昔は国鉄の搬入路、上陸用の港や倉庫だった
2006年に撮影したものとは別に新規に載せています。
神戸煉瓦倉庫と言いまして明治、大正期には港町で多く使われた耐火レンガ、赤くて丈夫なレンガを積み重ねて作った建物です。大阪や横浜など、大きな港町にも同種のものがあります。
残っている3棟のレンガ倉庫は1898年(明治31年)に日本貿易倉庫が建設したと言われていますが、元々はもっと大型の施設で。様々な商業施設や道路が作られたり高層マンションなどが建つ課程で減っていったので現在は3棟だけが現存しています。
湾岸沿いにあった赤レンガの倉庫を再利用しようという話がバブル期くらいに高まってですね。各地で商業施設やショッピングモール、イベント会場として使われるようになりました。
大金をかけて神戸市が整備したのですが、運が悪くてですね。オープンは1992年(平成4年)だったのですが、1995年(平成7年)1月17日に阪神淡路大震災があって損害を被っています。
現在はその爪痕などはまったく残されていません。綺麗になったのですが普段はあまり人通りがないですね。その後もが大規模な補修やテコ入れが行われていますがテナントがよく撤退しています(笑)。閑散としてるので冬場はちょっと怖い。夏場のデートにはいいかも。
高校鉄拳伝タフって漫画の主人公が修行する場所としても使われてましたね。
プロモーションビデオとかインスタ用の写真、映画の撮影などには向いているかもしれないです。
可動式のはね橋で、今も日本に残っているものは殆どないようです。
このはね橋は移設されたもののようですが、どうも強度に難があるようで(笑)。頻繁に上げ下げをすると故障する、と言われ「なんでそんなもの作ったんだ?」と一時話題になりました。
橋の袂に配電盤、操作盤があって。係員が時折、動かしに来るとのことですが。最近じゃ開門してるのを見たことがないです。橋を向こう側まで歩いて渡ることはできるんですけどね?
橋を上げると港の海の中が緩やかなスロープとなっています。元々は水陸両用の演出として「はね橋が上がった」後、橋が割れた真ん中を通ってスロープで陸に上がるシステムを作ったんだそうです。
スプラッシュという水陸両用車が動いていた時は1日に4回開け閉めしていたようですが・・・。2012年に大きな事故を起こし2013年に停止した後、復旧の目処が立っていません。
スプラッシュの運営会社が2018年の4月から人員募集をかけたとの噂があります。再開するんでしょうか? ただし、利用されていたDUKWという船はGM社(アメリカ)の水陸両用車ですので。設計そのものが古く市場には中古車しか存在しません。
1940年から1980年頃に現役だった船なので喫水線が浅く荒天や波に弱いです。揺れるので乗ってる人が悲鳴あげてました(笑)。静かな湾内でも今にも転覆しそうで見ててヒヤヒヤしました。
水陸両用車は数千万円から億円!という世界ですので、最新型の新車を入手するのは難しいのではないでしょうか?
ちなみに事故ったのは陸上です。ブレーキが効かなかったそうで。色々と危うい。
私は新型車両に変わらない限り、乗ろうと思っていません。
魚が多くて立入禁止にもなっていないので、子どもたちの絶好の釣りポイントになっている模様。結構、大きなサイズの魚影を見ますね。
最初はイギリスでしたかね? マネキン人形に服を着せて作業員に見立てて倉庫の上に置くことで話題になったことがあります。
今のようにネットのない時代の話ですが。
遠目で見ただけだと見分けがつきません。私も最初、本当の人間がペンキでも塗ってるのかと思いました。動かないんですよね。
神戸のハーバーランド、元は倉庫だった場所を整地、作り直してオープンしたのが1990年(平成2年)です。当初はレンガ倉庫でレストランが開業していただけですね。
はね橋(はねっこ広場)が完成したのが1991年(平成3年)で、その時に真向かいにある倉庫に「ユーモアディスプレイ」を施したそうです。
ところが震災とか台風があってですね。破損したので一時期、撤去。2006年(平成18年)に再設置。途中、人数(人形の数)も最初は少なかったので現地民でも知らない人も多いのではないでしょうか?
私もそもそも神戸っ子ではありませんので。嫁さんが神戸の人なので結婚後に住むようになっただけです。その嫁もこの人形のことは知らなかったようです。
一時期話題にはなったようですが。地元民でもあまり気づかないものなのかもしれないですね。
今後はこの地域のマンションとかを買うといいのかも
現在は落ち着いた佇まいで高層マンション等もあって。今後は発展が見込める地域かもしれないですね。ただし、一時期はかなり寂れた印象がありました。
ハーバーランドは神戸市が力を入れて開発を行ったのですが。利便性というかアクセス性が悪かったので伸び悩んでいます。若い頃、販売の仕事で神戸に来た時にも西武やダイエーには立ち寄ってます。
震災さえなければ神戸の街はもっと発展していたかもしれないですね。震災前は株式会社神戸という文字が新聞紙上を賑わしていました。山を切り崩して海を埋め立てる、埋め立てした土地に企業を誘致して税収を増やす、すべての歯車がうまく回っていて急速に発展を遂げた都市でもありました。
神戸製鋼などの製鉄業も盛んでしたので、埋め立てとか建築ラッシュで企業も市政も潤っていたと思います。各国、各都市から「神戸の優れた手法を学ぼう」として視察が大勢訪れていました。
阪神淡路大震災で神戸市が被った被害は十兆円を超えると言われています。
東日本大震災を経験した後だとそれすら小さくは思えますが・・・。あの震災がなければ神戸の街はもっと賑やかで街並みも発展したのかなと思うと少々、残念でもありますね。
もちろん私自身は震災当時、神戸に住むつもりなどなかったのですが。私は偶然、出張で神戸に来ていて被災しています。
現在はイオンモールがあって大型の業務スーパーがあります(笑)。コーナンというホームセンターが近い。私の趣味とか嗜好にはぴったり。頑張ってこの辺りに次の住居を構えたいかな?
見晴らしがいいのでここに住んだら花火大会も楽しいでしょうね。
2018年09月08日
谷口信行