友人ってなんでしょう?

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心の持ち方一つで苦にも楽にもなる

自分で決めるものです

ボトル アイコン私からすれば、以前からの古い友達が私に会った時に「奢れ!」って言うくらいはまだ可愛いモンなんですよ。

私の現在の生活が楽チンとか収入が一般人に比べて極端に多いって訳ではありませんが・・・。それでも馬鹿騒ぎ出来る場所や一緒に飲める連中がいるのはいい。精神的なバランスを取るために必要なら多少金がかかっても構わないかも知れないですね。

その馬鹿馬鹿しい行為には、あまりにも深い悪意があるわけではないから。

単純に考えれば、私は彼等に利用されているのかも知れません。たタダ酒が飲みたいだけかも知れませんし、店の売り上げに協力して欲しいだけかも知れません(笑)。

だからといって遠ざけますか?

私がたまに思い出し「アイツらのとこに飲みに行こう!」と考えたり、相手が「よく来たな! 一緒に飲もう!奢れ!」と大騒ぎできるだけでも、私は幸せなのかも知れませんよ?

私は「友人であるかどうか?」は相手ではなく、自分が決めるものだと思っています。

多少ごう慢な言い方ですが、相手がどう思っているなんてどうでもいいんですよ。

アイツらはもしかして、私のことを友人だとは思ってないのかも知れません。ただのカモで都合のいいお客さんだと思っている可能性もありますよ? ですが、いつもそんなことばっかり考えて相手と付きあっていればすぐに煮詰まってしまいます。

疲れるでしょ?

飲んでてもつまんない。相手を一々疑うのは面倒ですし大変です。必ず見返りがあるとか台頭な立場でなんて「大人同士のお付き合い」でも、なかなかありえませんよ?

得意先とか仕入先、編集者でも散々飲み食いして知らん振りなんて普通にあります(笑)。接待は必ず見返りがあるとか契約が成功する架け橋ではないから。捨て銭とか無駄金になるものもありますし、腹の立つ相手、最初からこちらを利用しようとかピンはねしようとして近づいてくるのだっています。

その全てを疑ったり精査していたら。結局は後手に回ってライバルに先を越されるでしょうね。若い人には理解しがたい部分もあるかもしれないですが。

成功する人とか仕事でうまくいく人は「見切り発車」や「出たとこ勝負」も多いですよ(笑)。Microsoftのビル・ゲイツなんかも。IBMから「OSを作ってくれ」って言われた時に手元のは現物がなくて。慌てて原型を買いに走ったり、技術者を抱え込んだって逸話もありますから。

まして私生活においてまで、相手が常に「友達だと思ってくれているから」「私も友達だ」などと考えていたら、息苦しくって仕方ありませんよ。相手を信用できずに苦しむくらいなら、多少利用されたとしても信用してみるのもいいとは思いませんか?

私個人としては、その程度の度量や器量はあってもいいと思っています。

私としてはそれくらいに考えるほうが気が楽です。仲間とか古い友人をむやみに疑って酒を飲んだり苦しい思いはしたくない。だったら最初から行かないほうがいい。

いい歳して若いお姉ちゃんに騙されて金貢ぐ人だって社会にはいっぱいいるのですから・・・。それに比べたら安いもんでしょう? 気晴らしってのはそういうものです。

反対にですが、私は嫌な奴とは金もらっても飲みませんよ(笑)。奢ってくれるったって行きません。疲れるだけですから。それなら自分で金払って勝手に飲みます。

人間関係は立場とか金だけで割り切れるもんじゃないですよ。

人間はロボットではないですからね。所詮は「感情」で、その感情が満たされる場所とか相手。シュチエーションがいいのです。

人間関係ってのは不思議なものですね

「奢ってもらえるなら何だって構わない」と思う、さもしい方も世の中にはいらっしゃるとは思いますが、それは悲しいですよ。

いつもそういった感覚の人だと周囲からは徐々に人が減って、ついには誰にも相手にされなくなります。若い内は多少は我慢して貰えますが、気がついた時には周囲には誰もいなくなります。

「金さえ払えば人がついてくるか?」と言えば、必ずしもそうではありません。時折見かけませんか? お金持ってて高級店などを飲み歩くのに、なぜか寂しそうなおじさんを。

ああいった人達はある意味器用な人達ですよ(笑)。あちこちで大金支払いながら嫌われたり孤立するんですからね。普通は慕われますしモテますよ?

