なぜこだわったのか?
私がなぜこの文章にこだわったと思いますか?
催眠の解説書や指導書にね「被験者には権威を与えなさい」って書いてある本が多数あったからです。ですから私にとってこれまで、権威と権力は同義語でした。
なぜなら、その「権威付け」と呼ばれる知識を齧った連中がごう慢で不遜な態度になり「私を尊敬しなさい!」「私を信じさえすればいいんです!」といった内容をあちこちで強制するのを目の当たりにして、吐き気を催したからです。
私はそのような感覚をかなり嫌っています。
私の後で物まねを始め催眠に関するホームページを開設した人の中には、恥ずかし気もなく外国人と肩を組んで写真を撮ったものを飾ったり「私には助手が何人もいます」と書いたり、忙しそうにスケジュールを捏造する者もいます。
「私は大きな団体を組織しています」「アメリカで資格をとりました」など並べ立てているものもあり、私の催眠における「権威に対する感覚」は地に堕ちることになりました。
その雑誌「WEDGE」(ウェッジ)の話を引用するならば、「権威」を「与える」って発想事体が間違っていることになりますね。
権威は「与える」ものではなく、相手(催眠の場合なら被験者)が自然に受け入れたり、感じ取るものでしょう。何かの演技とか肩書き、背景を利用して「脅す」ことは権威づけでも何でもない。
その話の通りだと仮定するならば「権威」とは、その人の人柄や業績、能力や魅力に周囲が「魅せられて」自発的に何かに従ってしまったり受け入れてしまうことを示し、誰かが強引に「何かを見せて」尊敬しろと迫ったり誇るものではないということになります。
催眠における「権威付け」とは元々、そういった意味に近かったのではないでしょうか?
どこかで勘違いした人が権威と権力を混同してしまい、権威付けとは相手に対して「威張り散らすことだ」と思っていたり、白衣を着て現れることやホームページ上で「何かの資格」や「地位」(外国人との写真)をちらつかせることだ、と思い込む愚かしい人が増えたのでしょうね。
いったい、いつから歪んでしまったのでしょうね?
残念な話です。
私の読んだ本(催眠に関する指導書)でも「権威が必要だ」とは書いてあります。「被験者に権威を与えなさい」と書かれている本が殆どで、権威とは何かの解説は無かったと思います。
そのせいで勘違いが増えたようにも思う。ウェッジの解説を信用するならば権威を「与える」という表現そのものが誤りです。
やはり人柄も大事
「水が浸透するように心をとらえる」っていうのは凄い表現ですね。
理想に近いでしょう。自発的に相手の心をとらえ、信頼と尊敬を集めるならばきっと誘導も容易くなると思います。ラポールの究極の形にも似ています。
それが可能になればきっと瞬間催眠も簡単に行えるように感じます。
自著の「催眠術師のひとりごと」の本でも書きましたが、私が常々主張する「催眠は相手の心を理解し、自然に相手入り込むために存在する」「うまくなりたいならテクニックを捨てて相手とまっすぐに向き合うように」と微妙に重なる部分がありますね。
やはり、催眠誘導やカウンセリングにおいては人柄とか姿勢が大切だと思っています。
最初の頃から何度もホームページで書いてきましたが、その人の持ち味とか個性があってこその技術であり知識です。中途半端に技法ばかり多くなってもろくなことにならないでしょう。
私の「権威」に対する理解は浅かったかもしれません。ですが、催眠を学びぶために必要な心構えや考え方は間違っていなかったことになります。結局、同じことを主張していたことになりますね。
空手とかボクシング、お花やお茶などでも同じですが、心のこもらない「テクニック」だけでは上達はありません。形だけ真似るのが秀達とか練習とは思わない。
心構えや自覚があってこその技術です。
技術や才能も大事だとは思います。ただしその根底に流れる精神とか指針、方向性や思いを理解して何かに取り組むほうが、より本当の「権威」には近づけるのではないでしょうか?
威張ることとか、相手に高圧的になることは権威とか尊敬には繋がりません。何かを形だけ真似てうまくなったつもりでも、それで高圧的になり周囲に自慢すれば嫌な感覚しか産まなくなるのです。
空手やボクシングを「やってるから偉い」のではありません。
暴力を振るうことに用いない、青少年の育成をやっていたり優秀な選手を育てていたりタイトルを獲れるように厳しく「自分を摂生、自己管理」を行う姿勢が、周囲の尊敬や憧憬(憧れ)を集めるのです。
八百長疑惑のチャンピオンが徹底して嫌われたり叩かれるのはそれがインチキだからです(笑)。
一般人が憧れるのは、本来はタイトルとかチャンピオンの肩書きではない。
その人が苦労しながら実力で勝ち取った頂点、頂上を仰ぎ見て尊敬するのであって強引に「誰かのヘリ」に便乗して頂上に達した人はそれに入らないのです。
実際には、山を登る姿とか苦労しながら歩いている途中の過程も大事なのです。
人柄も含めて、本当の意味での「権威」が身に付くといいですね。
ダースベーダーになってしまった人
皆さんはスター・ヴォーズって映画、観ました?
私は見てきました。「エピソード1 ファントム・メナス」って映画ですが。良く出来ていましたね。面白かったです。
今回の話では、アナキン・スカイウォーカーって子供が「ジェダイの騎士」になろうとする話なんです。(スター・ヴォーズについてまったく知らない人は誰かに教えて貰って下さい)
この話、何部作にも分かれているんですが公開の順序が逆になっていまして、今回公開の「エピソード1」よりも先に、本来はストーリーの後になる筈の部分が何年も前に公開されています。
エピソード4(後に、新たなる希望との副題が付けられました)の公開は1977年です。帝国の逆襲がエピソード5に当たります。(日本公開は1980年6月28)
初回の公開は私が11歳の頃ですから小学校でしたかね?もうすでに二十数年も前の話なんですよ。ジョージ・ルーカスは日本にキャンペーンに来ていて、一回目がコカ・コーラのキャップ、次が日本製の電気掃除機片手にタイアップしたこともあります(笑)。
後半になるとわかるのですが「エピソード1」では、希望と夢に燃える「アナキン坊や」が修行の末に人々を守り、正義のために働く「ジェダイの騎士」になる筈だったのに、途中からフォースの暗黒面に囚われ「ダースベイダー」といわれる悪の化身になってしまう話なんですよね。
「ダース・ベイダー」はその大きな力(この映画ではフォースと呼んでいます)と影響力を持って、ジェダイの騎士を次々に倒し抹殺して行きます。
催眠でもね、残念なことにその「暗黒面」に囚われ「ダースベイダーもどき」になる人が時折出てきます(笑)。
私にとってはとても笑い事じゃないんですが・・・。