とても感慨深いものがありますね
私が大阪に出て一人で生活ていた頃、昭和天皇がご崩御なさって昭和が終わりました。昭和64年(1989年)1月7日ですね。
家族、兄にも話していませんが(笑)。住み込みの仕事を探していましたので、大阪ミナミの飲食店で二段ベッド、4人部屋でタコ部屋のような環境で働きながら目をギラギラさせてた頃ですね。
今年の5月に年号が変わります。昭和から平成、平成から別の年号へ。
昭和、平成、そして新しい「元号」へ
もうリタイアのつもりで最近は手の内とか、昔の裏話を公開していますから(笑)。
これまでは語っていなかった経歴についても少しは触れてもいいでしょう。
私自身は実父に性格や外見が似ていたので。実父と離婚した母親にはその性格や外見を疎まれることがあったので、どうも反りが合いませんでした。両親のどちらにも嫌われたくなくて顔色を伺って生活する日々が続いたために妙に敏感な子供に育ってしまって。
教師や同級生とも馴染めず、どこか大人びた部分を持つ子供でもありました。
それがセールスマンや営業職として優秀な成績を収めたり、催眠術師として異様な能力を発揮したり、いち早く周囲の反応、悪意やトラブルに気がつく力となったのは皮肉な話です。
私は周囲の反応や「表情を読む」ことに長けていたんだと思いますよ。商品を買う人の表情、何かを求めている人の感情を察するのが早かった。
思春期の頃にそれは発動してその後の生活の中で更に鍛えることになりました。
以前に知り合ったお医者さんとか医療関係者がね。
谷口さんはどうしてホストをやらなかったの?
と真顔で聞いてきたことがありましたが(笑)。
その場では何も言いませんでしたけどね。その先生がそう聞いてきた時点でね。バリバリ、経験あったんですよ。内心苦笑い。多少、見た目が整っていて話術が巧みなら誰しもが考える道筋でしょう。
私は大学も出ていませんし、高校を卒業するのに母子家庭の奨学金借りて新聞配達してたくらいですから・・・。生活には四苦八苦もしたんです。最初からカウンセラーとか催眠術師を目指したわけがない。
学歴がなかったり後ろ盾がない、学閥に所属しない人が何のコネもない状態で。見知らぬ土地で仕事を探したり生き残ろうと思ったら。もっとも簡単なのは風俗業であったり水商売、接客業だったりもします。
まあ最近ならYouTuber(ユーチューバー)を目指すって手もありますが。
住み込みの職を探して歩き回っていました。東京に行った時にファッションヘルス? なるものがあることを初めて知った瞬間でもありました。都会には変わったものがある、と思ったものです。
地方都市にはファッションヘルスなんてない地域もありますよ。あれは人の入れ替わりの激しい都会、人口が多くて「女性が身バレしない」地域だから成り立つ商売であって。薄利多売が中心です。
本番なしとはいえ数千円で身を売るっていうか、男性と性交渉をするような仕事があると思っていなかった。
人手が足りてなかったり、入れ替わりの激しい業界では履歴書もろくに確認はされませんから・・・。男女問わず見た目だけが大事だったり犯罪に手を染めていないことだけが求められます。
未成年者だったり事件を起こしたり盗みを働いて逃げ出そうとしない限り。過去はまったく問わないんですよ。都会に出てからも故郷で経験があったスナックとかラウンジでバイトすることから始めました。
新聞の集配所にも面接には行ったんですけどね。ああいった職種ならいつでも雇ってくれる。
学生時代、新聞配達で苦労した経験があったので。雨が降ったり寒い季節なんて大変ですよ。少しでも遅れると苦情が来ますし。また同じ仕事を今度は寮に住んでまでやるのかと思うとさすがにうんざりして。面接には行ったものの新聞配達は辞めておこうと思ったんですよ。
