長年運営をやってると、辛いことだってありますよ?
まあ、連中と飲んでるのは確かに楽しいんですが(笑)。私にしても誰にでも同じ対応で、片っ端から奢って歩いている訳ではありません。相手にしたくない連中もいて明確に線は引きます。
以前にひとりごとのコーナーにも書きましたが、これまで何年間も連絡すらなかったのに番組に出た途端「奢ってくれ!」「芸能人の連絡先教えろ!」などと電話がかかってきた経験がありますよ(笑)。
私は長年、実名でホームページの運営やってますからね。nobee.comという独自ドメインも持っている。私からは別れた女性とか友人知人や同級生に連絡がとれませんが、相手がその気になればいつだってメールを送ってくることはできる。SNSやTwitterより簡単ですよ。
中には私を袖にして他の男の元に走ったり、結婚しているのに連絡してきた女性もいます。それが一人ではない。哀しいというか何というか・・・。私に何を求めているんでしょうね?
中には番組の関係者に嘘を言って連絡を求めた人もいます。二十歳代の頃に北新地で黒服やってた頃の恋人でしょうか? この人はおかしな新興宗教にハマっていた人で。最後は男作って出てった人です。
その人が「どうしてもあの人に連絡を取りたい」と電話してきて。インターネットのホームページのアドレスを教えたら「私がインターネットなんて出来るわけがないじゃないですか!」と逆ギレされたそうで(笑)。当時はスマホとかありませんからね。
これは携帯やスマホにカメラ機能やメール機能がついて。気軽にいつでもメールが送れるようになる前のお話です。私が始めて番組に出始めた1997年の頃にはスマホなんてありませんから。パソコン持ってて多少は知識がないとメールが送れなかったんですよ。
正直、これが連続するのは寂しいです。私と別れたことを責めるつもりなどは毛頭ありません。その頃に何らかの幸せを願って、私以外の誰かを選んだのでしょうから。
ただ、自分でその頃考えて選択したことなら自分で責任を持って欲しい。
当時、私を信頼出来ないとか信用しなかった人が後から親友とか仲間顔、まして恋人のふりをしてまで連絡してくるのはさすがに嬉しくないですね。
そこには私がもっとも苦しい時期とか支えて欲しい時に去ってしまった人達も含まれます。
何事もなかったかのように連絡してきたり、新しい商品(CDとかDVD、通販で取り扱うようになった特殊な商品)を当たり前のように「ウチで扱わせてくれ」と言ってくる人が多いことに驚きます。
長い時間かけて勉強したり培った末での技術だったり、兄があちこちの企業のサポートやデータベースをコツコツと行う事で販売を任された権利や仕事です。
お金に殆どならなかった障害者の雇用問題にずっと取り組んできたから繋がったもの、信頼を得るのに長い時間がかかったものもある。片手間で簡単に取り扱えるようになったものは少ない。苦労して努力してやっと掴んだものも多いのです。
いわば地道な活動やお金にもならない仕事、ボランティアを続けてきてやっと身に付いた技術や信頼関係、取り扱い商品だったり知識だったりするわけで。
ネットで浅はかなパクリを繰り返してる連中とは違うのですが・・・。
やっぱり、私はそんな人達と会おうとは思いませんが・・・。苦しい時期に励ましのメールの一本でもくれた人なら話は別ですが。私は辛い時期とか苦しい時期でもこのホームページを何年も維持してきています。苦しい時に励ましすらなかった方々が私の友達なのですか?
それは違うと思いますよ。それが一人や二人ではなく何人もいることに驚きます。
同じ図々しさでも、故郷の悪友連中は違うと思いますよ。
他人との距離に悩む理由
確かに言ってる内容は図々しと言えば図々しいですが(笑)。彼らは昔からの知り合いです。中学校や高校の同級生もいます。
年齢を重ねるとね。いつ帰ってもまったく同じ対応をしてくれるのが、何となく嬉しかったりもするものですよ。
番組出演とか書籍が出たことを知って連絡してくる元カノとか自称お友達とか親密な関係を強調する人達とは多少、意味が違うのです。
あまり悪意がなくて、苦笑いする程度なのでお付き合いしています。
きっと昔からの友人も何人かみてるに違いないのでここで一言、言っときますが、そりゃいくらかは飲ませてやってもいいけど、多少は感謝してたまには「値引きせい」ちゅーねん!
私の場合には仕事の都合で実入りに乱高下があるから、お金持ってる時ばかりじゃないので(笑)。
地元の友達の話とか子供の頃の話はこのホームページにはあまり載せていません。インターネットというのは便利な半面、トラブルや炎上も付き物なので。私が運営を開始した1997年にはネットリテラシーやネット炎上という言葉も、個人情報保護法やスマホ、Googleも存在しませんでした。
家族のネタは一緒に仕事をしてきた兄のことだけ。それに絞ったのは運営を開始した1997年の時点で近い将来にはそういったもの、個人情報を表に出すことでトラブルになったり、面倒事が起こる時代が来るのではないか? と予想したからですよ。
これも時間が経ったから言えるのですが。結果として時代は私の予想通りになりました。
おそらくですが、私が会社の所在地や事務所だけではなく安易によく行くお店とか立ち回り先、住所や出身学校を載せていたら。そこに直接、押しかけてくる連中も大勢いたでしょうね。
開始した直後からカルトとか怪しげな連中もいっぱいいましたので。相当に注意して用心したんですよ。初期の頃は出張の予定なども載せていたのですが。留守中を狙って自宅に侵入者があったり、私がいない時と狙って掲示板を荒らすなどの行為があったので取り止めています。
そこまで配慮していた私が。ここでわざわざ、こんな話を持ち出すには訳があります。
メールで送られてくる相談の中にですね「友達がどうもできない」「他人とどう触れ合ったらいいのか、わからない」って内容が結構あるのです。
そういったことに悩む理由は簡単なんですよ。
自分が「相手の顔色をみて」それに応えようとするからです。
意味がわかりますか?
