一部は徹底的に否定されました
実は「ブライディ・マーフィーを探して」という本で書かれた内容については、その後、研究者から徹底的に否定されたのです。
物語の主人公になった女性が、3、4才の頃に実際にアイルランドに住んでいたことが分ったからです。
子供の頃からアイルランド地方の方言や言語に慣れ親しんだに経験があってその地域の知識や言語を無意識下に貯えており、誘導者が過った誘導方法や方向性を用いたため、それらをつなぎ合わせてもっともらしい話に作り直された、と考えられたためです。
日本にはこれ以上の記録がなくて、おそらくは海外での情報を元に翻訳したものでしょう。その後、アメリカでは「ブライディ・マーフィーが本当に実在したのか?」が徹底検証されています。
当時29歳だった主婦のヴァージニア・タイという人は実在しており写真や催眠時の録音テープも残されています。ただしその彼女の内側にいたはずの前世の人格、ブライディ・マーフィーとその家族は存在が確認されないまま現在に至っています。
「第二の記憶:前世を語る女 ブライディ・マーフィ」は古書扱いで絶版となっていて入手は困難であるため、概要を知りたい方はウィキペディアなどを参照されてください。
退行催眠における前世の出現を「まがい物だ!」と決めてしまう研究者の多くは、そういった事例(ブラッディ・マーフィーを探して、など)を参考に出して来る人が多いですね。
特に日本においては、昔(1970年より前)から催眠を勉強された研究者にはそういった意見が支配的ですね。そういった道を志ざせば一度は触れる知識ですから・・・。「そんなものは絶対にない!」「ああいったおかしな誘導を行う者がいるから我々が迷惑するのだ!」との意見も根強いのです。
確かに催眠の持つ側面には、そういった問題を抱えています。
催眠においては偽りの記憶症候群という少々やっかいな問題を抱えており、その現象が実際に起きたものなのか、誘導方法の誤りや指示によって生じるものか見極めるのが難しいのです。
ダニエル・キース著の「24人のビリーミリガン」などの多重人格の問題なども、それこそ初期の頃は徹底的に否定する研究者が多かったのです。
現在のアメリカにおいては多重人格の存在については肯定的な意見が多くなっているようですが、専門であればそれら「偽りの記憶」についての詳しい知識があるため、安易に「被験者がそういっているから、きっとそうに違いない!」とは決められなかったのでしょう。
ブライディ・マーフィーの騒動は全米でも大きく取り上げられています。キリスト教系の人達は前世を否定する人が多かったのでセンセーショナルだったのです。
結果として催眠誘導、ビリー・ミリガンのケースにおいても深く、影響を残したと言えます。
開業当時、私が体験した不思議な出来事
私は正直に言いますと、前世催眠についてはかなり懐疑的です。ただ、だからといってそれらを簡単には否定できない実体験を幾つか持っています。
長くこういった特殊な仕事や技術に携わり多くの経験を積めば、様々なケース当たりますよ? そういったものの中には「前世なるものがもしかしてあるのではないか?」と思ったものもあります。
もうかなり時間も経過しましたので、一例を紹介しましょう。
私が大阪の心斎橋で診療所を開設した当初(1996年、現在の事務所とは所在地が異なります)私の元にある男性が訪れたことがあります。
その男性はある企業の跡取りになります。かなりの地位と学歴、肩書きを持っている方で、ある意味においては成功者といっていいでしょう。昔はその地域の大地主とか名士と言われた家系で地元の方なら知らない人はない、という家でした。
事業や収入においては他人の羨むだけの成功を納めていると考えていいでしょう。
彼は自分の立場をよく理解し、努力と研鑽(けんさん、自らの力で自分を磨くこと)を欠かさない人でした。いわゆる世間知らずのボンボンとかただ単に跡を継ごうというだけの人ではなかったです。
こういった仕事をやっていればわかることですが、精神的な悩み事=貧乏とは限らないですよ。
金銭的に満たされていても苦しんでる人はたくさんいますよ。第三者からみて羨むような成功を納めていたり、地位や財産を得ていても悩む人はいますよ。誰しもが自分の心の中に闇は抱えているものですし、ただ生きているだけでも苦しみや悩みは抱えているものです。
そのバランスをとるために人は様々な努力を重ねます。
(後で詳しく触れますが)仕事上のトラブルや問題、地位や財産、何かの成功を望んでいたのではなく、彼自身のプライベートな問題で自分が悩んだり、苦しんだりしている部分があって、そのために私に相談にみえたのです。
その依頼者と知り合ったのは偶然です。専業になってカウンセリングや催眠の看板を掲げて事務所を構えるようになっても、いきなりそれが軌道に乗ったわけでもありません。
当時の私は開業して間もない頃で、施設の運営費や家賃の支払いなどを抱えていて生活がとても苦しかった頃です。苦肉の策として宣伝も兼ねてあちこちのお店に招かれてショー催眠を行っていました(笑)。決して自らが望んだ訳ではないのですが、背に腹は代えられなかったので。
その頃の騒がしくやりづらい場所での実演が後の番組出演などに活かされているようです。それはおかしな巡り合わせというか皮肉にも感じますね。
そのお店の一つにお客として通っていた方が私のことを信頼してくださり、診療所に相談にみえたのです。ショー催眠とカウンセリングは微妙に異なるのですが、やはり多くの方の目の前で実演を行うというのは説得力もあるもので。そこから訪れてくれる方が増えました。
その方に催眠誘導を行い始めると私が何の指示も与えていないのに、あっという間にトランスに陥りました。正直うろたえました。当時、私の持っている知識と経験ではそこまで早くトランス(この場合においては深い催眠状態)に至る筈ではなかったので・・・。
まだカウンセリングの経験量が足りない時代だから驚いたのです。
わずか数秒です。崖下に「落っこちる」といった表現が適当でしょうか?
