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人間は猿なのか?

2009/12/15改訂
1997/08/23初稿

勇気とか強さの意味を考える

前のダンナの子は必要ない!?

みなさんはサル山の猿の話をご存じでしょうか?

以前、上野の動物園でメス猿がボスになったというのがニュースになりました。猿の群れにとってボスが交代するというのは大きな出来事なのです。

人間の世界で言うトップ交代どころの話ではなく、群れの存続、生死をかけた戦いもまま起こります。

残念ながらメス猿のボスというのは長続きしないそうです。続いても2、3ヶ月ほどでオス猿と交代してしまい、長く持ちません。通常であれば力の強いオス猿が群れを率いるのが当り前なのです。

なぜなら、外敵から群れを守らねば鳴らないから。人間に飼われていたり餌付けされている、捕食者がいない状況下ならば雌が群れをひきいても何とかなるかもしれないですが、厳しい自然環境の中ではやはりたくましい雄(オス)を中心に群れは集まるでしょう。

オスのボス猿が群れでの政権闘争に負けて交代する時、私たち人間からみるととてもショックなことが起こります。(今回のようにメス猿がボスになったような特殊な場合は除きます)

新しいボスが、まだ生まれて間もない子猿を殺してしまうようなことが起こるのです。

先にも書きましたが、ボス猿の大きな役目は群れを外敵から守ることです。そのはずのボス猿が群れの一員で、最も弱く、もっとも守らなければならない立場の子猿を殺してしまうのはなぜでしょうか?

実は乳ばなれの済んでいない子猿たちは基本的には前のボス猿の子供達になるんですよ。人間に例えるならばいわば前の夫の連れ子です。

今のオス、つまり新しい群れのリーダーの子供ではないばかりではなく、逃走に破れた弱いオスの子供であったり、群れから追われた個体、闘争に破れて死んだオスの子供になってしまうのです。

自然界の現実

ボスが交代して新しいボスが現われても、子猿達を育てているメス猿(達)は新しいボス猿に対して発情しません。メスザル(達)と書くのには理由があって、猿の群れはハーレム制度に近い構成になっています。

ゾウアザラシやライオンなどでもそうですが、強いオスが群れとかグループの長に立ちます。自分が率いている群れの頂点ですから、メスの殆どを支配下に置きます。

ですから生まれてくる子供は殆どが「ボスの子供」です。ボスになれない若い個体は群れを離れてそこで新しいハーレムやグループを作るか、ボスを殺して自分が取って代わるしかありません。

または何かのきっかけで自分の序列が変わることを願って、隅っこでコソコソやるしか方法がないのです。パートナーを持てたり、メスと関係を持てるのは強い雄、つまりボスザルのみになります。

新しいボスになった若いライオンが前のボスライオンの子供を殺して共食いしているシーンが撮影されたこともあります。

前のリーダーの子供、特にオスは自分を脅かす存在になります。そうなってしまう前に殺してしまえ、群れのメスを自分のものとして扱うために邪魔な息子は必要ない、という厳しい感覚は自然界にも存在しています。

自然界の動物において妊娠の機会はそう多くありません。前の子供がいる限り母親の愛情はそちらに注がれるのです。つまり、母親としての機能が優先してしまいメスとしての機能が後廻しになってしまう訳です。

不思議なもので、前の個体(子猿)を殺してしまうとすぐに母猿達は新しいボスを受け入れる体制が整い、発情し、新しいボス猿の子供を宿すようになるとのことです。

不思議に思いませんか? 要するに相手は前の夫を殺したか群れから追った男で、自分の子供を殺したオスです。大切に育てていた自分の子供を殺してしまった相手であるにもかかわらず、受け入れてまた子供を作ることになるのです。

一見、ショックで不思議に見えるこの出来事も、生物学上でいうと何の不思議でもないそうです。

自然界にも保護はある

生物は強い子孫を未来に残そうとします。次の世代に「生き残る」ことこそが、その生物に課せられた使命なのです。強い子孫が生き残り、個体として増え続けるためにだけにそこに存在しているのです。

