「修行」が必要になる?(8ページ)
ところが、そういった方法で厄介だったのはそこに練習を必要とすることです。苦行とか荒行、などといっても構いません。
日本においては滝行などに代表されるような方法です。
自分で自分をコントロールすることは意外に難しく、慣れるまでは多少の修練や練習が必要になります。
自分を徹底的に追い込んだり、長期に渡って練習を繰り返す必要のある難しい方法なども多かったのです。その過程の中では痛みを伴ったり命の危険がある方法などもありました。
過去には実際に練習や修行の途中で命を落としたり、脱落してしまう人も大勢いたのです。
ですから習熟者というか先達、すでに解脱(げだつ)悟りを開いたとか修行を納めた人が側に付き添うか、つきっきりで指導する必要があり、結果として宗教関係者や修験者などにその手法が引き継がれることが多くなりました。
数々の危険を孕みながらも、それでも人は「自分を変えたい」とか「自分を磨きたい」「精神的に強くなりたい」といった強い欲求を持ちます。数日どころか数ヶ月、中には何年もかけて「行」を積み高みを目指そうとした人もいます。
ここで勉強しようとする催眠(自己催眠も含む)とは、その弱点を補うものです。
練習が不要で簡単でお手軽であるとまでは言えませんが、少なくとも違法な薬物やアルコールを用いることで生じる身体への悪い影響もなく、修行や荒行のような極端な身体や命への危険や長い年数は必要としません。
練習者が心理学や催眠で用いられる技術や知識を知り、そのテクニックを応用することで、被験者(自己催眠の場合、自分自身も含む)をできる限り速やかに「潜在意識」への旅に連れ出し、ストレスの軽減や生活における精神的なトラブルの解消、禁煙やダイエット、自己の改革に取り組もうとするものです。
私は催眠や自己トレーニング(のちに紹介する自己暗示法)が万人に効果があり、全ての悩みが解消します、とまではいいません。人間の扱う技術ですから向き不向きもあります。その人の持つ集中力や体質などにも左右されます。
ですが、そういった知識や技術、応用方法を用いることで、危険な方法を推奨したりおかしな宗教や自称カリスマ、占い師などを盲信する人が少なくなるならば、それはそれで有意義なことだと考えます。
生活の中には様々な精神的なトラブルがあります。「催眠術師のひとりごと」でも紹介していますが、自分でも気づかず、そういったものに捕まってしまい苦しむこともあったりします。
その解決の糸口を自己催眠を用いて自分で見つけたり、他者催眠を用いることでできるだけ対象者(被験者)に苦痛を与えず、速やかに解消したり探すことに役立てられないかと考え、現在も様々な形で催眠に取り組む人達が存在します。