年始は体調不良で年末年始は寝込んでいました(笑)
2011年の幕開けです。今年もよろしくお願いします。
年末に「モテる男(女)の必須条件」というコーナーを書き始めました。最近はブログの更新ばかりなので、新年が明けたら本体(固定ページ、ブログじゃないほうのコーナー)の充実を計ろうとしています。
結局ですね、変に力入れて書いたので「モテる男(女)の必須条件」は2万字を超える大作になってしまった。原稿用紙換算で50ページを軽く超えてますね。
他にもしばらく放置していた超合金のコーナーや好奇心の館のネタを用意をしていました。写真を撮ったり商品や文章を準備して「さあ、これから!」という時にいきなり眩暈と頭痛が復活・・・。
2週間は立つことすらできなくなりまして・・・。
問題なのは、寝て起きたら症状が悪化していることです。
普通は安静にしていると症状は軽減するものなんですが。目が覚めると反対に頭痛や吐き気が酷くなっていることが何度もあって、エルム街の悪夢のようでした。
過去に何度か病院にも行きましたし、MRIも撮ったのですが・・・。結局ははっきりしません。医者は安静にしていろとしか言いませんし。
しばらく休んで精密検査でも受けるしかなさそうですね。
以前に一度、倒れて手術受けていますが、その時に診断受けた胆嚢とかはこういった症状とはまったく関係ないのではないかと(笑)。
たまたま体調不良で色々な箇所をチェックしたら胆石と腫瘍が見つかったので切除した、と。腫瘍が大きくなれば確実に癌化しますから、それはそれで良かったのですが・・・。結果として胆嚢摘出後症候群も併発したようで尚更、状況が複雑になってしまいました。
眩暈って言っても立ちくらみのような浅いものではなくてですね。
超高速でグルグルグルグルと天井が回ります。目を瞑っても止まらない。高回転のメリーゴーランドでブン廻されている状態に近いでしょう。それに今回は偏頭痛と吐き気が追加されますので地獄のような苦しみ。
耳鳴り?って言うんでしょうかね? キーンってジェット機みたいな音もします。少々の苦痛なら我慢しますが、それが寝て起きてからずっと続いたり、何度も繰り返されるので流石に困りました。
状況とか詳細を、ココに書かなくなった理由
こういった部分を家族とか仲間とか友人とかにいうと心配かけるので伏せていましたが・・・。体調が悪い時に限って親族から電話が相次いだりするもので、対応には苦慮します。
こちらの耳鳴りや眩暈が酷い時は電話に出れないのですが・・・。受話器からの声が聞こえないですし目が回りますから。
ところが、経験がない人にはそれがわからない。こちらが出るまで何度もかけてきます。出たら出たで色々と話さないといけませんし、話が短いと愛想が無いといって怒る人までいます。
それは結構辛い。
人にもよるのでしょうが、本当に辛いとか苦しいとか悲しいって時はね・・・。そう簡単には口にしないものです。苦しいからこそ我慢したり、心配かけないようにもしますので。
トラブルがある程度解消するとか、症状が軽くなってからなら言えますが、実際にそういった問題が頻発している時には、私の場合、何も言わないでしょう。もちろんここにも書きません。
その理由はね。仕事でいないとか、親族に不幸があったと知った瞬間から嫌がらせや中傷をやったり、盗用をやった連中が無数にいるから。
私のサイトとリンクを結んでいたサイトの掲示板に、この隙にとばかりに「催眠オフ会の女性被験者募集!」とか書き込む屑が大勢いたからですね。
私の父親が亡くなった時にも仕事を他の連中とやって儲けようとか、浮気を繰り返していた女性とか、催眠や心理学の関する知識を盗もうとか「落ち込んでいるだろうから、励ます振りをして信用させよう」とした人達もいます。
出張の予定を書き込んだら、空き巣らしき人物が自宅の周辺をウロウロしていたとか(笑)。以前は会社の登記先が自宅でしたからね。