ボスとしての争いに負けることは「弱い」ことになります。生物や種として他のオスや他の種に「喰い殺される」可能性が高まる訳ですから。厳しい生存競争に生き残って行くためにはそうであってはならないのです。

人類も含め草食肉食を問わず、小さな小さなウィルスから大き象やクジラのような生物まで含めて生き物がずっとその生存競争を争い、お互いが生き残りをかけてここまで争ってきたことになりますね。それが現実です。

だからといって私は「弱い子供は死んでしまえ!」とか(障害者や身体の弱い子は)「生まれてこなければいい!」などとは欠片も思っていません。

自然界は厳しいのです。弱い個体が淘汰されてゆくのはいわば必然で、体調の悪いもの、または足の遅いものや身体の小さいものから捕食者の襲撃の対象になってしまいます。

ところが、シマウマなどは子供を群れで守りますしね。子供を中心に円陣を組み強力な後ろ足で蹴りを入れてライオンを撃退することすらあります。象も似た行動をとります。子供を社会の大切な宝物として捉え、群れ全体で保護しようという働きも自然界にはあるので、一概に「弱いものは切り捨てられる!」それが「弱肉強食の世界だ!」と言えるものではないですね。

アフリカの動物保護区で実際にあったのは、鼻のない象の子供が長く群れに保護されていた例があります。これは人間でいうなら両手が無いに等しい。足の悪い小馬が群れに保護されて無事に成体になった例もあります。

弱いはずの草食動物が、真っ先に子供を見殺しにして自分だけが助かろうとする「大人」ばかりであれば、象の子供やシマウマの子供なんて真っ先にライオンの食卓にのぼってしまうでしょう。大人たちが助かっても子供が育ってこないなら、その群れは滅びますしその種は絶滅します。

だから危険を顧みず、命をかけて保護を加えて救おうとするのでしょうね。種族の未来、種としての存亡をかけて。

報道をみて思う事

先ほど述べたような動物界の慣習、いわば子殺しや虐待というのは人間にはそのまま当てはまりません。

人間だけが言葉を持っています。文字として自分の体験を残し、次の世代に引き継がせることが可能です。それによって他の動物達とは違う生活習慣や道徳、環境の整備、動物とは異なる感情などを持つに至っています。

弱いものは群れで保護しようといった発想は人間界だけでなく、自然界においても時折、見ることができます。親を失った子供を別のまったく違う親(個体、種族)が身替わりに育てるような行為も、少なからず例があるのです。

狼に育てられた人間などがその典型例ですね。

人間はサルと同じように群れで生活していますが、弱い者は群れで保護しようといった感情や道徳を獲得しています。文化としてもシステムとしても弱者を切り捨てる方向に偏ってはいけない。私はそう思います。

一部の「大人になりきれない大人」が自分の子供を虐待した上で殺してしまうような事件が、最近多発しています。年端もいかない子供や、まだ自分で自分の生活を支える事のできない小学生中学生に虐待を加え、入院してしまったり体重が同世代の半分以下だったり、衰弱死、虐待死のニュースをみる都度に心が痛みます。

大阪の事件で意識不明になった中学生がいましたが「帰ってこい、君にまだ話したい事があるんだ」と懸命に話しかける同級生をみて、涙が出そうになりました。

正直に言えばそういった身勝手な行為を行う親、卑怯な大人たちを行ってボコボコにぶん殴りたくなる。同じように強い立場の者から徹底して暴力でも受ければ、こいつらは自分のやってることがわかるんだろうか?とも思います。

そういったニュースが多数あることは痛ましい限りです。他の動物とは違う文化や道徳といったものを持つ人間にとって、本来は起こってはならないことだと思われます。

強さの比較、価値観の多様化

人間の場合、少々複雑になっているのは「強さの基準」が自然界とは違い、多様化しているからです。腕っ節が強いとか殴り合いが強い、力づくで何かを決めるだけではあまり尊敬されません。暴力的である=群れのリーダーという図式が人間の生活においては成り立たないのです。

