コミュニティの心理学1

2017/12/14改訂
2001/09/01初稿

誰しもが感じる「異質な物に対する恐怖」

このコーナーの初稿は2001年です。番組出演をするようになった後に東京に移り住んで仕事を引き受けていたことがありました。

事件報道(2001年の附属池田小事件や光市の母子殺人事件)に対する感想と、一般的な精神障害者とそう偽る人との違いを追記してあります。

一部は「パーソナルスペースについて」にも重なる話です。内容が重くて長文になったので2つに分けています。

人間は異質なものに恐怖します。自分が過去に体験したことのないもの、触れた事のない人々、外見や雰囲気の異なるもの、ありとあらゆる物に恐怖し遠ざけようとします。

それは身を守るための本能にも近いものです。理屈ではないのです。

いわゆるガン黒とか金髪にピアスとか腕や首筋にタトゥや入れ墨が入っている人、雰囲気の異なる見るからにヤクザっぽい人や目つきの悪い未成年者が、コンビニや駅で地べたに座っていたり大勢がたむろしているのを見て心地よく思う人は少ないでしょう。

これは日本だけの問題ではなくて。イギリスやアメリカなどでも問題視されています。近年になって話題になった「モスキート音」などはイギリスで店の前でたむろする若者を何とかして欲しいという店主の要請から開発されたものです。(「コンビニは心理学の宝庫です」などを参照)

異質な雰囲気のものが集団になれば恐怖は否応なく増します。理屈ではなく心が反応するんですよ。

相手についての情報が少ないことは特に致命的です。外見が異なるだけでも怖いのに、言葉が通じないとか相手が集団で大声をあげるなどの行為をみて好感を持てというほうがおかしいのです。

以前に東京に住んでいた頃、私は(2000年前後)移動にバスを使っていました。

その移動の際に公共の施設で身体に障害を持つ方の学校、訓練施設を通ります。ですから、その施設に通う学生や障害を持つ方が時折バスには乗ってこられます。

滅多にある訳ではありませんが、突然大声で歌い始めたり、女性に触ろうとする人(悪意があってではないと思いますが)も時には見ることがありました。

彼らにすれば毎日の通学でしょうし、悪気があってやってる訳ではありません。いつも通勤で使っているバスの乗客や運転手の方も、そういった際の対応には慣れている部分があります。

それはこの路線のバスにおいてはよくあることなのかもしれず、奇声をあげたり奇妙な動きをする彼らを適当にあしらう人もいらっしゃるようでした。

私は普通の人よりもそういった方達との繋がりがあります。たぶん、少しは慣れている側でしょう。特殊な依頼者もありましたし過去には精神的な疾患を持つ人とか、いわゆるカルト宗教に取り込まれた人を救出に行くとかもありました。

障害者の方の雇用支援問題にも兄が取り組んだり講師として指導に立ったりしていましたので、関連施設を訪れたり取材に伺ったこともあり、NPOの依頼で正式に動画編集を請け負ったこともあります。

ですからまったく無縁という訳ではないのです。彼らのおかれている状況や環境、身体的、肉体的、精神的反応についても、一般人よりは多少は理解しているつもりでいます。

身体も鍛えてしましたしね。今の仕事を始める前は肉体労働も水商売もやったことがあります。理不尽な要求、いわゆる闇社会の住人に脅されたり先輩や同業者から金を要求されるとかありました。

その後も仕事柄ストーカーに遭うとか刃物を向けられるなどもあったため、私は見た目の優男風(笑)とは違ってバッキバキに鍛えてましたよ。体脂肪は7パーセントくらいで腹筋割れてました。空手や合気道などをやったのは護身のためで、必要に迫られたからです。

でも、その私にしても恐怖感は覚えるのです。異質なものは誰だって怖いですから。必要以上に身構えてしまったり無意識に怖いと思って反応してしまうこともある。

特に雨の日、傘を持ってバスに乗り込んできた人(障害のある人)が大声で歌っていたり、傘を多少オーバーに振り回したり動かすのを見れば、おせっかいながら出ていって止めたくなってしまいます。

悪気はなくたって万が一ということもあります。当たれば怪我をするかもしれない。

そうなればバス通勤する一般人も通学に使っている障害を持つ方やご家族も大きく傷つく。それまでは普通に通学や通勤に使えていたバスが、それをきっかけに使えなくなったり、全て排除する方向に傾くことも十分に考えられますから・・・。

見た目の雰囲気と「本当の怖さや異常者」は実際には異なる

見た目とか雰囲気で相手を怖がるのは、「自分(達)とは違う」ように感じるからですが、実際に問題を起こすのはそういった人とは限りません。

酔った勢いでとか何人か集まった際に問題を起こすのは、わかりやすく見た目が怖いとか異質な人ばかりではなく、むしろ普段から自分を「普通の人だ」と思い込んでいる人、一般的な服装をしていたり真面目そうな方の場合もかなり多いんですよ。

JRが行った事件の集計結果でも、ホームで殴りかかったり暴力事件などのトラブルを起こした人の実年齢は50才代がもっとも多いようです。次に30代40代、20代と続き、とかくテレビでクローズアップされたり報道されることの多い「キレる世代」などと表現される10代はそれよりもずっと少ない。

まあこれはただ単に逃げ足の遅い人(体力のない世代)が犯罪やトラブルを起こした後であっさり捕まるので、そういった結果になっているとも推測できますが・・・。

マスコミも捏造や恣意的(自分たちの誘導したい方向)な報道が増えましたので「今時の若者は」と言いがために、一時はそう煽ったとも考えられます。

常識的に考えたら若い世代のトラブルだけが増えるわけがないのですが・・・。少子高齢化で子供や若者の数は減り続けており、企業が行ったアンケートでも外出はせずに家で余暇を過ごすことが多いになっています。酒を飲まなくなった世代が暴れる機会は減ると思いますよ。

その分、ネットとかTwitter、SNSやゲーム画面での罵り合いは増えてると思いますが(笑)。

この数字が事件の実態や実数にどこまで迫れているかはわかりません。ただし、若い世代だけが問題を起こすのではなく働き盛りと呼ばれる人達や社会では分別がある歳だと思われている世代でも、そういったトラブルは頻発しており、実際に警察に捕まったり届け出があるのが実情でしょう。

JRや私鉄各社が行った車内トラブルのアンケート、暴力事件とかではなく痴漢の被害者への聞き取り調査でもそのような結果になっています。

影に隠れてしまっている部分を合わせれば実数や実態は異なるのかも知れませんし、凶悪犯罪とか刃物を持ち出して刺したなどで統計を取れば、こういった結果とはまた別の次元の問題なのかも知れません。確かに若い人の事例も出てくるでしょう。

ただ間違いないのは未成年者とか外国人、いわゆるヤクザ屋さん? ばかりが、駅のホームや繁華街で問題を起こすのではないということです。それは忘れないほうがいいでしょう。

自分では「一般の人で普通の人だ」「真面目だ」と思い込んでいる働き盛りの男性であったり、普段は良いお父さんとか人の良さそうな人が起こすトラブルも多々あります。

飲食店の経営者や警察関連の方に聞けば簡単にわかりますよ。お酒を飲んだ勢いで看板を壊したり、誰かに絡んだりとお店に迷惑をかける人の大半は「普通の人」です。そして男性だけではなく酔客で迷惑をかけるのは女性だったりもします。

どちらかというと特殊な商売をやっている人は少ない。風俗嬢とかヤクザやチンピラばかりが暴れているわけではないんですよ。普通の会社員もOKも飲めば気も大きくなってしまう。若いだけではなく高齢者もいます。些細なことで問題が拡大してしまうこともある。