一時期、年末年始に芸能人の盗難が相次いだことがありましたが、それは芸能人の自宅を記した雑誌とか文献が流出したり販売されてたからでしょうね。
おまけにそのスケジュールが公式ブログでチェックできる。正月休みで「ハワイにいる!」と先に知ると悪いことを考える連中も出るわけで・・・。残念ながら社会は善意のみでは出来上がっていません。
私が生年月日とか出身地とか正確な年齢とか、詳しいスケジュールを詳細に書かなくなったのはそのためです。もちろん、体調についてもね。
それは私の家族とか仕事、情報を守るばかりではなく、ここを訪れる一般人(カルトや営利集団が、執拗に催眠オフ会をやっています)を守るためでもあります。
新春から耳が痛い人もいるでしょうが、あえて苦言を
実際の私の近況とか詳しい状況は殆ど知らないでしょう。なのにこのサイトを見ただけでわかったつもりになっている人もいます。
「何で返事をくれないんだ!」とかね(笑)。それが以前に私と面識があったり仕事で直接繋がりが遭った人とか。付き合っていた女性とか。そういった連絡があると残念でがっかりします。
それはいくらなんでも、あんまりだと思うのですが・・・。私の側にいながらいったい何を見てきたのでしょう? ここには書いてないこともあるのでは? ここは私の職場であり表現の場所ですが、当然ながら制限はあるのですから。
私にはこのホームページ(サイト)があります。
何年も前に縁が切れたり、その後、まったくお会いしていない人でも私に連絡はとれますよ。昔の同級生でも仕事仲間でも過去の恋人でも、思いつけばメールくらいは送れる。
私のほうからは「そちら」に連絡がとれない。何がどうなっているか、ぜーんぜん知りません。ほぼ一方通行になります。何らかの都合でメールを送ってくるなら近況や連絡先くらいはそちらも綴ったほうが良い。私には何の情報もないのですから。
このサイトには色々な方が訪れます。
匿名でとか変名で送り付けてくる例もある。メールを送り付けてきた相手が付き合っていた彼女の浮気相手だった、別れた彼女本人だった、なんて苦い経験も何度もあったりします。
ネットであればそういった行為を平気でやる者も大勢いるわけで(笑)。ネットで実名で長く活動するというのはそれだけ、リスクを伴うもので苦労や苦痛も大きいのです。
守ってくれるプロダクションなどの所属のない個人が、ホームページを続けてゆくにはかなりの精神力が必要ですよ。
以前の知人であれば、私自身が現在、厳しい環境にあったり、体調が不良だとか状況が良くないって想像力とか思いやりは働かないものでしょうか?
ともかく「助けてくれ!」「連絡が欲しい!」ってものが多い。おまけに返信を出しても気に入らないと簡単に途絶えます(笑)。自分の電話番号や連絡先、近況すら書いてなくて聞きたい要件だけとか。
私に大きな迷惑をかけた人もいますよ。それでも相手を許し最後まで面倒を見た私に、今さらまた面倒を見てくれとか相談にのってくれとか、連絡を欲しいとか「また一緒に仕事をしたい」は筋違い。
いくら何でもそこまでお人よしにはなれませんよ。
ちっとは我慢しなさい。我慢できないなら筋を通しなさい。
どうしてもって場合には兄と連絡とれば私の近況くらいはわかりますよ(笑)。兄が私の会社の代表取締役社長ですから。私と直接面識のあった方なら会社の連絡先くらい知っているでしょう。
その兄にすら連絡がとれないとか顔向けができない、大きな迷惑をかけて仕事を辞めてしまったり、トラブルになった人まで面倒を見る気は私にはありません。
その程度の「筋」が理解できない人なら、私に連絡してこないように。
正月とか年始だからこそ、この話を
一休禅師の言葉に、こういった言葉があります。
「正月は冥土(めいど、死)の旅への一里塚」
「めでたくもあり、めでたくもなし」
