催眠と教育、社会問題について

2017/12/11改訂
1998/03/31初稿

このコーナーがこの場所に書かれた背景

このコーナーが最初に書かれたのは1998年03月31日です。私がまだ開業して間もない頃ですね。ホームページを公開して1年ほどですが、すでにTBSの深夜番組等に出演しています。

関西ではネットの関係で放送されていなかったのですが、そういった番組のおかげなのかメールでの問い合わせが一気に増えました。

ただし、ありがたいものばかりではなくてですね。送られてくるメールには催眠を勘違いしているというか、あからさまな犯罪依頼があったり。そのうちの幾つかはあまりに内容がおかしいのでサイト上で注意事項を載せたり警告して釘を刺すことにしました。

「応用と実践」のコーナーに面白くもないというか、ちょっと硬い内容が増えたのはそのせいです。

申し訳ないですが、ネットやスマホが発達した2017年でも状況は変わっていません。むしろ一部は悪質化しています。催眠の公共団体だだの霊視が出来る前世が見えるだの、あなたのお子さんを催眠で操って勉強ができるようにしてあげるだのと言い張っている連中がいます。

ネットには相談者を騙そうとか悩みに乗じて女性を口説こう、子供を攫おうとしている連中がいます。

SNSやTwitterで自殺志願者を誘い出して殺してしまうような悪質な事件も相次いでいるため、このコーナーも加筆修正してそのまま残すことにしました。

ここからは「私の子供に催眠をかけて親の言う通りになるようにしてくれ」などと安易に言ってくる親に憤りを感じて書かれた文章です。

今後、どこかに依頼しようとか子供の教育問題をお考えの方はこのコーナーを参考にしてください。

子供を「操る」のは催眠でも教育でもない

初級テキストの基礎講座にも書きましたが、催眠とは何でもできる簡単で便利な道具ではありません。

基礎講座の巻末の「禁止暗示について」のコーナーでも書かれていますが、安易に自分の子供や友人、彼女に催眠をかければトラブルが何でも簡単に解決すると考えることは間違いです。

催眠で主に行えるのは原因の特定です。なぜ、そのようなトラブルにあなた(被験者)が囚われることになったのか、その原因や要因を探ることにあります。

その上でカウンセリングや方向修正、行動抑制を行いストレスを軽減し、本人が苦しい状況を抜け出す手助けをする必要があります。そこを曲解して強制的な暗示や催眠、相手の意思や環境、原因を無視した勝手な方向づけなど行うべきではありません。

私の場合、親御さんが勝手に「この子を催眠を使って、私の言う通りにして欲しい」などと言われても絶対に行いません。あまりに失礼ですし、子供の人格を無視していると思います。

「私の言う通りにすればいい」

「私の言ったとおりにすれば人生はバラ色だ」

「親の言うとおりにしたら幸せになれる」

「こうしておけば、絶対に失敗しない」

など、いったい誰が決めたのでしょう? 社会常識や通念は刻一刻と変化します。

幸せの意味とか安定なども一律ではないでしょう。たった数年前まで安定企業、安心出来る職種と言われていたものがあっという間に斜陽に傾くこともあります。

いい大学や学校を出ても社会情勢の変化で就職すらままならないこともある。歳をとってからいきなりリストラに遭うこともある。生き残りをかけて会社側も大幅な再建策に取り掛かりますから人員削減や統廃合、買収も相次いでいます。

東京三菱UFJ銀行が既存店舗を大幅縮小して9500人も人員削減すると言い出しています。

2017年の時点で、東芝やSHARP、日本航空なども倒産の憂き目にあっていますよ? 大手企業でそういったトラブルとは無縁の筈でした。神戸製鋼や三菱マテリアルですら不祥事に揺れています。

この頃に私にメールを送ってきた親御さん達は覚えていますか? あなたがたが1998年に当時憧れ、子供たちが幸せに暮らせて安定した職場だと言った企業がそういった状態になっています。

これはこのホームページや私のテキストに何度も書かれていることですが。ただ誰かに従う事を強制されて育った子供は自主性や独創性を失い、突発事故やアクシデントに弱くなるんですよ。

厳しい社会情勢、急速に変化する現代社会に対応しきれません。

それは「指示者」が親御さんであっても同じことです。

個性と自立が、その子供の将来を守る

「私にまかせとけばいい」といった指導や教育は本人の自立を妨げます。

「私はこの子の親だからいい」のではないんですよ。親だから危ういのです。

親が嫌いな子供というのは珍しいですよ。少なくとも幼い頃、親が愛情を注いで育てたなら母親や父親を大嫌いになる子供なんていません。それは裏を返せば「親だからこそ」子供に慕われますし、親に愛されたいとか嫌われたくないという強い感情を含んでいます。

