コミュニティの心理学2

2017/12/14改訂
2001/09/01初稿

人間の「心」とか精神は、どこにあるのか?

大宝律令などの過去の制度に書かれている内容は1300年も前に書かれたとは思えないほど素晴らしいものです。下手をすれば現行の制度よりも一部は優れているのかもしれないですね。

これは凄いことです。

1300年も前の内容にもかかわらず、精神障害者に対する社会の応対方法から支援制度に到るまで詳しい記述があります。

社会的な弱者とか障害者に対して保護を加え、それを明文化してあるということは当時の社会(コミュニティ)の成熟度を指します。個々の生活がギリギリの状態では弱者の救済や保護は決して行われません。

正直、自分たちや家族が生き残るので精いっぱいでそれどころじゃないから。弱者の救済は「そのコミュニティ、社会の成熟度」つまり余力にも左右されるのです。

自然界において、何らかの状態で餌を取れなくなった個体は死ぬしかありません。一部の特殊な例を除いて保護はめったに加えられないのです。自然界では弱肉強食の掟の通り身体に障害を持つ者は先に食われ、生きていけなくなることがかなりの確率で起こります。

まして、それが手足とかではなく「脳」であったり、群れとしての統率行動のとれない個体であれば尚更でしょう。彼を庇うことは群れそのものの危険を意味します。

見捨てるほうが簡単です。厳しいようですが、弱った個体とか障害がある子どもを切り捨てることで他の子達や群れを守ります。都会に住んでる野良猫でも。生き残って成長できるのは30パーセントもありませんよ。その殆どがカラスに襲われたり車に轢かれたり餓死します。

人間社会のみが精神に障害を持つ人も社会の一員だと捉え、保護を加えます。また、何らかの事件を起こしても罪を減らし、罪を問わないでおこうとします。興味深いのは現在過去、西洋東洋の分け隔てなく、どの時代どの地域にも似通った共通の概念や考え方があるということですね。

本来、社会に多大な影響を与えかねない人、負担にしかならない存在を「心がここにないのだから」罪を問わない、社会全体や法律で保護しようといった考え方は人間特有なものです。

(宇宙とか異次元は知りませんが)地球上において、人間以外の動物で「心を保護しよう」とか「心がここにないから罪を減じよう」などと考える生物はいないでしょう。

では、その「人の心」とはいったい、どこにあるのでしょう?

それを突き詰めて考えれば、魂(たましい)などの概念に到ります。人間が「どこから生まれてどこに帰るのか?」にも等しい、生命の根幹とか人間そのものの行方を問う難しいテーマにぶつかってしまいます。

少なくとも人間は「心」がどこかにあって欲しいと望むものではあるようです。

自分達の世界とは別に保管場所というか戻るべき場所があって、人間という器の中に「いつか移される」とか戻ってくるとの意識があって、そのために「魂」とか「心の定まらない人」の罪は問わないでおこうとの慣習が生まれたのではないか?と推測します。

人間は遥かな昔から「心がどこにあるのか?」わからないからこそ、崇め(あがめ)、奉り、守ってきたのかもしれませんね。神とか来世、自然とも直結する概念なのかもしれないです。

死ねば天国や地獄に行くだとか、リインカーネィション(輪廻転生)だとか、様々な考え方と方向性を各種宗教団体や哲学者、科学者が論じてきましたが、未だに明確な解答は出ていません。

時折、見せる素晴らしい表現や特異な選択

ここまで色々と解説を行ってきましたが、人間が精神に障害を持つ人を保護し、社会で補助してきた背景には、人間の持つ独特の倫理観、輪廻転生や「生と死」観「魂の行方(ゆくえ)」論争があります。

よくわからないものだから「心を持っていない」人とか、一見、異常に見える人にでも保護を加える。それが神の御心に叶うとか、自分たちの未来とか将来、社会にとって有益であるといった考え方が根底にあったのかもしれないですね。

未熟な私などは精神障害を持つ筈の人の行動を見れば、尚更、それ(人の心の動き、存在)が不思議に思います。大脳生理学者とか科学者とか医者なら、私とは違った見方をするでしょうが、私は基本的には心理学寄りであり催眠術師ですからね(笑)。

当然、人間の心とか被験者の表情や反応、動きのほうに興味はあります。

学校の勉強はまったく出来ないとか、受け答えがおかしい人もいるでしょう? 最近はタレントさんとかモデルさんにもいます。おそらくですが一昔前ならテレビ番組になど出れなかった人達でしょうね。面白いのは文化の多様化、社会が個性を重んじるようになったので、そういった人達の発言でも嫌悪感を持たなくなったことでしょうか?

明らかに発達障害とか脳の一部に障害があるのではないか? と疑われる人達もいます。ところが社会にとって迷惑ではない。一般人というか普通の人では絶対に答えられない解答とか言葉のチョイス、選択があります。それはやはり見てて凄いとか面白いと思いますし、刺激も受けますね。

私からすると赤ん坊が虚空をみつめてニコニコ笑っている姿と、どこか共通するものがあります。

私には見えない「何か?」とか「異質な存在」が見えているのではないか? と思ってしまう瞬間がある。普段はこっちをまっすぐ見て。普通にキャッキャ笑っている子が同じように虚空を見てそっくりな反応をする。「じいさんかばあさんでもそこに立ってるのか?」と思いますよ?

祖父母はどちらも故人ですが(笑)。先祖の霊がそこにいると言われれば信じてしまいそうです。

山下清さん(放浪の画家、裸の大将、とも呼ばれました)の絵なども感動させます。私のように、催眠とか心理学のようなちょっと変わった仕事に携わる者は、その素晴らしい出来栄えにとても不思議な感覚がします。おそらくは彼の絵を眺めた多くの人がそう感じたから今も残っているのでしょう。

小学生の頃、山下清さんの切り絵(ちぎり絵)を女性の担任教師にみせられ「この人は気違いなのよ。信じられる?」と言われ、凄い衝撃を受けた覚えがあります。

今では考えられませんが、当時の教師の発言です。クラスメート全員の目の前で堂々とキチガイだ、と言い放ちました(笑)。今のように厳しい時代ではなく、おおらかな時代だったんでしょうね。

今、教師が生徒の前で芸術作品を前に「製作者がキチガイ」などと発言すれば大変なことになりますよ? 裸の大将放浪記みたいなテレビドラマがヒットするよりも遥かな昔のお話です。

当時、子供だった私は彼(山下清)がどんな人かなんてことはわかりませんし知りません。知りませんが女教師によって差し出された絵が、美しい色彩であったことに感動しました。

確か花火の絵だったと思うのですが・・・。

人間社会が精神的な障害に対して保護を行う理由は様々でしょうが、人間だけがそういった「精神」つまり「心」とか「魂」に対して「肉体とは別の次元のもの」として捉え「どこかに存在する」と考えたのでしょう。

だからこそ、世界各国で宗派の垣根を超えてそれを尊敬し尊重したのでしょうね。少なくとも太古の昔から大切に扱ってきたことは間違いがないように思えます。

正常と異常を別けるのは、実は自己申告ではない

精神障害と異常者との違いについては先に述べました。

では、異常者と正常者の違いとはなんでしょう? 私も講演会や実演のおりにそういった質問を受けます。凶悪犯罪が起きてそれが何度も報道された後だと、よく受ける質問ですね。

一般人から心理学者、自称、犯罪心理の専門家から政治家まで皆が難しく考え過ぎるようですが、私の解説はしごく簡単です。

異常者とはただ一言で表現できます。それは「コミュニティを脅かす(おびやかす)者」です。

まあ、この一言が書きたくてこのコーナーを立ち上げた訳ですが。

実際には、異常と正常を明確に分けるものはありません。数多くの相談者、心の悩みを抱える者と向き合ってきた私の偽らざる感想です。「私はおかしい、私は異常だ」「私はおかしくない、私は正常だ」と訴えてくる人は、それぞれにたくさんいますよ?