私はこの言葉が好きで、年始の度に思い起こします。以前の「ひとりごと」のコーナーでもこれは載せたこともあります。
これは「正月だ、めでたいめでたい」と祝う人々に一休さんが「ご用心、ご用心」「一年歳を重ねるごとに死に近づいていることであるぞよ」と諭した逸話と言われています。
アニメの一休さんの話しかしらない人が多いかと思いますが、一休禅師(一休宗純)は、後小松天皇のご落胤(実子、血縁関係)ではないか?と言われています。
それを証明する文献や記述はたくさんあるようですが、一休禅師の墓は今も宮内庁の管理にあります。これは皇族などのごく限られた血筋や家にのみ行われる保護ですね。
まったく皇室や天皇家に縁のない人物ならそういった管理は行われていないでしょう。
アニメの一休さんではね。将軍様と対立する構造が描かれていますが、これが笑い事ではなくてですね。天皇家のご落胤ということになれば、場合によっては皇族として皇位の継承権を持っていたことになります。
ですので、一休さんは幼少時、それこそ暗殺とか生涯どこかの寺に幽閉される可能性もありました。
ご本人がそういった意図や野心を持っていないにしても周囲はそうとは限りません。貴い血筋とか家柄の者を担ぎ出せば自分が出世できるとか、不利な立場を覆せるとの思惑もあります。
いわば、いつ殺されてもおかしくない位置にいたことになりますね。
後年になって彼の飄々とした姿とか、自身を「風狂の狂客」と称していたのは、そういった背景の中で培われた独特の感性があったからでしょう。
命がけで「傾いた(かぶいた)」のが一休禅師
一度、出家しても安泰ではなく、足利将軍や天皇が不慮の事故や病気、政変で亡くなると還俗(げんぞく)して跡継ぎに据えられた実例もあったりします。
おそらくは母上様とも無理やりに引きはがされたでしょうし、下手に彼に近寄れば反乱や謀反を企んでいると受け取られかねないため、周囲も腫れ物を触るようではなかったか?と思います。
まして一休禅師(一休宗純)の場合には母方が藤原氏(吉野朝廷、一説には養女)の直系です。皇位継承権で考えるならばかなり上位にあった筈であり、出家しなければ確実に激しい権力闘争や派閥争いに巻き込まれたでしょう。
現に一休禅師の母親(照子、一説には楠木家の人と伝えられる)は帝の命を狙っていると讒言(ざんげん、告げ口)されて宮中を追われています。
一休禅師は6歳で出家していますが、それは彼自身の命を守る意味もあったと思います。
子供の頃は笑いながらみたアニメですが、大人になって歴史背景を知れば笑うに笑えない内容ですね。
そういった特殊な環境、特別や血筋や家柄、両親から引き離され、幼い頃から寺に預けられた経緯から一休禅師は特殊な感覚、感性を身に付けます。
自由奔放で一見、奇異とも思える行動が多かったとされる一休禅師ですが、その言動には研ぎ澄まされた風刺や面白いものが多く、現代においても色々と考えさせられます。
その一つで有名なものが「正月に髑髏(しゃれこうべ、ドクロ)を杖にさして近隣を回り、正月で浮かれている家々に嫌な顔をされた、と言うものです。
「正月は冥土(めいど、死)の旅への一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」
というのは「狂雲集」というものに含まれているものですが、狂雲というのが一休禅師が漢詩を詠む時に使った号(仮名)ですね。
自分を気狂い(きぐるい、気ちがい)であるとし、一般人とは感覚が変わっていると自覚し、普段から自称していたことになります。
風刺、批判としてあえて隠さなかった
興味深いのはその「狂気」がですね。一般の人達にも受け入れられ、一休禅師が尊敬を受けていたことですね(笑)。
風狂とはあまり聞きなれない言葉かも知れませんが、仏教、特に禅宗などでは「守るべきルール」が無数に存在します。
これを「戒律」と言います。
禅宗の寺で厳しい修業で有名なのは永平寺があります。