相手が「自分のことをどう思っているのか知りたい」と思うのは人の常です。少なくとも催眠や心理学に興味を持ち、私のホームページの愛読者であるなら多少はそういった気持ちもあると思います。
私も同じですよ。他人が自分を「どう見ているか?」「どう考えているか?」を考えてきたからこの仕事をしていますし、このサイトが存在しているのでしょう。
組織や会社での自分の立場、恋人への恋愛感情や家族への思いも含めて、周囲には「自分のことを理解していてもらいたい」と願うものかもしれないですね。
で、相手の顔色を伺ってしまう。
これが結構疲れるんです。
それはおそらく、相手が「あなたを大切だと思っている」ことが伝わってからリアクションを起こそうと思っているからです。それも意図してのものではなく「無意識のうちに」でしょう。
ひどい対応とか拒絶を受けたら傷つくでしょう? ですから相手の本心とか対応を確認してからでないとリアクションが起こせない。それを繰り返すから疲れるのです。友達に「なってください」という以前に先に「この人は裏切らないかな?」と計っていることになります。
誰だってフラれるのは怖いし悪く言われるのは嫌でしょう? だから相手の顔色を伺ってしまう。恋愛でも友達付き合いでも一緒で、できれば確実なルートで安全な道筋を歩きたいものですよ。
確認する前に動くのは勇気が必要ですから。誰しも自分に直接向けられる悪意には傷つくんです。
友達の基準
その気持ちはよくわかります。誰しも利用されたり嘘をつかれるのは恐いですから・・・。私が本来なら語りたくもない過去の失敗例とか、別れた女性からの連絡をここに綴ったのは。
「私も失敗や苦しい思いの連続」だったからですよ。あなただけじゃない。
誰かに友達や友人のふりそして近づかれて結局、利用されたり嫌な思いをするなら誰にも近づいて欲しくは無いでしょう。まして過去に一度でも嫌な経験があるなら尚更、そうなってしまう。
友人というか人との付き合いは、常に対等で居たいんですよ。その対等な筈の人に嘘をつかれたり一方的に利用されたら嬉しくありません。
相手を信用して裏切られることになれば、そういった人の裏切り行為ばかりではなく、安易に相手を信じた自分自身をも嫌いになってしまう。ですからどうしても慎重になります。
ただね、人との付きあいや友達を選ぶ基準がそればかり、要するに「自分を裏切らない」とか「信用出来る」ことだけになってしまえば、意外なことに自分の心のバランスがとれません。麻雀で安全牌という表現もありますが。常に約束された楽な道筋ばかりを歩むと成長はしないのです。
「相手が自分をどう思っているかどうか?」とか、「こいつは俺を裏切らないだろうか?」ばかり考えて相手を選んだり付き合うのは結構大変なんですよ。
全てが駆け引きになってしまいますから・・・。
相手の心とか、今後の対応に期待して何かを決めることはとても疲れることです。期待と異なる対応をされた場合、期待が大きかった分だけ苦痛も増します。相手を責める言葉も増えるでしょう。
また、傷つくのを恐れて相手との距離を保とうとすると相手も距離をとりますよ? そういうのはニュアンスで伝わったりもする。遠慮してこちらに踏み込めなくなりますから。
すると、どうしても孤独になります。
忘れてしまう人も多いですが、恐いのはお互い様なんですよ。あなただけが恐いのではありません。仕事ばかりでななく恋愛においてもそれは同じなんです。勇気がなければ何も始まりませんよ。
基本的に人は相手にもできれば「自分を好きでいて欲しい」と願います。
おそらくそれはそれは恋人や家族、友人だけでなく「これから恋人になりたい」「友人になりたい」人達、仕事や学校、生活における新しい関係性をも含むでしょう。
他人との付き合いをまったく必要としない人は社会には存在しませんから・・・。何らかの理由で自分のキャラクターをそう作っている人もいますが、それは過去に辛い思いがあってそれを「隠したい」と思ったり、自分を「守りたい」と願うから、そう振る舞っているケースが多いでしょう。
山の中でたった一人で暮らす人はいないんですよ。浮浪者というかリストラとか諸事情で路上生活者となっても、人は人が群がる場所に集まります。
一人で居るのは寂しいですし、辛いんですよ。赤の他人の雑踏でもまったくないよりはマシな場合もあります。路上生活者が街中で暮らしているのは食料の確保が容易だからだけではありません。人間にとって山の中とか無人島で自給自足で暮らすほうが、精神的には苦痛になります。
また人は歳を喰うとね、段々、臆病(おくびょう)にもなります。
生活で知り合う人の多くは利害関係が絡みます。仕事絡みであったり、何らかの繋がりがある人からの紹介であったり、金銭や上下関係も絡みやすいのです。
何の利害も絡まない子供とか学生、若い頃とは明らかに異なってきます。
本当の意味での友人っていうのはね、年々作りにくくなるんですよ。
新たな繋がりを作ったり、人間関係に乗り出すのは億劫(おっくう)にもなりますし、何の利害関係もない友人ってのはなかなか知り合うきっかけがありません。