相手の自己申告、メールや面談での発言を真に受けて会話していると混乱しますよ? 異常だ、と言っている人の受け答えがとてもまともで、「正常だ」と言ってる人の受け答えがこちらとしては、まったく理解できないこともままあるからです。

実際問題、私は「正常だ!」と言いながら、大勢に迷惑をかける人はいますよ。「私は異常だ!」と言いながら、他人に温かだったり優しい人も社会には大勢います。

ご本人の自己申告くらいあてにならないものはない。

興味深いのは催眠においても同じです。「ぼ、僕は催眠によくかかる筈だ!」も「絶対にかからない!」もあてにはならない。あくまでその人の自己申告なんですから(笑)。「一度でも経験しました?」と聞くと経験はない。「専門知識がありますか?」と聞くとそれもない。

タレントさんなどはなぜか、汗びっしょりになっている人もいます。怖いんでしょうね。

はっきり言えば「正常か?異常か?」などご本人にはわかりませんよ。周囲が勝手に判断するものなのです。その人の所属する「コミュニティ」にとって、その人の行動や存在、考え方や雰囲気があまりにも「異質」であっったり突飛なものならば受け入れられません。

「お、おにぎりが食べたいんだな」

ランニングシャツを着てリュックを背負っていても、この程度の発言なら受け入れられます。

「お、女の人を強姦してみたいんだな」

なら絶対に無理でしょう。あとでそれがそれが冗談だった、自分で創作している異世界とか架空世界、ラノベや漫画やアニメや小説の世界だと言った所で。その内容を耳にした瞬間に周囲は強い警戒感を持ちますし、中には露骨に嫌悪感を示すことになります。

まだ実害は出ていない。ただし「今後出る」かもしれない。それは「コミュニティを脅かす」者で家族とか友人、恋人の敵かもしれない。そう感じただけで排除や見張るべき対象に変わりますよ。それが一般人が考える異常者であり犯罪者なのです。

ただの異質な考え方や雰囲気だけならいいですが、実害が出れば話は別です。実際にその人の行動でコミュニティに直接的に影響や被害が及ぶなら、それは明確に「異常者」に分類されてしまいます。

パッと見、一種の「異常者」ともとれる行動をとる人は、社会に大勢いますよ。

女装癖のある人や、SMっぽいことにしか興味のない人、裸にならないと用を足せない人や、匂いを嗅ぐ癖が止められない人、同性にしか興味がもてない人、数え上げればキリがない(笑)。

暴力傾向が強くて他人を殴りたい人、車に乗れば人が変わったようにアクセルをふかす人や、人形やフィギュアばかり集めている人、奥さんや旦那さんがいるにも関わらずかたっぱしから浮気を繰り返す人もいます。他人にみられていないと興奮しないというカップルとか、露出癖が強くてどこでも服を脱ぐ人もいて。私からするとこういった人は別に珍しくもありません。

家族とか恋人に同情されたいがために、あえて一度妊娠して中絶することが好きなんて女性にもお会いしました。中には理解できないというか私には無理だとか、怖いと思う人も含まれますよ。

でも、その多くは「異常者」とは呼ばれません。

コミュニティにとって「迷惑な」者

社会とかコミュニティの懐(ふところ)は意外に深いんです。どんな極端な行為や行動も双方が同意の上であったり、他人に多大な迷惑をかけない場合にはあまり深く干渉しません。

その多くは許されるんですよ。

特に日本ではその傾向が強い。パーソナルスペースのコーナーでも触れましたが他人と距離を起きたがる傾向があります。

相手を許しを得ないと簡単に中には入ってこない。日本人はシャイだとも言われますが、それは同時に他人の趣味とか嗜好に必要以上に干渉しないことを意味します。

礼儀とか礼節とも言いますし、相手に対する配慮だと言ってもいいかもしれないですね。悪く捉えるなら遠慮ですし「心の壁」(催眠では心理障壁)が厚いんでしょうね。趣味で釣りやってようとアニメヲタだろうと、それが直接自分の生活や仕事に悪影響を及ぼさないなら無視します。

ただし、比較的緩やかで踏み込んでこない日本人の社会においても、絶対に許されないケースもあります。それが悪質な勧誘であったり誰かを傷つける行為ですね。他人の趣味嗜好に必要以上に踏み込んで来ない国民性だから、自分の嗜好を無理に押してくる連中を嫌がります。

その人の行動や行為、存在が多くの人を傷つける場合、その「コミュニティ」全体にとって迷惑で有害になります。そうした行為を行う人の場合、その人本人が「私は正常だ」とどんなに言い張った所で認められません。

異常か、正常であるかを分けるのは「その人本人」でも、裁判所や医者が提出した鑑定書でもありません。実際には社会に迷惑をかける行為そのものが、その人と社会とを隔てる壁となるのです。

双方が暮らす「コミュニティ」において、多大な迷惑をかけたり苦労をかける、まして誰かを殺したり、身勝手な理由から傷つけていい筈がありません。

その行動を行った時点でその人は異常者と呼ばれます。どんなに言い繕ったり誤魔化してもそれは決して社会では受け付けられないのです。

夜中にガンガン大音量で音楽をかけるとかね。ベランダで毎日のようにタバコを吸う。吸い殻をどこにでも投げすたり、自分の信仰する宗教を近隣住人に押し付ける。スケートボードで廊下を滑ったり子供が大声で毎日のように叫んでいたり、毎日、夫婦で大喧嘩していたら困るでしょう?

ゴミを散らかすとか捨てる日を守らないとか些細なことまでを含み始めます。社会生活における些細なことの積み重ねでも不満は高まりますし、そこに明確な悪意があって危険が及ぶとか家族に実害があるということになれば。誰も歓迎はしませんよ。

そういった連中が後になって自分(達)の権利を主張することなどおかしいのですよ。守るべき義務、社会の一員としての自覚が最初から欠落しているのですから。

自らの人権を主張するならば周囲の人達、特に社会的な弱者の人権をまず守らなければならない。子供たちや乳幼児、社会的な弱者を傷つけたり虐待する、殺すのは許されないのです。

アメリカの刑務所においても、子供をターゲットにした犯罪を繰り返したものが最下層に置かれることは先に述べました。マフィアの一員であっても普段は父親だったりもします。

自分が収監されている最中に家族、家に残してきた奥さんや幼い子供が強姦されたり殺されたらと思うから、そういった激しい対応にもなるのでしょう。命の駆け引きをやっててあっさり殺される世界だからこそ守っているものもある。歯止めが一切効かなくなりますからね。

赤ん坊や乳幼児、障害者や高齢者、妊婦や子供、女性を無差別に傷つけたり殺したものが、罪に問われた時だけ自らの人権を主張するのがおかしいと思います。

怖さがあることで警戒心が働く

恐怖とは、自らを守るための一種の安全弁でありセンサーです。恐怖心というセンサーが働かずに警戒音が鳴らなくなれば故障です。異質な者とか異なる雰囲気の者を警戒するのは動物としての本能ですから、本来ならばそれが鳴らなければならない。

ところがね、これが最近ぶっ壊れている人がいます。生まれた時からスマホやネットがあって情報端末機器や検索に慣れた子供たちに多いです。最近はインターネットとか携帯電話の出会い系サイト、TwitterやSNSで知り合って、殺されたりトラブルに遭うケースも増えています。

これは恐怖、すなわち一種の安全弁でありセンサーである筈の感情、自分を守り他者から遠ざける筈の感受性や理解力、生物として備わっている警戒心が乏しい人が増えたことを指します。

恐怖とは、未知の者に対する自然な感情なのです。

会って話をした訳でもないのに、掲示板とか携帯電話で何度かやり取りしただけで相手のことを全てわかったようなつもりになる人が増えています。やはりそれはおかしいですよ。相手を見てもいないのに・・・。