テレビとかマスコミ報道から受け取るイメージだけで考えれば、そういった結果にはならないでしょう。鵜呑みにしてしまえば若い連中だけが大暴れしているような錯覚に陥ります。

確かに過去にくらべれば、未成年者のトラブルも外国人のトラブルも多くなっています。ですが、それは比較対照の方法とか集計の方法に問題があって、違う手法でアンケートをとれば一般の人(というか年配層や働き盛り)もあると思いますよ。

怖いというイメージは簡単に増幅します。元々、「異質だ!」と思い込んでいるタイプの人間に対する不信感や恐怖は、ほんの少しのきっかけで暴走しがちなんですよ。相手の外見とか見た目が特異であれば尚更、強烈に印象を残します。よほど注意しないとやはり誤解や錯覚を生むでしょう。

それは私でも同じことです。特異である、ということは「特殊な仕事をしている」「見た目が派手」だけではなく「どこにも出掛けていない」というたわいのないものでも、含まれることがあります。

コミュニティという考え方、ルール

事件報道などでもありますよね? 「何をしている人かわからなかった」と近隣住人が言い出しているケースが。

向こう三軒両隣で近隣住人との連携がしっかり取れていて、長屋の住人は皆友達とか幼馴染、家族も同然だった時代と今は違いますよ。

私も最近は自宅で仕事してることが多いですからね(笑)。物書きとかデイトレーダー、ネット通販業者などは自宅で全てが完結してしまうことがある。光ファイバーを使えばバイク便が原稿取りに来るよりも遥かに速い。家から一歩も出なくても仕事として成立してしまいます。

私も含め、そんな時代が来るとは誰も思っていなかったのですが。

写真入りの版下でも原稿でもネット経由であれば届けるのは一瞬です。ネットの普及でバイク便は次々と消えています。交通渋滞を避けるための自転車便というのもあってエコだとマスコミが取り上げてました。New Yorkでも日本でも持て囃されたのですが、残っているのは極少数だけになっています。

買い物にしたってネット通販やAmazonがある。仕事の効率を考えるなら一分一秒が惜しいでしょう。自宅でせっせと仕事していても外目にはわかりませんから「怪しげな仕事をしている人だ」という枠組みとかイメージで近隣住人には見られているかもしれませんね。

人が集まれば生活があります。

そのそれぞれに価値観や生活習慣があり、物事の考え方や進め方は異なります。社会には大きな集団も小さな集団もありますが、その「集まり」(コミュニティ)そのものが一種の生き物のようで個性があり、様々に感覚は異なるのです。

コミュニティとは一種の枠組みです。

大きな「枠組み」としては国家があげられます。地方自治体や県(アメリカなどなら州)などもそうでしょう。学校や会社、宗教とか宗派、イデオロギーである資本主義と社会主義なども含まれますね。大小様々なものがあり、時には複合する形で人は自分の場所を求めたり存在することになります。

それぞれの集まりや枠組みに、多くの人が「複合的に」含まれてそこで生活しています。

無人島に一人で住んでいない限りどこにも所属しない人はいません。どこかに所属しないと生活そのものが成り立ちませんから・・・。そしてそれは一箇所だけではない。ここがポイント。

どこかの国かどこかの会社(または学校)にいても、どんなご家庭や集団にいても。何箇所かの「複合的なコミュニティに」必ず含まれて組み込まれることになります。

すると、当然、その「コミュニティ」には多くの制約ができます。

自然にその「コミュニティごと」に約束事や決まりができるのです。面倒くさいですね(笑)。そこで生活する大勢にとって有害な物やトラブルとなるものを除くためにある程度のルールや取り決め、何らかの決まりごとが必須となります。

そのコミュニティ独特の「感覚」とか「常識」ができるのですね。

最近は禁煙の場所も増えました。駅のホームやバスの停留所も禁煙になりましたね。航空機も全席禁煙です。私がこの文章を始めて自分のホームページ上に載せた1997年当時にはまったく気にしないで良かった部分も、時間の経過と共にそうではなくなってきています。

はっきり見える「形」としては法律や税制などが含まれますね。歩き煙草の禁止も市や県、自治体での条例で定まっています。通称、淫行条例(青少年健全育成条例)なども同じ。2016年をもって全ての都道府県において条例が制定されています。

国の法律では定まっていなくても地方自治体独自で定められた法律で縛られることはありますよ。未成年者保護を目的として法整備や条例の設定は国際社会の要請でもあります。世界がインターネットやSNSで簡単に繋がってしまう現代社会においては。日本だけはそのままというわけにはいかないので。

特に子供に関するものは厳しくなりつつあります。リベンジポルノの対応も進んでいます。うっかりそういった法律を破るならば、罰金を取られたりいきなり捕まってしまうことはあります。

昔は良かったことでも時代背景や社会情勢の変化で徐々に変わって行きます。それが法律や条例であったり、契約とか常識であったりします。そのそれぞれがコミュニティのルールと考えられます。

お金を払ってどこかのマンションに住み、近所のコンビニに買い物に行くだけでもその義務は生じます。ゴミを出すだけでもルールや取り決めは守らないといけませんし、破れば生活できません。何度も無視すれば追い出されるでしょう。「家賃はキチンと払っている」という言い訳は通用しないのです。

皆が無視すれば無茶苦茶になってしまいますから・・・・。最近はマンションやゴミ捨て場の利用規約にもそういった部分はきちんと書かれています。

マンションではなく高い一戸建てだからいいではなくて。町内会とか自治会でもそれは決められているんですよ。どこに住んだとしてもそれは同じになります。

買い物をすれば消費税を取られますし、自分だけ「払いたくない」と拒否することはできません。枠組みとしてはっきりとした形ではなく法律にもなってないが、それでも「はっきりとして存在する物」には各自の「意識」があります。そこには常識とか良識とかマナーと呼ばれるものを含みます。

注意が必要なのは誤解や錯覚から排斥に繋がりやすい

人々は自然に異質な物は遠ざけ、危険だと思う者に近寄らないようにするとか口を効かないなどの反応を起こすことになります。

自分達のコミュニティにあった「常識」で相手を計って当てはめようとしたり、そこから外れている場合には近付かないようにすることですね。

先にも述べましたが、その常識の範疇(はんちゅう)からはみ出す人は受け入れられません。そこには見た目の印象だけではなく言動も含むのです。
障害者とか見た目に異質な人(例えばタトゥまみれであったり、金髪のお兄ちゃん)がバスで奇声をあげると、周囲が受け取ってしまう「恐怖」などがそれに含まれます。

よく観察してみるとインナー式のヘッドフォンで歌を聴いてそれを口ずさんでいるだけかもしれません。ところが、頭が金髪で見た目がヘビーメタルな感じのお兄ちゃんがへたくそな歌をバスで歌っていれば、周囲はそうは受け取らないものなんですよ(笑)。「頭がおかしい」と判断します。

コミュニティは「自分達」を守ろうとします。

これがコミュニティを生き物のようである、と私が表現した由縁(ゆえん)です。自分達の生活や集団を守るために、自分(達)とは異なる習慣、感覚、雰囲気を滲ませる集団、個人、団体を毛嫌いしたり、遠ざけて怖がるようにもなりがちなんですよ。

ある部分は仕方ありません。それは一種、家族や個人、大切な「何か?」自分の身を守るための本能にも近い部分を含みますから。それは理屈ではなく感情であり生物に備わる本能なのです。

怖いものは怖い。異質だからこそ排除する。危険は家族や自分に近寄って欲しくは無い。

そのためにルールとか取り決め、法律がある。それにプラスしてコミュニティ全体の総意、漠然とした雰囲気や独自に働く意志があります。「常識」とか「マナー」といった言葉表現されますが・・・。

それはある意味では人間の持つ防御反応ですからなかなか止められるものではありません。

ですが、これは気をつけないと危険なのです。時にそれは容易に差別や強烈な拒否反応に繋がります。特異な個性や感性の否定、弱者の排除、国際社会からの孤立とか移民への攻撃などにも繋がりやすいのです。

怖さや不安感に目がくらんで相手を最初から「否定する」所から始めると、いがみ合うことにしかなりません。元から話し合う意思がないですから(笑)。

本当は好きな音楽を聞きながらヘッドバンギング(頭を振ること)を行っているだけの気のいいお兄ちゃんかもしれませんが、それをバスの中でやれば周囲は好意的には受け取らないでしょう。

目の前の席のお姉さんや子供が恐怖でブルブルと震えていれば、それは周囲からみると恫喝しているように思えるかもしれないですね。そこで誰かが悲鳴の一つでもあげたらどうなるでしょう?

