お互いを尊重する、それが対等の意味(116ページ)
私は自身のカウンセリングの基礎は「そういった感覚にある」と思っています。相手を見下ろすのではなく、また逆に相手を哀れむ必要もないでしょう。
過去にあった自分自身の体験やそこに関わった思いに根差すものかもしれませんね。落ち着いて自分の立場や経験に置き換えてみれば、そこには悩んでいる人の原因やトラブルの根本が見えてくると思うのです。
相手を哀れむのではなく、また自分が傲慢になったり高圧的になるのではなく、相手の立場を考え背景を読み、問題の根本とその問題がこじれてしまった「感情の元」になっているものを考え探すように心がけます。
解決に時間がかかることもあり、糸口を見つけるのに苦しむ場合もあります。
ですが、 諦めず依頼者や相談者と一緒に悩み苦しみながらも懸命に探すというその行為そのものが、力ウンセリングであり忙しい現代社会において、求められていることではないでしょうか?
カウンセリングは一種、自分を写し出す鏡のようなものなのかもしれません。他人の相談にのる行為は、自分の心の中を視き込む行為に似ています。
過去にあった出来事や症例、 自分の学んだ知識のみならず、自分の関わった過去や体験、自分が抱えていた昔の思いまで引っぱり出している場合がありますから・・・。
この本において本来は話の筋とは関係のない私の生い立ちとか過去のトラブル、恋人とのやりとりや多重人格のことを載せたのは、そういった部分を読者に理解して欲しいと願ったからです。
こういった時代の背景でしょうか? 現在、カウンセラーを目指す人は年々、増えています。その内の何割かは催眼などにも興味を持ち、私の所へも学びたいといってきます。
大切なのは、相手と同じ目線に立つことだと思います。決して相手を見下ろしてはいけない。相手が大人であろうと子供であろうと、また女性、男性、どんな職種、環境においてもそれは同じでしょう。
弱い立場にある人に自分から高圧的になる人、また逆に 「可哀想に」としかいえない人など、元々カウンセリングという職業が向くとは思えないんですよ。そのどちらもが相手には失礼になります。
どんな環境や職業、立場にある人であろうと、常に自分が同じ立場、同じ人間であることを自覚し理解する必要があります。
相談に「のってやってる」のではなく、お互いが問題解決のために「話し合う」くらいのつもりでないとうまくは行きません。状況を把握して原点を探る作業が重要なのであって、そこに余計な干渉や上下関係は不要です。
実社会におけるトラブルの多くはそういったわずらわしい人間関係、対人問題から生じてきます。
私にすれば今回は「たまたま」私が相談にのっていますが、いつ逆の立場になってもおかしくはないと思うのですよ。それぐらいに考ればちょうどバランスがとれるように思います。
「可哀想に」も必要なければ「私が何とかしてやろう」などと大上段に構えたり誰かを見下ろす必要もないと思います。様々なケースに閨わっていると、いつ、誰に、何が起きてもおかしくないんだと徐々にわかるようになりますから・・・。
悩みを抱える人の多くは普通の人であり、何ら変わりがないのですから。医者やカウンセラーが悩まないかと問われれば悩みますよ(笑)。ウチに相談に来られる専門家や医療関係者だっています。
自分が相手とまったく同じ立場であると理解できれば、そのような勘違いや錯覚は起きなくなるでしょう。
私のこれまでの経験とかここで述べたような感覚が、これから「催眠を覚えよう」と考えたり、カウンセリングを目指す人の少しなりとも参考になれば幸いです。