また困るのはそれほど長い文章のやりとりをしたとか、一定の期間を置いたわけでもないのに安易に出かけて行って被害に遭っている実例があります。2017年に起きた座間市の連続殺人なんて典型ですよ。

優しさは美徳なんですが・・・。SNSやTwitterで「自殺したい」と書くと多くのレスがつきます。やはり心配してくれる人もいますから。ただし、本当に死のうとしているのではなくそういった書き込みを繰り返すことで同情してくれる相手を誘い出し、強姦したり金を奪おう、中には殺そうと最初から考えて計画を練っている連中もいるわけですから・・・。

相手のことを何も知らないのです。どんな嘘でもつける。あまりにも便利なツールに慣れすぎている。自分の周辺、例えば親とか兄弟とか学校の友人ならそれほど悪意のある人なんて存在しませんよ? せいぜい内緒にして欲しいことをたまにバラされる程度です。

ところが実社会は違う。ネットやSNS、Twitterを使っているとその境界線がわからない。いつも友達や家族と連絡をとっているのと同じような気軽さで世界中と繋がってしまいます。

相手がヤクザとか犯罪者組織の一員、カルトとか人身売買の連中である可能性もあるわけで。警戒心や恐怖心が薄れてしまい報道で何度危険性や事件が何度流されても、自分だけは「ああいったトラブルにはならないだろう」と漠然と捉える人が増えています。

そういった人にこちらから心配して懸命に警告を行っても無駄になってしまいます。ご本人は途中から空想の世界に行ってしまっていますから・・・。自分にとって素晴らしいことばかりが起こって何の危険もないかのように錯覚してしまいます。その種のトラブルが毎日のように報道され、現実に起こっているのに「自分自身とは関係ない」ようにも思いがちです。

バーチャルやネットの世界であっても相手は人間ですよ。お互いが人間である以上、会ってみないとわかりませんし、実社会のルールとか取り決めはネットの世界でも同じことなんです。

恐怖とは、一種の想像力なんですよ。

想像力があれば自分や家族にも当て嵌めます。警戒もしますし注意もします。もし「自分や自分の家族がそのような被害に遭ったらどうしよう・・・」と想像するからです。

少なくとも多少の用意とか防止策はとるでしょう。何の警戒心も持たず、家族や友人にも行く先を告げず初対面で会う相手とどこかに行けば、殺されたってわかりませんよ。

誰も気付いてくれませんから。何らかのトラブルに見舞われる可能性は高まります。以前から私が催眠の依頼をするとか、どこかのサイトで面談を受けたり相談する時に「必ず記録を残すように」と口を酸っぱくして言ってる理由です。

警戒心と思い込み、そのバランスが難しい

もっとも、そういった想像力が欠如(欠けている)している人には、こちらからいくら真摯に話しかけても時間の無駄です。理解できませんから。というか自分の気にいらないことは聞こうとしません。恐怖が存在しないというより自分に都合の悪いことは認めたくないんでしょうね。

トラとかライオンが隣にいる、と気が付かない人もいます。無闇に草むらに手を突っ込むと「毒蛇に噛まれる」との想像力とか危機意識が働かない人も存在します。

「そこには毒蛇がいるかもしれませんよ」と警告してくれたり、注意してくれた人のほうを怨んだり悪く言ったり中傷する人もいます。

勝手気ままに振る舞っても事故に遭わない、トラブルに見舞われないとか「毒蛇に噛まれない」人もいます。ネットで出会いとか遊び相手を探していても上手くやってるのもいますから、そちらばかり眺めます。警告や注意をする側をうっとおしがったり、悪く言いがちなんですよ。

下手をすれば自分自身がそういった事件に巻き込まれ、大けがをするまでわかりません。

実際に何らかのトラブルに巻き込まれ、嫌な思いをしたり事件に遭っても「あれはたまたま運が悪かっただけだ」「次は大丈夫!」と考えて、何度も似通った行動を繰り返す人もいます。

残念ながら、私は過去にそういった人にも何人もお会いしています。

反対に異様に心配症だったり。警戒心が強すぎてトラブルを振りまく人達もいますよ。

恐怖とは一種の想像力です。自分を守る、「安全弁」のようなものだと書きましたね?

その安全弁は、時折、暴走します。集団ヒステリーともいいますが、コミュニティはある種の特殊な状況下においては容易に錯覚を起こすようになります。

「アイツは危険な奴に違いない!」

「昼間っから家にいるのは、仕事もしてないし、きっと悪いことをやってるに違いない!」

単に漫画家とか小説家だったりして(笑)。だいたいの作家は実名や本名ではやってませんからね。周辺住人に会ってもそれを告げることは少ないでしょう。自宅にファンとか他の出版社の編集が押しかけたりしたら仕事ができなくなってしまいますから。

売れてる人ほど口ごもったり隠したりもします。実際にその人が売れっ子だったことを地域住人が知るのは。その人が別の場所に引っ越してからだったりもします。

巷に溢れる「危ない人物」などとされる人の多くには、まったく根拠がありません。誰かの勝手な思いつきであったり、思い込みであったりもします。

ただ問題なのは、その「ただの思いつき」とか「噂」が、何らかの拍子にそのまま集団に移行した場合、「これは間違いないことなんだ!」と本気で捉える人が出てくることですね。

実社会のみならずネットとか掲示板でも時折あるようですが、落ち着いて事実関係を確認しましょう。相手を責めるのはそれからだってできます。

ハンセン氏病患者に対する憶測や噂、隔離政策などもその典型です。集団ヒステリーのような状態になると「うつるんじゃないか?」「遺伝するんじゃないか?」と、噂と怖さばかりが先にたってしまい、国や自治体による長期の隔離政策を招きました。

すでに病気として伝染するものではない、とわかってからも長年の風評と先入観によって帰る場所を失っています。場合によっては正確な情報もないままに、そのまま何年も放置されます。

そういった例は夜ごとインターネットの掲示板で繰り広げられるアイドルの怪しい噂から、近所のおばさんの井戸端会議に到るまで様々です。数人であればそのうち沈静化しますが、過って多くの人達がそう思い込んでしまうと暴走して止まらなくなります。

困るのは結果として他人にいわれのない差別を広げたり、悪質な中傷を半ば本気で行ったり、あらぬ疑いやただの噂から誰かを疑って迷惑をかける人が実際にいる点ですね。

終末思想、ハルマゲドンを煽る連中は数千年も前からいる

私の元にも2000年問題のおりに、私に「ミサイルが降ってくる前に催眠術を覚えなければ」など送り付けてきた男もいます。

まあ、これは珍しくもないんですけどね。自称預言者とか霊能力者、宇宙人から「未来の話を聞いた!」と言い出す連中はこれまでにも無数に存在しています。もっともそれをストレートに受け取って仕事を放り出したり、学校まで辞めてしまう人は珍しいのですが・・・。

通常、他人にそういった感覚を押し付けてくる人は少ないのです。

知らない人も多いのでしょうけどね。イエス・キリストが生まれた数千年も前から終末思想ってのはあって。黙示録などにも書かれていますが神の軍勢と悪魔の軍勢が戦う「ラグナロク」最終戦争が今すぐ、明日にも起こるってずーーーーーーーーーーーーっと煽ってありますよ?