要するに、親の影響力は学校の教師程度のものじゃありません。圧倒的なんです。

自立心が芽生え自分で何かを判断し、反抗期を過ぎた子供なら大人に近づいています。

精神が成長して自分の「防隔」が完成するまでは、注意が必要なんですよ。親の何気ない一言が強烈にショックを与えたり、反対に励みになったりします。

嫌いな人の影響はそれほど受けませんよ。幼子が親を愛するのは自分の庇護者であり、誰かからの愛情がなければ簡単に死んでしまう弱い存在だからですね。これについては「前世は本当にあるのか?」のコーナーでも解説を加えています。

「子供は親のいう通りにしておけばいい!」とヒステリックに怒鳴る親を見るたびに私は「そうではないんだ」と考えます。

親は間違いなく子供よりは先に死にます。事件や不慮の事故、何らかの病気で死なない限り普通は親のほうが先に逝くんですよ。勘違いしがちですが子供は親の所有物ではありません。所有物のように扱って先にその所有者、親が死んでしまったら? 子供たちは宙に浮きますよ。

確かに間違った方向に子供が進もうと考える時「そちらは危ない!」と教えるのは親の大切な勤めです。ですから私としても社会経験の少ない子供を心配したり、親が何らかの道筋を見つけようとすることの全てが間違いだとは思っていません。

ですが、それでも子供本人が「自分で考える能力や判断力」はどうしても必要です。

危険を回避する能力と言っても良いでしょう。親や大人は「やってはならない」ことを教えると同時に「なぜ、それをやってはならないか?」を一緒に考え、子供たちに悩ませる義務を負うのです。

寿命や順番を考えれば通常は親が先に死にます。親があまりに過保護で子供を甘やかして面倒をみてしまったら? その子は自立出来ますか?

子供は親の所有物ではないと書いたのは。結果として所有物のように扱われた子供は所有者がいなくなった時にうろたえ、別の所有者を求めることになるからです。

親なら善意もあります。子供の幸せを願っての真摯なアドバイスもある。ですが、それが第三者とかまったく無関係の人達なら? 親身(しんみ、親の立場で身内)になってくれますか?

多くの悪意やトラブル、突発的なトラブルが待ち受ける社会において、誰かに妄信的に従うことを先に教えてしまうと危険ですよ。取り返しがつかなくなります。

ただの社畜や奴隷と同じ。レールからはみ出す事もできません。そういった人が贈収賄とかデータ改ざんなどに巻き込まれ、上役から責任を押し付けられます。

社会には多くの悪意がある。運良く悪意に当たらなくても派閥争いや出世競争はある。自分の家族とか立場を優先することになりますから、自立心や自主性、自らが考えて何かを行うことが出来ない人に手加減なんてしてくれませんよ? 社会は厳しいのです。

そのような仕事や生き方しかできない人は徹底的に利用され、使い捨てにされます。

独自の判断力とか独創性、広い意味では個性とか独自性は子供の頃に育まれることになります。私に黙って従えと叱りつけることは簡単ですし楽ですよ? 手間もかかりませんし。

それは親の手抜きです。本来なら「それをなぜ今、行わなければならないか?」を粘り強く子供に語りかける必要があるのです。

子供の自主性や自立性を無視して「親の言いなりになれ!」は結果として弱い人間しか作りません。

社会情勢や環境、関わる人達の変化

これも勘違いしがちなのですが、親が子供に「正解を教える」必要はありません。

単なる親であり聖人ではない。私も含めて神様になんてなれませんよ(笑)。絶対確実な安全路、間違いのない人生の道筋、ダンジョンを攻略できるパーフェクトガイドを。誰が持っていますか?

そんなものラノベや漫画、アニメでもありませんよ。

人生は長いですし社会には大勢が関わります。未来予想図が完璧に描けるならその時点で大金持ちです。私はこれまでに数度の震災と何度かの商売上のトラブルに遭遇していますが・・・。

そのどれか一発でもまともに当っていたら。その時点で死んでいたでしょう。

震災とか戦争とか不慮の事故やおかしな連中に付け狙われることもある。優秀だとか仕事が出来ることでやっかまれたり嫌がらせをされることもありますよ? 理不尽なものも多くて公務員だとか大手企業なら安心かというとそうでもありません。

公務員とか官僚とか「大手企業だからこそ」内部で派閥闘争もありますし、足の引っ張りあいやスキャンダル、不倫とか浮気のネタを探すものや暴露する人もいます。

昔は「人が良い」ことは美徳とされましたが、残念ながら現在においては馬鹿と同義語です。

私はもちろん、その現状が良いとは思っていませんよ? 誰かのために何かをやるとかボランティアの精神は尊いものです。金銭目的とか営利目的だけで社会が成り立っているとも思っていませんし、社会には悪意とは真逆の温かい善意もたくさんあります。

善意を持って誰かを手伝う事、誰かに親切にすることは人間の美徳であり尊ぶべき事です。

ですが社会には多くの悪意もある。振込め詐偽を筆頭に誰かの善意とか優しさを利用して騙したり、まったく無関係の人にお金を請求したり何かを売りつける行為も横行しています。