一休禅師も「禅宗」の方ですよ。本来はその厳しい戒律の中に身を置く人ですし守らなければなりません。逆らったり無視すれば破門になりかねませんし、周囲から尊敬はされないものです。
ところが破門になることはなく、本来は敬遠されるはずの宮中や武家にすら一休禅師を尊敬し敬愛するものがいたようですね。
おかしなものとしては川で洗濯していた女性の裾が割れて、股が見えていたのをニコニコと覗き込んでいた、という逸話もあります(笑)。
「女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む」
これも一休禅師が詠んだ詩です。
達磨大師が「女性は悟りに至らない」と説いたものに対する皮肉のようですね(笑)。釈迦にしたって達磨にしたって結局は女の股から生まれたんだろう? 何をそんなに大上段に構えて女性を低く見ているのか?という風刺が含まれています。
晩年は女性と一緒に住んでいた、実子の弟子がいたとも言われます。
そういった奇行も多く本来なら嫌われるべき部分も多いのに、なぜか一般大衆にも広く受け入れられ、尊敬を集めていたようですね。それが後の世(江戸時代)になって一休咄となり、現代のアニメにも繋がることになります。
次々と「戒律」を破り、破天荒で奇異な行動を行う。ただし、その行為が単なる戒律破りや破戒僧として捉えられるのではなく、一種の「悟りの境地」のような感覚として周囲が見守り、尊敬したということです。
おそらくは飾らない人柄であったこと、見え透いた嘘をつかなかったことが主な理由でしょうね。
寺では酒を般若湯(はんにゃとう)と称して飲んだり、女性をお稚児さんのような格好をさせて寺男として住まわせたりする行為が横行していました。
表立っては戒律を守っているようなふりをして影では好き勝手をやっている実例があり、彼の奇行はそれを批判しての行動でもあったのでしょう。
それが一般民衆にも好意を持って受け入れられたんでしょうね。
生と死は、共に存在するもの
世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり
南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ
親死に 子死に 孫死に
これらの狂歌にも、なかなか含蓄(がんちく、深い意味)があります。
人の世なんてね。所詮は食って寝てウンコ垂れて、死ぬだけなんですよ(笑)。私は以前から人間を「ウンコ製造機」と呼んでいます。
一休禅師は1481年に亡くなっていますから、今から530年前の人です。それでも当時、現代人である私と似た感覚を持つ人が存在したことそのものが脅威だと思います。
当時はもっと「死」が近くにあり、情報化社会でもありません。ネットや新聞やテレビがない時代です。その時代にここまでさばけた主張をするのは本当に危険であり、他の宗派や坊さん、信徒から命を狙われかねない状況にあったと思います。
南無釈迦(南無阿弥陀仏)と唱えたり、地獄に堕ちるぞと脅してみたり、苦が楽がと説いたところで「親だって子だって孫だって」いずれ死ぬだろうと。
これは明確な宗教批判です(笑)。
寺の権威とか宗教や宗派の否定そのものにも繋がりかねませんから・・・。
若い頃の私には焦りがありました。
それは言葉を変えると夢とか希望だと思います。若さゆえに持つことができる将来へ展望とか、ある意味では「飢え」(かつえ、うえ)です。自分には何かの力があるはずだと考え、他人とは異なる道筋がある筈だと求め、何かを達成するために走るべきだと考えた。
だからこそ、カバン一つしか持たないまま全国各地で放浪に近い生活もできた訳ですが(笑)。
寝る間を惜しんで仕事をしていた時期がある。幾つものアルバイトや仕事を掛け持ちして資金を貯め、自分の夢とか希望、将来を必死で模索した時期がある。