深い催眠にはかかっているのに、瞼(まぶた)の下での眼球の運動が非常に活発でクルクルとかなりの速度で左右に動き続けています。
被験者がこういった状態に陥るケースでは、被験者が意識下で何らかの強烈な夢や幻覚、イメージ映像を見ていることを指します。
過去に大きな事故や病気で死にかけたり、麻薬中毒患者や薬物中毒になった人にも似た傾向が出ます。当時、そこまでの知識のなかった私ですが、それでも様子がおかしいことだけは理解できました。
過去に多重人格(私の著書などを参照)などの難しいケースを担当したことのある私は異常反応の恐さはよく知っています。呼吸停止した女性を蘇生させようと、深夜に真っ青になりながら人工呼吸を繰り返した経験を持っています。
少なくとも今回の場合でも、施術者側が何の聞き取り調査も心の準備も用意もなくそのまま深化を続けていいようなケースには受け取れませんでした。
そこで私は彼にリラクゼーション用の暗示だけを与え「すっきりと気持ちよく目を醒まします」とだけいって、すぐに催眠を解きました。他には何の指示も誘導も行っていません。
心の中にある出来事や被験者が「見た内容」を聞くことも、その場では一切行わなかったのです。
すると彼は(かかった時と同じように)あっさりと目を醒まし、何事もなかったかのように「あー、すっきりした! 気持ちよかった。感謝します」とだけいって、私の元を立ち去りったのです。
急に現れた「前世」と語られた話の要約
その後、話は意外な展開をみせます。
それは彼がその日、家に帰ってから起こったそうです。
家柄の古い旧家の跡取りですから、家はかなり立派な建物です。昔風の土蔵などがそのまま残っており、ご両親もかなり厳格で格式のある家と考えていいでしょう。
家で家族と食事をした後、彼は急に自分の意識を失い「私は第何代当主の◯◯である! お前達に言いたいことがある!」と家族に向かって語りだしたそうです。
家族は最初、彼が何を言い出したのかわからなかったようです。彼は急にスックと立ち上がり、いつもとは違った口調で何かを熱く語り始めた模様です。
彼はこれまでにそういった振舞いに及んだことはありませんし、おかしな内容を口走ったこともありません。それらは家族や友人の証言ではっきりしています。
被験者の年令は当時で32,3才だったと思います。少しずつ地盤を固め、いずれは会社の跡継ぎか地元の代議士にでもなるべき人でしょう。父親や先祖からの遺産であるとか、格式を受け継ぐ立場で家族や親族、社員も期待をかけていたと思います。
普段の彼は、そういった奇異な行動とか言動とはほど遠い部分があった。
彼があまりに明確に多くの人物名を口走り、(過去にあったらしい?)事件についてのあらましを詳細に語り始めたので、親族は半信半疑ながらその内容を書き留めたそうです。
彼が語った話を要約するとこうなります。
彼は前世でその家の第○代の当主でその地域の領主で結婚して館を構えて住んでいました。その館に住んでいる時に、好きになった男性に裏切られる形で恋愛が終わってしまい、それを怨んだ彼はその恋人を刀で斬殺してしまったそうです。
断わっておきますが、依頼主は男性ですよ。
依頼主は男性ですが、その前世?で本当に好きだったのは男性で、その男性が自分(当主)を裏切ったのでお手討ちにした、というのが語られた内容の大筋です。
時代背景から考えて時期的には江戸の初期から中期の頃でしょうか? 衆道とも言いましたが日本においては当時、男性が男性を好きになることは過ちだとは考えられてはおらず、戦国時代などには侍の作法、儀礼として奨励する人々も多くいたそうです。
今では考えられないことでしょうが。織田信長などは近習に伽(とぎ)を申し付けた、などという記述が数多く残されています。
これは戦国の習いで女性は戦場に連れてゆけませんし、女性を巡ってのトラブルや内通を恐れたのでしょう。江戸期に入って徳川の世になっても三代将軍家光などは男性にしか興味がなく、世継ぎが生まれるのが遅くなったと言われています。
元々ね、彼(現世の相談主ですよ)の相談も好きになった男性(恋人)が自分を裏切ったり、嘘をついたりするのを見ると相手を殺そうと考えるくらい腹が立ってしまう。その憎しみが押さえきれず暴走してしまうのが怖い、といった相談だったのです。
そのうち「自分が本当にそういった行動(要するに殺人ですね)を行うのではないか?」と考えて相談にみえたのがきっかけだったのです。