人間は猿なのか?

2017/12/04改訂
1997/08/23初稿

勇気とか強さの意味を考える

みなさんはサル山の猿の話をご存じでしょうか?

以前、上野の動物園でメス猿がボスになったというのがニュースになりました。猿の群れにとってボスが交代するというのは大きな出来事なのです。

人間の世界で言うトップ交代どころの話ではなく、群れの存続、生死をかけた戦いもまま起こります。

残念ながらメス猿のボスというのは長続きしないそうです。続いても2、3ヶ月ほどでオス猿と交代してしまい、長く持ちません。

通常であれば力の強いオス猿が群れを率いるのが当り前なのでしょうね。

なぜなら、外敵から群れを守らねば鳴らないから。人間に飼われていたり餌付けされている、捕食者がいない状況下ならば雌が群れをひきいても何とかなるかもしれないですが、厳しい自然環境の中ではやはりたくましい雄(オス)を中心に群れは集まることになります。

オスのボス猿が群れでの政権闘争に負けて交代する時、私たち人間からみるととてもショックなことが起こります。

(今回の上野動物園のケースのようにメス猿がボスになったような特殊な場合は除きます)

新しいボスが、まだ生まれて間もない子猿を殺してしまうようなことが起こるのです。

先にも書きましたが、ボス猿の大きな役目は群れを外敵から守ることです。

群れを守る役割を担ったリーダー、ボス猿が群れの一員で、最も弱く守らなければならない立場の子猿を殺してしまうのはなぜでしょうか?

実は乳ばなれの済んでいない子猿たちは基本的には前のボス猿の子供達になるんですよ。

人間に例えるならばいわば前の夫の連れ子です。

今のオス、つまり新しい群れのリーダーの子供ではないばかりではなく、逃走に破れた弱いオスの子供であったり、群れから追われた個体、闘争に破れて死んだオスの子供になってしまうのです。

自然界の厳しい現実

厳しい話になってしまうのですが。前のボス猿がリーダー争いに敗れた時点でその個体(小猿)は「弱い遺伝子を持つオスの子供」に転落してしまうのです。

ボスが交代して新しいボスが現われても、子猿達を育てている途中のメス猿(達)は新しいボス猿に対して発情しません。人間とは違って動物には一定期間の発情期が存在します。

一定期間の排卵周期があってその時期をわかりやすくするためにお尻が赤くなったり、フェロモンを発します。それで異性をひきつけてその気にさせるわけですね。

ニホンザルにも発情期と周期があって動物園で飼われていてもそれは変わりません。

メスザル(達)と書くのには理由があって、猿の群れはハーレム制度に近い構成になっています。

ゾウアザラシやライオンなどでもそうですが、強いオスが群れとかグループの長に立ちます。自分が率いている群れの頂点ですから、メスの殆どを支配下に置きます。

ですから生まれてくる子供は殆どが「ボスの子供」です。

ボスになれない若い個体は群れを離れてそこで新しいハーレムやグループを作るか、別の群れに所属します。今のグループのボスを殺して自分が取って代わるしかなくなってしまうのです。

動物園で飼育されているなら出て行く場所がないですから。

または何かのきっかけで自分の序列が変わることを願って、隅っこでコソコソやるしか方法がないのです。パートナーを持てたりメスと関係を持てるのは基本的に強い雄、つまりボスザルのみになります。女性側(メスザル側)からも断られるんですよ。

アフリカで新しいボスになった若いライオンが、前のボスライオンの子供を殺して共食いしているシーンが撮影されたこともあります。

前のリーダーの子供、特にオスは自分を脅かす存在になります。そうなってしまう前に殺してしまえ、群れのメスを自分のものとして扱うために邪魔な息子は必要ない、という厳しい感覚は自然界にも存在しています。

中世ヨーロッパの王族や貴族、戦国時代の日本の武将の相続争いのような争いは、自然界や動物界においてもよく起こる話なんですね。

自然界の動物において妊娠の機会はそう多くありません。前の子供がいる限り母親の愛情はそちらに注がれるのです。つまり、母親としての機能が優先してしまいメスとしての機能が後廻しになってしまう訳です。