若い頃はね。何もしないで社会とか世間に文句垂れてる奴に無性に腹が立ちました。
今も大勢いらっしゃるようですけどね(笑)。ちょっと何かがうまくいかないと「世間が悪い!」とか「親のせいだ!」とかね。「学校教育が悪い!」「政治家が悪いんだ!」とかね。
そういう主張をする奴に限ってたいした努力はやってません。
苦労しないで楽しくて、辛くもないし我慢もしないのに「簡単に稼げる」方法があるわけがない。人が嫌がることだったり、危険が伴うことだったり、実現が難しいことだからこそ手にすれば価値がある。
私はそう考えていました。
何もしないまま歳をとってね。ただの「ウンコ製造機」として一生を終えるなんてのは絶対に嫌だ、と真剣に思っていました。
やらなきゃならないもの、向き合わなきゃならないものもある
自分に夢があったり希望があるとぬかすのに、「辛いものは嫌だ!」とか「格好悪いからやりたくない!」だとか「地元から離れたくない」っていう奴が大嫌いでした。
これが大勢いるんですよ(笑)。
私にしても好きで一人で故郷や地元を離れたのではない。
見知らぬ土地で一人きりで生活するのは苦痛がありますよ。怖いに決まっている。家族とか友達を置いてくることにもなる。求めるものはあっても、離れたり踏み出す勇気が持てないとか、何らかの事情でタイミングを逃してしまうこともあるのです。
今も一匹狼っぽくてね。徒党を組まないのは好みじゃないから。
私は「お前がやるなら俺もやりたい」とか「誰かと一緒じゃないとできない」って連中も嫌いでした。結局、頼るべきは自分自身で、自分自身で何もできない連中が何人集まっても力になどならないから。
自分自身で一人前を背負える人間が二人になれば力は倍になります。誰かにもたれかかったり、頼り切りになる人間が集まれば力は半分どころか、もっと弱くなるでしょう。手柄は自分のものだと言い張りますし、都合がいい時だけ「分け前を寄越せ」と言い出します。
働きに出た先でね。ヤクザに脅されたとか集団でイジメに遭ったとか、詐欺まがいの連中に騙されたとか色々ありましたよ。会社がブラックだったとか。
食うものもなく、住む所を探して空腹のままうろついたとか、一時期はドヤ街に泊まったりキャバレーの呼び込みや風俗店の住み込みまでやったことがあります。
履歴書一枚、カバンに身の回りのもの少し持ってどこかに働きに出るというのは、それだけで多くのリスクを伴うことになります。
それでも「どうしてもやってみたい」と思うなら、やらなきゃならないのです。
ある種の「狂気」。それはおそらく、私の中に今も存在します。
自らが狂うほどの強い衝動。諦めたくないとの思い。いずれは死ぬ命です。やるだけやって失敗したならまだ諦めもつく。
何もしないまま、飯食って寝るだけで作ったのは大量のウンコだけだった、ってのがどうしても嫌で(笑)。若い頃から意地も張りましたし、無理も重ねてきました。
狂気、は確かに向き合うのが難しいですけどね。強い衝動、動機付けにもなりますし、命がけでやってみようと思えるなら、様々なことに挑戦もできるのです。
はっきり言いますが・・・。向き合うのが嫌で苦労するのが嫌で勇気も根性もないなら、夢なんてみないほうがいいですよ。むなしくなりますから。
ましてそれを誰かの責任にすり替えたり、社会や親、教師の責任にしてどうするのですか?
夢とはね。語るものではなく実現するものです。
私は今も黙って努力はしてますよ(笑)。
それは他人の責任ではなく自分自身の責任
やるべきことが見つからないとかね。何をやったらいいかがわからないから「刃物で他人を傷つけようと思いました」なんて馬鹿が、最近はたまに現れるようですが・・・。
私のようにカバン一つで全国渡り歩いて、住み込みで四畳半の2段ベットから、始めたことがあるんでしょうかね? 食べるものもなくて何日も水飲んで過ごした経験でもありますか?