なーんにも悪いことはしていない。ただ真面目に生活していたり家族と暮らしているだけ。

それでも忍び寄ってくる悪意はありますし、誰かを騙したり踏みつけにして金儲けをしたい連中もいます。単なる嫉妬や羨望から誹謗中傷を繰り返したり、嘘を言いふらす人間も数多く知っています。

現代社会において自分の意思を明確に持たず、他人に指示されないと「何もできない人間」は早々に駄目な人だとレッテルを張られ、適当に利用されます。

その場合、どんな高学歴も何の意味も持ちません。

厳しいようですが、やはり自分の意思や考えで「間違っている」ことは間違っている、「嫌な事は嫌」とはっきり言わなければなりません。

その強い意志、自立性や独立性を育て、詐欺や悪意ある連中から身を守るためには親御さんが「私の言うことは絶対」だとか「黙って言われたとおりにすりゃあいい!」と求めることはタブーですよ。

勘違いしている人達は目を覚まして

何十年も会社の言いなりになって懸命に働いた方が、一方的なリストラに合う現実もあります。終身雇用制で一生会社が面倒をみてくれた時代とは違います。

公務員ですら所属する組織が民営化されたケースが幾つもある。仕事の過程の中で何かの汚職や贈賄に関わり、仕事どころか社会的な信頼や家族、命を失うケースもあります。

その報道とか事件を眺めてみれば、会社や上司の指示に従い「自分で考えていなかった」「はっきりと拒否出来なかった」ことが原因であることも多いのです。

倒産してゆく企業もありますし合併や統廃合もある。今後社会は益々、複雑化するでしょう。

どういった状況においても、生き残って行く人は「自分の意思を明確に持っている人」でしょうね。その条件を満たした上で「他の者にはない何か?」を併せ持っているなら理想でしょう。技術、知識、経験。学歴や人脈も含むでしょうし、才能なんてものもあれば素晴らしい。

ただし、才能や学歴が先ではないでしょうね。意思の確立が出来ないと周囲に利用されたり使い潰されますよ? 社会には悪意のほうが多いのですから。

一般的な親がよく勘違いしていることですが、親が子供に「正解を教える」必要などないのです。

お母さんの言うことに従いなさい、お父さんの言う通りにすれば間違いないではなく、なぜ、お父さんやお母さんは「それが正しいと思うのか?」と考えているかを話すことがもっとも大切になります。

親は神様ではないので絶対的な正解など持っていません。それは大人になった私達がもっとも知っていることの筈なのです。子供の頃は二十歳の人でも大人に見えたでしょう? では今になって周囲を振り返ってみたらどうでしょうか?

二十歳どころか三十代、四十代になっても子供っぽいでしょ? 全員がそんなにしっかりした大人になったとか、素晴らしい人格でバランスのとれた大人に育ったとも思えない。いい歳こいておかしな言動を繰り返していたり、親も含めた周囲に迷惑をかけている人なんて大勢いますね。

そういった人達が「自分が子供の頃に思い描いた大人か?」と言われると微妙に異なっているようにも感じます。自分自身も含め、そこまで激変したわけでもないでしょう。

なのになぜか「自分が親になった途端に」我が子には絶対的な正解を示さなければならない、と思い込む。これが驚くほどに多いですね。

子供を将来の社会における多くの悪意や荒波から守ろうと思うならば、まず、親がやらないといけないのは「何が絶対に正しいのか?」を教えることじゃありませんよ。

何が正しいのかを一緒に考えたり「一緒に悩むこと」です。

一人ではなく誰かが一緒にいて。正解が何かを共に考える姿勢が大事なのです。

父親:「んー、どうしてかなぁ? お父さんにもわかんない」

子供:「どうしてわからないの? お父さんにもわからないことなの?」

父親:「わからないこともあるよ。一緒に図書館に行って調べようか?」

子供:「うん」

父親:「パソコンでまず図書館を調べよう。一緒に検索してどこに行くか考えてみよう」

教師や親が解答だけをポンっと与えたら何も考えなくなりますよ? 大切なのは絶対的な正解を教えることではなく「一緒に悩んで考えよう」とすることなのです。解答を「自らで導き出そうとする姿勢」が大事で。親も含め周囲はその手助けで辞めなければならない。

方程式は解答だけ書いたって褒めてもらえないでしょう? その過程、証明が必要になります。ネットにも時折、そういった感覚の人はいますが。解答だけを何処かから盗んで自分のサイトに公開したとしても。それで尊敬を集めることなどないのですよ。

単なる盗人とか身勝手な流用者ですので。別の設問をぶつけられたら解答などできなくなってしまう。

過程を無視して解答だけを強引に教えると楽な方向に走ります。難しい事とか複雑なことは考えず、誰かの指示だけを待つ大人に成長します。親が生きているうちや保護者や善意の第三者がいるうちはいいですが、悪意を持って誰かに接せられるとひとたまりもありませんよ。