あっという間にパニックです。

相手の情報が行き渡っていないとか、何も知らないままで異質なものをストレートに受け入れるように人間は出来ていません。緊急用回路というか回避行動用のコードが埋められており、それに触れると無意識にガード(防御)を行ないように最初からセッティングされています。

そういった不幸な行き違いとか勘違いからも叩きとか排斥は起こりますよ。すでに社会ではそういった問題から、多くのトラブルが起こっています。

外国人と雇用、就労や住居に関するトラブル、学校や会社におけるイジメやリストラ、精神障害や身体障害者に対するいわれのない差別、騒音やゴミの捨て方によるトラブル、近隣に住む旧住人と新しい住人との間のトラブルなどです。

最初に述べましたが、「どこか一箇所のコミュニティ」団体とか組織にだけ所属している人はいません。実際には必ず何箇所かで複合しています。余計に複雑なんですよね。安息日には働くなとか工事をするなって禁忌、宗教的な戒律を守っている人達もいますので。イスラエルでは閣僚が辞任してます。

日曜日に工事するなって言ったら地下鉄の人身事故の時はどうしましょう? 牛を食うな豚を食うな、スープに使っていてもダメだって言われたら外食は不可能です。ご本人たちは超真面目に言ってますがその宗派とか戒律に従っている人以外からすれば迷惑なだけ。

一部の人間の「単なるわがまま」のようにも見えるでしょう? ですから人種、宗教、イデオロギー、年齢、性別、性癖や趣味、趣向も含めて、様々な状況下でぶつかり合いが生じてしまいます。

精神障害者に対する偏見

精神に障害を持つというと、とかく危険な者のように言ったり思う例があります。先にも書きましたが、人間は異質な物(者)を恐れます。

自分の会ったことのないタイプや、これまでに触れ合ったことのないタイプ、コミュニケーションの手段を持たない者(言葉の通じない者、外国人)、雰囲気の異なる者には恐怖を持ちがちなんですよ。

元々、そういった偏見や錯覚を持ちがちな上に、そこにマスコミやメディアの作り上げたイメージが重なります。

先に述べたような「キレる世代が暴れている」との作為的とも思える報道ですね。すると、本来、そういった世代を恐れる筈の無かったなかった人達もそちら側に傾いてしまいます。

以前に大阪の小学校に刃物を持って乱入し8名もの尊い命、幼い子供ばかりを襲った男がいます。

※附属池田小事件で宅間守という男が犯人です。このコーナーに追加記述をした2001年当時にはまだ判決が出ていませんでしたが、その後死刑判決を受けて控訴しなかったため確定。

2004年9月14日死刑執行。

無縁仏として市の墓地に埋葬されたようですね。獄中結婚も含め計5回の結婚をしたと言われていますが、結婚相手は誰一人遺骨を引き取っていないようです。 一人の親族も遺族もそれまでの支援者も駆けつけなかった、と大阪の司法関係者から伺いました。

こういった犯罪を行うものが犯行後、精神障害者を装うことはよくあります。

そう言い出すものの殆どは全て犯行後であったり逮捕後なのです。心の病を偽って罪を免れようとしたり、周囲に同情を得ようとか別れた奥さんとよりを戻そう、子供たちの関心を買おうと精神的な疾患を詐病したり利用することがあります。

実際には精神障害者が問題を起こしているのではなく、犯罪行為を行った者が精神障害や心神喪失を偽ることで無罪を主張する。それが結果として不信感や危ないイメージを増幅したと私は考えています。

脳疾患や末期癌患者のふりをする、なども昔はありましたが今はCTやMRIなどが進んだためにそういった詐病は行いにくくなっています。そのために医者が病名をつけられるというか、バレにくい精神疾患を装って罪を軽くしたり情状酌量を狙ったり、家族にまでそう偽るケースが増えています。

「心の病だ」と言い張れば周囲が心配したり、罪が減じられるケースも確かにある。精神的な疾患は骨折とか癌とは違って証明しにくい部分もあります。ネットを使って検索し、精神疾患者や多重人格だと偽ることで周囲を騙したり、人を殺しても俺は無罪になるんだ、などと言い張った例もあります。

また日本においては弁護活動を行う側が加害者の罪を免れるためだけの道具として精神疾患や障害を持ち出す例が結構あります。これも非常に残念ですね。最初はまったくそういった主張をしていなかったのに、裁判で不利を悟った途中からそういった戦略をとるケースもあります。

他に情状酌量の余地がないとか、弁護するための道具がないので戦略としては仕方ないのかもしれないですが。本来の法解釈、心神喪失とは異なる形で引用や多用が起こってしまい誤解の種です。

酷いものになると「事前に覚せい剤を使用してたから無罪」などを主張しているケースもあります。それで殺人無罪になってしまうのなら、皆が犯罪前か犯行後に覚せい剤を買い集めますよ?

司法関係者や裁判官にぜひお聞きしたい。それでいいんですか?

裁判官が誰だったかは官報に載っていますよ? 裁判結果に不満を持つ凶悪犯罪の被害者家族は、覚醒剤を購入して裁判官やそのご家族を付け狙って直前に使用していけばいいのですかね? まさか有罪にはなりませんよね? 裁判官ご自身が「覚せい剤で心神耗弱状態だった」と証明しているのですから?

それで罪を問われないということになれば法制度そのものが崩壊します。

コミュニティにおける最大、最低限のルール

宅間守死刑囚の事件は厳密に言えば、精神障害者とは違います。

確かに彼は心に闇は持っていたでしょう。裁判中に幼い家族を失った被害者遺族に何度も罵詈雑言や中傷を浴びせて最後まで「ざまあみろ!」と叫んだような男です。心が荒んでいたりおかしい部分があったのは間違いない。ですから異常者には間違いありません。

彼の心の中には相手を思いやる心が欠片も存在していないのですから。普通はそこかに良心の呵責(かしゃく)とか罪悪感を持つものです。

人間性善説を唱える方々はたくさんいらっしゃいますが、心理学者や精神科医にもそういったものの信奉者は多い。できることならば、どんな凶悪犯の心にも「良心が存在して欲しい」との願いというか祈りにも近いでしょう。ある種の信仰でしょうね。

残念ながら私は性善説をまったく信じていません。社会には良心の呵責など一ミリもない連中も数多く存在していますよ? 確かに過去とか育った環境を覗いてみれば同情すべき点とか両親が不在だったり幼い頃から虐待に晒されていたり厳しい環境で育った人達がいます。

ですが、じゃあ厳しい環境とか酷い両親に育てられたら。無関係の第三者とかまして子供を惨殺して虐待して手足を捥ぐ(もぐ)ような行為を繰り返していいわけですか? 奈良県では幼い女の子を性的虐待目的で攫って殺したブラジル人までいます。

光市の母子殺人事件などもそうですが。加害者の親が酷い人間だったからその子供は殺人を犯しても許されるべきなのでしょうか? 自分より更に幼い子供、抵抗も証言もできない乳幼児を床に叩きつけて絞め殺しているのに? それが更生というお題目だけで許されるべきなのでしょうか?