高校を卒業してからも、新聞を配る時間になると飛び起きるってことが何度もありました。
田舎でしたから高校生が安定した収入を得ようと思うと新聞配達くらいしかなくて。コンビニとかレストランなんてありませんでした。マクドナルドやファーストフードも禁止ですしそもそも件数がない。
同じ時期に新聞配達を始めた同級生は10人もいましたが。3年間続けていたのは私だけでした。
若い頃はどちらかというと痩せ型で。格闘技とも喧嘩とも無縁でした。実家や故郷に居場所を失って都会に出てきた私ですが、頼る先も友人も知人もいませんでしたので。
アルバイト情報誌を片手に住み込みで仕事を探すことから始めています。
ラウンジとかクラブや飲食店の運営にも関わった
私は別にホストクラブに勤めたかったわけではなくてですね(笑)。騙されただけですよ。当時の求人雑誌にはホスト募集とは書いていません。
当時は「住込み可、未経験者歓迎、ウェイター募集」としか書いてませんでした。四国で経験のあったラウンジとかスナックのバイト、住み込みだと思って行っただけ。一攫千金も夢も見てません。
住む所と収入が欲しかった。ギリギリの状態で出てきていますから。明日にも浮浪者に転落ですよ。ブラックだとか風俗やホストだとわかっても給料を貰うまではなかなか移動できません。
経営者側も慣れたものでね(笑)。まとまった金を渡すと逃げてしまいますから。何だかんだ理由をつけて天引きしたり、売り掛けを押し付けて出て行かせないようにします。
頑張っているうちに人気になったり、ファンが付いて辞められなくなったり。
私個人は酒もタバコもやらなかったんですよ。
水商売に関わるまでは下戸(げこ)で、ほんの少しお酒飲むだけで頭痛くなった。いわゆる対面式のボーイズバーとかホストクラブってのが乱立するようになったのはバブル期の頃でしょうか?
今はどうかは知りませんが。当時はそういったお店では、お酒を飲まなきゃ仕事を首になったんですよ。
B21スペシャルのヒロミさんなどもそういったお店からの出身者ですね(笑)。私達の時代の時はショーパブとかボーイズバーってのが流行った頃で。働きながら芸人やタレントを目指す人も大勢いました。
客が入れてくれたボトルを開けることで売り上げがあがる。ビールやカクテルなどをバンバン飲ませる。
ただし、お客さんが自分で飲む量なんてたかが知れていますから。従業員やヘルプについた男や女の子がガンガン飲まされるわけですね。
シャンパンタワーのようなものが始まったのもこの頃(1980年代後半)でしょうね。
バブル期の入り口です。今の新宿歌舞伎町ほどシャンパンタワーが派手でも大きくもなかったですが。当時は見習いホストとか売れない連中が手積みしてました(笑)。現在のように出入りの業者が事前にシャンパングラスを積んでくれるようなサービスやシステムは存在していませんでした。
毎日、ゲロまみれっていうか吐かなかった日がないくらい飲んでいまして・・・。
ホストクラブ勤めは嫌気が差して辞めたんですよ。
客の身勝手に付き合うのも面倒だし、徐々にわがままになってくる女性が多い。私の売り上げがあがるようになると嫉妬したり悪口を言いふらして客を盗もうとするアホな同僚とか後輩とかもいて。
自分の話術を磨くわけでもなく、本の一冊でも読んで映画の一本でも見て話題を広げるでもなく・・・。程度の低い揚げ足取りや悪口、誹謗中傷だけを繰り返している人たちをみて。
「このままではきっと自分は駄目になる」「同じ色に染まってはいけない」と強く思ったものです。
食ってくために肉体労働も水商売も接客業も散々やったんですけどね。向上心がないというか他人を羨んで悪口言ったり足を引っ張ることを繰り返す連中がいます。努力するよりも他人のものを奪おうとか、誹謗中傷して手っ取り早く「自分だけが良い思いをしよう」と考える連中はどんな世界にもいますよ?
