生活をがんばっている皆さんへ
現在、仕事や恋愛、子育てや介護、学校に通ったり、自分の生活や家族を支え懸命に生きている皆さんへ。がんばって下さい。
社会には様々な思惑と出来事があり、良い事ばかりとは言えません。嫌な事もありますし、悪意にぶつかる事も多々もあります。苦痛もあるでしょう。悲しい場合もあります。
でも、負けないで下さい。
人は皆、真っ白な存在として生まれます。一人では何もできないのです。立つ事もできず、這う事もできない赤ん坊が多くの人々に支えられながら成長し、前に進むのですから。
苦しんでいることが恥ではない。悩んでいる事、迷っていることが恥なのでもない。自分で考え、選び、それでも前に歩もうとする意思こそが人々を育てるのです。
誰かに頼り他人を当てにして前世にばかり縋っていたら何も切り開けません。
正解を「教えてくれる」と考えて占い師を探し歩いたり「私の過去(前世)に問題があるから助けて」と考えてブクブク太ったスピリチュアルカウンセラーを拝んだり前世催眠術師に金を払うよりも。
そのお金で。子供や旦那さんにパンツの一枚でも買ってあげなさいって。そのほうがよほどご利益もありますし、神の御心に叶うのではないでしょうか?
自分で失敗しながらでも懸命に歩く人のほうが私は好きです。
臆病で怖がって何も失敗をしない人達よりも、何かを拝んで一時の安らぎを得ようとする人よりも、現実社会の中で躓きながらも精一杯、歩き続けようとする人のほうが遥かに素晴らしく立派な人達なのです。私はそのような人達がとても好きです。
前世は「在る」のかも知れません。あるいは「無い」のかも知れません。様々な経験と知識を通し、私にもおぼろげにながら見えるものや感じる事はあります。
私も時折、前世は「在る」ように感じます。
不思議な出会いや偶然とは思えない出来事もあり、正直、判断に迷う所はあります。
だからといって本質を見失うべきではないと思っています。現世に今、生きている私達が必要以上に前世にこだわるよりも「自分に何かできることはないのか?」を真剣に考え、前に進みたいと思います。
前世にこだわる人の多くは、現世における自分のトラブルや悩みと向き合うことを嫌がり、自分の弱さを認めず努力することを厭う人達です。
そんなことを繰り返していたら、結局は誰か都合よく誰かに操られますよ?
自らの意思を持たないもの、努力や研鑽を怠って逃げるもの、誰かに自らの将来とか未来を手渡してしまう者に待っているのは例外なく「破綻」です。
「前世催眠さえかければ人生はバラ色になる」「悩み事や精神的なトラブルは簡単に解消する」そう煽っている者の多くが自分でも「それ」を信じていません。
連中の日々の行いや生活をみればわかります。そいつらが何の悩み事もなく素晴らしい生活おくってるように見えますか? 家族や親族までを含めて全員が幸せそうに過ごしている?
連中のホームページとか活動内容、生活態度や文章を眺めると。どうもそうは見えないんですけどね?嘘っぱちですよ。要するに誰かを騙して金が欲しいだけですよ(笑)。
カリスマや預言者を気取り「未来や前世がわかる」とほざいている者の多くが。他者(相談にくる者や悩む者)には高圧的で我慢や浄財を求めますが、自分は贅沢をして欲望にまみれるものが殆どです。イエス・キリストのように荒野でボロを纏う者は一人もいないでしょう。
美食に溺れ肉欲に走り、でっぷりと太ったり愛人を抱えて高級車を乗り回す連中が、偉そうに前世や神様の言葉を騙るもんじゃない。私はそう考えています。
そういった自称預言者様やスピリチュアルカウンセラー様や凄腕の占い師様や神様? よりも。日々の生活を頑張っている市井の人達、単なる一般人で学生で父親で母親で会社員の人達のほうが、よほど立派で「神のご意思」にも適います。
妙な連中を教祖だ神だ預言者だと崇めて大金を貢ぐよりも。我が子のために懸命に働いたり、恋人や家族を思いやって花束やおみやげの一つでも買って帰る人のほうが。
「前世が見える」「前世催眠が出来る」などと煽っている連中より何倍も優しく、家族や仲間を思いやり、愛情があるのは間違いないことだと私は信じています。
イエスの言葉の意味
番組出演などを重ねていた時は何度も執拗に「うちの幹部にしてやるから参加しろ」「あなたもそろそろどこかへの所属を決めないと」ってメールが届きました。中には洗脳騒動を起こし詐欺で捕まったものまでいます。
全てが前世のせいになってしまえば人は何の努力もしないでしょう。全ては神様や前世とやらに事前に決められて縛られてしまっており、現世における努力は必要ないのでしょうか?