気の長い神様というか、人間では計り知れないスパンで進められる「神の計画」によると。イエスが亡くなってからの2000年、って期間はほんの一瞬のことなんでしょうね。

だいたいの人は心のどこかで何かを思っていても表には出さないものですよ。「終末が来るかもしれない!」はオーバーだとしても日本がいつ戦争になるかもしれないとか、大きな地震があるかもしれない、くらいには思って備えている人は大勢いますよ(笑)。

私もその一人です。自宅には大容量のタンクを備えています。バッテリーも懐中電灯もたくさんありますよ。何しろ阪神淡路大震災で食い物も水もなくトイレにも行けなくて苦労した経験がありますから。

万が一に備えて色々用意はしています。それでも万全かと問われればそうではない。所詮は人である身です。東日本大震災のように大津波とか未曾有の災害、大規模な地震があったらひとたまりもないかも。

でも、そんなものに怯えて日々の生活を放置しますか?

人間、いつかは死ぬんですよ。死から逃れた人は一人もいない。有史以前から一人もです。カリスマを気取っていたり自分を神様だと名乗っていたり、凄い催眠の技術を持っている、未来が見える、私は超能力が使えるとほざいているおっさんも例外なく死にます。それが唯一無二の真実です。

終末思想にかぶれる人の弱さは他人を巻き込もうとするところです。誰かを善意から救おうとしているのではなく、自分一人では不安に耐えきれないので誰かに話したりメールを送ったりする。

迷惑だと思うのは、それを否定されたり相手に同意されないと罵ったり、相手を悪く言い始める底の浅い感覚の人が多いことですね。それでは誰かを救うのではなく迷惑行為を繰り返しているに過ぎません。

自分で本当にそう思うならお金を貯めるなり食料を備蓄するなり田舎で暮らすなり、不測の事態に備える方法はたくさんあるでしょう?

正直、私には「終末が来るから催眠術」って発想はよくわからない。確かに催眠が戦後の動乱期、物資の無かった時代に伸びたのは事実ですが、だからといって食料や衣料品がゼロで済むわけではないでしょう。催眠術が多少できたって、速攻、飢え死にしますよ。

目的は何であれテキストを買った人が「催眠を教わりたい」と言ってくれば指導は行ったでしょう。ただし、「世界が終わるから催眠術を」と言われれば、普通にドン引きしますよ(笑)。なんでそこの部分を黙って我慢しておけないのですか? 自らの掲げた目標は誰かに声高に語るものではないですよ。

自分の意見を他人に押し付けたり一方的な内容のメールを送り付けるなら迷惑行為にも感じられるでしょう。終末戦争だかハルマゲドンを信じる人同士が何を言おうと自由ですが、信じない人に押し付けたり強引に理解や同意を求めるのはルール違反です。

1999年から2000年の頃にはそういった噂、終末思想もたくさんありましたね。カルトにかぶれた連中から執拗なメールも何通も届いていました。Google検索のない1997年からサイト運営をやってる私はネットの生き字引みたいなもんですよ(笑)。あんたらより何倍も詳しい。

今はもう2017年になりましたが、今のところ世界はまだ滅んでいません。

警戒心が無くてたった数回メールのやりとりをしたり、プロフィールを交換しただけで安易に信用してしまい、相手に一人きりで会いに行ってしまうような人も問題ですが・・・。反対にやたらと何でも怖がり「ミサイルが降ってくる!」とラウンドスピーカーみたいに不安感を振り撒く人にも困りますね。

それは恐怖心の暴走です。

出所の怪しい情報の鵜呑みにすることから起こる

親が終末思想を信じて小中学校にも通わせないカルト宗教は結構な数がありますよ。改善命令や排除命令を受けたり、民生委員が何度も自宅に通って「子供を学校に通わせるように」促している実例もあるのです。

私が小学生の頃、今から40数年も前にもいましたよ。学校にも行かず、親の言うがままに布教活動に歩かされて寒い時期も暑い時期もパンフレットを片手に思想本を売り歩かされてた私と同じ年ごろの子供がいました。

世界はもうすぐ滅びるのだから、学校になんて行かなくてもいいんだそうです。

学校に通うよりも、布教活動や社会の人を一人でも救うことを優先しろ、と親達から押し付けられていました。その子達はとっくに大人になっているはずの2017年になったわけですが・・・。私と同じ世代ならもう中学生の子供がいてもおかしくないですね。

世界はまだ滅びていませんよ。2000年問題の時にいい歳こいた大人で終末思想にかぶれた方はご愛嬌でしょう。そこには自分の意思があったのですから・・・。問題は親にそう吹き込まれて学校にもろくに通えず、そのまま布教活動を押し付けられて大人になった人達です。

ある種の傾向を持つ人が集団になった場合、一定の条件さえ整えば人間の心理は簡単に暴走します。結果としてそれが多くの人達に迷惑をかけるケースもありま す。

恐怖心の暴走が起こる背景には、情報に対する無知があります。その情報の出所を洗おうとせず、その矛盾に気がつかない。自分達に都合のいいように内容を曲解します。

すると相手の言い分や人柄、本来の姿には気がつかぬまま、一方的に責めるようになります。歪んでいるのは自分の視野とか視覚や意識であって相手の姿ではない場合もあります。

困るのは新聞記事とかマスコミ報道が「全て正しい」とは限らない点ですね。古い文献とか昔の記事を丹念に調べてみると矛盾点が幾つもみつかることもある。

私も残念ながら過去には何度かひっかかったことがある。最近は出所とか中身を疑うようになって古本屋や国会図書館などで洗い直すようになりました。

そういった扇動を行う者は常に耳当りの良い言葉を用います。日本人の良識とか良心に訴えかける手法を用いるので、それを聞いてしまうとどうしてもそっちに偏るようになる。

純粋な若い世代ほど引っ掛かりやすいですね。誰かが困ってるとか助けを求めていると言われると無意識にそちらに肩入れしたくもなるのです。人情とか正義感がありますから。結局は、自分の持つ先入観や相手(国家や社会も含む)に対する不信感が、正しい情報を歪ませることになります。

怖さの暴走はね、やはり無知からくるんですよ。鏡に映った自分を見るのと同じです。鏡の向こうにいる自分の姿に脅え、場合によっては相手を殺そうとまでします。ネットでも起こりがちです。相手を良く知らないとか会ったことのない時に、そういった恐怖心は増大しやすい。

実際にあってみればたいした人間でもないのに過大評価してしまったり、反対によく知りもしないのに悪く思ったり矮小化してしまうケースもままあります。

一方的な情報に躍らされる前に、できるだけ各自で内容を確認しましょう。

阪神淡路大震災の時に経験したこと

これは著書にも書きましたが、私は関西(三宮)で阪神淡路大震災に遭っています。

パニック時ですから様々な噂もありました。売り場でスプリンクラーが働いて地下が水浸しで水没しただの、どこそこの地域で強盗団が動いているだの、余震が「何時何分にある」と公衆電話でに大声で家族に話しているおばちゃんもみました。

それぞれに変な説得力があって、まことしやかな噂が多くて信じそうになったものもあります。

パニック時はやはり、恐怖心が高まります。その思いから暴走しそうになります。余震も相次いでいましたからね。電話もろくにつながらない状況でしたのでそういった流言が広がりやすかったのです。

不安になっている所にそういった「噂」をふりまかれたらたまりませんよ(笑)。誰でもそっちに傾きそうになります。ましてあの時は行政の対応が悪く「どっちの方向に逃げろ」との指示すら無かった。現場はとても混乱していました。

ビルの残骸に押しつぶされて死んだ者の中には身元不明者が結構いました。ただしその殆どが部外者で外からやってきた者です。昔は火事場泥棒はもっとも卑怯なものとして死罪になったらしいですが・・・。浅ましい人もいるものですね。

これはその後、箝口令が敷かれたのかすぐに報道されなくなりましたが。神戸港の港にルイ・ビトン(Louis Vuitton)などのブランドバックが多数浮かんだことがありました。震災時にデパートの売り場から盗まれたものでしょう。それを盗んだ連中が港に隠して沈めていたんです。

それが何かのきっかけで袋が破れて浮かび上がり大騒ぎになったこともありました。百貨店では軒並みやられたそうです。パール(真珠)とかダイヤも数時間で盗まれてしまったと後で伺いました。