人間として守るべき最低限のルール、聖書にも載ってる最古の禁忌が殺人ですよ。特に罪もない幼子は殺すなと諭しています。その悪意や狂気が自分の子供とか家族に向けられたとしたら? 人権派を名乗る人達は絶対に怒らないのでしょうかね?

裁判が思ったように進まず自分たちが不利になっただけで記者会見で怒鳴り散らすような連中が、そんな菩薩か神様か仏様のような「慈悲」の心を持っていると私は思っていません。あれが人権派という名称で括られて社会に認められるようになったら恐ろしすぎますよ。

どんな残虐事件を起こそうともどこかに良心を持っていて、遺族に謝ったり反省して処刑台に登って欲しいとか謝った後で罪を償ったり処罰を受けて欲しいとの願いは多くの人の心の中にあります。

人間がそこまで酷い、とは思いたくないですから。

宅間守の場合は終始、世間を社会を親や家族、別れた妻や同級生、あげくは何の関わりもない一般市民や子供たちを呪い、罵倒し中傷しながら絞首刑台に上がった男です。一度の謝罪もなかった。おそらくですが、その頭の中には遺族への反省も謝罪も存在しないでしょう。

ほんの少しだけどこかに後悔はあるでしょう。ですがそれはむしろ、自分がヘマをやったとの思いであり「次にはうまくやれる」との思いかもしれませんね。

普通の人の何倍も社会を憎む気持ち、自分の置かれた環境や親や周囲を怨む気持ちが強く、そちらが常に心の中で勝つために謝罪の言葉や態度などまったく見せなかったのだと思います。

すべて「俺が悪いんじゃない」「社会が他人が悪いんや!」があのタイプの男の主張でしょう。

確かにおかしい。ある意味では精神を病んでいます。ただし、こういった人達を「精神障害者」に混ぜるのは誤りです。悪意がないとか計画性がない、不幸な巡り合わせや「罪の意識や判断力がない」ものが行ったことは我慢して許そうが本来の精神耗弱状態、「罪一等を減ずる」だったのですから。

何の罪もない人を巻き込んで地下鉄にサリンを撒いたような異常な集団もあります。自分達の身勝手な教義を常に引きあいに出し「我々は社会を救っているんだ!」とのたまう。

そのためには誰を殺しても「神の意思だ!」と叫びます。

そこには何の思いやりもなく身勝手なひとりよがりだけがあります。家族や周囲、社会の多くに迷惑をかけ自分達の権利ばかり主張する愚かな集団だと思います。それはもはや教義でも宗教でもない。

どんな教義も宗教も守らなければならないルールがあります。コミュニティの根本、ルールの基本でもっとも大切なものは極めて単純です。

「相手を殺さないこと」ですよ。

何をやっていい、は通らない

どんな人もそれぞれにルールに縛られていいます。生きている限り何かに縛られます。不満や不具合もあるんです。

誰しも好きで縛られているのではない。

それでも守らなきゃいけないルールがある。それを皆が踏み外すとコミュニティそのものが崩壊するから。その根本の部分を彼らのような身勝手な犯罪者は自分勝手に曲げてしまっていることになります。

思想も教義もイデオロギーも根本は「コミュニティを守るため」で、本来は人々が「生きるため」に存在します。教義や宗派を守るために誰かを殺すようになったら本末転倒ですよ。

「教えを広めなさい」とは書かれています。自分たちの主義主張、教義や宗派を広めるために多くに語りかけ書物を残し、ボランティアや弱者の救済、困っている人の手伝いをする。それが宗教としての基本原則であり布教活動の原型です。それを誤解したり歪めるほうが間違い。

適当な教義とか宗教、育った環境を理由に「何をやってもいい」は当て嵌りません。自分の身勝手のために犯罪を行って良いとか国が決めた法律や規則、ルールを無視していい、まして周囲を傷つけたり命を絶っていい、というものではないでしょう。

それならどんな国にも住めませんよ。それは異質というだけではなく異常者であり、多くの人達の生活や命、コミュニティを脅かすものだからです。

自分達が他人に傷つけられたとか虐げられたから「誰かを殺すのは自由だ」とか「精神疾患を持ってるから」「過去にいじめや虐待を受けたから」殺していいんだには決してならない。

オウムや宅間守に関して言えば、彼らは子供を殺してしまっています。

コミュニティにおいて子供たちや乳幼児は、もっとも大切にして育むべき存在です。

最近は一部の人権派を自称する人達もそれを助長しています。最近は精神障害を殺人犯を助けるための道具、思想を押し付けるための理由にしてしまっている雰囲気があります。本来はそういった意図で作られた法令、特例ではないと思うのですが・・・。

PTSDなどもそうなんですけどね。訴訟時に賠償金吊り上げるための道具のように扱っている連中もいます。PTSDにかかったはずの病人? が事件からわずか数日でマスコミ各社から堂々とインタビュー受けてるのをみる流石に驚きます。

PTSDとは本来、経過観察によって診断されるものです。少なくとも数ヶ月は反応をみるでしょう。ベトナム帰還兵などがこういった症状を起こすので名付けられた病名ですが、彼らも何年もの診察を受け、投薬治療や経過観察を経て診そういった病名、診断を受けています。

事件の直後ならPTSDという病名はつかない。将来的にそれが「疑われる」というだけでしょう。正式な病名はもっと後につくんですよ。多少なりともまともな医者ならそういった診断はしないでしょう。

思わず観察してしまいました。外に出てくることができて多くの人達の前で堂々と話すことができる。声に震えとか脅えもみられない。それが事件後たった数日であるならば、いったい誰がこの人に「PTSDとの診断」を下したんだろう? と不思議にも思います。

おかげでそういったものへの偏見も増えて、今ではなかなか診断書が出なくなりました。病院側がPTSDを疑って診断書を提出しても詐病のように扱われるからです。

これは一部のマスコミとかその病名を悪用した弁護士やそれに加担した医療関係者の責任ですよ。PTSDという単語は今ではすっかり詐病、訴訟道具の代名詞になっています。

後で詳しく触れますが、精神的な障害を持つ人々を特例として扱い罪を問わなかったのには日本の歴史的な背景もあります。少なくとも無辜(むこ、なんの罪もない人達)の民とか社会的な弱者、抵抗できない女子供や、妊婦を連続で惨殺する犯人を擁護して助するために作られた法律ではありません。

困るのはそういった詐病とか本来の使い方とは違う解釈を一部の人達が繰り返しているため、本来はコミュニティで助けてもらったり、治療を受けられるはずの人達、トラブルや偏見を回避して恩恵を受けるはずの人達が厳しい目で見られて差別に苦しんでいることです。

違いを認識して欲しい

そういった凶悪な事件を引き起こす連中、トラブルを起こす彼等は確かに精神を「病んでいる」といえば病んでいます。ですが、そういった人達を「精神障害者」と呼んでひと括りにするのは間違いです。

そういった犯行を行う者には自分で自分の行動を選び、動くだけの意志と能力、身体があります。介助や介護が必要ではない。金銭的な余裕がある者も多い。運転免許や車持ってる連中もいますよ?