正直、うんざりした。他人の持ち物とか立場を羨むだけで、自分の欠けているものを補おうとか努力して魅力とか実力を身に着けようとはまったくしないんですよ。
そういった経験がなかったら、私も自分でパソコンとかソフトの使い方を覚えて「自分でホームページを立ち上げよう」とはしなかったかもしれないですね。
そのままなら粘り強く、何かに取り組むような姿勢は身につかなかったと思います。
女性に対する感覚とか意識の違い
私自身にはファンクラブもあったくらいなのでそこそこ人気はあったと思うのですが・・・。すっぱり足を洗ったつもりでしたが、地方に帰った時に生活に困ってごく短期間だけ復帰したことがあります。
店の売り上げの約8割、時には全席が自分の客とかその枝や紹介客で埋まってて。従業員数が30人前後の店のほぼ全員が
俺の売り上げで飯食ってるのかい!
って思ってなんか腹立ったこともある。
そのくせに感謝はせず悪口や中傷ばかり繰り返す連中がいる。身体壊すまで酒飲んで血尿が出るほど頑張っていて、寝る間も惜しんで顧客周りをやっていても。身勝手な連中に振り回されることにもなります。
私は歌が好きでね。それだけがあの業界にこだわった理由です。反目していたり普段は悪口言ってる連中まで聞き惚れて、店が端から静まり返ることがあった。
上手かったほうだと思います。
東京とか大阪にいた頃はその歌声を聞いて、芸能事務所からもスカウトされたことがありましたので(笑)。芸能関係者と多少、付き合いがあったのもその頃ですよ。
もっともそのスカウトに来た人の横柄な態度とか酒の飲み方が嫌いで断ったことがあります。
ですから、その私が「催眠術師として」TV番組に出始めた時、驚いた人は大勢いたと思いますよ?
視聴率が変に良かったのはそのせいだったりなんかして(笑)。
みなさん、お元気ですか?
私がホスト系を嫌がって距離を置いたのは、風俗業に転落する女性を何人も見たから。
甘いのかもしれないですが、私自身はそこの部分がどうしても受け入れられなかった。
昭和の時代にトルコ共和国から正式な抗議を受けて「ソープランド」に名称が変わりました。そういったお店勤務の人だったりファッションヘルスの人だったり。
そういった仕事に従事してる人が来店した場合には抵抗がなかった。
生きてくとか食ってくってのはそれだけ大変でね。住み込みであちこちで働いたことのある私が現実を知らないわけがないでしょう。どんな事情や背景があるにせよ、お金を持って飲みに来てくださるならお客様です。
なぜか、私の前ではそういった職業についていることを隠したがる女性も多くてね。
私自身は気がついてもそれについては一切、触れないようにしてました。
苦しい時代に様々なバイトをしたので社会の裏側とか、そういった世界で生きる人たちがいることは理解しています。ただし自分が積極的に関わって「女性を売り飛ばす」ような行為には加担したくない。
そりゃお金は欲しいですよ。ただ、そういった行為を得々として語る先輩とか同業者や経営者もいたので。結果として女性を食い物にする連中を心底、嫌がるようになりました。
お金を持ってる人とか稼いでる人にサービスして「給料を貰うこと」は恥ではないでしょう。ただし、金欲しさで女性を型に嵌めるとか風俗に売り飛ばすのとは意味合いが違う。
私はおそらく珍しいタイプで。
女性の支払いが増えてきたら「店にしばらく来ないでくれ」と断ってました。
何が幸いするかなんてわからないもので
余裕がある範囲で遊んで欲しくて。借金してとかどこかから強引にお金を引っ張ったり、まして風俗業に転落してまで店に来て欲しくはなかった。
どんなに店が暇だったり売り上げが欲しい時期でも、店に来てくれとは一言も言わないもので・・・。