結果としてそれは、社会からドロップアウトすることになりかねません。

絶対的な「正解」を教えることではなく「これが正しいのではないか?」を親とか大人が子供と一緒になって考えたり頭を悩ませる必要があるのです。

効率とか採算性だけを重視して多様性や個性を否定しないで

時間に追われる現代社会ですから。どうしても無駄な時間は短縮したい。下手に手間をかけるよりもコンビニや外食チェーンで簡単に食事なんて済ませたいでしょう? 料理に時間をかける分だけ余暇を過ごしたり仕事や勉強、睡眠時間にあてれますから・・・。

便利で簡単です。お金があれば全部が外食でも済んでしまう。ですが、その子が女の子であった場合、恋人とかそのご家族に、奥さんとして快く受け入れてもらえますか? 何の料理も出来ず、交際相手のご家庭にもご両親にも馴染めず、一緒に食事もできないかも。

それは後で苦労することになりませんか?

利益採算性とか効率だけを重視して「簡単でお手軽だから」と努力しないとか、正解だけを手に入れたり、全てを有り物だけで済ませるようになったら。多様性とか個性は生まれませんよ?

それじゃまるでブロイラーです(笑)。流れ作業で効率よく卵を生んで、用が済んだら首を絞められてお終いですか? それで自分の人生を歩んだと言えるのでしょうか?

人間はやはり、経済動物とは違いますから・・・。簡単に使い潰すとか効率だけで考えるのは間違いでしょう。適材適所といいますか、それぞれが自分に合った職場や環境を目指すべきだと思います。

絶対的な正解がたった一つの訳はないですし、価値観とか目指す方向性、思考は様々でいいと思います。サッカー選手や野球選手を目指す人がいてもいいし、公務員や官僚、一部上場の企業を目指すのもいいし、実業家や自営業、実家の家業を継ぐ人がいてもいいと思うのです。

また「勝つ」ことを教える場合には、それに入れなかった場合も教える必要があります。

統計で言えば一部上場企業に就職する人は社会全体の10パーセント程度に過ぎません。残りの90パーセントはその下請けや周辺、生活に必要な別の仕事に従事することになります。

それを「負けた」と親や大人たちが教えるのは新たな差別の火種になります。

1000万円以上の年収を獲っている人は全国民の数パーセントに過ぎません。バブル期の最大で8%で不況時には5%未満で推移しています。これはアメリカやイギリスのような先進諸国なら殆ど変わりません。新興著しい中国などでも似たような数値です。

運良くトップから10%に入れた場合にはラッキーでしょう。ただし残りの90%に入ってしまった場合にはどうしますか?

上位の数パーセントに入れる人は少数です。そこにたどり着くことばかりを「がんばれ!」と子供達に教え続ければ、はみ出した人間はどうでもいい人間だ、といった印象だけが色濃く残ります。

親も子供も勘違いしていますがその限られた数パーセント、選ばれた人達のメンバーになるためならば「どんな卑怯技だって繰り出していい」と思い込む子達も現れますよ?

そういった感覚のまま育った子供たちが、将来どのような未来を作ると思いますか?

エリートになれ、と教えたはずの大人とか親が。効率から考えれば邪魔になります。お年寄りを老害と呼んで憚らない(はばからない)世代も生まれています。親とか祖父母、社会的な弱者である障がい者を排除したら。「自分たちの月々の支払い」「税金が安くなる」と考えはしませんか?

上位の数パーセントの人間に入れば「我々は選ばれた存在だ!」と考えるようになります。選民思想に近いでしょうね。誰かを見下すことに何の痛痒(つうよう)も感じない人達になるでしょう。

反対にそこから漏れ「はみ出した」と感じたり「落ちこぼれた」と受け取る人間の一部は社会を恨んで騒動を起こします。目標を見失いますから。不幸なタイミングとか巡り合わせで先頭から漏れただけで本来は優秀な人達もいます。

その優秀な筈の人達がやけになって周囲に迷惑をかけることを厭わなくなるので、通り魔事件や放火騒動、テロ事件の下地となります。

実際には社会には自営業も販売業も職人もいば、学校の先生も公務員も大手企業の下請けもある。縁の下の力持ちという諺(ことわざ)もありますが、社会には多様な職種があってそれが必要とされているのです。元は下請けとかベンチャーの小さな会社が大きく羽ばたいた実例もあります。

ミュージシャンも物書きも漫画家もアニメーターや映像屋も旅行社も必要だからそこにある。職業に貴賎(尊い、いやしい)などはない。

その部分を教えずに金とか実入りの部分だけ教えてしまえば取り返しがつかなくなるでしょうね。物を作ったり難しい基礎研究などはせず、マネーゲームと違法行為ばかり繰り返す連中のみになります。

