コミュニティの心理学2

スポンサーリンク
事前確認、checkをしてから判断

コミュニティにとって「迷惑な」者

DO NOT ENTER アイコン社会とかコミュニティの懐(ふところ)は意外に深いんです。どんな極端な行為や行動も双方が同意の上であったり、他人に多大な迷惑をかけない場合にはあまり深く干渉しません。

その多くは許されるんですよ。

特に日本ではその傾向が強い。パーソナルスペースのコーナーでも触れましたが他人と距離を起きたがる傾向があります。

相手を許しを得ないと簡単に中には入ってこない。日本人はシャイだとも言われますが、それは同時に他人の趣味とか嗜好に必要以上に干渉しないことを意味します。

礼儀とか礼節とも言いますし、相手に対する配慮だと言ってもいいかもしれないですね。悪く捉えるなら遠慮ですし「心の壁」(催眠では心理障壁)が厚いんでしょうね。趣味で釣りやってようとアニメヲタだろうと、それが直接自分の生活や仕事に悪影響を及ぼさないなら無視します。

ただし、比較的緩やかで踏み込んでこない日本人の社会においても、絶対に許されないケースもあります。それが悪質な勧誘であったり誰かを傷つける行為ですね。他人の趣味嗜好に必要以上に踏み込んで来ない国民性だから、自分の嗜好を無理に押してくる連中を嫌がります。

その人の行動や行為、存在が多くの人を傷つける場合、その「コミュニティ」全体にとって迷惑で有害になります。そうした行為を行う人の場合、その人本人が「私は正常だ」とどんなに言い張った所で認められません。

異常か、正常であるかを分けるのは「その人本人」でも、裁判所や医者が提出した鑑定書でもありません。実際には社会に迷惑をかける行為そのものが、その人と社会とを隔てる壁となるのです。

双方が暮らす「コミュニティ」において、多大な迷惑をかけたり苦労をかける、まして誰かを殺したり、身勝手な理由から傷つけていい筈がありません。

その行動を行った時点でその人は異常者と呼ばれます。どんなに言い繕ったり誤魔化してもそれは決して社会では受け付けられないのです。

夜中にガンガン大音量で音楽をかけるとかね。ベランダで毎日のようにタバコを吸う。吸い殻をどこにでも投げすたり、自分の信仰する宗教を近隣住人に押し付ける。スケートボードで廊下を滑ったり子供が大声で毎日のように叫んでいたり、毎日、夫婦で大喧嘩していたら困るでしょう?

ゴミを散らかすとか捨てる日を守らないとか些細なことまでを含み始めます。社会生活における些細なことの積み重ねでも不満は高まりますし、そこに明確な悪意があって危険が及ぶとか家族に実害があるということになれば。誰も歓迎はしませんよ。

そういった連中が後になって自分(達)の権利を主張することなどおかしいのですよ。守るべき義務、社会の一員としての自覚が最初から欠落しているのですから。

自らの人権を主張するならば周囲の人達、特に社会的な弱者の人権をまず守らなければならない。子供たちや乳幼児、社会的な弱者を傷つけたり虐待する、殺すのは許されないのです。

アメリカの刑務所においても、子供をターゲットにした犯罪を繰り返したものが最下層に置かれることは先に述べました。マフィアの一員であっても普段は父親だったりもします。

自分が収監されている最中に家族、家に残してきた奥さんや幼い子供が強姦されたり殺されたらと思うから、そういった激しい対応にもなるのでしょう。命の駆け引きをやっててあっさり殺される世界だからこそ守っているものもある。歯止めが一切効かなくなりますからね。

赤ん坊や乳幼児、障害者や高齢者、妊婦や子供、女性を無差別に傷つけたり殺したものが、罪に問われた時だけ自らの人権を主張するのがおかしいと思います。

怖さがあることで警戒心が働く

Facebook 四角 アイコン恐怖とは、自らを守るための一種の安全弁でありセンサーです。恐怖心というセンサーが働かずに警戒音が鳴らなくなれば故障です。異質な者とか異なる雰囲気の者を警戒するのは動物としての本能ですから、本来ならばそれが鳴らなければならない。

ところがね、これが最近ぶっ壊れている人がいます。生まれた時からスマホやネットがあって情報端末機器や検索に慣れた子供たちに多いです。最近はインターネットとか携帯電話の出会い系サイト、TwitterやSNSで知り合って、殺されたりトラブルに遭うケースも増えています。

これは恐怖、すなわち一種の安全弁でありセンサーである筈の感情、自分を守り他者から遠ざける筈の感受性や理解力、生物として備わっている警戒心が乏しい人が増えたことを指します。

恐怖とは、未知の者に対する自然な感情なのです。

会って話をした訳でもないのに、掲示板とか携帯電話で何度かやり取りしただけで相手のことを全てわかったようなつもりになる人が増えています。やはりそれはおかしいですよ。相手を見てもいないのに・・・。

また困るのはそれほど長い文章のやりとりをしたとか、一定の期間を置いたわけでもないのに安易に出かけて行って被害に遭っている実例があります。2017年に起きた座間市の連続殺人なんて典型ですよ。

優しさは美徳なんですが・・・。SNSやTwitterで「自殺したい」と書くと多くのレスがつきます。やはり心配してくれる人もいますから。ただし、本当に死のうとしているのではなくそういった書き込みを繰り返すことで同情してくれる相手を誘い出し、強姦したり金を奪おう、中には殺そうと最初から考えて計画を練っている連中もいるわけですから・・・。