悪事を働くものもいましたが、神戸は元々、外国人の多い街です。双方で助け合いも行われていましたよ。水を配り合ったり地下水とか洗濯用の場所を教えてもらったり、教会で焚き出しも行われていました。朝鮮系の人も中華系やチリ人もイスラム系の人々もいましたが、元々がコミュニティとして機能して繋がっていましたのでトラブルは殆ど見ませんでした。

食料の取り合いで殴り合いとかも無かった。

むしろあの酷い惨状の中、現場の人達が見事に連携がとれてて情報網もあり助け合いもあった。日本って凄いなと思いました。海外ならもっと悲惨になっていたかもしれません。

嘘は100回書いても嘘です

今ごろになって匿名の掲示板とか、一部の自称人権派団体とかが阪神淡路大震災の時に「レイプが頻発していた」などの嘘をばらまくことがありますが、それは明らかな嘘です。

あの時はね。大きな地震が1回だけあったのではない。その後もグラグラ揺れてた。その余震で夜中にビルが次々倒壊していました。夜になるとドーン!ってビルの倒れる音が聞こえる。

地震の直後二、三日は震度4から5前後、3くらいの余震が頻繁にあったんです。感覚としては30分に一回くらい。その恐怖は凄まじいものですよ。

夜電気を消して寝ている最中に大きな余震があって、一緒に寝ていた会社の仲間が「もう嫌や、嫌すぎる」と半泣きになったのも覚えています。

命の危険が高まると人は人のいる場所に集まります。どんな豪胆な人も一人きりにはなりたがりません。いつ余震で潰されるかもわからないから。水が無いので火災だって凄かったんですよ。

震災は1月だったのでとても寒かった。自然に人々は火のある場所や暖房のある場所に集まります。大勢が一緒に避難しているテントの中とかマンションの1階でおかしなことはできませんよ。

「トイレでそういう目にあった」って言い張ってるものもありましたが、当時の便所はウンコ山盛りでしたよ? 断水で水が流れなかったから。市内のあちこち、駐車場の影で用を足してティッシュやトイレットペーパーが散乱していました。

それで用が足せなくて便秘になって苦しんだ女性も多かったのに・・・。

政治活動とか反日活動のための組織なのでしょうかね? 少なくとも「直後から頻発してた」などあり得ません。震災から十数年も経ってからそういった嘘を煽る連中もいます。

私の友人も神戸で被災しています。彼の家族も避難していましたし仲間や同級生も大勢います。はっきり言いますが当時、そんな話は聞かなかった。状況を整理し、冷静に考えればおのずと答えは出ます。

反対に良いことはたくさんありましたよ? フーケというケーキ屋さんは(老舗だったのですが、広告代理店の言いなりになった息子のおかげで、結局は潰れました)って困っている時だからと、椅子とテーブルを出して誰でも座れるようにしてコーヒーを無料で配っていました。

近所の教会はずっと炊き出しを行っていました。その教会も被害を受けてチャベルも住むところも倒壊していたのに、私財を投げ打って多くの人、被災者のために食べ物の提供を行っていました。

他には独断で小銭を袋に入れて配った銀行がありました。しばらくして「助かったよ」といって返却されたお金が、貸し出した金額よりもかなり多かったとも聞いています。

これも日本人の凄さですね。

大惨事であったからこそ地元に密着した企業とか商店は軒並み協力していました。一部には不心得者もいたようですが、全体としての犯罪の発生比率は非常に低かったと思います。

※このコーナーに「阪神淡路大震災でレイプなどの騒動は見ていない」と書き込んでから、そういった集会とか活動は激減しました。工作を諦めたんでしょうかね? 電柱に貼ってっるビラをみて腹が立ったので書き込みました。本当かどうかは知らないですが、旧社会党系の女性団体を名乗ってました。

「それでも」全部をひと括りにすべきではない

一口に中華系とか在日といったって様々な人達がいますよ。全てが毎日、反日活動とか反社会活動に精を出していたり、密輸とか犯罪行為、覚せい剤の売買に携わっているのではない。

帰化したり真面目に暮らす人達も大勢いると思います。

上記したように日本人を貶めようとしてね。執拗に阪神淡路大震災で女性が大勢、レイプされたと言い張るような団体にも実際に出会っていますから。

それを見た時は頭が沸騰するというか、正直、ぶっ殺してやりたいと思いました。

救助に駆けつけてくれた自衛隊員、家族や仲間を失った人、当時の多くの人達の苦しみと努力を歪め、ありもしない噂を振りまいて政治利用しようとか、反政府活動に用いようとするクズどもが実際に巣食っているんですよ。この国の中に・・・。

あいにくとそういった嘘のビラとか抗議集会とやらは上手く行きませんでした。地元民なら誰でも知っていることなので相手にもされなかった。旧社会党系の団体や議員は震災と拉致被害者への対応で兵庫県では壊滅していますから。兵庫県で巻き返しを図りたくてそういった活動をやっていたのかもしれないですね。西宮は長年、土井たか子の地盤だったので。

確かにそういった人達もいます。ただし、それでも「全部を一括りにする」のはよくないですよ。

この国で育ち、この国で生活する人々の全てが罪だと思いますか? 全部をひと括りにして三国人と呼びますか? (この言葉は以前、東京都知事だった頃の石原慎太郎氏の発言です)

それだと日系人をジャップと罵った戦争中、戦後直後のアメリカ人と変わらなくなってしまう。石原慎太郎さんご自身も、過去のアメリカのその行為を咎めていた筈です。

日本国内で破壊活動とか工作活動に精を出す人間は、確かに「日本人」ではないかもしれないですよ。それを嫌う人や蔑む人達が出るのも当たり前かもしれない。

彼らはコミュニティに「異物とかトラブル」を持ち込む迷惑な者ですから。

私はそういった連中を庇う意思を持ちません。彼らが忠誠を誓うのは彼らの祖国でしょう。そういう人達は厳密にいえば日本人ではなく他国民かもしれません。

自国内に大量の麻薬を持ち込んできたり、売春や強盗、窃盗やスリのために密入国で入り込んでくる連中を歓迎する国はありません。それはどんな国でも同じ。

ただし、この国で勤勉に仕事に勤しみ、日本国内に友人や知人を得て真面目にやっている人達ならば一方的に蔑む、蔑まれる必要などないと思います。

アメリカやブラジルに渡った人が現地で子供を生んだ時、その子供には国籍が与えられます。彼等の存在は現地で「日系アメリカ人」「日系ブラジル人」と呼ばれます。コミュニティに一員として迎え入れられ、その国の国籍をもらうのです。

日本で生まれ、育ち、働く彼等は台湾系日本人、ブラジル系日本人、ではないのでしょうか?