金も持ってない普通のおじさんなのに、なぜかホステスさんや部下から好まれる人もいます。

私はあちこちで派手に遊ぶ金があるのに寂しそうな顔してたり、腰ぎんちゃくみたいな連中しかついてこない人、「僕はなんて孤独なんだ」と口癖のようにつぶやく人を何人もみてきました。

孤独にしてるのはその人自身の身勝手ですよ。相手を信用しないで使い捨てにしてきた結果ではないでしょうか? その傲慢さとか身勝手さが態度や表情に滲む。だからお金持ってても敬遠されるのです。

なのにそういった人に限って自分のそういった部分については無視するんですよ。全てが他人の責任で周囲が「私を支えてくれない」「俺は一人で寂しいんだ」が口癖です。

自分が孤独で寂しいと思うなら、自らが先に家族や友人、知人、仲間を助ければいいのに。身体が不自由だとか動けないわけでもない。下手をすれば他の人より地位やお金、自由に動かせる立場や組織がある。なのになぜか、自分だけが孤独で助けてもらえないと愚痴ります。

馬鹿じゃないんですかね?

誰かに助けてもらった人は感謝くらいしますよ? 確実な見返りとか報酬は得られないのかもしれない。それでも周囲に対して優しさと配慮を忘れない人が完全に孤立化して誰からも相手にされない、なんて見たことがありません。

その人達が言うような「一人で寂しい」状態になんてなってませんよ。必ず友人や仕事仲間、家族や恋人、誰かが側に居たり連絡をするようにはなってます。

自分からは何もリアクションを起こさず、何かしてもらっても当たり前だと考えている。感謝の言葉の述べません。そりゃ孤独にもなるでしょう? 身勝手なんですから・・・。

私は自分がそうなってしまうのは、やはり悲しい気がします。いくら仕事で成功しても一緒に喜んでくれる人が一人もいないなら寂しいですよ。そして、それは男として恥だとも思います。

ですから地元とか古い繋がりも大切にします。私個人には何のメリットもない人とでも一緒に騒ぐ事はある。それは別に利害関係とか不自然なことではなくて、私の心のバランスをとるために必要な作業なんです。相手のためにやってるのではなく、結局は自分のためなんですよ(笑)。

かく言う私も、昔はよくあちこちで奢ってもらいましたよ。お金がまったくない時に色々な人に支えてもらったことはあり、今も感謝しています。

そういうのはね。順番なんでしょう(笑)。

最近は奢ることもありますが、それは私も歳をとったので立場上であって。私が誰かを支える側になったということですね。

私は、あいつら(古い友人)の性格知ってますからね(笑)。私は自分にお金が無いときにはお店に行きませんし近寄りませんよ。わからない人にはわからないでしょうが、「男としては」時折、見栄の張ったり馬鹿騒ぎする場所もあっていいんですよ。

少なくとも「ここだけは」パーッと飲んだり、見栄を張れる場所や帰る所があるのは悪いことではないんです。

利用し合うものではなくて支え合うもの

ワンウェイ アイコン最近、仕事にかまけてて地元にも帰ってませんけどね。そろそろ、一度くらい帰ってみましょうか? まあ、いつ帰っても変わらないでしょう。「飲ませろ!」「奢れ!」は彼等の口癖です。

相変わらずだとなぜかちょっと安心します(笑)。歳を取るとお互いに飲む量が減りましたね。私は水商売の経営にも携わっていましたので、それこそ浴びるように飲んでいた時代があります。

ビールくらいじゃ酔わなかったり。ブランデーや弱い酒では納得しなくなってワイルド・ターキーとかハーパーなどのバーボンばかりストレートで煽ってました。殆ど北方謙三の世界(笑)。