蛮勇(ばんゆう)との言葉もあります。すなわち、勇ましく激しいだけでは認められない。野蛮なだけだと馬鹿と同義語です。

勇ましさやたくましさに知恵とか勇気が伴わないと立派な人だとか、群れを率い守るための統率者、リーダーとしては認めてもらえない訳ですね(笑)。「あいつは力はあるが、それだけだからな~」と笑われる訳です。

興味深いのは人間だけが「文字」を持ちます。自分達の記憶や体験を過去に残す、誰かに引き継げる時点で他の生物とは異なっています。他の動物と異なった生活習慣や道徳や価値観を持ってしまったために、自然界では起こり得ない価値観を多数、作り出している点です。

芸術も理解します。絵画、写真、映像、音楽、詩や文学にも反応します。優れた生き方や道徳を説く宗教家や活動家、造形の美にも反応しますし、社会的な地位とか財産、肩書きにも魅力を感じる人達が出ます。

自然界であれば純粋にオスとしての強さ、個体の判断は比較的簡単です。戦って生き残るか、群れを追われるか老衰や事故で死ぬかです。過酷なようにも見えますがそうすることで群れを維持し、強い遺伝子に未来を託す訳です。

弱い個体が自然淘汰されることにより、自動的に強い種だけが選別されて生き残ることになります。

人間の場合、戦争が頻繁に起こったり不慮の事故にあったり重い病気や伝染病で次々に死んでしまう時代以外は、自然界の掟が当て嵌りません。他の動物達とは違い、人間には天敵となる動物がいないからです。

生物界の頂点に立った人間においては長い生存競争の中で、すぐに喰われて死んでしまうことは気にしなくてもよくなったのです。

すると、ただ単に「腕っ節が強い」というのとは違う判断基準が出来てきました。差し迫った生命の危機はなくなった訳ですから、単純に「喧嘩が強い」というだけで相手を判断することができなくなくなったのです。

むしろ、「乱暴なだけの人」は女性に徹底して嫌われるでしょう(笑)。女性ばかりか職場や仲間内でも浮きます。やはり群れで生活する現代人にとっても、規律を守らない人、横紙破りばかり繰り返す人、他人に攻撃的で配慮のない人は群れを脅かす存在でありあまり心地良いものではないんですよ。

人間の判断の基準は、「知恵と勇気」「根性と体力」の複合技が基本です。

人はサルであってはならない

実際には人間も猿山のサルとあまり変わってないのかもしれません。

お山の大将、ということわざもある。反対に集団で特定の個人や団体を苛めたり追い掛け回すこともある。古顔のボスがすでに体力も統率力も判断力も無くなっているのにトップの座にしがみついたりもします(笑)。

老害が居座ることは群れとしても種としても弱ってゆく原因なのですが、立場に固執してながーく、退いてくれない例も多々ありますね。

どんな強国であっても、一部の老人が居座り若手にチャンスを与えずただ蝕むならば、いずれ産業も国も衰退してゆくでしょう。

最近の報道では、子供や弱者をターゲットにした悲惨な事件や事故が目立ちます。本来、大人達によって庇護されなければならない立場の人達が、犯罪や大人達の身勝手による事件、事故に巻き込まれることが増えています。

人間だけが理性や道徳を持ち、弱い立場の者を守らなければならないのに起きていることは正反対です。幼児虐待や未成年者の略取や殺人、悪戯目的での女児誘拐など数え上げれば切りがありませんよ。

※このコーナーを最初に載せたのは1997年の8月頃ですが、状況は更に悪化しています。

人はサルとは異なり違い、理性や道徳、広い意味では人間独自の「文化」を持っています。大きな大脳を手に入れ、知恵を持ったのならサル山のサルと同じ行為を繰り返していい筈がありません。シマウマや象にできることが、どうして人間にはできないと言うのでしょうか?