皮肉なものでそのせいで、かえって人気が出てしまった。人間とは不思議なもので「店に来るな」と断られると来たがる人が多いんでしょうね。
そういった手法はその後の販売においても引き継がれることになります。
流行りの言葉で表現すると「太客」が店で鉢合わせして大喧嘩とかがあって。
辟易した覚えがあります(笑)。
連日飲みに来て支払いが嵩んで大きな負担になることを嫌がっただけなのですが・・・。そうは受け取ってもらえない。「この女が来るから私を呼ばないんだ!」と思い込んで怒鳴り込んでくる人もいましたね。
実は私はその手のお店(風俗業)が苦手で行きません。
昔のお客さんとか、売り飛ばされてしまった女性と姿が重なるからでしょうね。
友人とか知人、上司とか部下、得意先になった人が「どうしても風俗に行きたい」という時は嫌な顔などせずにお付き合いしていますが・・・。私のそういった部分に気づいていない人がほとんどです。
実際には女の子と同じ部屋にいても、話すだけで何もしていませんよ(笑)
仕事等でベトナムとかイタリアとかプーケットや中国にも行ってますが。
不思議なもので「女性をあてがったら相手が喜ぶ」とか「風俗には男なら誰だって行きたい」と思い込む人が多いので。頼んでもいないのに現地の女性を用意されたり。
一緒に風俗店に行こうと誘われたことが結構あります。
用意された女性に手を出さないとか断っているとゲ○だとかホ○だって言い出す人もいますしね(笑)。困ったもんです。
水商売だと相手を貶めたり、上客を奪おうと思うとその手口が一番簡単です。
一時は水商売なり自分の店なりで高い売り上げを残したことがある。
自負とか挟持(きょうじ、プライド)もあるでしょう? 地位とか立場、稼ぎのある女性が「お金を払ってまで」私に会いに来てくれたり、売り上げがトップだった時期もあるのですから。
その私がお金で「女性の身体を買う」のはなんだか違う気がします。
お金もなく野心と若さだけがあった頃です。都会とか水商売で揉まれるうちに鼻っ柱も強くなったり話術もうまくはなった。ただし、最初からそうだったわけではない。
学生時代は生活が苦しかったですから。痩せっぽちで話術も伴っていなくて、腕っぷしが強かったわけでもない。離婚を契機に母親ともうまく行かなくなっていますから、コミュニケーション能力が育つわけもない。
女性と話すことが苦手で歌も超下手くそでしたよ。
その何もなかった頃の私を。好きだと言ってくれたり、選んでくれた女性たちへの深い感謝の念があります。
女性のわがままや自分勝手に振り回されたり、騙された時もギリギリで我慢できたのは。やはり心のどこかに女性に対する憧憬(どうけい、憧れ)と尊敬、感謝の念があったからでしょうね。
学生時代は誰かと話すことも苦手でしたし背も低かった。生活苦でガリガリに痩せてましたしね。それでも、私の場合は運がいいことに、高校卒業直前に20cmも身長が伸びた。今では完全に別人です。
中学校、高校時代の同級生は私に会っても誰も気が付きません。
偶然、遭遇することがあると10歳以上も私のほうが若く見えます。こちらから挨拶すると「お前は歳をとらないのか?」と驚かれたこともある。
身長は多少伸びたにせよ、女性にコンプレックスと強い嫌悪感を抱いていた当時の私を、好きだと言ってくれたり親身になってご飯を食べさせてくれた女性たちには語り尽くせないほどのありがたさを感じていました。
風俗だからとか大手企業の社長や会長の愛人、ヤ○ザの大物に店を任せてもらっていると知っても。大切なお客様であると同時に、私にとっては特別な存在でした。
今考えると、
あんた、チョロいな!