それでは社会生活そのものが成り立ちません。

子供達が大人から教わらなかった物

子供たちが目的を見失うのは多様性や様々な価値観を教わっていないから。だから先頭コースからちょっと外れただけで自分の今いる場所や、価値観を見失うことになるからです。

マラソンの先導者から離れてしまって、自分の走っている位置やコースがわからないなら早くなんて走れませんよ。

ネットが発達し、膨大な情報に簡単に触れられる時代だからこそ人の価値観や役割、仕事とか目的が様々であることを子供たちに教える必要があるのでしょう。

未来は様々で目的も複数ある筈なのに、日本を取り巻く現在の社会情勢においてはあまりに一点に絞り過ぎです。競争からドロップアウトすること、他の道筋を目指すことを「負けることだ」と教えてしまえば後々、問題にしかなりませんよ。

エリートコースなるものから外れることを「恥だ!」と教わり、そうだと思い込ませる文化や社会は「お金さえ貰えればなんでもいい」といった感覚の子供達を次々に生み出す原因になると思います。

現在起っている「いじめ」の問題や、刃物を使った少年犯罪、路上生活者を襲撃する事件なども、そのような社会や教育の姿勢に一因はあります。

効率を求め、勝つことだけを中心に教育を受け、それを学ぶ意味やはみ出した場合の対処法を教わらなかった子供たちは「はみ出す」ことや「置いていかれる」ことに強い恐怖感や不安を覚えます。

結果、「自分たちよりも落ちこぼれている者」や「はみ出している者」を追いかけ、いじめたり、仲間はずれにする対象にします。

そうすることで安心するからでしょうね。

最近はLINEとかSNSでも虐めや仲間外れが起こっています。

恐怖心の裏返しなんですよ。路上生活者は「はみ出した連中なんだから襲撃したっていいんだ」「憂さ晴らしになるし」に繋がりやすい。彼らも同じ人間だとは教わっていませんし。ドロップアウトした負け犬に優しくしてやる必要なんてない、と本気で思い込んでいる子達がいます。

この状況は、会社におけるリストラなどにも当てはまりますね。

言葉を返してみると不安感から誰でも標的になり、誰でも「いじめる側」にも「いじめられる側」にもなり得ることを指し示します。

仕事を好きで首になったり好きで路上生活者になるものはいません。社会情勢や不幸な巡り合わせタイミングです。事故や病気、体調不良、年齢なども関係している。

努力をサボった者だけがドロップアウトするのではなく、真面目にやっていてもそうなってしまうことがあるのが現代社会なのです。

ところが、子供たちはそうは教わっていない。

「あれは負け組だ」などと指さして笑い、石を投げつける行為が当たり前だと思うんですよ。

教わっていないからこそ「群れる」

「はみ出せば負けだ!」と大人や教師から教わります。

文化の多様性や職種の変化、様々な方向性や目的があるとは教わらず、ただ単に「良い大学に入りなさい!」「入りさえすればあなたの将来はバラ色なんです」と教わった子供は、他の道筋を知りません。

はみ出すことを恐れることからこそ、集団を作ります。

一人でいられなくなるんですよ。他と同化していない人は罪だと教わって育っていますから。

結果として同じような流行を求めてグループを作ったり、インチキ宗教などの「私たちと一緒にいれば安心だ」というような詐欺に参加したりひっかかります。

(自分達の集団、グループから)はみ出していなければ安心だ、と勘違いします。一人なら不安になりますが、集団で同じ方向を向くならその集団で行われることは全て、「正義だ!」といった感覚に近すり替わりやすいからです。

その感覚は自分たちさえよければ他がどうなっても構わない、といったごう慢さを生み易く、自分達の安心感のために全てを肯定も否定するようになります。

時代と共に名称だけはコロコロと移り変わっていますが。会社や企業という大きな器であろうと、新興宗教やカルトという限られた器であろうと、チーマーとか暴走族などと呼ばれる集団やグループであろうと中身はだいたい同じです。

自分たちだけで群れる。邪魔だと思ったり毛色が違うだけで排除する。中には理不尽な要求、単なる嫉妬とか羨望から何の罪もない普通の人とか一般人を誹謗中傷することもあります。

大きい小さいの差こそあれ、行われていることや求められていることは似ているのです。

子供の頃から社会には多様な価値観があることを教え、絶対的な正解とやらを「大人が押し付ける」のではなく「共に探す」教育が必要です。

そのためには「これが正解だ」と教えるのではなく、一緒に悩み考える大人が必要になってきます。

これが時間がかかるんですよ。料理で下ごしらえをしたり、隠し包丁を入れたり、職人を育てるのに似ています。その一手間とか下ごしらえ、修行が料理を美味しくするんでしょうけれど、利益効率や採算性、かかる手間や時間を惜しんで端折り(はしょる、省略する)たくなります。

現在、起こっている問題の多くは何らかの効率に追われるあまり、大人たちが子供と一緒に考えること、悩むこと、時間を割くことをしなくなったからではないでしょうか?