催眠をかけ、前世がどういった物であったのか知るだけで全てのトラブルがあっさり解消するとはどうしても私には思えません。まして、生まれつき重度の障害や、身体的なハンデを背負っている人に催眠をかけ、それで彼等が救われるとでもいうのでしょうか?
ここを読んでいる方は、イエスの弟子や二千年前の人達が考えたように、前世で本人やその家族が罪を犯したから「あなたは足が動かない」「目が見えないんだ」と受け取りますか?
だから「(現世において)罪を償え」「不自由にも我慢しろ!」「仕方ないんだ」と皆さんは迫るのでしょうか? それだと人類は二千年も前から何も進歩していないことになります。
ちなみにですがイエス・キリストは、存命で活動期間中に私腹を肥やしたとの記述はありませんよ? 現世における自称神とか預言者とか凄腕の占い師? のように豪邸にも住みませんでしたし美食を楽しみませんでしたし、愛人とセックスしてたとの記述はありません。
妻帯もせず、荒野で粗食に耐え厳しく自分を律していた側でもあります。
宗教を食い物にして肥え太る教会とか司祭を嫌っていましたし、人々を救うよりも教義にばかりこだわり、安息日を厳密に守れと言い張る頭の固い「パリサイ人」を糾弾する側でもありました。
それどころかお供え物や貢物を売っている商人、ショップの行為に怒って打ち壊すことまでやらかしています。「神の子である私にお金、貢物を持って来い!」とは正反対で。神の名の元に商売をしたり祭壇に捧げる生き物を神殿前で売っている人達にまで激怒して、大暴れした記録が残っているのです。
イエス・キリストがその言葉の中で、「この人ではなく、この人の両親でもありません。神の御業がこの人に現れるためです」と言ったのはなぜなんでしょう?
それはもしかしたらこういった意味なのかも知れません。
前世も家族も関係ないと・・・。だから、現世において「懸命に生きなさい」と・・・。だから「この人の罪ではない」と言い切ったのではないでしょうか?
私からするとそう解釈したほうがしっくりきますし、好きですね。
新訳聖書における彼(イエス・キリスト)の言葉の中には弱い立場の者や何らかの障害やトラブルを抱える人間に対する深い愛情が感じられます。
逆らったのは支配者とか権力者、当時、神の名前を利用して私腹を肥やしていた人達に、なんですよ。社会的な弱者とか貧困者、まして「障害を持つ人」「そのご家族」ではありません。
ですから、一連の受け答えは相手を見下したり、悪く考えての言葉ではないように感じます。
これは、聖書を読んだ上での私なりの解釈です。
この解釈を他人に押し付けたり皆が同じに受け取る必要はないと思いますが、そう考えれば少しは嬉しいですし救われるような気もします。
全てはケースbyケースで、広い範囲で学び、考えて下さい
私は催眠において、これが絶対、などという方法はないように思っています。
状況によって様々な症例やケースがあるのだと思います。それは簡単に括ってしまえる物ではなく、その時々によって反応や現れるものは違うように感じます。
私が体験したような不思議なケースもありますし、「ブライディ・マーフィーを探して」またはブライアン・L・ワイスが書いた「前世催眠」のようなケースもあるのかも知れません。
間違えないで欲しいのは本を一冊読んだり知識としてそれを知った瞬間に「そうに違いないんだ!」と思い込んで安易にそれを実践しようとしたり、そちらにばかり傾倒しないで欲しいのです。
「あなたの所でもやるべきだ」と勢い込んでそういった内容のメールを送り付けられるとがっかりします。この人は「私のホームページの何を読んだのだろう?」と・・・。
だからこのコーナーを立ち上げ、私の考え方や方針を示しました。
ここでもう一度、はっきりと私の考えを述べておきます。
1.前世があろうとなかろうと、それに執着してしまう理由がない
2.精神的な悩み事やトラブルが前世を知るだけで全て解消するわけがない
3.障害を持って生まれたことが罪ではないし、前世とはまったくの無関係
だからやりません。専門家や催眠術師を名乗りながらそういった手法を安易に煽っている連中を、私は心の底から軽蔑しています。
残念ながら世の中には悪意も数多く存在します。相談にのってやると持ちかけながら実際にはトラブルの種を持ち込む者、自らの欲を満たすためにのみ熱心な者もいます。
誤った先入観から誘導を行われれば、それはまた違ったトラブルの火種ともなるのです。自らの生活や行動を振り返る事を忘れ、努力や研鑽を怠るなら未来なんて開けませんよ。
私は認めませんし、自分でやるつもりは毛頭ありません
ストレートに言っておきますが、私は前世催眠を売り物にしたり被験者を募集するような連中を一ミリも認めていません。
今現在のご家族のことや生活を考えず、前世にばかり目を向けて何の意味があるのですか?