宅間守がそうでした。偽物の名刺と肩書きを用意して職業も偽っていました。犯罪を行う前に周到に計画を練ったり下見に行く事すらある。それのどこが心神喪失なのでしょう?

責任能力がない「精神障害を持つ人」はそういった計画的な行動がとれないのです。悪意を持って何日も待ち伏せるとか下見をすることができない。名刺を用意したり高収入がある医者だとの嘘話で女性を騙したり性行為も行っていないでしょう。

入り組んだ計画を行うとか、隠ぺい工作を執拗に行うような「能力がない」からこそ除外されるのです。

突発的なもので計画性がない。悪気や作為がない。保険金目当てや利益のため嘘を塗り重ねたり、損得のための悪質性がない。だから形式上は事故とか過失致傷に近い扱いになりました。

犯罪が発覚して逮捕された後になって心神喪失を主張するものがいます。私には無関係ではありませんがそういったものの中に「多重人格」を訴えるものまで出てきています。

最近の事件では社会生活において仕事をしたりブログを更新したりSNSやTwitterまで駆使して被害者を騙したり集めようとします。運転免許まで取得できてるのに、犯罪の時にだけ精神病や障害者だったと言い張ります。多重人格だったから「無罪にしろ」と喚き散らしている実例があるんですよ?

おかしな話です。あちこちで堂々と自分の身分を偽り、偽物の名刺すら用意します。また、それを自分で作るだけの能力があります。そこまでできるのに犯罪行為に対してだけ「責任能力がない」と言います。全ては障害とか多重人格? のせいでご本人様には罪がないんだそうで。

光市の母子殺人事件でも同じですよ。泣き叫ぶ子供の横で殺人とか屍姦行為なんて普通の男なら出来ないですよ。その時点で萎えて帰りますよ? 女性の方に勘違いしないで欲しいですが、あれが男性一般の意見とか反応ではないですよ。そんな野獣というか異常者なんて殆どいません。

少なくとも証言も抵抗も出来ない赤ん坊を殺す必要はない。無視すればお終いです。はっきり言えば用は済んだのですから。幼い子供を殺さなければ最初から死刑判決などはなかった。その男が面白半分に子供を殺したから、罪が重くなったのです。

アメリカでも少年法に準ずるものはありますが、光市のような事件ではどの州でも結局は最高刑になるでしょう。理由は簡単です。犯人が自分よりも「更に幼い子供」を惨殺しているから。

中高校生が小学生を銃で撃ち殺して死刑判決や終身刑を受けた実例があります。アメリカは子供の人権にうるさい国です。ただし、うるさいしそれを守るからこそ、いくら少年とか未成年とはいえ幼い子供や乳幼児の命を奪った場合には厳しく罰せられる傾向があります。

都合がいい時だけ「アメリカでは」とか「日本以外の先進国では」と言い張る人権派や日本のマスコミはそういった部分についてを報道しようとしていません。Googleなどの検索、言語翻訳が発達しましたから。気になる方はご自分で調べてみてください。

犯行時において「証言ができない」ということはとても重要です。盲目の人の前で誰かを撃ち殺したとしても証言はできません。姿形を見ていないし「相手が誰であったか」の証明ができないからです。

強姦や屍姦は子供の犯罪じゃありません

アメリカですと通常なら犯人は証言のできない人は見逃します。そこで殺しても何の意味もないからです。お金が貰えるわけではないですし罪が増えるだけ。

万が一、捕まった時に罪状が増えて刑期が長くなります。

死刑のある州なら死刑になってしまう。ですから撃ち殺さずにそのまま逃げる。損得勘定ばかりでなく犯人の良心の呵責(かしゃく)もあるでしょう。そこで撃ち殺すとしたら遊び半分でしかありません。少なくとも裁判所や判事はそう受け取りますので刑期は飛躍的に重くなります。

アメリカでは証言ができない者(例えば盲目であったり、老齢者や口がきけないような幼児)を撃ち殺すと獄内で壮絶ないじめに遭うとも言われています。

嫌われる順番は児童虐待者、女性に対する虐待、裏切り者(密告者)だそうです。自分達も恵まれない立場とか、親にいじめにあったり辛い環境にあったからこそマフィアになったり犯罪に手を染めることになったのですから、子供を虐待したり弱者を殺す者には強烈な反感を持つようですね。

この辺の感覚も日本とは違います。ペドフェリア(幼児性愛者)を繰り返したり、とか子供を虐待したり殺害した者は独房に入れないと殺されると言われます。刑務所というコミュニティ内でもルールがあって徹底して嫌われるのです。

光市の事件は的暴行が目的で押し入ったと最高裁では断罪しています。ところが激しく抵抗されたので面倒になって殺し、その場から狼狽えて逃げることすらしなかった。

その後、屍姦行為を行っています。あげくに抵抗できない幼い乳幼児を「その後で惨殺」したことになります。人権派を名乗ってる弁護士までがセットになって「母親に甘えようとしてうっかり首に手が当たってしまっただけ、とか言い張ってるのをみると正直、吐き気がします。

弁護団や被告の言う通りだとすれば誰一人死んでいないでしょう。人が二人、現実に亡くなっているという事実を見ていないかのような作文に思えます。

普通はどんな凶悪犯も性行為の後は大人しくなります。銃犯罪や凶悪犯罪の多いアメリカでもここまで酷いケースは珍しいですよ。そこで黙って立ち去ればいいものを更に幼い乳幼児まで殺している。

性行為を行った時点で彼は子供ではありません。少年法ではなく大人として扱うべきです。強姦は大人の男にしかできない犯罪なのですから。少年法で裁いていいのは18歳未満の犯罪です。そしてその「少年」であるなら、強姦行為には及ばないでしょう。

体格も大きくて大人の女性を組み伏せることができる。しかも女性や子供を絞め殺すほどの力があって射精する能力があったから行為に及んだのです。

逃げ出す時間も十分ありました。亡くなったお母さんは子供だけでも助かって欲しいと願っていたでしょう。子供を見逃すどころか家探しして金を奪い、その金を持って遊びに行っています。発覚を遅らせるため子供と母親の遺体は押入れの天袋に押し込んであったとの報道がありました。

力も相当に強い。夫がしばらく事件に気が付かなかったのは通常ではそんな場所に遺体が放り込まれているとは思わないからでしょう。それで子供ですか? 少年法で保護すべき存在だと?

私はそうは思いません。

これが強盗とか窃盗目的で突発的な犯行がバレたのなら法解釈も異なったでしょう。計画的な犯行で隠蔽工作をやって金銭も奪っている。子供だけでも助かっていれば死刑判決は出ていない。ご遺族である本村さんも子供が生き残っていれば、その子を育てるという目標も持てたのです。

その全てを奪った犯人が激しく憎まれたり、社会に疎まれるのは当たり前でしょう。

強姦や屍姦する時は堂々と大人になっておきながら、自分が捕まって裁きを受けろとと言われた時だけ「18歳と1ヶ月だから子供扱いしろ!」と言い張るのは流石に無理があります。

彼らは常に「弱者」ばかり狙う

日本ではなぜか罪を問われた時だけ記憶喪失や多重人格になったり、心神喪失だったと言い張る加害者がいるようですが、あり得ないと思います。

心神喪失状態、という言葉をどんどん拡大解釈して誰にでも適用すれば、余計に誤解や錯覚が広がりますし司法に対する不信感が高まります。

宅間守死刑囚も近隣住人への嫌がらせ、駐車している車をパンクさせたり待ち伏せして誰かを殴るなど、悪意と計画性を持ったトラブルが執拗にあったことが事件後に発覚しています。別れた奥さんへの執拗な嫌がらせや暴力があったとの報道もありました。