不思議なもので、前の個体(子猿)を殺してしまうとすぐに母猿達は新しいボスを受け入れる体制が整い、発情し、新しいボス猿の子供を宿すようになるとのことです。

不思議に思いませんか? 要するに相手は前の夫を殺したか群れから追った男で、自分の子供を殺したオスです。

大切に育てていた自分の子供を殺してしまった相手であるにもかかわらず、受け入れてまた子供を作ることになるのです。

一見、ショックで不思議に見えるこの出来事も、生物学上でいうと何の不思議でもないそうです。

厳しい筈の自然界にも保護はある

生物は強い子孫を未来に残そうとします。次の世代に「生き残る」ことこそが、その生物に課せられた使命なのですから・・・。

強い子孫が生き残り、個体として増え続けるためにだけにそこに存在していることになります。

ボスとしての争いに負けることは「弱い」ことになります。生物や種として他のオスや他の種に「喰い殺される」可能性が高まる訳ですから。

遺伝子を残し種としての厳しい生存競争に生き残って行くためには、どうしても強いリーダーを求めることになるわけで。本能の中にそれが仕込まれているのでしょうね。

人類も含め草食肉食を問わず、小さな小さなウィルスから大き象やクジラのような生物まで含めて生き物がずっとその生存競争を争い、お互いが生き残りをかけてずっと争ってきたことになりますね。

それが現実です。

だからといって私は「弱い子供は死んでしまえ!」とか(障害者や身体の弱い子は)「生まれてこなければいい!」などとは欠片も思っていません。

自然界は厳しいのです。弱い個体が淘汰されてゆくのはいわば必然で、体調の悪いもの、または足の遅いものや身体の小さいものから捕食者の襲撃の対象になってしまいます。

ところが、シマウマなどは子供を群れで守りますしね。子供を中心に円陣を組み強力な後ろ足で蹴りを入れてライオンを撃退することすらあります。

象も似た行動をとります。子供を社会の大切な宝物として捉え、群れ全体で保護しようという働きも自然界にはあります。

一概に「弱いものは全て切り捨てられる!」それが「弱肉強食の世界だ!」と言えるものではないですね。異種、まったく異なる動物が子供を保護して育てた実例もあります。

アフリカの動物保護区で実際にあったのは、鼻のない象の子供が長く群れに保護されていた例があります。これは人間でいうなら両手が無いに等しい。

足の悪い小馬が群れに保護されて無事に成体になった例もあります。

弱いはずの草食動物が、真っ先に子供を見殺しにして自分だけが助かろうとする「大人」ばかりであれば、象の子供やシマウマの子供なんて真っ先にライオンの食卓にのぼってしまうでしょう。

大人たちが助かっても子供が育ってこないなら、その群れは滅びますしその種は絶滅します。だから危険を顧みず、命をかけて保護を加えて救おうとするのでしょうね。種族の未来、種としての存亡をかけて。

様々な事件報道をみて思う事

先ほど述べたような動物界の慣習、いわば子殺しや虐待というのは人間にはそのまま当てはまりません。

人間だけが言葉を持っています。文字として自分の体験を残し、次の世代に引き継がせることが可能です。それによって他の動物達とは違う生活習慣や道徳、環境の整備、動物とは異なる感情などを持つに至っています。

弱いものは群れで保護しようといった発想は人間界だけでなく、自然界においても時折、見ることができます。

親を失った子供を別のまったく違う親(個体、種族)が身替わりに育てるような行為も、自然界では少なからず例があるのです。

狼に育てられた人間などがその典型例ですね。

※アマラとカマラ、として知られているこの記録は現代では解釈が変わっているようです。

孤児院を運営するキリスト教伝道師ジョセフ・シング(Joseph Amrito Lal Singh)に1919年に保護、養育されたとされており、23枚の写真と寄生虫を駆除した診察記録も残されていますので、彼らの存在そのものは事実です。