って言われるかもしれないですね(笑)。ただの演技かもしれないのに。
いずれにしても、女性を「買う」という行為は嬉しくはない。あてがってもらうことも不要です。本音は即座に断りたいくらい。ただしそれだと角が立つ。
私も営業や接客業が長かったですからね。
相手はどちらかというと好意でそういった女性を用意したり、私と一緒に店に行こうと誘っているわけですから・・・。それで一切批判めいたことは言わず喜んでいるフリをするわけです。
誘われるとついていきますが、自腹でお金まで払って。なーんにもしないことが殆どでした。
これも初めて公開しますね(笑)。一緒に行った人たちは「自分と同じ」で女性と遊んだとか私が大喜びで参加したと思い込んでいることでしょう。私からすれば単なるお付き合いで、情報収集の場でした。
何でもペラペラ話すものではないから
様々な経験があることを宝石屋とかサラリーマン時代、ラウンジや飲食店の経営に携わったり「催眠術師やカウンセラーになってから」言ったことはありません。
そういった部分はね。話した所で良い効果は生まないんですよ。むしろ偏見とかトラブルの元になります。他の世界の経験がない人には説明しても理解できませんし。だいたいは興味本位の質問を繰り返すだけになります。
それぞれの世界で、専門家と呼ばれるようになったり売り上げではトップを走ったことがある。
私は全部を別物と考えていましたから、職種を移ったら完全に沈黙していました。ですから、こういった話は付き合いのあった女性とか部下、友人はおろか家族や親族でも知りませんよ。
当時、私の付き合ってた彼女の弟が「ホストになりたい」と言い出したりね(笑)。
喉まで出かかりましたよ? 現実を叩き込んでやろうかと。好きで付き合っていた彼女の弟が、そういった世界の現実を知らずに半端に憧れて深みにハマるくらいなら私が全てを教えたほうがマシでしょう?
どこで何の半端な漫画を読んだんだ?
と思いました。
ですが、それをやってしまうと私の過去も話すことになる。ある意味では色んな世界で名前を顔を売ってしまっていましたので・・・。下手に関わると戻ってこいと言われてしまいますから。
義理とかつながりもありますからね。しがらみ(柵)に囚われるようになると逃げられなくなるんです。
ラウンジの経営に携わった時にヤクザとかアンダーグラウンドな連中に襲われたとかね。政治家の秘書にならないかと言われた経験もあります。飲食店では用心棒というかバンサーを兼ねたこともあります。
真っ向からやりあってしまって恐喝電話が頻繁にかかってきたり。店や自宅に押しかけられた経験もありました。当時は暴対法がまだない頃でしたからね。堂々と組の名前を名乗って脅しにやってきたものです。
様々なことがあって。嫌気がさしたので、すべてを引き払って辞めています。
あの喧嘩の強かった兄ちゃんかー!
と打ち上げで再会した有名な「○○○」の幹部の方に言われて。冷や汗を流したこともありました。その方もずいぶんと前に引退されて一般人になっており、偶然、一緒になっただけなのですが・・・。
いわゆる別のお店、高級ラウンジとかクラブの「ケツ持ち」だった人で。一人の女性のスカウトを巡って激しくやりあった後でなぜか気に入られて。「うちの店に来い」と熱心に誘ってくださったことがありました。
好きで身体鍛えたわけではなくてですね。誰も助けてくれなかったので。
度重なる嫌がらせとかトラブルに対処するうちに多少は強くもなった。結局は基礎体力とか反射神経の問題だろうと考えて。誰もが嫌がる基礎訓練や反復練習を毎日繰り返したわけです。
どんなトラブルがあっても。昔の知り合いとか伝手(ツテ)を頼らないことにしています。それは大きな借りとなってしまうから。借りたものは返せと言われるでしょうし、柵(しがらみ)や束縛が増えます。
格闘家と違うのは「そういった世界」では正々堂々となんてのはないですよ。
自宅を襲撃するとか店の帰りを待ち構えて身柄を攫うなんてこともあります。相手が多人数でこっちが一人とか。そのまま行方不明になったり、お亡くなりになった知人もいます。