本当にどん底とかね(笑)。社会の底辺を覗き込んで苦労した人間は「弱者」には向いませんよ。強烈な上昇志向を持って「強者」に向います。
自分が弱者だったり、嫌な思いをしたからこそ弱者を虐げる側には向わないものです。というか、それが第一歩なんですよ。
自分が弱いから「もっと弱いものをターゲットにしよう!」と発想した時点で負け犬確定です。強いものとか上位者から「奪う」力を蓄えようとか勉強しようと思わない者が頭角を現すことはない。
その時点で上を向いていないから。
下ばかり、足下ばかりみて自分より弱いものを踏みつぶそうとしているから、上から踏まれます。上から来る足を避ける力も備わりませんし、常に責任逃れをして「他人を」羨むだけの人生になります。
私は強者に立ち向かおう、踏みつぶされないでおこうと思うから話術も磨いた。
昔は人前で話をするのなんて苦手でしたよ(笑)。足がガクガク震えたものです。長文も書けなかった。女性を目の前にしても「何か、食べる?」しか言えずに失笑されたものでした。
頭角を現したいから社会常識も必要になったし本も読んだ。余計なトラブルに巻き込まれて脅されたり、辛い経験もあったから空手をやったり格闘技を学んだり。
心理学とか催眠とかもその過程の中で掴んだものです。
秋葉原の事件とかでもそうですが、第三者で罪もない一般人、老人とか子供、力の弱い女性などをターゲットにしている時点でいい訳になんてなりませんよ。
だったら、銀行強盗でも計画するほうがよほどマシです。
安易に抵抗できない相手とか、無差別に弱者を襲っている時点で、マスコミとか強者の奴隷です。そういった発想で「楽な方向」しか向けないから仕事も恋愛もうまくいかないんですよ。
時には難しいものとか嫌なものにも挑戦しなければならない。そこには苦しいものとか辛いものも含みます。孤独だったり悲しいことにも耐えて、何かを目指したり自身に力を蓄えなければならない。
歯がみしながら我慢する瞬間、布団かぶって泣きながらでも耐える時間もあります。
それを一切しないでね。「私は社会に追いつめられた」なんてのは通りませんよ。
それは他人の責任ではなく自分自身の責任です。
いずれは死ぬ命だからこそ、今、やれることを
体調不良で苦しんでいてもね。ブログやホームページで書けないようなことがあってもね。
それを「苦しいんです」「理解してください」「哀れんでください」と必死で書いてもね。仕事が増えたり救いがあったりしませんよ(笑)。
むしろ、「こいつは弱っているから今がチャンスだ!」と窃盗犯や詐欺師が集まってくるだけ。だから私は書きません。時には強がりもありますし、徹底的に無理もしますよ。
どういった場合も胸を張ります。矜恃(きょうじ)と言いますが、自信や誇りを持って上を向いている人にしかチャンスなんてのは巡ってきませんので・・・。
これまでに番組出演や自営業としての会社の設立や独立等もありましたが、すべてが順調だったわけではない。苦しい瞬間やもうダメだと思う時も多々あったんです。その多くは友人や知人、親族や家族、子供たちにも話していないでしょう。
私(兄を含む)達はそうやって、これまでの道筋を歩きチャンスを拾ってきましたから。
これも一休さんの言葉ですが、それは正しく真理でしょう。
所詮、人間なんてのは「糞袋」(くそぶくろ)です。言い換えるならウンコ製造機(笑)。一生のうちに大量の食物を食べ、糞を垂れていずれはのたれ死んでゆくだけの生き物かもしれませんね。
いずれ、誰もが人生の黄昏時を迎えるでしょう。それは孫や子に囲まれ、多くに見取られて豊かなものになるかもしれません。反対に誰も周囲には残らず、寂しいまま孤独な死を迎えるかもしれない。
どっちに転ぶかなんてのは誰にもわかりゃしないのです。
それでも、できることなら「何か?」を残したい。
そう思うのが人間です。
それは仕事としての功績かもしれない。名声とか地位とか肩書きかもしれない。子孫かもしれないですし、領地とか家かもしれない。我が子とか孫とか家族のために残すべきものは様々です。