少なくとも、私にはそう受け取れます。

ただ単に目標を掲げてみせて「従え!」「アレが正しい!」と押し付けてしまっても何も解決しませんよ。そのような姿勢がかえって問題を複雑化させています。

そろそろ、社会環境や教育そのものを見直す時期に入っています。

まず話す努力、一緒に考える時間を

こう書き綴ってしまうと、何だか難しいことのように感じるでしょうが・・・・

子供達に接する時、あまり難しく考える必要はありません。

子供の前で「大人ぶらない」ことなんですよ。

「大人だからこうしなければならない!」とか「大人だから正解を教えなければならない!」とか「親だからしっかりしないと!」は、子供たちにとってあまり深い意味を持ちません。

それは単純に大人たちの見栄です(笑)。

子供が喜ぶのは「共にいてくれる存在」ですよ。正解が無くてもいいんです。

正解を「探そう」とする姿勢。「共に悩んでくれる」存在です。

親や先生、広い意味では「大人たち」の誰でもいいんです。おじいちゃんおばあちゃん、それがダメなら別の親類でもいい。

おまけに解答も知らなくていいんです。「なんで、そんなことになるんじゃろうねぇ?」と一緒に考え、悩み、時間を割いてくれることがもっとも大切です。

特に幼い子供のうちは一人にしてはダメなんですよ。誰かが共にいて導く必要がある。価値観が定まったり、ある程度自分の面倒がみれるようになったらサポートは要りません。

安易に「こうすればいい」「これが正解だ!」と押し付けてしまう前に、子供や家族、友人と直接向き合い、話し合う時間を割いて向き合うための努力を。

正解なんざ出なくたっていい。一緒に「考えて悩んでやる」だけでも意味はあります。

参考本とかアンチョコ本、変な熱血学習塾の影響か何か知りませんが、安易に「俺が正解を教えてやる!」と怒鳴る変な大人が増え過ぎました。

何が正解か、なんてのは長い人生を振り返ってみれば誰にもわかりませんよ(笑)。絶対に潰れないはずの大企業、バブル期には絶好調だった証券会社や銀行もリストラや統廃合の嵐でした。このコーナーに改訂を入れている2017年には東芝やSHARPが窮地に陥っています。

護送船団方式とまで言われて他の国とは違うから「絶対に潰れることがない」とまで言われていた銀行だって国際社会の荒波に揉まれて苦労はしています。Amazonの台頭でヨドバシカメラやビックカメラも危機的状況ですよ? ネットの発達、電子書籍のダウンロード販売が加速して。大手書店や出版社にまでその影響は及んでいます。

東芝やSHARP、日本航空が経営難に陥ると1998年当時に私が書いたとしたら。このコーナーを読みに来た人は腹を抱えて笑って馬鹿にしたでしょうね(笑)。

これも私は初期の頃からこのサイトに載せているのですが・・・

今後はテレビ局とか新聞社にもそれは及ぶでしょう。

何が正解だったかなんて親や教師どころか誰にもわかるはずがありませんよ? 優れた経営者にだって無理です。だから名門企業、日本の代表とまで言われた会社でも倒産やリストラの憂き目に遭っています。

それが良い人生で正しい選択だったかなんて。誰しもが死の淵、その瞬間まではわかりっこないのです。誰にもわからない未来を追い求めても正解は得られない。

大人たちとか親たちが「過去の問題集を」集めて雁首突き合わせても、良い知恵になりませんよ。それはあくまで過去問であって現在の解答ではないですから。

効率を求めて従うことばかり教えてはいけない

誰かが押し付けた価値観で結果が失敗だった時には深く恨まれますよ(笑)。親や先生言うとおりの進路や企業を選んだのに。結果として失敗に終われば「あの先生、ウチの親が悪いんだ」になってしまいます。

迷った末にでも自力で選択して歩んだのであれば、後悔ばかりではなくやりがいや納得もあるものです。

面倒だから一律にしてしまう、というのは簡単ですが。黙って従えとか余計なことを考えるなと教えるのは間違っていると思いますよ。

「仕事や家事が忙しい」は大人の都合です。

確かに生活は大事ですよ。その生活のために一部は子供たちや家族に我慢させたり背負ってもらわないといけない部分もある。お金稼がないと家庭そのものが崩壊しますし。

ただし、だからといってそのための時間、子供との触れ合いがゼロになったら、子供たちがまっすぐに育つ訳ないでしょう(笑)。

黙って大人、先生や親の言いなりになるならロボットです。永遠に誰かからの指示を待つ人形でしょうね。親が生きている間とかまともなうちならいいですが・・・。歳をとってボケてきたり先にお亡くなりになったら大変でしょうね。誰も守ってくれないし指示してくれませんから。