解釈が別れているのは「本当に狼に育てられたかどうか?」です。

孤児院で預かった障害がある子供を「狼に育てられた」と仕立てたのではないかとの疑念があり今も論議が続いています。

私がこのコーナーを書いた1997年にはそういった検証や記事を見つけることができませんでした。ネットが発達した現代ではウィキペディアなどに翻訳文が載っています。

映画にもなっており、教育や児童心理学の分野で度々参考にされている本でありよく知られた内容でしたので、私もこのコーナーで引用しました。

まあまさか心理学の教本で「環境説」を学ぶ時に使うもの、私が子供の頃に学校の教師から教わった内容がフィクションだとか誇張や大きな嘘があるとは思っていませんでした。

このホームページを開設した当初は検索エンジン(1997年にYahooJAPANがやっとスタート)が発達しておらず海外の情報は手に入りませんでした。Googleで気軽に検索できる今とは違うんですよ。

国会図書館や大阪府立中之島図書館まで通っていました。

人間はサルと同じように群れで生活していますが、弱い者は群れで保護しようといった感情や道徳、システムを獲得しています。

文化としてもシステムとしても弱者を切り捨てる方向に偏ってはいけない。私はそう考えています。

一部の「大人になりきれない大人」が自分の子供を虐待した上で殺してしまうような事件が、最近多発しています。年端もいかない子供や、まだ自分で自分の生活を支える事のできない小学生中学生に虐待を加え、入院してしまったり体重が同世代の半分以下だったり、衰弱死、虐待死のニュースをみる都度に心が痛みます。

大阪の事件で意識不明になった中学生がいましたが「帰ってこい、君にまだ話したい事があるんだ」と懸命に話しかける同級生をみて、涙が出そうになりました。

正直に言えばそういった身勝手な行為を行う親、卑怯な大人たちを行ってボコボコにぶん殴りたくなりますね。私は空手や合気道もやりましたし、仕事で怖い連中から脅された経験もありますよ。

同じように強い立場の者から徹底して暴力でも受ければ、こいつらは自分のやってることがわかるんだろうか? とも思います。

そういったニュースが多数あることは痛ましい限りです。他の動物とは違う文化や道徳といったものを持つ人間にとって、本来は起こってはならないことだと思われます。

強さの比較、価値観の多様化

人間の場合、少々複雑になっているのは「強さの基準」が自然界とは違い、多様化しているからです。

どちらかというとむしろ、人間界では腕っ節が強いとか喧嘩が強い、力づくで何かを進めるだけの人はあまり尊敬されません。

暴力的である=力が強い=群れのリーダーという図式が人間の生活においては成り立たないのです。

蛮勇(ばんゆう)との言葉もあります。すなわち、勇ましく激しいだけでは認められない。野蛮なだけだと馬鹿と同義語です。

勇ましさやたくましさに知恵とか勇気が伴わないと立派な人だとか、群れを率い守るための統率者、リーダーとしては認めてもらえない訳ですね(笑)。「あいつは力はあるが、それだけだからな~」と笑われる訳です。

興味深いのは人間だけが「文字」を持ちます。自分達の記憶や体験を過去に残す、誰かに引き継げる時点で他の生物とは異なっています。他の動物と異なった生活習慣や道徳や価値観を持ってしまったために、自然界では起こり得ない価値観を多数、作り出している点です。

芸術も理解します。絵画、写真、映像、音楽、詩や文学にも反応します。優れた生き方や道徳を説く宗教家や活動家、造形の美にも反応しますし、社会的な地位とか財産、肩書きにも魅力を感じる人達が出ます。

自然界であれば純粋にオスとしての強さ、個体の判断は比較的簡単です。戦って生き残るか、群れを追われるか老衰や事故で死ぬかです。過酷なようにも見えますがそうすることで群れを維持し、強い遺伝子に未来を託す訳です。

弱い個体が自然淘汰されることにより、自動的に強い種だけが選別されて生き残ることになります。

人間の場合、戦争が頻繁に起こったり不慮の事故にあったり重い病気や伝染病で次々に死んでしまう時代以外は、自然界の掟が当て嵌りません。他の動物達とは違い、人間には天敵となる動物がいないからです。