そういったトラブルに見舞われた人達も生きた心地がしなかったと思います。

常に相手を怒鳴りつけて恫喝し続けている。社会の全てが悪いと言い出しますし、自分に落ち度があるとは思わないものです。

オウムのようなカルト集団の行動もこの種の事件を起こした連中はよく似ています。両者に共通するのは事前に身分証明や名刺を偽造したり下見をする、作業員の服装を準備したり犯行が発覚しないように隠ぺい工作をしています。要するに高い計画性があるのです。

知能がないとか考える能力がないとはまったく思えません。

自分に都合のいい論理を相手に押し付け、弱者を選び、気にいらない相手には訴訟を繰り返しています。困ったことにそういった部分までかなり似ていますね。

反社会的、反道義的な行動を繰り返し、明確な意図を持って誰かを攻撃するものは「障害者」精神疾患がある人とか心神喪失者とは異なるでしょう。「異常者」と「障害者」は明確に違うのです。

今後の裁判で精神疾患とか心神耗弱で罪を減じられる「偽物の障害者」が増えないことを望みます。

確かに一部の精神障害者には状況によって攻撃性はあります。突然、叫び出したり暴れる者もある。が、持続しません。突発的な動きや音とか車に驚いてパニックになるトラブルはあるかもしれませんが、カルト宗教や一部の異常者のような計画的な犯行、執拗で悪質な行動とか惨殺行為は行わないでしょう。

偶発的な「事故」ではなく計画性を持って入念に準備していること、ターゲットととしたのが弱者であって強者(例えば幼政治家や警察官、自分をいじめた同級生や親)に向かっていないことがそういった連中の悪質さと身勝手さの証明です。

自分が弱者だったり子供だったから虐待に遭ったのでしょう? では身体鍛えて「自分を虐めた」本人に向かえばいい。社会が悪い世間が悪いとぬかすならマスコミとか裁判所とか警察署とか政治家、大企業のトップとか幹部でも狙えばいい話です。

社会的な弱者である女性とか子供、老齢者に被害が集中していることが彼らが卑怯者である証であり、精神に障害のない証明なんですよ。明らかな選別、保身が見て取れますから。

大金持ちとか恨みがある者に「いきなり斬り掛かった」ならまだ話はわかりますよ。社会的な弱者とか子供、女性や老人、障がい者をターゲットにして下見をしたり犯行を繰り返している場合は意図的な選択であり、狡い保身が働いていることになります。

秋葉原でも無差別殺人、傷害事件がありましたしね。障がい者に斬りつけて正義を気取った男もいる。政治家とか大金持ちの企業のトップとか嘘を垂れ流すマスコミ関係者には矛先が向いていない。警備が厳しいからですか? そりゃその時点で話にならないでしょう。

そもそも観点がズレています。「精神に障害があること」が問題なのではなく社会に迷惑となる行動、反社会的で迷惑なことを繰り返す者が問題であり、本来は取り締まりや処罰の対象となると思います。

責任を問われないように「精神障害者」のふりをして命を長らえ、弱者をターゲットにし、また同じ犯行や迷惑行為を繰り返そうとする者になぜ、社会が手心を加えなければならないのでしょうか?

それも殺したのが幼い子供とか妊婦、抵抗出来ない老人や障害者だとしたら? それが正義ですか?殺された子供達に罪はありませんよ。どうしても私には納得できませんね。

それは障害者ではなく異常者です。そんな者と一緒にされる障害者、障害者を支えるご家族や医療関係者こそいい迷惑ですよ。何でも一緒にして都合よく使うものではない、と思います。

私は自分の「過去の痛み」「虐待やいじめ」を理由に弱者に向かう連中が大嫌いです。いじめた本人とか恨みのある者、強者に立ち向かうなら多少は理解できる。

その上、捕まったら心神喪失者だと言い始める。過去の体験や育った環境を理由に女性や子供、老齢者を襲う者が事件後に弱者(障害者や精神疾患)のふりをするのがどうしても気に入りません。

過去の制度、現行の法律

刑法39条にこういった条文が載せられています。

第1項

心神喪失者の行為は、罰しない。

第2項

心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

意味を簡単に解説すると「心を失っている」または衰弱して弱っており、正確な判断ができなくなった者は罪を問わず(もしくは、減刑)し、大目に見よう、といったシステムであり法律です。

日本は解釈があいまいな部分がありますから、この条文を拡大解釈して様々なケースに当て嵌めてしまっていることがあります。最近はこの条文について、目にすることも多いでしょう。

この法律が制定されたのは古いです。明治40年(1907年)に基本的な骨子が整えられて昭和22年(1947年)に改正が加えられています。

1947年といえば大東亜戦争(第二次世界大戦)終結後2年目。GHQがまだ日本に進駐していた頃で日本国憲法の施行(憲法施行は同年5月3日、刑法は10月26日)も同時期ですね。

憲法や刑法はアメリカの意図や思惑もあって整えられた部分はありますが、この法律だけは少し事情が違います。明治40年の時点でも日本において心神喪失者に対する温情とか刑罰を減刑するとの記述があります。その法律、制度には深い意味や尊い精神があります。

ただし、その意義とか意味は素晴らしいのですが先人の知恵を取り違えて理解したり、一部の犯罪者やあちこちでトラブルを繰り返す団体が拡大解釈を繰り返そうとしています。

「この法律は自分(達)が、犯罪の責任から逃れるために利用できる便利なものだ」と思い込むような者がいて、私はつくづく気分が悪くなります。

少年法も同じですね。法律の本来の意味を自分達の都合の良いように曲解したり、利用しようとする連中が後を絶ちません。私はその現状をとても嘆かわしく思っています。

少年法や刑法39条の是非は別として、ここでこういった制度や法律の生まれた歴史と背景、時代情勢や当時の考え方の解説を試みます。

こういった法律の施行された過去をたどれば、文献として残されている最古の物としては、大宝律令(AD700年6月17日から701年8月3日。施行は翌702年10月)にまで遡ります。法律の制定そのものははかなり古いんですよ。明治どころか千数百年以上もの昔。

そんな遥か昔にこの法律の原形が整えられたことになります。

大宰府管下の西海道諸国には、「大宝律令」の完成と同時に配布して実施したのでないかと推測されており、律令政府(当時の政府)がいかに新令の公布に積極的であったかがわかるそうです。

これは今から千数百年も前から、そういった障害、精神的な疾患について、人々が深く考え、彼らをどう扱えばいいかを探ってきたことを意味します。

※大宝律令について詳しくは、財団法人 日本障害者リハビリテーション協会のホームページに参考資料が載っています。少々難しい文章ですが、興味がある方は参照して下さい。

興味深いのは日本のみならず、キリスト教の聖書にもそういった記述があります。大宝律令よりも更に古く2千年近く前ですね。もっともこれは法令とかではなく宗教上のお話ですが・・・。

当然、仏教やイスラム教にも似たような記述が存在します。

精神的な疾患とか精神薄弱者、考える力を持たない者には「保護を加える」「罪一等を減じる」といった考え方が大昔から存在していたことになります。

なぜ、お咎め(おとがめ)はなかったのか?

