋として」話すのが遅かったり感情の露出が少ないのに対し、後者は早口で何でも話す上に時折大声を上げて泣いたり怒ったりもします。
それを見分けられる人はかなり少ないでしょう。
素顔を晒したがらないのは離脱反応
感情を「押さえ込む」方法でコントロールを受けたか、感情を「放出」する方法でコントロールを受けたかでもその後の反応は異なってくることになります。
好転反応(こうてんはんのう)という言葉があります。
私はこの言葉をあまり好みません。よく詐欺集団とか変な健康食品を売りつけたり、手かざしをやって「病を治す」とするカルトは用いる言葉ですから。
ですから好転反応という言葉は使わずここでは離脱反応、という表現を用いておきます。要するに良いほうに状況は変化したとか、コントロールから遠のいたと考えてください。
離脱反応という言葉は薬物中毒とか覚せい剤に溺れてしまった人が離れる時にも使うので、厳密には違う表現かもしれませんが、適当なものが見当たりませんのでここでは便宜上用います。
コントロールを受けた、と言われるタレントさんや運動選手などが以前はしっかり「目を晒して」記者会見や対話に応じていたのに、今になってサングラスをするというのには意味があります。
これは周囲の視線が気になるようになった、ということです。羞恥心なり恐怖心なりが戻っている。いずれにしても周囲から投げ掛けられる視線に「自らの感情が」反応していることに繋がります。
これは結構大事です。前出の「感情を押さえる」手法でも「感情を強力に露出」させる方法のどちらであっても、ご本人(コントロールを受けた人)は、自分では自然な感情の露出を失っていますので。
ご自分の感情を失うからコントロールなのです。そこの部分が自然で自分で好きな道筋とか、方向性を探せる方は洗脳を受けたことにはなりません。
感情を失うと羞恥心とか恐怖心も弱まります。
コンプレックス(外見や容姿、過去のトラウマ)などを利用されてコントロールを受けた人は最終的には「そんなものはあなたの弱点ではない!」と植え付けられます。
最初には欠点をあげつらって悪口を言われるのです。それが基本的なパターン。その後、洗脳者はその欠点を「私が消してあげた」などと言い出します。
洗脳が終わると素顔とか弱点をさらけ出せと指示される。それができるようになったことで克服したんだと偽の価値観を植え付けられるのです。ですから、それまでは外見を気にしてサングラスやマスクをしていた人がしなくなる、女性であれば化粧っ気が無くなるなど、これまでとは異なる行動に出ます。
反対に感情を押さえ込むことでコントロールを受けた人は全てに無反応に近づきます。
両者のいずれの方法にしても「目を隠す」ことに意味がなくなるのです。恥ずかしくないですから。
洗脳から離脱した人が「元の行動パターン」「元の服装や持ち物に戻る」のは自然なことです。以前、サングラスをしていた人が今になってまたかけるのは望ましいことで、間違いではないことを理解してください。
今の時点で無理やり、外させようとしてはダメですよ。しばらく待つのが正しいです。
難しいのは加害者にされてしまった場合
こういったカルト系のややこしい所は、自分でも気がつかないうちに自分自身が加害者になってしまっているケースが多いことです。
新たな信者の勧誘とか。勧誘した信者に財産とかお金の供出を求めたり、一緒にボランティア(実際には無償奉仕でのカルト教祖への臣従)を求められるとか。
教団の関係者と性的関係を持ってしまったり、自分の家族や仲間を宗教に引き入れてしまったり、結局は被害を拡大させているケースがままあります。
これは社会復帰の際にとてつもない障害となります。
本来はその人もただの被害者なんですが・・・。その人を起点にして他の二次被害とか三次被害が生じてしまっており、場合によってはその被害者が他の被害者とか親族、家族に嫌悪されているケースがあるのです。
結果として居場所を失います。憎まれているが故に洗脳が解けても行く場所がなかったり、帰るべき場所とかお金がないままに放り出されてしまうケースがある。
結果として洗脳がなかなか解けなかったり、結局は元の団体とか別の集団に戻ってしまうこともあります。せっかく解けたのですが、解けた後で「どこに戻るか?」も重要になってきます。
本来はそういったカルトとか洗脳の被害に遭った人を受け止める受け皿とか施設が必要なんですよ。
残念ながら、この国にはそういった場所とか制度がありません。
問題なのは「そういう奴はどうせ居場所がないのだからほっとけばいいじゃん」ではなくてね。そういう人がまた違う人を勧誘して被害があちこちに拡大する部分なんですよね。
子供とかお年寄りとか被害は多岐に渡りますから。
オウムの事件などでもかなりの被害が出ています。本来は取り込まれただけの人が誰かの殺害に関与したり、結果として死刑判決を受けるものがあります。
そういった被害を最小限度に留めるために、本当は警察なり医療施設なり専門家なりが協力する体制を整える必要があります。
アメリカやイギリス、フランスなどには存在するんですけどね・・・。日本にはある特殊な事情があって野放しに近い状態です。
それについては長くなりましたので、別コーナーに分けました。
下記を参照してください。
► 日本において宗教団体が優遇される理由(関連事項)
2010年01月20日 初稿
谷口信行