生物界の頂点に立った人間においては長い生存競争の中で、すぐに喰われて死んでしまうことは気にしなくてもよくなったのです。

すると、ただ単に「腕っ節が強い」というのとは違う判断基準が出来てきました。差し迫った生命の危機はなくなった訳ですから、単純に「喧嘩が強い」というだけで相手を判断することができなくなくなったのです。

むしろ、「乱暴なだけの人」は女性に徹底して嫌われるでしょう(笑)。女性ばかりか職場や仲間内でも浮きます。やはり群れで生活する現代人にとっても、規律を守らない人、横紙破りばかり繰り返す人、他人に攻撃的で配慮のない人は群れを脅かす存在でありあまり心地良いものではないんですよ。

人間の判断の基準は、「知恵と勇気」「根性と体力」の複合技が基本です。

人はサルであってはならない

実際には人間も猿山のサルとあまり変わってないのかもしれません。

お山の大将、ということわざもある。反対に集団で特定の個人や団体を苛めたり追い掛け回すこともある。古顔のボスがすでに体力も統率力も判断力も無くなっているのにトップの座にしがみついたりもします(笑)。

老害が居座ることは群れとしても種としても弱ってゆく原因なのですが、立場に固執してながーく、退いてくれない例も多々ありますね。

どんな強国であっても、一部の老人が居座り若手にチャンスを与えずただ蝕むならば、いずれ産業も国も衰退してゆくでしょう。

最近の報道では、子供や弱者をターゲットにした悲惨な事件や事故が目立ちます。本来、大人達によって庇護されなければならない立場の人達が、犯罪や大人達の身勝手による事件、事故に巻き込まれることが増えています。

人間だけが理性や道徳を持ち、弱い立場の者を守らなければならないのに起きていることは正反対です。幼児虐待や未成年者の略取や殺人、悪戯目的での女児誘拐など数え上げれば切りがありませんよ。

※このコーナーの初稿を最初に載せたのは1997年の8月頃ですが、状況は更に悪化しています。

人はサルとは異なり違い、理性や道徳、広い意味では人間独自の「文化」を持っています。大きな大脳を手に入れ、知恵を持ったのならサル山のサルと同じ行為を繰り返していい筈がありません。

シマウマや象にできることが、どうして人間にはできないと言うのでしょうか?

少なくとも子供達は保護されるべき存在です。

少子化が叫ばれるようになっていますが、子供を育み守るシステムがない、シマウマのように円陣を組んで自分が犠牲になっても「子供達を守ろう!」とする強い意思の大人たちがいないのに、ボロボロ子供だけ産むメスはいませんよ(笑)。

産んだ端から捕食者に食われますから・・・。後で触れていますが、社会の不備、道徳やモラルの低下が少子化を招き、子供や社会的な弱者を狙った犯罪を誘発しているのです。

本当に国の行く末を願うなら、子供達を育てるための環境整備がもっとも重要なポイントです。

あなたがもし、強いオスであるのなら

あなたが本当に「強いオス」で誰かを率い、群れのトップであるならば子供たちや親子連れ、弱者に絡むのは間違いですよ。もっと強者に向かうべきです。

秋葉原であった襲撃事件や通り魔事件の犯人、加害者の言い分は身勝手なものでした。社会に不満があったり気に入らないというなら女子供や抵抗できない老齢者、家族連れではなくヤクザや政治家でも狙えばいいでしょうに・・・。

警備がしっかりしていたり、反撃されて自分では勝てそうもない相手の所には出掛けていません。自分より更に弱者を狙っている。

なのに裁判では自分の不遇を主張するものがいます。

自分が「恵まれていない」からといって子供や抵抗できない女性や老齢者、障害者を狙おうとする連中は単なる卑怯者です。被害に遭った方々は恵まれた生活をしていた富裕層ではない。お休みの日や空いた時間に、たまたまショッピングや遊びに出かけていた一般人に過ぎないのですから。