少なくとも私は阪神淡路大震災当時に助け合いをやった人や、これまで親切にしてくれた人々を「三国人」などといった僭称(せんしょう、相手を蔑む言葉)では呼びたくありません。

それは私の大切な仲間であり友人であり、家族です。

※意味を取り違える人が時折いるようですが、ここでいう「日本人」とは、彼等に「日本人になれ!」と強要するものではありません。自分の意思でこの国の国民やコミュニティの一員となる人達です。

国籍だけで全部が決まるならびっくり

私は旧社会党、社民系も大嫌いだし。それはこのサイトでも隠していません。(心のプリズムのコーナーなどを参照)

モノマネ親父とか盗作サイトにもそっち系(あとで知ったのですが朝鮮系でした)の人達がいて。確かに迷惑で執拗な連中です。

あちこちからの盗用とか流用しかしていないのに「俺たちがオリジナルでやってる」と言い張ります。出版社にまで原稿持ち込んでますよ。

ただし、全員が反日行為とか迷惑行為や盗用を繰り返しているとは思いたくなくなかったので、これまであえて悪くは書きませんでした。生粋の日本人にだってろくでもない奴はいますから。

石原慎太郎の「三国人」発言に腹が立ってこのコーナーに書いたのは。私の友人や知人に台湾系や中国系の方がいるからですよ。日本で帰化して真面目に働いています。

私は東京でテレビ番組に出演していた頃でね。本来なら波風が立つこういった文章を現職の都知事にぶつけるような立場ではなかったのですが・・・。関係者から睨まれる可能性もある。

味噌も糞も一緒かい、全部が三国人で一括りか、真面目に日本で生活してる俺の友人や知人も一緒にしやがって、と当時とても腹が立ったのでここにこういった文章を綴っています。

当時は関西に舞い戻る気も神戸に住む予定すらなかったのですが・・・。離れて暮らす友人や知人があの発言でどれほど嫌な思いをしただろうと考えて、ついカッとなったんですよ。

それで仕事が減ったり番組からの依頼が無くなったとしても、1ミリの後悔もありません。

私は今もどんな事情、背景があるにせよ、その国に生まれた子供にはその国で暮らす権利と国籍を保証され、ただ「その国にいる」だけで一方的な差別や蔑み(さげすみ)や、政治家から蔑称(べっしょう、嫌っている言葉で表現されること)を受ける由縁(ゆえん)はない、と思っています。

この点は誰になんと言われようと曲げようと思っていません。私の一生のポリシーです。

国籍や肌の色は関係なく、その国に貢献したり移民先を愛するなら彼らにも生活する権利、特にその国で生まれた人達には「選択する自由」が与えられるべきだ、が私の主張です。

アメリカでは22歳になった時点で本人の意思に委ねられます。祖国の国籍を選ぶかアメリカ市民になるかが選択できるのです。同じ形式が日本でも中国や韓国でも、イギリスやフランス、イタリアや中南米、世界の国の多くで採用されることを望みます。

私には数多くの友人がいます。韓国人だからも中国人だからもない。アメリカ人だからもイギリス人だからもない。どこの生まれだろうと、いいヤツはいいヤツで嫌なヤツは嫌なヤツ、悪いヤツは悪いヤツですよ(笑)。どの国にも犯罪者はいる。と同時に善人とか凄い奴もいます。

うっとおしい奴もいれば一緒に仕事したくない奴もいます。日本人にも嫌な奴は大勢いますよ。国籍だけで全てが簡単に決まる筈がない。

以前にフィリピン系、中南米系とか台湾系の人達とも仕事しましたが、私はむしろ日本人より話がしやすかったですね。奇妙に馴染みました。

私に言わせれば国籍だけで決めるのは血液型占いみたいなもんですね。A、B、O、AB型の4種類で人類は括れますか? そのたった4種類だけで?

アメリカ人なら良い人で中国人なら悪い人? 韓国人には良い人がいませんか?

「日本人は全て悪い奴だ!」と言い張る中国人や韓国人がいたら、私はやっぱり、その人は頭悪いと思ってしまうでしょうね(笑)。「国籍だけで決まるのか?」と。

まあ確かに皮肉な巡り合わせで同じ国の同じタイプの奴、同じ嫌な感じの人達に何度も遭遇したことも無いとは言いませんが(笑)。確かに特定の国においては問題の多い連中もいます。特に組織犯罪とかに関わる連中はグループで動いていますからね。

それでも「韓国人や中国人は全部、嫌な奴!」だけで括ってしまうと視野が狭まると思うんですよ。

多少は受け入れる必要が「ある」ようには思う

完全な報道規制が引かれてて情報が与えられない国ならともかく、自分で情報を得られるようになると考え方が変わります。どんな国の人にでも触れ合ってみれば良い人とか価値観の近い人、趣味や話の合う人も現われるものですよ。

自らのルーツに当たる国に、憧憬(あこがれ)や尊敬を持つのは当たり前かもしれないですね。祖先の国であり、祖父母、父母の国なのですから・・・。

私でも海外に移住すればそう思うでしょう。堂々と「私は日本で生まれました」と名乗ると思いますよ。ただし、同時にそれを名乗った時点でその国で犯罪行為とか反社会的な活動を行うことも無いでしょう。それは祖国である日本の恥もあるのですから。

「私は日本で生まれました」という者が現地でろくでもない行為をしていたら、日本人全員がそのような人だと思われてしまうでしょう。

それでは現地で友達も仲間も出来ません。祖国を思えばこそきちんと暮らさなければならない。海外に移民した日系人が各地で尊敬を集めるのは、苦しい生活の中で組織犯罪とかに手を染めなかったから。

あまり知られていませんが、日本人の移民は世界に散っています。ロシアやイタリア、フランスやドイツにもいます。ブータンやミャンマーにも中南米にもいる。日本に大豆を輸出しているブラジルの農家は殆どが日系移民だったりもしますよ。

辺境の地で柔術や空手を広めた人達もいますし、現地で苦労の末に開墾を行い農業のパイオニアとして尊敬を集める方々がいます。同じ意味で、日本でも真面目に暮らす人達はルーツが外国人でも仲間とか同胞とか友人として受け入れてもいいと思いますよ。

できればそういった人達(移民希望者、入植希望者)も日本で尊敬される人になってください。海外で受け入れられた日系移民の方々と同じように・・・。そうすれば偏見や差別も自然に減ります。

日本人の懐は意外に深いから(笑)。学歴も職歴もない外人が語学教師やってたり黒人がモテたりするのも日本だけでしょう。海外からやってきたアメリカ人とオーストラリア人が驚くと当時に非常に喜んでいました。祖国ではモテないのに日本ではモテるし優しくしてもらえる。

居心地がいいから帰りたくないと言ってる奴もいました。

この国で生まれたなら、日本に馴染んで日本人として暮らしてもいいと思う。

それを名称で現わしたりしたり表現するとすれば韓国系、台湾系、またはブラジル系かも知れませんが皆、日本人でしょう。海外で日系と呼ばれる人達と扱いは同じになる筈です。

少なくとも現在の東京の下町とか大手企業の下請け工場、飲食店の多くは多くの外国人労働者に支えられています。愛知県などもそうでしょう。社会はすでに複合化しています。よほど田舎とか地方都市ならともかく、大都市ならば労働力の確保が大変です。

今、彼らを抜けば経済はガタガタになりますよ。

そういった人達の労働力にもっとも恩恵を受けている東京都に住み、税金を集めて運営を行い、重責を担う筈の都知事(元です。2000年当時の石原慎太郎氏の発言)がこの国際化の時代になぜ「三国人」などといった言葉で話せるのでしょう?

(腹が立って書いたのは2000年当時の話ですが)流石にそれはおかしいと感じました。

彼等の作った品物や労働力、支払うお金(消費税などの税金)を当てにしながら、一方的に僭称(相手を蔑んだ名称で呼ぶこと)を与えるのは今でもおかしいと思っています。

コミュニティの一員として参加するのなら

ウチのホームページには政治家も時折、観に来ます。震災のおりの元首相、村山富市氏のいいかげんな対応を責める内容を載せた所「貴殿の所は素晴らしい内容のホームページだが社会党(現、社民党)の部分だけ相応しくないので外せ」と懇切丁寧なメールを送り付けられたこともあります。

むかついたので余計にそういった記述が増えてしまいましたが(笑)。おそらく、一生削除はしません。

私の思想は「どちらかというと右寄り」ですよ。サヨク系の連中に参加したり応援する気は毛頭ありません。ただし国粋主義とか日本人至上主義もお断り。日本人にだって屑とかろくでもないのが大勢いるのは実体験で「何度も」思い知っていますから。

