前世についての考え、イエス・キリストの答え
実は私は前世(または退行催眠、前世まで遡れるという主張)について、まったく重要視していません。ですから自分の所では行っていないのです。
また、今後も積極的に行うつもりがありません。
確かに実体験としては幾つかありますがそれらは多くの症例、長く施術を行っていれば起こってくる担当ケースの一つ、様々に生じる現象の一つとして捉えています。
ブライアン・L・ワイスという方が書いた「前世療法」を読み、そうに違いないと考えたり、そういった内容の信奉者からすれば、「あなただって実体験や霊体験が数多くあるのに、そんな考え方をするのはおかしい!」と言って来られるかも知れませんが、私には私の考え方があります。
これまでまったくそういったものに触れなかったのに、ここでわざわざオカルトなどと一緒にされたり、誤解を生む可能性や危険がありながら前世療法などに触れるのは、練習会に訪れる人の中にもそういった物に急速に傾倒する人がいるからです。
占いや宗教的な概念、カルトのような集団生活や高額な支払いを押し付ける輩もいる。
正直に言いますが、私はそのような人を好みません。
理由は後で詳しく述べますが、前世に傾倒し現実の問題の解決を全てそちらに押し付けることは、結果として新たな差別やトラブルの種になります。
またその行為が精神的、肉体的な障害やトラブルと懸命に向き合う方やご家族を馬鹿にしかねない部分があり、とても賛同できないからです。
「先生。彼が盲人に生まれついたのは、だれが罪を犯したのでしょうか?」
「この人ですか? その両親ですか?」
イエスの弟子の行った質問について、その意味をもう少しわかりやすく補足して説明しておきます。生まれつき目が見えない人がどこかで「罪」を犯す筈がありません。
生まれたばかりの赤ん坊が、それも生まれつき目の不自由な人がいきなりどこかで何の罪を犯しますか? 何かを盗む? 誰かを傷つける? あり得ないでしょう。
目の見えない赤ん坊が自ら行動して何らかの罪を犯し、誰かを殺したり神の教えに逆らう筈はないのです。それはどんな人にでもわかることですからそう言っているのではないと思われます。
この質問は現世、つまり今の「赤ん坊」の状態ではなく、前の世代、つまり「前世」で何かがあって誰か(ご本人、ご家族を含む)が罪を引き起こしたのではないか? という問いかけです。
その結果として子供が「目が見えない障害を背負って生まれてきたのではないか?」と考えている人が何人もいたことを指し示しています。
私にはその考え方が受け入れられません。なんという驕った考え方だろうと思います。
現世において障害を背負わなかった人達は前世で善行を行い、障害がある人や障害のある人達のご家族、面倒をみる人達は罪を犯した悪人扱いなのですか?
誰かが前世で何かの罪を犯し、それを現世において償っている、何らかのハンデを背負って生まれてきたのは「この人達の前世の行いではないか?」と問い掛ける弟子に対し、イエスはこう答えています。
(ヨハネによる福音書9章3節)
「この人ではなく、この人の両親でもありません。神の御業がこの人に現れるためです」
私がここでこの挿話、聖書の一節を引用するのはその真偽を問うのではなく、当時の思想や背景です。
繰り返しておきますが、この挿話は何千年も昔の話です。
2000年も前から「人間には前世はある」と考えた人達がおり、肉体的なハンデや精神的なトラブルを負って生まれてくる人を「この人達は前世で悪い行いを行ったから、現世で罪を背負ったのではないか?」と考えていたことを示しています。
ここでこの話をわざわざ引用したのは。数千年も前からすでにそういった考え方があった、ということを皆さんに知ってもらいたいたかったからです。
前世が重要なんでしょうか?
人間全てにそういった前世があり、前世で罪を犯したから現世が苦しいのだ、ハンデキャップを背負って組まれてきたのが、といった考え方は非常に危険で息苦しい物に感じます。
考えてみてください。もしあなたのお子さん、ご兄弟が障害を持って生まれてきたと考えてください。
何らか障害を持つあなたのご家族、お子さんに何かの罪がありますか?
無垢なまま生まれてくる赤ん坊に罪があるのですか? 障害を持つことは恥で「その人(達の前世)が悪い!」と健常者(この表現も好きではないですが)が一方的に見下ろして罵るのでしょうか?
私が前世前世と言い張ったり、それを崇める連中を嫌うのはあまりにも傲慢で身勝手だからです。
この科学全盛でDNA治療まで行われている時代に。そういった偏った考えで障がい者を中傷したり「お前たちに罪があるんだ」と言い張る感覚にがっかりします。
それも「前世」ですよ? 誰か確認できますか?
スマホやネットは何のためにあるのですか? 障がい者を誹謗中傷するためですか? あるかどうかもわからない前世に縋って誰かを貶めるためですか?
そういった連中の前世に関する考え方が。何らかの肉体的なハンデや、難病に苦しむ人達を「お前達が罪深いからそういった状況に陥ったのだ」と、最初から決めつける行為にも等しいからです。
なんでそんな言葉で括ったり、決めつけたりしなければならないのでしょう?