大切なのは、「今、何をするべきなのか?」に時間を割き、話し合うことです。

効率のみを考えて「無理に従わせること」で問題は解決しません。時間をかけても話し合い、子供たちが自分で選択し考えさせる必要があるのです。

その手順や時間を何らかの理由を楯に省く(はぶく)ことは近い将来、何も自分で考えない、何の責任も負わない大人を増やしてしまうでしょう。

そうやって育ったのだから「役に立たない親や年寄りの面倒など、どうして私達がやらなけらばならないの?」と考えるのが普通ですよ。何も教わっていないのですから・・・。

一緒に悩み考える手順を惜しんで与えていないのですから。大人に育った子供たちが「自分のためにこの人達が支えてくれた」とか「育ててくれた」とは絶対に感じませんよ。

餌だけ与えておけばペットが必ず懐いたり「恩義を感じるか?」と言われればそうではありません。

常に檻に閉じこめ、散歩にも連れてゆかず怒鳴りつけたり殴りつけていた場合、感謝どころか激しい嫌悪感と憎悪を燃え立たせることになるでしょう。

おそらくは名目上、戸籍上の「親とか飼い主」ではなくてですね。愛情を持って接してくれたお手伝いさんとか祖父母とか、一緒に遊んでくれたり散歩に連れて行ってくれた人を自分の味方だとか仲間だと判断するでしょう。祖父母やお手伝いさんに冷たく当たれば噛みつかれます。

手間暇をかけず、時間も省略してるのに主人として認めろというほうがどうかしていますよ。

まして人間の子供はペットではありませんから・・・。もっと考える能力もありますし成長過程も複雑です。「お前らのために俺は働いてきたんだ!」「あんたの面倒を散々見てきたのに!」といくら叫んでも認めてはもらえないでしょう。

触れ合う時間、つまり「共に過ごす時間」がお互いの関係を育てるのです。種を蒔いただけとか、産んだだけでは子供たちは親には懐かず、その後、手間暇かけたり愛情を注いで一緒にいてやって始めて、相手を自分の親、信頼できる仲間として認識します。

単純に餌(食事)を与えて衣服を買い与え、「塾にも行かせてやったじゃないか!」では親に懐きませんし感謝もされないのです。

やはり、触れ合う時間が大切です。

面倒でも触れ合う時間をとり、ご本人に選択する機会を

私は常に「こうしなさい!」と命令はしません。カウンセリングを行う場合でも催眠の技術指導を行う場合でも、事前によく話し合って「自分で行い、考える」方向で常に指導しています。

「こうすれば良い」と指導することや施術を行うことは簡単ですが、私は教祖にも神にもなりたくありませんし、なれっこありませんよ(笑)。

私自身が迷いも苦痛も抱えて生きているただの人間です。

その「ただの人間」が誰かに「正解を導き出すことが出来る」と考えるのはただのエゴであり自惚れでしょう。私はそんなに偉くもなれないし自信家でもありません。

その人の生き方はその人本人が決めるものです。

話し合いは必要でしょう。経験者としてのアドバイスもできる。息抜きやストレスの軽減を勧めることもできますし、私なりの手法や技術も持っている。

ただし、それらはお互いの話し合いや状況の把握後に決めてゆけばいいことであって、私が一方的に押し付けるものであってはならない筈です。

私が正解を与えてあげる、などといった考え方に傾倒することは極めて不遜(ふそん)であり危険な考え方でしょう。少なくとも今後も行う予定がありません。

私がそんな行為を行えば、どこかのインチキ新興宗教の教祖のような傲慢な感覚の持ち主になりかねませんし、相談にくる人の自立や回復を妨げると考えるからです。

全てを相手に任せてしまって考える能力を失うならば、それは魂を売り渡す行為に似てはいませんか? 「魂を捧げればお前の望みはなんでもかなえてやろう」と持ちかけてくる悪魔のようですね。

魂(心、魂魄)を失うとは自らの意思や方向性、考えを失うことです。

何かを一方的に信じ拝めばいいと教えるのなら、そこに自主性や自立性、個性や独創性は存在しません。たった一人の支配者や独裁者が必要なだけになってしまいます。

一部の人間だけが私腹を肥やすただの差別社会がそこにでき上がってしまいます。

苦しくても、面倒でも、自分で考えることを止めてはなりません。それはあなたの魂、未来や将来性を失わせる行為です。悩んでいる時や悲しい時や寂しい時はどうしてもそちらに傾きがちになりますが、それでも歯を食いしばって「自分で」考えるしかない。

なぜならばその「悩み、自分で考える」行為そのものが、あなたを育てるからです。

耕し、育てるのは大変

「私を信じて拝みなさい。そうすれば良いことがありますよ」と告げることが最も簡単です。

私だってそう言いたい時はありますよ。クヨクヨと同じ思考に囚われていつまでも同じ言動に終始して動き出さない人もいますから・・・。

採算や効率を第一に考えるなら「あなたはこうしなさい!」と高圧的に迫って占い師のような発言をしたほうが楽ちんです。

「さあ外に出て、荒れ野に赴き一緒に耕しましょう!」

「汗まみれになりますし苦労しますよ!」

「いつかきっと、豊かな収穫が得られますよ!」

と告げてもなかなか聞き入れてもらえないでしょうね(笑)。

「あなたに幸運を授けてあげましょう」ですから「私を拝みなさい」「この壺を買いなさい」「この御札を持ち帰ったら、あなたのお子さんは頭が良くなりますよ」と告げる人のほうが多いでしょうね。そのほうが簡単ですから。理解もしやすい。