前世で「あなたの夫(妻)が罪を犯したから夫婦生活がうまくいかないんだ!」と言われたら離婚しますか?
殺人事件が起きる都度に勝手にしゃしゃり出てきて「あれは前世で云々」と言い出すブクブクに太ったスピリチュアルカウンセラーもいますよ?
「あなたの子供が前世で罪を犯した!」「いずれ殺人犯になって多くに迷惑をかける!」と言われたら? 首を絞めて殺したりどこかに捨ててしまうのですか? それが神の御心に叶うと?
本当かどうかわからない前世、つまり他の第三者が確認することもできない前世や「過去世」なるものにしがみついたり、責任をなすりつけることがどれくらい怖いことかわかりますか? 殺人とか子殺し、障害を持つ家族を安易に捨ててしまうことも安易に正当化してしまうことになるんですよ?
生きてゆくことそのものが苦労の連続です。トラブルもあれば体調不良だってある。我が子や家族が事故に遭ったり病気にかかったり障害を背負うこともある。
「あれは前世が」なんて言い出す輩の話が正当化されてしまったら。そういった人達の面倒を誰が診ますか?
面倒になって捨ててしまうのではありませんか? その行為にどこに「神」がいますか?
そりゃ古(いにしえ)の昔から悪魔と呼ばれるもので。良心を売り渡すことで富や繁栄を得ようとするもの、地獄の劫火で永遠に焼かれるべき連中でしょう。
大切なのは他者に対する思いやりです。
施術者側、つまり「催眠を行う側」がどう考えどう思っているかも大切かもしれませんが、むしろそれ以上に大事なのは相談者(被験者)側の願いであり思いです。
どういったことで悩み、どういった方向性を望んでおられるかを知り、相手の意向や感覚を捉えること、それを補助する事がカウンセリングや催眠においては大切だと考えます。
場合によっては私の担当したケースのように前世の記憶らしき物がよみがえる可能性はあります。ですが、それは可能性とかたくさんある症例の一つで全てがそうとは限らないのです。
催眠を学ぼうと考える人は、安易に何かの方法や手法に傾倒してしまって片寄った知識や感覚を手に入れるのではなく、広い範囲で知識や経験を得て下さい。
反対に施術を受けようと考える人は、「一瞬で悩み事が解決する!」「私が解答を教えてやる!」などといった宣伝文句で煽る診療所とか施設とかおかしな占い師や詐欺師を信用するのではなく、共に手を携えて悩み事を真剣に考えてくれる人達を大切になさってください。
それは本来はカウンセラーでなくてもいいのです。親族でも家族でも恋人でも友人でもいいんです。
おそらく、社会に本当の意味で求められているのは有名な占い師でも著名なカウンセラーでも「前世を覗ける人」でもない。あなた自身を見つめ、あなた自身を必要としてあなたを真剣に思う方、あなたを大切にしたいと思っている方こそが、あなたのもっとも正しい理解者です。
大切なのは肩書きでも技術でもない。その人への「思い」なのです。
前世や催眠を変に崇めて自分が現在抱える問題やトラブルから逃避するのではなく、自らと向き合い、問題を解消するためにそれぞれにあった技術や手法、施設や方法を選んで下さい。
悩みや苦しみを持つ人が、少しでも楽になれるかどうか? 一人でも多くの人が自分に合った方法を見つけられるかどうかが本来の目的となります。
催眠などの技術、心理学の応用、宗教の概念、様々な人々の指針が、誤った感覚で利用されるのではなく多くの人の力として利用されることを願っています。
2004年04月08日 初稿
2017年12月11日 改訂
谷口信行