百歩譲ってそれが実際に正しいとしましょう。前世がありその前世で何らかの過ちや間違いがあったために現世でハンデを背負ったとします。
それを現在、懸命に自分の障害や病気、ハンデと向き合って生きている人達に告げるのでしょうか?
「お前の前世での行いが悪いから、お前はそうなったんだ」と?
それでは生きる力を失いますよ。側でサポートしている人達まで気力を失います。
酷い話ですよ。そういった暴言を吐く連中は身体には障害が無かったとしてもきっと精神に欠陥がある異常者でしょう。
肉体的に障害を持って生まれたというその一点だけで勝手に相手を見下ろしたり罵れると勘違いしてます。
そういった感覚の人に素晴らしい成果を残す仕事をしていたり、売り上げを伸ばしたり才能がある人なんていないようにも思いますけどね?
それを平気で相手に告げられる人は前世がどうこうなどと論じる以前に、人間としてもっとも重要な優しさや思いやりを失っており、非常にごう慢な人だと感じます。
私は不思議に感じます。
前世、前世と言ってくる人は最近多いようですが、前世がそんなに大切なのでしょうか?
それならば人はなぜ前世の記憶を失って生まれるのでしょう? そんなに大切な物であるならわざわざ失う必要などないでしょうに? 神様だってその部分は残すと思いますよ(笑)。
色々な説を唱えてきて私を説得しようとする人も現れるかも知れませんが、私は認めませんよ。
正直、スピリチュアルだの前世だのと煽ってる連中は人として屑だと思っていますから。
もし世の中に前世という物があったとしても。もう一度、人として生まれ変わることを許され、過去の記憶を失って新たな生を受けるとしたら、それは前世などにこだわらず「今を精一杯生きなさい」という神からのメッセージではないでしょうか?
そういった考え(前世があって罰が当たったなどと唱える連中、前世さえ知れば現在のトラブルが解消すると煽る)連中にお聞きします。
あなたがたの信じる神様は試練ばかり与えるのですか? 罰ばかり当てて「我を拝め!」「拝まなければ障害を持った子供が生まれるぞ!」「生まれ変わったら障害者になるんだ!」と脅すのでしょうか?
人は無力なままで生まれます
前世が「あるかどうか?」などは大切ではないですよ。
殺人鬼や犯罪者は全て前世に問題があるわけですか? では、現在偉人と呼ばれる人達は前世で行いが良かったからなのでしょうか? この世に生まれてからの努力は関係ない?
殺人鬼に殺されてしまった人は同じく「前世で悪いことをやったから、次の転生では惨たらしく殺されることが決まっていた」と言うのでしょうか? それこそ馬鹿馬鹿しいですよ。
まあ、今のところ私は「神様にも」会ったことがありませんが・・・。
自分を神だとか預言者だと偽る、詐欺師とかペテン師には大勢会っています。
彼らが自分を神だと言い張るのはご勝手ですが。震災を予知して大勢を救ったとか「不慮の事故や事件、震災で」亡くなった人達を次々と復活させて生き返らせた、なんて実例は知りません。
後出しジャンケンで「地震を予知していた」と言い出した恥知らずや屑は何人もいます。
「前世で悪いことをしたから目が見えないんだ」「悪いことをしてると、あんな子になって生まれてくるよ!」と障がい者を罵るのですか? それが神のご意思だと?
私は無神論者でどういった宗教にも関与しませんが、もし神と呼ばれる存在があるならばそんなに浅い存在であってはならない。それだけは間違いないと思います。
人が赤ん坊として全てを忘れて白紙のままで現世に生まれるのなら「そこからがんばれ!」と言っているようにも思うのです。
もし神がいるとしても人の運命が最初から決っており、その決まりきった筋書きの通りに歩かせるために存在しているとは決して思いたくありません。神という存在がもし本当にあるならそんなに狭い心で人間を玩んで(もてあそんで)いるのではないように感じます。
私からするとそのような感覚、脅しや契約、見返りで人間を縛って操るならば、それはむしろ古(いにしえ)から言われる悪魔の姿に重なるような気がします。
人は赤ん坊の頃に何の記憶も力もないままに生まれてきます。真っ白な状態で生まれ、誰かの介助を受けないとどこにも行くことができず、何もすることができないのです。
他の動物とは違い、外敵から身を守る術も持たずすぐに立つことすらままならない。1年もかかるんですよ。人間の赤ん坊が成長するには必ず大人の庇護者を必要とします。
どこかに放置されれば簡単に死ぬでしょう。誰かの愛情とか何かの保護を受けないと決して成長することができない。それが人間です。
そこから成長を遂げることは、何より素晴らしいことで難しいことだとも思います。
私個人はクヨクヨと前世にこだわるよりも現世に生を受け、誰かの愛情や保護をもらって、大きく育つことのほうがよほど奇跡的で凄いことで意味があることのように考えています。
私達が今ここで生まれ、様々な悩み事を抱えながらもこうやって生活していることは、私達が思うよりももっと素晴らしいことで難しいことなのかも知れません。