基本的にはそういった「罪一等を減じる」措置を受けられるのは、生まれた時から思考能力を持たなかったり、事故や病気(高い発熱等)で社会生活が営めなくなった者に限定されていたようですが。

現代のように「犯行前までは普通に生活していて」しかも「酒を飲んでゲームセンターに行って」「犯行の直前まで車の運転をしていた」者などは含まれません。

江戸時代にも心神喪失や、乱心者(狂人)については、「お咎めナシ」という制度がありました。大宝律令の頃からずっと日本はそういった形式になっています。

明治時代の刑法はその頃からの流れを引き継いだものです。

意味合いは現行の法律と同じですね。心を失う(乱心)して、起こした事件ですから「勘弁してやって欲しい」といった届け出を家族なり周囲(だいたいは上司)が行います。

それが認められた場合には責任を問わない、お家のお取りつぶしを行わない、親族への影響や連座制をとらない。といった温情、特例制度は厳しいはずの江戸時代にもあったのです。

現行の制度の幾つかは過去の制度や法律、歴史の影響や流れを引き継いでいます。江戸時代とか大宝律令と書くとなにやら遠い昔の話のようですが、昔の法律に現行のシステムがまったく影響を受けていない、とは誰も言いきれないでしょう。その頃の名残りは現在にも引き継がれています。

法律ができ上がった理由に、この制度が施行された当時の時代背景、宗教観や社会情勢があります。

武家の社会において、「異常者」とは、そのコミュニティを脅かすものでした。

江戸時代の枠組みは完全に縦割りの社会になっており、上司の命令は絶対です。江戸幕府は士農工商という身分制度によって運営されていました。

誰かが明確に逆らえばその制度そのものが成り立ちませんから、幕府も強気に出ます。システムを守るためにも法律や枠組みを定めて厳しく取り締まる必要があったのです。

そこが緩めばそれはそのまま幕府の崩壊を意味します。下克上と呼ばれた戦乱の時代に後戻りする訳にもいかないので厳しくする理由があったんですね。

それで「異常者」とか幕府に逆らう言動をするものは徹底して厳しい扱いを受けます。下手をすればその「たった一人の乱心者」のおかげで、お家はお取りつぶしになってしまいます。

元は名家とか戦功を認められて旗本になったりその名誉を引き継いでいるのですから。一人の愚か者のためだけにお家ごと取り潰すのは幕府の本意ではなかったかもしれないですね。

ただし何事にも規律や前例がある。当時の江戸幕府は財政の負担、政治上の都合もあって各地において盛んに「家」とか大名を潰しています。ですからそれは決して他人事ではなく、どんな大大名や譜代の名家でも、ほんの少しのきっかけやトラブルからも十分に起こりうることだったのです。

それは武家のみならず、「村」とか商家にとっても他人事ではありません。

どんな世界でどういった時代にも跳ねっ返りは居たんですよ(笑)。今の時代と変わりません。

何の意味もなく盗んだバイクで走り出したり夜中に校舎の窓ガラスを割るような連中、街中に落書きをして悦に入るような連中も出るわけで。現行法や幕府に逆らうような反抗者も出てきます。

上司や部下の命令を聞かず、自分の考えのみで身勝手な行動をとる人もいましたし、地位やお金を手に入れた途端に強引な行為や無理を行う者も、力を持ったことで自惚れてしまう人も出てきます。

そういった「異常行動」つまり、反社会的な行動を行う人は「革命だ!」と思っていたり、ご本人は正しいと思ってやっているのかもしれませんが、周囲にはその言動がそうは映りません。枠組みとかコミュニティが荒らされているだけで何なる迷惑行為です。

責任は多くに及ぶ時代ですから。「あいつ個人がやっただけ」にはなりません。単なる悪戯とかノリですでは通らないんですよ。打ち首や火あぶりだってあります。

体制を維持するための「なで斬り」はもっとも愚作

で、結局は社会とか家でも疎まれ(うとまれる)嫌われてしまったり、場合によって捕方(当時の警察)に捕まってしまうことになる訳ですが・・・。

そういった時、ご本人の家族とか上司や部下などの家族や親族が「恐れながらあの者は心の病で」と、お上(おかみ)に申し出ることになります。

運が良い場合はその申し出が管理者側(当時の施政者)に受け入れられます。

問題を起こした当人は厳しい処分(今でいう所の強制入院、閉門や蟄居、下手をすれば一生幽閉、病死扱いで殺される場合もあった)を受けますが、お家やそのコミュニティは「お咎めナシ」になります。

裏話になりますが、これは一種のガス抜きの部分がありました。

あまりに管理を厳しくしすぎると体制に対する不満が高まります。その決定が御定法通り(当時に定められていた法律の通り)だとしても、あまりにも画一的だと恨みも買いやすいのです。

現政権(当時の幕府)へのあまりの不満とか内圧が高まれば、大規模な一揆とか内乱や反乱にも繋がりやすい。お取り潰しが確実な例であっても、幾つかを「お目こぼし」することで相手に借りを作る事もできる。相手の家とか直接逆らったのではない親族に「恩を」売ったわけです。

それが結局、幕府を支える力になったり不満分子が結託することを防ぐ効果もあったようですね。

社会を管理統括する側からすれば問題を起こしたご当人はともかく、その周辺がしっかりしていれば、御定法通りにその枠組みを丸ごと潰してしまうよりは形を変えて残そうと考える訳です。

特例として温情をかぶせてそのまま誰かに引き継がせて残したほうが、多少はこちらの言う事も聞くだろうし得策だろうと考えた訳ですね。

現在のリストラや銀行主体による会社の建て直し、会社更生法の適用などとも似ています。

気にいらないからといって新経営陣が役員を全員を首に会社がすればまとまりませんよ(笑)。業務が止まります。引き継ぎをやることすらできませんから。まして社員全員をクビにする経営者はいないでしょう? それまでのノウハウと技術、社員の労働力を活かしてこそ買収の意味はあります。

屋号とか商標だけ奪っても軌道には乗りません。

空っぽになった会社でしかも職人や商品の購入ルート、販売ルートを失ったら乗っ取り失敗です。強引過ぎる乗っ取りとか代替わりがうまくいかないのはその後の展開を考えていないからです。

たとえ買収であっても、内部にシンパとか新しい「政権」(会社の場合には経営陣や仕入先、販売先)と結びつきを深めてくれる人がいないとうまくいかないでしょう。

これは軍事行動でも同じですが、侵略したり制圧したい国であっても、全てを力づくで無理やりに押さえつけるだけだと根深い反発を食います。

何年も徹底抗戦する例も出て来ます。住む場所を奪われ、家族や親族を殺された恨みというのはそれだけ根深いのです。そういった状況が続くと結局は「皆殺し」にするしかなくなります。

昔は「なで斬り」と言ったそうですが。短期間での収益がなくなりますから乗っ取ったり制圧した意味がなくなるでしょうね。税を払ってくれる領民、働いて米を作ってくれる農民がいなくなりますから・・・。人はそう簡単に補充できません。回復には何年もかかるのです。

一般民衆を徹底弾圧する施政者や侵略者が歴史上で馬鹿と言われる理由は「なで切り」ではあまりにも得るものが少ないからです。

江戸幕府のお取り潰しでも領民には罪を問うてはいません。一揆や反乱の時だけですね。地方自治体の施政者、その藩の上層部をそっくり入れ替えて忠誠を誓わせ、上納金を納めるように仕向けています。

神の使い、お告げという考え方があった

社会を混乱させ迷惑なだけにも感じる「乱心者」が、なぜか法律によって許された(死罪を免れた)背景には、もう一つこういった理由があります。

太古の日本社会、初期の日本における政(まつりごと、政治)において、「精神異常者」とは、「神と交信できる人」と同義語であった時期があります。占いとかシャーマニズム、選託(占いや神のお告げにより選ぶ)は、生活とかなり密着していたのです。