理不尽に命を奪われたり、見ず知らずの身勝手な男に襲われる云われはありませんよ。

何かを成し遂げる男であるなら、最初からそんな人達には向かわないでしょう。被害者たちが弱者であり誰かを傷つけたり踏みにじる側でないことは一目瞭然なのですから。

それを襲っておいて社会への不満とか自らの不遇を訴えることは卑怯でしかありません。

報道を眺めると被害者の中には犯人よりももっと厳しい環境の中で苦労しながら学校に通ったり、子育てをしながら家族を支えていた方達がいます。

見た目の印象、誰かを羨み妬む心だけで勝手にそういった一般人を襲ったに過ぎないのでしょう。加害者以上に苦労していたり努力していたり。たまたま空いた僅かな余暇を街で過ごしていて、事件に巻き込まれた人達だっているのです。

贈収賄の噂のある政治家とか捏造報道や盗用を繰り返す大手マスコミとかヤクザの事務所、評判の悪い企業のトップを狙ったというなら話は違ってきます。

お金持ちでも権力者でもないただの一般人、それも女子供や買い物客を狙った時点でそれは単なるエゴで。幸せそうに「見える」というだけで、誰かを身勝手に羨んでいるだけの屑ですよ。

交際し始めた女性の連れ子をいじめるとか、虐待して殺してしまうような事例も増えています。

それでは頭の悪いサルと同じですよ。というよりもサルよりももっと悪質で馬鹿かもしれない。

サル山で新しくボスとなった個体は確かに平時には「前のボスの子供」は殺してしまったり、疎ましく思うことはありますが、外敵からは命を賭けて守ろうとします。

前のボス猿の子供だから助けないなんて行動はとりませんよ。全ての仲間、群れの全員が外敵から守られる対象となるのです。

最小のコミュニティを守らないオスが頼りになるわけがない

人間の場合、前の男、旦那との間にできた子供だから殺してしまっていいにはなりません。

残念な連中も増えてますね。強い男、ボスとは家族や仲間、グループやコミュニティ、もっと広い意味では「種(しゅ、種族)を守るものの総称なんですよ。

動物の持つ最初のコミュニティで単位が「家族」なんです。恋人や奥さんであったり、その間に生まれた子供だったり、奥さんが前の夫や恋人との間に作った子供も含まれます。

まあ私も両親が離婚しており母親の連れ子で再婚だったりもするわけですが。

その最小単位の家族とか仲間、友人や知人を守ろうともしない「オス」が、社会で認められたりもっと大きなコミュニティの中で頭角を現すなんてありえませんよ。

それは身勝手なオスであってボス、群れのリーダーではない。

弱者、まして抵抗できない幼い子供とか自分で生活することが出来ず、選択肢のない母親の連れ子を虐待するとか、挙句に暴力で殺してしまうようなオスが。仕事が出来たり判断力があったりしますか?

そういった男と付き合っている女性もよく考えたほうがいいでしょう。

最小単位である「群れ」も大事にできないオスが。新たに手にしたメスを大事にすることはない。次の相手が見つかるまでのつなぎでしょう。子供を見捨て犠牲にしてまで関係を続けたとしても。今度は自分自身が邪魔なメスとなってしまい、捨てられるか殺されることになります。

会社でも飲食店や道端でも、時折、変な連中にぶち当たります。

道端に座ってくわえ煙草だったり、弱者に暴力を振るったり店員に高圧的な態度をとる事が「強いオス」としての証明であるかのように錯覚する頭の悪い連中が増えました。

そんな連中がたむろしている街で。子供をベビーカーに乗せて歩けますか?

面倒を見てくれる親族や家族が近くにいない場合、どうしてもベビーカーや自転車を用いるケースも出てきます。子供だけを家に残して出かけられませんから。

社会に子供を大事にする慣習とかマナーとか雰囲気や空気が無い状態だと。子連れでの外出はとても難しくなるでしょう。共働きだったり父親が仕事で居ない時は母親の務めになります。

女性と幼い子供だけで。気軽に外に出られますか?