作品としての評価やキャラクター、漫画や小説かもしれない。音楽とか楽曲、作詞とか写真とか映像かもしれない。仲間とか家族に残す印象かもしれない。
それが何であるにしろ、それはとても大切なものです。
いずれは死ぬ命です。
だからこそ貴く(とおとく)、そして儚い(はかない)。いずれ失われる命だからこそ、何かを成したいと望み、自分の存在価値を求める。
それが人間でしょう。
私にもその欲求があります。それを適えるために今年も頑張りたいと思います。
欲求が有り、欲望が有り、そして生きる意思がある
起きて寝て、食って、ウンコを垂れて、時に性交渉がある程度のものかもしれないですよ(笑)。単純明快にしてしまえば、人生ってその程度のものです。
衣食住と性行為、これを除くと殆どの生物の行動は意味が無くなってしまいます。
男として女として、父親、母親として、何か残したいものがあったり、表現したいものがある。それは他人からみると些細なものであったり、無意味に感じるものも多いのかもしれないですね。
誰かに認められたいとの思いがあったり、社会の中、歴史の中に「自分の存在価値」を求める。それが人間です。
いずれは死ぬ命です。死があるからこそ、未来を求める。人生が有限でいずれは失われる命だからこそ、今、やるべきこともあると思うのです。
一休禅師(一休宗純)の最後の言葉が、また感慨深いのです。
一休禅師は1481年に亡くなっているのですが、年齢は88歳でした。
当時の88歳ですからね。大往生といってもいいです。長生きしたほうだと思います。しかも、悟りを開いた高僧ですし周囲にも尊敬されていた人物です。
その方がね・・・。亡くなる時にこう言っています。
どういった意図かは知りませんが、私はこれが素晴らしいと思います。
気取らないというか人間の本音でしょう。長く生き、高僧だと周囲に持て囃され尊敬を集めるよりも「一日でも長く生きたい」と望み、自分の愛する女性とか家族と過ごしたいと思っていたからこそ、最後に出た言葉ではないでしょうか?
世の中は、起きて稼いで寝て食って、たまに性行動をやってですね(笑)。ウンコを垂れていずれは死ぬ程度のものかもしれません。正月を重ねることはそのまま、死に一歩づつ確実に近づくことでありそれはおそらく恐怖でもあります。
それでも、その些細な日々の中に、人としての喜びはある。
だからこそ、一休さんは亡くなるその瞬間まで「死にとうない」と言い残したのではないでしょうか? 死に臨んで変に悟ったようなありがたい言葉よりも、千鈞の重み(非常に大切な価値)を持っていると思います。
ちなみに一休禅師(一休宗純)はね。正月生まれ(明徳5年1月1日)と言われています。自分の誕生日でもあり、巷ではめでたい日と言われる元旦に「しゃれこうべ」(ドクロ)を持って家々を回った彼を、どう思いますか?
そしてその彼が死の目前に残した言葉こそが「生きる」意味を示しているようにも思うのです。
私は生きる意思を持って足掻く人、諦めたくないと思って懸命に歩く人がとても好きです。
できることならば、最後の一瞬まで私自身もそうありたいと願います。
ps.
新春から「ウンコ、ウンコ」と連呼してしまって申し訳ない・・・。ま、一休禅師に倣って気どらない内容を書いたと考えてご容赦願います。
一昨年のM1決勝で「珍ポジ」を連呼して落ちた「笑い飯」のようですね(笑)。あのコンテスト以来、彼らをみたら「珍ポジ」としか思わなくなってしまった。
私がお笑いの世界が好きなのは実力の世界だからです。お笑いには「世襲」がありません。世界の北野武の娘でも、天才明石家さんまの娘でも、不世出の漫才師といわれた、やすしきよしの息子や娘でも跡は継げない。
実力がないのにごり押しして出るとね。苦労して悲しいのは本人だったりします。
年間に吉本のお笑いの学校を卒業する若手だけで数千組以上もいます(笑)。実力がなければステージにすら立てない。そこが凄いのです。
笑い飯のお二人、M1優勝おめでとう。懸命に泣き顔をこらえる姿に感動しました。
2011年01月11日
谷口信行