経営に携わっていた時は、自分の店が襲撃されると聞いて木刀取りに帰ったり。身体鍛えていたのはそのせいです。これももう遠い昔になったので暴露してしまいますが・・・。後ろ盾がない学閥や支えてくれる組織がない、学歴がない私のような人間には「力」が必要だったんですよ。

若い頃は空手とか合気道とか喧嘩の強さにも頼った。誰にでも暴力を振る側ではなかったですけどね。自分の店とか仕事とか収入を守りたかったから。身体鍛える前はね。理不尽に殴られたり女性を盗られたり、店の厨房にいただけの男から「給料を俺に寄越せ」って脅されることもあったんです。

悔しい思いや寝られない夜が私にもあったわけで。

私も「誰かに利用されるのが嫌だから」身体とか精神力を鍛えた側です。それが一歩進んで体力とか喧嘩以外に心理学とか催眠「術」とかネットスキルやパソコンも学ぼうに繋がっていきます。

人間はいつか衰える。その衰えた時に喧嘩自慢とか昔話だけでは対処しきれないでしょう?

ですから動画編集もやればWordPressも多少は使える。レビュアーとして徐々に上位者になったり、文章やテキストを書いたり「催眠術」も使えるようになったわけです。パソコンなんてブランドタッチなんてできませんでしたよ。指一本で打ってた側ですね。

最初から何でも出来る男なんて存在しません。油断して転んで怪我をして、誰かに裏切られたり利用されたり、煮え湯を飲んでやっと「頑張らなければ」という自覚、勇気が湧くだけですよ。

社会には多くのトラブルがあります。嫌な出来事や理不尽な思いもあります。仕事をやってれば納得できない思いや苦しい思いもあります。そういった感情を自宅に持ち帰りたくない場合もあります。

気分の切り替えが難しく誰かに当たってしまいそうな時もある。

女の人は「すぐに帰ってこい!」と言いがちですが、多少は多めに見てあげて欲しいですね。親しい家族や恋人、奥さんだからこそ見せたくない姿、苦しい感情もあるものですから。

得意先のおっさんとか実力もない世襲社長に、一方的に罵られたなんてことを男が家族に話せますか? 理不尽な要求など世の中にたくさんある。飲んで忘れて家庭や翌日に持ち越さない。ワーッと騒いでカラッと忘れて次に進む方法だってあります。

「友人ってなにか?」と問われるなら、私は即座に「自分が飲みたい時」「遊びたい時や気分転換をしたい時」に一緒にいられる奴と答えます。

まあ最近は体調不良、年齢のせいで酒を飲まなくなったので一概にそうとも言えませんが(笑)。酒や飲み会は無くともいい。ただし、少なくとも何かの見返りを求めて出かけることははないですね。それでは利害関係で仕事の延長になってしまうから。息抜きになりませんよ。

対人関係で悩んでいる人にならば、友人とは「社会との繋がりだ」と答えるでしょう。家族や学校、恋人や奥さん、子供、兄弟、友人知人、様々なネットワークが「その人」個人を繋いでいます。

そういった「社会との繋がり」がまったくなくなれば、どこからも孤立します。

メル友とか携帯友達なんて言葉もあります。最近だとLINEとかフォロワーでしょうね。正直、古い世代には理解しがたい部分もある。別にその人に会う訳でもなくただ単にメール送ったりブログやTwitterをフォローしただけで「なんで友達なんやねん?」と思う部分もあります。

それでも彼等は彼等なりに社会との繋がり、友人との距離や関係を保とうとしているのでしょう。

「友人」と「ただの知り合い」「仕事仲間」との違いは紙一重です。時に重複もしますよ? それでも知人と友人との違いは感覚的に違いがあります。

その分け目は「お互いの心の距離」だったりもします。ご本人の考え方一つで別れるんですよ。

関西弁だとこう言います。

「あいつは俺のツレや!」

「俺が友達や、ちゅうんやから友達や!」

漫才みたいですけどね。それが真実だと思っています。

一方通行でもいいと思いませんか? 私の自己解釈ルールです(笑)。

「俺がツレやと思ってるからツレ」「友達や!」

身勝手ですが、それでOK。