家族や恋人を狙うってこともあります。だからそういった仕事をしている時には家族や親族、友人にも連絡はしなかった。危険に巻き込みたくなかったからですね。
私の家族とか兄弟、出身地についても教えてませんよ。本名も正確には名乗ってません。
相手がどんな手口でも使うわけですからこちらも対抗策が要ります。そうなると当時としては珍しかった特殊警棒とかスタンガンとか催涙ガス、道具とか防衛方法も使ったり取り入れざるを得なかったわけで。
ネット検索とか通販が発達してた時代じゃないですからね。防刃チョッキとかケブラー繊維で出来た手袋とか色々持ってました。ポケットベルやPHSを使った追跡装置なども揃えていて。誰よりも詳しかった時期があります。
皮肉なのは「その時の経験」が、のちにカルト宗教からの被害者の奪還とかいかがわしい占い師、洗脳騒動を起こす連中と戦う力になったり、催眠術や心理学の知識、応用に繋がっていきます。
私が尾行にすぐ気がついたり、変な連中からの接触に対処できたのは。ただ単に「もっと危うい人たちと」何度か直接やりあった経験があったからですね。
種明かししてしまえば特殊技能でもない。苦い経験で培われた私の警戒心、万が一に備える心が、用意周到さや事前の入念な準備に繋がっただけですね。
私の場合はまず危うい状況下で身を護る方法を探すことから始まっています。
新年ですので若い方たちへのアドバイス
最近になって全文を修正したり。テキストとか古い書籍を公開したためかもしれないですが。ヒット数が増えてます。以前に書いた「私の正体」ってコーナーを読む人が多いので(笑)。
背景とかこういった仕事をやるようになった事情などについても一部、追記しておきます。
何らかの仕事に慣れたものは、だいたいはそれに固執します。
水商売なら水商売、肉体労働なら肉体労働に手を出します。新しい世界に身体一つで飛び込むとか、得た経験が一からやり直しになるのは面倒だったり怖いので「自分が一度、習得したシステム」に縋る(すがる)んですよ。
水商売にも区分はありますので、ホスト系やショーパブから「女性のラウンジやクラブの黒服」にはならないものです。最初に女性を接客する立場になったものは、その時の感覚が忘れられなくなる。
裏方であったり「女性を使う側」にはなりたがらないことが多いですね。
私のように色々なものに手を出すほうが珍しいんですよ。
肉体労働、例えば鳶職とか鉄筋工に就職したものはその流れを追いますし、サラリーマンから水商売ってのはそんなに多くない。SE(システムエンジニア)やパソコンに携わる仕事ををやってた人が。まったく違う業種に乗り出すというのはやはり難しくなります。
前の世界の話をまったくしないで「一から始める」ことには高いリスクも伴います。その時点で再スタートですから・・・。年下の連中に顎で使われたり、上から目線で命令されることもあるわけです(笑)。
おい!谷口!
って呼び捨てにされたりね。
それを我慢したり、実力で乗り越えるにはよほどの覚悟とか勇気が必要ですよ。
私自身、何度も悔しくて泣いたことはある。嫌がらせやトラブルも何度も経験しています。それを諦めることなく乗り越えた人だけが徐々に身を守る術とか精神力を身につけるのでしょう。
私見ですが、時には全く異なるものに手を出すのが正解でしょう。
結局「やってみなければわからないこと」のほうが、社会には圧倒的に多いのですから・・・。
田舎というか四国の地方都市に住んでただけだとね。おそらく都会の現実は見えなかったでしょう。水商売だけやっていたら真面目なサラリーマンとか営業職の苦労も理解できない。
ネット検索が発達した現代では何でも知ってるつもりになる人は大勢いますが(笑)。商売や仕事上の大事な部分、いわゆる秘伝とかコツを。
安易にネットに晒している「玄人」(くろうと、職人や商売人)など一人もいませんよ。
述べられているのは「自分の仕事、本質に影響のないほんの一部」だけになります。