国籍だけで分けるのはそれこそ血液型や星座で相手を見極められると言い張るに等しいです。

このホームページは初期の頃から旧新進党も衆議院会館のログも驚くくらいにたくさんあった(笑)。

日本に住まう在日の人に「投票権、参政権を与えろ」とネットに書いたのもおそらく私が最初でしょう。ただし、私の言葉はこの国で「ともに歩む」意思を持っていて犯罪や反日活動を行わない人達を指したのであって「帰化もしないし国籍や戸籍も移さない、納税もしない」とか、日本国内で「反日活動に積極的に関わる人」に無条件で「参政権とか年金を与えろ」と書いた覚えはありませんよ。

そんな国は世界中探したってありません。

アメリカでは市民権を得る時に宣誓書にサインします。外国人(移民者)には提出が義務付けられています。その中に「アメリカ市民として国家を尊重して反米活動を行わない」との文言はあります。

「アメリカの憲法に従う」「法律を守る」ことに同意することが条件です。その条件に違反したり無視すれば資格を失います。その国の国民になってその国に奉仕して一緒に頑張る、という意思を示すからから快くコミュニティに受けいられるのです。

誰かのテリトリーとか国に勝手に入って、その中で「独立国家を作ろう!」だとか自分達で好き勝手にしようって人達はどこの国やコミュニティでも敬遠されますし排斥は受けますよ。

真面目に働いてコミュニティの一員としての義務を果たすものには投票の権利も与えられるべきだと私は思っています。犯罪、反日行為とか日本の文化や伝統、慣習を馬鹿にしたり汚す人達に対して向けた言葉ではありません。それならいっそ、祖国に帰国して別の道筋を歩んだほうがいいでしょう。

そもそもの「外国人参政権」とは元々そういった意味合いのものではなかったと思いますけどね。色々な人間が寄ってたかって内容を変えてしまったようですね。

確かに、ウチのサイトにもそれに関する記述がいくつかありました。新進党とかのログを散々見た後なので、そういった文章が政策に影響でも与えたのか? と思ってびっくりしたこともありました。

コミュニティを脅かすものは、障害者ではありません。外国人だからでも肌の色が違うからでもない。私達の生活、つまり「コミュニティを脅かす」のは一種の異常者です。

異常者とは、精神障害者を指すのではありません。まして、「三国人」などでもない。

異常者とは思いやりを持たぬ者です。相手を利用しようとする者です。自分の都合で他人を殴ったり、傷つけたり、相手の大切に思うものや家族、生活を踏みにじって平気な者です。

差別を繰り返し相手を蔑む者です。家族や友人、隣人や仲間を傷つけて顧みない(かえりみない)者です。懸命に生活する「誰か」を、自分の都合で振り回したり、身勝手に傷つける者が異常者なのです。

確かにある意味では精神に障害を持つ者も、一般人や外国人、未成年者もその範疇(はんちゅう、グループ内)に入るでしょう。彼らも何かのきっかけで「異常者」と呼ばれるような犯行、凶行に及ぶのかも知れません。ですが、それはただの可能性に過ぎません。

言い換えればどこかのコミュニティに住み、どこかで生活する限り、誰もが等しく加害者になる可能性があり、と同時に自分や家族が被害者になる可能性があります。

簡単に「精神に障害を持ったから」とか、「未成年者だから」「外国人、在日だから」などの薄っぺらい判断、外見や一部の条件や価値観で相手を差別したり危険だと考えて排除するべきではありません。

それではあまりに考えが無いでしょう。物事の捉え方が浅くてお粗末だと思います。

コミュニティは自らの意思で育むもの

今回のこのコーナーはとても長くなりましたが、若い世代に向けてこのメッセージを贈ります。コミュニティとは本来、守るものではありません。育む(はぐくむ)ものなんですよ。

ある一部の人間がどんなに自分達の古くからある慣習、価値観を守ろうとして強い差別や偏見を持とうと、どんなに周囲を脅かしてガッチガチに縛ろうとしても、いずれ変化は訪れます。

歴史とはそういうものなんです。

数千年前の楔形文字にだって「今どきの若い者は」とか「我々の守ってきた文化が廃れてしまう」との嘆きの言葉があります。年寄りはいつも嘆き、「昔は良かった」とつぶやき、「我々の文化を守らなくては!」と考えるものなんですよ。ですから身動きがとれなくなる。

年寄りはいつか死にますからね(笑)。どんな権力者も死からは逃れられません。遠からず、全員がいなくなるんですよ。ブラックユーモアのようですがそれが現実です。

どんなに堅固な社会、どんなに強い結びつきを持った集団であれコミュニティであれ時間と共に変化します。いつまでも同じということはありません。時代背景や社会の変動、時間の経過と共に人々の意識も徐々にではありますが変わってくるのです。

ですから時には何かを受け入れることも必要です。新しい血も必要なんですよ。怖さのあまりに身構えてしまって全てを否定し、新しい人達とか異質な文化を受け入れないならば新たな関係が育つ事はないでしょう。

歳寄りは別にいいんです。いずれ死にますから(笑)。頑固であることも役割の一つ。私も含め、私の世代には私の世代なりに守りたい世界とか慣習もある。私なりのこだわりもある。それでいいんです。

その世代の人達がそれを守ろうとするのは当たり前ですし、自分たちの伝統や文化、慣習や「コミュニティ」を次世代に引き継いで欲しいと願うのも普通なんです。

私が様々なものにこだわりや抵抗感を持つように私よりも上の世代もまた違った抵抗感や価値観を持つ。そのそれぞれがせめぎ合っている。それこそが社会です。

価値観が全て統一される社会がおかしいですし、価値観や意見が違うから「殺してしまえ!」とか弾圧してしまうのもおかしい。言い合ったり喧嘩しあっても「そこに共存」することこそが正しいのです。

なかなか変化が訪れない。老害が邪魔して道筋が見えない。横から見ていてイライラしたりむかついたり、機関銃があったら撃ち殺したいと思うかもしれない。

それでも共存の道や話し合いの場所を失ってはならない。殺さないことなんですよ(笑)。そのカオス(混迷)そのものが社会であり人間であり、新しい何かが芽生えるきっけけであり土壌だからです。

変革には長い時間がかかる。時には呆れるほどものわかりの悪い連中がいる。

それでも徐々に変化が訪れる。それが変革であり、時代の潮流と呼ばれるものなんですよ。

異質な者は誰しもが怖い

日本の古い法律(大宝律令)に障害者を受け入れ、支援する記述があったのは、当時の人達の勇気の証(あかし)でしょう。当時としては画期的なものです。やはり導入には紆余曲折(うよきょくせつ)迷いがあったでしょう。容易なことだったとは到底思えません。

誰かを支えるのも信じるのも勇気がいるんですよ。これまでと違う他者(他国や国籍、肌の色や考え方の違う人、障害を持つ人も含める)を、自分の生活圏に受け入れるにはとてつもない勇気が必要です。

怖さは誰でも持っています。異質な者、特異な者、自分が理解しがたい者とか異国人が怖いのは当たり前のことです。いくらシャーマンとか呪術、占いとか神懸かりが一般的な時代だったとはいえ、それを保護しようとか罪を問わないようにしようとか社会で受け入れようというのは難しかったと思います。

排他的になり、過去の事例を引き合いに出して相手を遠ざけることは簡単です。

私も恐いんですよ。

私は多少は修羅場(しゅらば、危ない現場って意味)を潜ってきています。泥棒を捕まえたことも、包丁を振り回す相手を取り押さえたこともある。

食えない時代には様々なアルバイトをやってました。それこそ水商売から肉体労働に至るまでありとあらゆることをやった。だからこそ、異質な者に対するコミュニティの反応もよく知っています。

その職場とか職種ごとで決まりごとみたいなものがある。不思議だなと思うのは水商売の人間がサラリーマンを見下したり、サラリーマンが肉体労働の者を見下したり、正社員が季節工や派遣社員を見下したり、その世界の「ルール」とやら常識を押し付けることも多々ありました。