安倍晴明のようなシャーマン(占い師、神官、陰陽師)が国政や政府の根幹に深く関わる例もかなりありました。陰陽師だけではなく、修行者や修験者、巫女や神官、坊主や占い師などが御選択とか「神のお告げ」に時折関わります。

彼らは歴史のあちこちに影のように寄り添って出て来ます。興味深いのはそういった状況は和洋全て同じで、ヨーロッパ各国やアメリカ、中国に至るまで様々な形で「シャーマン」(ある種のトランスに陥る人々)の干渉を受けるのです。

御神託(神から何かを聞き取って選ぼうとする)を行うために、修験者や神官等は「ある種の」手法を行います。一種のトランス状態に入るために、何日も絶食したり山やお堂に篭(こも)ったり、延々と修業を繰り返すのです。身体の感覚を研ぎ澄まし五感を開きます。

その五感、人間が感じ取る限界を超えた部分(別名、第六感)神と呼ばれる存在、人とは異なる大いなる存在や、次元を超えた「何か?」大きな存在から、何らかの情報を聞き取ろうとする習慣があり、各地に様々な儀式があったのです。

今とは時代が違いますからね。当時はパソコンも気象衛星もなかった。電話もメールもなかったでしょう。天気の長期予想とか農作物の迅速な輸送手段もありません。灌漑用水用のコンクリート堤防とかダムとかもない。防疫に関する知識もないですし衛生についても知られていません。

ヨーロッパでペスト(黒死病)が大流行した時は全人口の3分の1近くをを失いました。病が爆発的に広がったのがペストを媒介するネズミの駆除などを行なわなかったためです。衛生知識の乏しかった時代ですから、遺体を焼くとか近付かないなどもしなかった。

スペイン風邪の大流行もありましたが、当時のインフルエンザだと言われています。1918〜1919年にかけて全世界に広がり感染者5億人、死者数は少なく見積もっても5千万人、一説では1億人以上とまで言われています。すでに19世紀の初頭で日本では大正時代に入っています。

近代に入っても科学や医療が間に合わないことはありましたよ。スペイン風邪が大流行していた当時には拝み屋とか祈祷師、占い師も各国でよく呼ばれたという記述が残されています。

具体的な対策とか情報がない時代には疫病や天候異常、気象の変化、震災や台風が爆発的な被害を生みました。人々がバタバタと死んで行く。そりゃ神にでも祈りたくもなるでしょう?

飢饉が発生したり長雨が続いたり、日照り、地震や火災、疫病や戦争が発生すると人々は次々に死にます。吉兆を占ったり、縁起を担いだのはそれだけ「死」が日常であり身近にあったからですね。

その一部は現代にも引き継がれています。各地に伝わる祭りとかお払い、お参りやおみくじなどですね。

むしろ、今の若い世代のほうが理解は早いかも知れないですね。わかりやすく言うならば異世界転生ですよ。ラノベや漫画、アニメでお馴染みですが「神様からのお告げや贈り物」ギフトやスキルがない状態で未開の地に放り出されたようなものですから。

今のように携帯やパソコン、衛星通信や観測ができなかった時代に何かを察知したり、予知しようと考えれば「ご神託」「神のお告げ」などに頼るのは自然な行為だったのです。

気が「異なる」人達

調べてみると興味深いですよ。アメリカのネイティブ・インディアンから始まって中国の占い(陰陽の技術は大陸からもたらされたもの)インドやチベットの密教や仏教、ヨーロッパのジプシーに至るまでありとあらゆる場所にそういった記述がありますから。

現在ではひと括りに「あの人はキチガイ(差別用語です)だ」などと揶揄したり、「精神障害」とか、「異常者」といった安易な言葉や枠組みにしてしまう場合が多いようですが、昔は異なります。

「きちがい」という言葉は、そもそも差別用語ではありませんでした。遥かな昔は「気が異なる(違う)人」という意味で、誰かを差別したり悪く言うための言葉ではなかったんですよ。

すなわち普通の人とは異なる気、つまり「鋭敏な感覚」(第六感、御神託)を生まれながらに持った人、との考え方もあったようで、コミュニティ(村や国、社会)が手厚く保護を行ったこともあります。

映画「レインマン」(ダスティン・ホフマン主演、トム・クルーズ出演)の中でも、一部紹介されていますが、精神障害者だと言われている人が、特異な才能を発揮した例も数多くある。

不思議なのは一般人どころか、最新のコンピューターがどう努力、予測しても到底追いつかないような特殊な才能、能力を発揮する例もあります。

確かにそういった方たちは一部が壊れています。まともな受け答えとかは期待できず一般的な仕事に従事したり、普通に生活はできない。ただし普段はおかしな行動ばかりしているのに、何かのきっけかで素晴らしい特異能力を開花させたりみせる者もいます。

おそらくは過去の事例から、昔の人達は経験則(けいけんそく)でそういったことに気がついていたのでしょう。簡単に排斥したり馬鹿にして追い出したり殺してしまうのではなく、村や集落で面倒をみていた記録があちこちに残されています。

生活も楽ではなかった筈なんですけどね? 不思議な話です。

コンピューターも天気予報も人工衛星もない時代ですから「気の異なる人」が何かの予想とか予言とかを行って的中したら、それはそのコミュニティ全体の生と死を分けます。

それはやはりとんでもない恩恵なんでしょう。予知して欲しいのは大地震とか大火とか疫病、特に気象異常による飢饉でしょうね。日照りや長雨で村ごと死んでしまうことはありましたので。

今なら気象予報があります。ただしそれはどこの国でも気楽に利用できるものではなくて。日本はかなり恵まれています。気象衛星は軍事利用にも使える側面がありますので、有事には情報を提供しないとか他国には気象目的であっても公開していない国も存在しています。

毎年のようにやってくる台風でも気象衛星や予測システムがない国なら大変ですよ。それはいつ起こるかわからないものです。誰かがそれに気が付いて一度でもそれを避けられたとしたら、それは迷信とかただの偶然程度では済まないでしょうね。

飢饉の時に雨ごいをして偶然でもいいですから「たった一度」でも雨が降れば神と崇めたでしょう。

「託宣」(たくせん)という言葉がありますが、これは神から託された言葉、すなわち神懸かりを意味します。巫女さんとか神官とか占い師などはそういった形で受け継がれてきたものです。

ですからそういった特異な人(能力者)が一族から出た場合、その社会、村とか街、家などのコミュニティで神官や巫女として奉り、保護を加えた例も多いのです。

気が違う人をコミュニティが保護したのは、そういった血筋とか家系の中からも特異な能力者が生まれたり、神に近付いている人達だとの感覚があったからではないでしょうか?

そういったものの適中は幾つかはただの偶然だったのかもしれないですが・・・。現代なら検証もできるし追跡調査も可能でしょう。当時はそうは受け取られない。

竹の華が咲くと飢饉が起きるなどの言い伝えもありますが、そういった自然の変化とか山の動植物の動きに敏感で、変化に反応できるだけの感受性とか知恵が授かった家系とか一族だったのかもしれないですね。

江戸末期にはすでにそういった意味合い(巫女、神様のお告げとして)は薄れていましたが、しばらくは昔の名残もあったでしょう。明治や大正の頃までは大切に保護した例もあるのです。

このコーナーの初稿は2001年に書かれています。年数が経過しましたので2017年のサーバー移転の際に、読みやすいようにレイアウトと一部に加筆修正を加えてあります。

2001年09月01日 初稿

2017年12月14日 加筆、修正

谷口信行

コミュニティの心理学2 に続く

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