相手のことを何も知らないのです。どんな嘘でもつける。あまりにも便利なツールに慣れすぎている。自分の周辺、例えば親とか兄弟とか学校の友人ならそれほど悪意のある人なんて存在しませんよ? せいぜい内緒にして欲しいことをたまにバラされる程度です。

ところが実社会は違う。ネットやSNS、Twitterを使っているとその境界線がわからない。いつも友達や家族と連絡をとっているのと同じような気軽さで世界中と繋がってしまいます。

相手がヤクザとか犯罪者組織の一員、カルトとか人身売買の連中である可能性もあるわけで。警戒心や恐怖心が薄れてしまい報道で何度危険性や事件が何度流されても、自分だけは「ああいったトラブルにはならないだろう」と漠然と捉える人が増えています。

そういった人にこちらから心配して懸命に警告を行っても無駄になってしまいます。ご本人は途中から空想の世界に行ってしまっていますから・・・。自分にとって素晴らしいことばかりが起こって何の危険もないかのように錯覚してしまいます。その種のトラブルが毎日のように報道され、現実に起こっているのに「自分自身とは関係ない」ようにも思いがちです。

バーチャルやネットの世界であっても相手は人間ですよ。お互いが人間である以上、会ってみないとわかりませんし、実社会のルールとか取り決めはネットの世界でも同じことなんです。

恐怖とは、一種の想像力なんですよ。

想像力があれば自分や家族にも当て嵌めます。警戒もしますし注意もします。もし「自分や自分の家族がそのような被害に遭ったらどうしよう・・・」と想像するからです。

少なくとも多少の用意とか防止策はとるでしょう。何の警戒心も持たず、家族や友人にも行く先を告げず初対面で会う相手とどこかに行けば、殺されたってわかりませんよ。

誰も気付いてくれませんから。何らかのトラブルに見舞われる可能性は高まります。以前から私が催眠の依頼をするとか、どこかのサイトで面談を受けたり相談する時に「必ず記録を残すように」と口を酸っぱくして言ってる理由です。

警戒心と思い込み、そのバランスが難しい

天秤 アイコンもっとも、そういった想像力が欠如(欠けている)している人には、こちらからいくら真摯に話しかけても時間の無駄です。理解できませんから。というか自分の気にいらないことは聞こうとしません。恐怖が存在しないというより自分に都合の悪いことは認めたくないんでしょうね。

トラとかライオンが隣にいる、と気が付かない人もいます。無闇に草むらに手を突っ込むと「毒蛇に噛まれる」との想像力とか危機意識が働かない人も存在します。

「そこには毒蛇がいるかもしれませんよ」と警告してくれたり、注意してくれた人のほうを怨んだり悪く言ったり中傷する人もいます。

勝手気ままに振る舞っても事故に遭わない、トラブルに見舞われないとか「毒蛇に噛まれない」人もいます。ネットで出会いとか遊び相手を探していても上手くやってるのもいますから、そちらばかり眺めます。警告や注意をする側をうっとおしがったり、悪く言いがちなんですよ。

下手をすれば自分自身がそういった事件に巻き込まれ、大けがをするまでわかりません。

実際に何らかのトラブルに巻き込まれ、嫌な思いをしたり事件に遭っても「あれはたまたま運が悪かっただけだ」「次は大丈夫!」と考えて、何度も似通った行動を繰り返す人もいます。

残念ながら、私は過去にそういった人にも何人もお会いしています。

反対に異様に心配症だったり。警戒心が強すぎてトラブルを振りまく人達もいますよ。

恐怖とは一種の想像力です。自分を守る、「安全弁」のようなものだと書きましたね?

その安全弁は、時折、暴走します。集団ヒステリーともいいますが、コミュニティはある種の特殊な状況下においては容易に錯覚を起こすようになります。

「アイツは危険な奴に違いない!」

「昼間っから家にいるのは、仕事もしてないし、きっと悪いことをやってるに違いない!」

単に漫画家とか小説家だったりして(笑)。だいたいの作家は実名や本名ではやってませんからね。周辺住人に会ってもそれを告げることは少ないでしょう。自宅にファンとか他の出版社の編集が押しかけたりしたら仕事ができなくなってしまいますから。

売れてる人ほど口ごもったり隠したりもします。実際にその人が売れっ子だったことを地域住人が知るのは。その人が別の場所に引っ越してからだったりもします。

巷に溢れる「危ない人物」などとされる人の多くには、まったく根拠がありません。誰かの勝手な思いつきであったり、思い込みであったりもします。

ただ問題なのは、その「ただの思いつき」とか「噂」が、何らかの拍子にそのまま集団に移行した場合、「これは間違いないことなんだ!」と本気で捉える人が出てくることですね。

実社会のみならずネットとか掲示板でも時折あるようですが、落ち着いて事実関係を確認しましょう。相手を責めるのはそれからだってできます。

ハンセン氏病患者に対する憶測や噂、隔離政策などもその典型です。集団ヒステリーのような状態になると「うつるんじゃないか?」「遺伝するんじゃないか?」と、噂と怖さばかりが先にたってしまい、国や自治体による長期の隔離政策を招きました。

すでに病気として伝染するものではない、とわかってからも長年の風評と先入観によって帰る場所を失っています。場合によっては正確な情報もないままに、そのまま何年も放置されます。

そういった例は夜ごとインターネットの掲示板で繰り広げられるアイドルの怪しい噂から、近所のおばさんの井戸端会議に到るまで様々です。数人であればそのうち沈静化しますが、過って多くの人達がそう思い込んでしまうと暴走して止まらなくなります。

困るのは結果として他人にいわれのない差別を広げたり、悪質な中傷を半ば本気で行ったり、あらぬ疑いやただの噂から誰かを疑って迷惑をかける人が実際にいる点ですね。