まあ全部が嘘であり詐欺ではあるのですが。相手が信じてさえくれれば、それらはわかりやすいお題目で簡単に見えるもののほうが煽りやすいのです。

荒野に出でて耕すのは大変です。一緒に汗を流すのも難しい。

耕す役目とか種を蒔いて水をやる作業は人に任せて収穫だけには参加したいと言ってくる人や、収穫時に実りを強奪しようとする人は昔からたくさん存在します。

ただし、やはり苦労しないで報酬を得るのは筋違いなんです。特にそこに「自分の成長」を挟むのであれば、他人任せにしてはなりません。

おいしそうな言葉、簡単そうな内容を並べるのは、そこに相手を利用しようという、邪(よこしま)な感覚があるからです。

厳しい言葉を並べるのが全て正しい訳ではないでしょうが、少なくとも「甘い言葉ばかりを」ならべて、カウンセリングや催眠の指導を行うよりはマシです。

難しいのは承知の上ですが、できることなら私は「私を拝め、信じろ」というよりは「共に耕せ」「自らを鍛え、共に歩もう!」と教えたいものです。

できることなら、私と共に耕し、歩く努力を。

何かから脱出しよう、何かを習得しようと願うなら、苦しみながらも自分で歩く必要があるのです。

思いやりを持ち、自分の足で歩きましょう

お金を払いさえすれば何でもかなうと思うことは危険です。催眠とかカウンセリングばかりではなく、宗教であれ事業であれ、家庭や子育てであれ、そこの部分は同じ。

誰かとか何かを「拝む」ことでは変わりません。自らの意思がその人を変え、育てるのです。

私は身勝手な親が、メールで「ウチの子供を催眠術で操って優秀にしてやって欲しい」などと言ってきても従いませんよ。はっきりお断りしています。

支払う金額の問題ではありません。

その子の立場に立ってみてください。赤の他人である私が、ズカズカ家庭に入り込んできて「お母さんの命令で来たから、君も言われた通りにしようね」といって催眠をかけるのですか?

それでその子が幸せになるとは思えません。

後は野となれ山となれ方式でね(笑)。私が目先の利益を追うタイプなら大喜びでやったと思いますが・・・。番組収録ですら私の場合は成功報酬でした。

かかりが浅いとか納得できるような反応が得られていない時にはギャラも受け取っていませんよ? 「スタッフの皆さんで酒でも飲んでください」と言って帰ったことが何度かあります。

私も生活はあるので。確かに喉から手が出るくらいにお金が欲しかった時もありますが・・・。それでも自分の報酬のために被験者に無理をさせたり、操って好き勝手をすることはありませんでした。時には番組出演そのものを蹴って帰ったこともあります。

裏を返すならそこまで自分に厳しかったから信頼もされましたし依頼も受けたわけですが・・・。中には思ったような結果が得られなかったこともあります。

それでも依頼者とは出来る限り真摯に向き合ったつもりです。

それが長年、カウンセリングや講演依頼、出演をこなしてこれた理由でもありますよ。

子供の将来を思うなら、親が考える「幸せの方程式」に勝手に子供を当てはめるべきではないでしょう。それはいくら親であってもやってはいけない。

同じ足で立ち、同じように苦しみ、一緒に考えて歩くことで始めて解ける問題もある。

一緒に歩いてこそ、その人の痛みや立場はわかるのです。何かを決めつけてしまい、誰かが神のように振舞うならば、その人の痛みはいつまで経っても変わらないでしょう。

成長や変化を拒むことと同じなのですから。

催眠で誰かを安易に操ろうと考える人には、私の考えは決して理解できないと思います。

私は「何も考えず、私に任せておけばいい」とは言いません。何かを一方的に押し付けることはその人の自主性を失わせ自立を妨げます。

ですから一緒に解決方法を考えましょう。

人と人との繋がり、その中から生まれる他人の気持ちや立場を考える心。その気持ちを「思いやり」と呼びます。気遣いとか思いやり。その心が子供たちの成長をも育むのです。

あなたも「思いやり」を持つ努力を。また、悩める人は自分の意思を失わず「自分の意思」「自分の足で」前に進む勇気を。諦めずに頑張ってください。

その姿勢が、自らを導くのだと思います。

このコーナーの初稿は1998年に書かれています。年数が経過しましたので2017年のサーバー移転の際に、読みやすいようにレイアウトと一部に加筆修正を加えてあります。

1998年03月31日 初稿

2017年12月11日 加筆、修正

谷口信行

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