少子化解消なんて出来るわけがないですよ。

政府や官僚が馬鹿なのは「金さえ与えりゃ子供が増えるはずだ」との錯覚です。安定した子育てのためには「まず安全な環境作り」なんです。

昔は貧乏でも子供は大勢いましたよ。貧乏人の子沢山なんてことわざがあったくらいですから(笑)。子供が泣きわめく光景も珍しくはなかった。社会全体がそれを容認して大事にする空気があったので町とか村というコミュニティが手伝ったのです。

本当の意味での「男らしさ」勇気とか強さの意味を

その代わりに子供を虐めたり殴ったりするような悪ガキは、それこそ大人が鬼のような顔をして怒ったもんです。

人権がとわめく連中が大騒ぎをしたせいで誰も怒れなくなってます。

子供が大騒ぎをしたり泣きわめくことに寛容な代わりに、盗みとか幼い子供への暴力を見つけたらガツンと殴ったり、親でなくても大人が叱りつけて怒るというしっかりしたシステムが昔は機能していました。

子供の頃に悪いことをしても叱られずに育った大人たちが。マナーやルールを守ると思いますか?

ドラえもんのような漫画にもカミナリさんというおっかない大人の姿が描かれていました。のび太やジャイアンが空き地で野球をやってて窓ガラスを割ったり、盆栽を壊した時に叱りつける怖い大人です。

それが当然だったんですよ。アメとムチの両方が昔の日本社会にはあったのです。

そういった人達を認めないとか漫画にも描けない状況が「叱られない子供」を増やしています。モノの善悪とか弱者を虐めない、悪いことをしたら叱られるという当然の感覚が育たなくなってます。

弱い立場の人間にだけ高圧的な連中が増えていてとても残念です。子連れの家族とかベビーカーに絡む屑もいるんですよ。社会全体がそういった連中を排除したり咎める方向に動かないと、下手に関わるのは怖いからと遠巻きにして誰も割って入らない状況も起こります。

自分が「強いオス」であるなら店員に対して威張ったり怒鳴ったり、老人や女子供相手に暴言や暴力を振るったり、服装や格好で相手を脅すものではないですよ。

それは強者ではなく単なるチンピラですから。

本末転倒なんですよ。「弱者」広い意味では、群れを守るからボスなんです。

弱者を虐げ、周囲に威張り散らし、メスと独り占めにするために「ボス」という地位があるのではありません。順序が完璧に逆なんですよ。

外敵に向かっていないでしょう? 群れの頂点に立つボスが優遇されるのは家族や仲間を守るためです。種として生き残るために「強い力を持ったオス」が必要でリーダーとなります。主な役割は外敵や自然災害から群れを守るためで内部抗争とか派閥争いはおまけなんですよ。

身内や仲間、「弱者」に牙を剥くものはボスではなく群れに必要のない屑なんです。勝手にボスを気取る外敵でどんなに腕力を誇ってもいずれ排除されます。迷惑ですから。

群れの中で弱者を虐待したり、抵抗できない相手にだけ吠えたり虐めるのは強さとは無関係ですよ。

そういった愚かしさがいつまでも抜けない人は歳をとって身体が弱った際、怪我をしたり失敗した時に群れを追われて逃げて行くことになるでしょう。

あなたが誰かを助け何かを支えて育てるなら年令を重ねても残るものはあるでしょう。弱ったからといって追い出されることはありません。あなたご自身が弱者を庇って生活してきたのなら、あなたが弱者になった時にも周囲に慕われ、家族や仲間に恵まれて一人きりにはならないものですよ。

そこが本来、サルと人間をわける重要な部分です。社会的な弱者や周囲を思いやる優しさが人間社会に求められる叡智や知性であり、それを当たり前のように行える人が本物の「勇気」を持つ人でしょう。

私は本当の意味での「強さ」とは優しさであり、周囲を思いやり弱者を抱える余裕だと思っています。

このコーナーの初稿は1997年、私が開業当初に書いた内容です。年数が経過しましたので2017年のサーバー移転の際に読みやすいようにレイアウトと一部に加筆修正を加えてあります。

1997年08月23日 初稿

2017年12月04日 加筆、修正

谷口信行

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