少なくとも子供達は保護されるべき存在です。少子化が叫ばれるようになっていますが、子供を育み守るシステムがない、円陣を組んで自分が犠牲になっても「子供達を守ろう!」とする強い意思の大人たちがいないのに、ボロボロ子供だけ産むメスはいませんよ(笑)。産んだ端から捕食者に食われますから・・・。

社会の不備、道徳やモラルの低下が、少子化や子供や弱者を狙った犯罪を誘発しているのです。

政府が掲げる小手先の少子化対策や優遇策、ちょっと金掴ませれば「貧乏人も子供産むようになるだろ」程度の発想はちゃんちゃら可笑しい。原因を勘違いしエリート意識振りかざした頭の悪い政治家や官僚が、半端に計画を立て「子供を生め!税金を払え!」と勝手に迫っているだけです。魂胆が見え透いている。

本当に国の行く末を願うなら、子供達を育てるための環境整備がもっとも重要なポイントです。

あなたがもし、強いオスであるのなら

巷でウロウロしていると、道端でも会社でも飲食店や運転中でも偉そうな男にぶち当たります。

自分の彼女や奥さんに異常に尊大な態度で接していたり怒鳴っていたり、顎をしゃくって指示していたり、偉ぶったり態度をとって命令口調だったり、道端に座ってくわえ煙草だったり、高圧的な態度をとる事がオスとしての証明であるかのような頭の悪い連中が増えました。

茶髪にした男が、半脱ぎのジーンズを腰の辺りで穿いてるのをみると笑いますよ(笑)。あんな格好で走れる訳がない。ちょいと足ひっかけて一二発殴ればお終いでしょう。

弱い立場の者にだけ高圧的な連中も増えていて苦笑いします。内弁慶というか、自分が威張れる場所で特定の相手にだけ偉そうな連中、見せかけだけの屑が増えましたね。

あなたが本当に「強いオス」で誰かを率い、群れのトップであるか何かを成し遂げる男であるなら、中途半端な見栄や虚勢は要りません。自然体でいいでしょう。チャラチャラした格好や、威張った態度や見え透いた恫喝でなびく連中などに使える奴なんていませんよ。

本物を見分ける能力がつけば、相手が温和に笑っていてもわかるようになります。柔らかな物腰であったり、多くを語らない者でも実力を備える者はあります。その雰囲気を読めない者、相手の実力を尊大な態度や見せかけの服装で計るようになればお終いです。その時点で相手の術中に飲まれ利用されていることでしょうから。

どんな世界でも同じですが、弱い犬ほどキャンキャン吠えますよ(笑)。本物であるほどそういった態度はとらない。腹の座った人物は外見や見せかけよりも「目」です。その人物に備わった風格といっていい。

大切なのは判断力です。そして自分が「強い男」であるなら威張ったり、殴ったり、弱者や女子供に偉そうな態度、虚飾の服装や格好で相手を脅してはなりません。

背景とか肩書き、ましては変な服装や格好などに頼るべきではない。そういったものに頼るしかない男は、そもそも群れを率いるだけの能力がないんですよ。

弱い相手にかさにかかって脅かしたり、卑怯な真似を繰り返して様々な女性と浮気をする男性を時々みかけますが、それは強さでも何でもない(笑)。恥です。

その人が本当に強い男なのなら、もっとより強い存在や力に向って吠えるべきでしょう。弱いものいじめとか自分が勝てそうな相手にだけ吠えたり、集団で囲むことは恥ずかしいことでしかありません。

強者であるなら群れにいるすべての「自分より弱い者達」を抱えるだけの強さ優しさ、周囲を思いやるだけの「余裕」を持って欲しいと思います。

都合が良いときばかりに威張ってみせるのでは、猿山のサルとなんら変わることはありません。歳をとって弱った際、群れを追われて逃げて行くだけです。誰かを助け何かを支えて育てるなら、何らかの思い、周囲からの感謝や歳をとっても側にいる人は残るでしょう。

そこが本来、サルと人間をわける重要な部分です。それこそが求められる社会であり思いやりであり、本物の「勇気」をもつ勇者なのです。

私は本当の意味での「強さ」とは優しさであり、相手を思いやり、弱者を抱えるだけの余裕だと思っています。

1997年08月23日 初稿

2009年12月15日 加筆、修正

谷口信行

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