お互いが人間です(笑)。外国人じゃないんですよ? 少なくとも言葉くらいは通じる。相手の世界のこととか苦労とか悩み事は見ないし知らない。なのに見下したり悪口言ったりは出来る。

何ででしょうね? 同じ国内、同じ人種で同じ言語を操っていたって、そういったことは起こる。

それをみて「なんて心が狭いんだ」というより、当時は「なんでその程度のことにこだわったり、お山の大将ごっこやってるんだろう?」と不思議に思ったりもしました。

相手のこととか、他の世界のことは知らない。知らないなら自分で飛び込んでみたり、試してみたり会って話したしたほうがいい。その上で自分で判断すりゃあいいんです。

私はそう考えて色々な仕事をしました。カバン一つしか持たずに友達も家族もいない場所に一人で行って住み込みとかアルバイトから始めて経験を積みました。

中には悲しいこととか苦しいこととか、泣きたくなったこと、悔しくて夜も眠れなかったこともありました。その上で言いますがそれでも様々な職種、多様な人々と話してみたほうが可能性が広がりますよ。少なくとも若いうちは色々やってみたほうがいい。

でないと価値観が狭まったままで歳を重ねることになります。

歳をとってから新しい挑戦なんて出来ません。誰かを受け入れるなどもできない。恥を掻けるのは若いうちだけですよ? 年齢の上昇と共にプライドが高くなってまったくできなくなるから。

30歳過ぎたらむしろ過去の遺産というか経験や人脈を活かして事業とか仕事を広げる人のほうが多い。過去の経験とか悔しい思いが人を育てるのであって、そういったバックボーンというか背景が無い人は薄っぺらな発言や仕事しかできないのです。

自らでは何も努力せず、恥を掻くことを恐れて何も積み上げていない。そういった人が安易な物まねとか盗用を重ねるようになるんですよ。自分では何も書いたり創り上げることができないから。

負けたくない気持ちの強かった私は、格闘技などもかなり長くやってました。

でもね、それでもまだ見ぬ相手とか異質な者、自分とは異なる「何か?」の雰囲気を持つ人は恐いです。やはり入って行くのは怖い。ですから垣根を作ってしまうとか、俺様ルール、仲間内だけでまとまってしまったり異質なものを見下ろす気持ちも少しはわかる。

でも、そればかりになってしまえば、とても小さな世界しか知らないままに一生を終えるでしょう。それはやはり寂しいと思いますよ?

人同士の繋がりやネットワークが子供たちを守る

大阪の児童殺傷事件(宅間守死刑囚)などはとても不幸な出来事です。残念ながら、今後もそういった事件が再発しないとも限らないでしょう。不安に陥る親御さんも多いと思います。

あの事件を契機に精神障害者への誤解や錯覚も増えたのかも知れません。元々、このコーナーはそういった誤解を少しでも減らしたいと願って公開されたものです。

私は精神障害者が事件を起こすのではなく、社会とかコミュニティを怨んだり嫉むもの、つまり異常者がもっとも弱い部分とか子供を狙ってそのような酷い事件を引き起こしたと考えています。

それを知って欲しいと願ってここまで長々と文章を綴りました。

私は以前から言っていますが、犯罪を抑止するのはお互いの繋がりだと思います。

お互いを「見張る」のではなく気づかうことです。「責める」のではなく思いやることです。その気持ちが育つならば、おかしな人が参入してきてもきっと周囲の誰かが気がついて忠告もできますし、地域や社会でその「コミュニティ」を荒らす異常者に対して対策も立てられるようになります。

昔の日本の社会においては向こう三軒両隣とも言いました。隣の子もその隣の子も知っている。我が子ではないが近隣住人の子供は自分の子と同じように注意したし叱った。

危ないと思えば庇いもするし助けようともしました。他人のお宅でご飯まで食べさせてもらってた子もいます。そもそもは叱ったり見張ることが目的ではなかったでしょう。お互いの子供を「気づかった」だけです。

昔は皆、貧乏暇なしで共働きとか子育てをしながら内職とか留守も多かった。ですから自然に互助会とか支援組織に似た形になりました。

おそらくですが、コミュニティを脅かすのは「外国人だから」でも「障害者だから」でもない。もちろん「未成年者だから」でもないでしょう。

そういったレッテルを貼られた者が重大な事件を引き起こすのではなく、何でも自分の好きなことをやっていいんだと思いこんでルールやコミュニティを無視する者が、大きな災厄を招くのだと思います。

最近多くなってるのは、自由という意味の履き違えですよ。自由とは「私(達)だけは何をやっていいしその権利がある」ではないのです。社会にはそれぞれに決められたルールがある。多くの人が暮らしているのですから。双方が嫌な思いをしないようにマナーやルール、慣習があって法律がある。

そのルールの全てを無視したり、自分に都合のいい部分だけ抜粋するのは「自由」ではないでしょうね。自分の自由とか権利を主張するために、誰かの権利とか立場、まして相手の命を棄損(きそん、失わせる)するならば間違っています。

それを受け入れてくれるコミュニティは世界中のどこにもないでしょう。

学校や会社もコミュニティです。家庭も地方自治体もコミュニティです。国家も同じでしょう。そういった枠組みを大切にせず、地域の縦横の繋がりやそこで生活する人々を愛さず、自分の都合だけを振りかざす連中がトラブルや被害を拡大するのだと私は思います。

犯罪を予防するために、私の考える主張は一つです。

それぞれの結びつきを深めること。

大小さまざまなコミュニティがありますが、そのコミュニティの仲間や参加者同士で「情報を」交換したり共有すること。違うコミュニティとか枠組みでも情報を交換すること。

そういう形で様々な張り巡らされたセンサーに、何かが引っ掛かった場合には警報を発して社会全体で、コミュニティや子供を守るように「お互いが気づかう」こと、です。

聞こえてくる情報、警戒警報を「他人事」だとは思わないように・・・。それが大事です。周辺住民のや地域住人気持ちが団結していれば、やはり他人は割って入りにくいものなんですよ。どんな凄惨な事件にせよ必ず事前にその兆候はあります。

コミュニティの住人同士の結びつきを深めて話し合い、お互いを色眼鏡でみないようにして関係を深めることです。その上で異質な者とか不思議な人が入ってきたら全員で注意深く観察するようになれば「悪意の兆候」は見えます。

近隣で似たような被害とか危ない事件がなかったかを調査したり相互に情報交換できる通信網やネットワークを育てるべきです。それが私の主張です。

そこに毒蛇がいる、とわかれば防御もできる。少なくとも無闇矢鱈(むやみやたら)と危険な部分に手を突っ込む人を減らすことができる。そうは思いませんか?

個人の力はたかが知れていますが、周囲の協力があれば猛毒を持つ蛇やトラ、ライオンでも警戒はできます。退治できるかどうかは別として被害を最小限に止めたり、次の犠牲者を救える可能性が高まります。

コミュニティとは、実際には国家や会社、何かのイデオロギーや枠組みではありません。

大切な「人」こそが、各自の繋がりです。家族であり友人であり、恋人、会社や学校も含めた仲間などが、人々が大切にしたい「コミュニティ」そのものです。

誰かを「大切にしたい」「家族や仲間を守りたい」と望む心、思い、そしてその相互の結びつき、それがそのまま多くの繋がりを育て大きなコミュニティとなります。

たくさんの心、人との繋がりを大切に・・・・。

その思いこそが、結果として多くを支え、たくさんの人を助けることになるのでしょうから。

このコーナーの初稿は2001年に書かれています。年数が経過しましたので2017年のサーバー移転の際に、読みやすいようにレイアウトと一部に加筆修正を加えてあります。

2001年09月01日 初稿

2017年12月14日 加筆、修正

谷口信行

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