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相手とは上手く別れましょう!?

2009/12/17改訂
1997/03/24初稿

先人に知恵、諺(ことわざ)から学ぶ

昔の人は偉かった!?

昔の人の諺(ことわざ)に、「女とはタタミの目を数えるようにして別れろ!」というのがあります。

この言葉の意味はとても小さい畳の目を一つ一つ数えるようにして少しずつ、少しずつ相手から離れていって最終的には別れるようにしなさい、という意味です。つまり早急に女性とは別れてはいけないという戒めの意味ですね。

人間の心は、急激な変化を当たり前のように受け止める構造に出来ていません。別れには死別も相手の心変わり等もあります。事故や急逝を遺族や友人が受け入れがたいのは、さっきまでそこに居た人に二度とあう事ができず話をすることができない、触れる事ができなくなったことが自覚できないからです。

死別ならば時間の経過と共に少しづつ諦めもつきますが、相手が生きてピンピンしてて他のパートナーとどこかで嬉しそうに暮らしていると考えれば、フラれたほうは堪りませんよ。

これは実によくできた諺(ことわざ)だと思います。相手に「心の準備期間」を十分に与えなさいという意味ですね。

昔の人の諺(ことわざ)とか、たとえ話には学ぶべきことがたくさんあります。

焦って強引に別れを切り出すことが結果として大きなトラブルを運んでくるとの教えが含まれているのでしょう。

時代背景と性差の変化

私はこの言葉を男性だけにではなく、現代の女性にも贈りたいですね。

なぜなら昔は「男性」が女性を捨てるものと相場は決まっていましたが、現代においては逆に「女性」が男性を見限ってしまうことも多くなったからです。

実は昔(江戸時代、明治の初期くらいまで)は「三下り半」というものがあったそうです。これは離婚するのに相手(この場合は男性から女性に対し)にたった3行程度(女性の名前と「この女と別れる」こと、そして自分の名前の手紙を渡し、実家に帰してしまった時代があったのです。

※調べてみると「再婚を許す」という一文も付け加えてあったそうです。その一文があれば再婚は自由で、それをどうしても書いてもらえない場合には縁切り寺に駆け込んで2年、下働きをすれば自動的に離縁できました。

今ならばとてもじゃないけど通用しません。男尊女卑の決定番!という奴ですね。財産分与とか慰謝料とか書いてありません。要するに追い出される形になります。

相手の女性の言い分や話し合い、理由の説明などは一切、ありません。江戸っ子風に言えば「てやんでい!オイラが離縁だといったら離縁なんでい!」という訳です。

落語とか狂言、歌舞伎などでも名場面としてありますね。本当は嫁に惚れていながら借金や何らか(仇討ち等)の理由で、他家から嫁いできた嫁が責任を負わされないようにと追い出す意味もあった模様です。

幕府から許可が貰えない形での仇討ちになるとお家は取り潰し、一族は皆打ち首、良くて切腹です。女子供であっても島流しという厳しい刑を受けています。赤穂浪士のお子さんは長い間、島流しに遭っていました。

お金も財産も持たずに三行半1枚で家から追い出された嫁は同情を集めますから、厳しい処分から免れたそうです。

※私はこの過去の制度や風習に賛成も反対もしていません。そういった習慣や時代背景があったという事実を紹介しています。

そういった亭主関白?なことがまかり通っていた時代なのに、なぜか同じ時期、相反する意味で言われていた諺(ことわざ)が、先にあげた「女とはタタミの目を数えるように離れるようにして別れろ!」なのです。

環境の変化、自分自身が適応すること

誰かと付き合い、その人に合わせて行くことは現代においても誰でも行うことがあると思います。

相手を好きになり、その人と少しでも一緒にいたいと望み、デートした際に傍ら(かたわら、側)にいる時間が徐々に長くなったり、電話でたわいのない話でも楽しく話すことがある、それは幸せで楽しい瞬間だと思います。

そしてその延長線上に相手と一緒に暮らし始めたり、結婚に至る場合もあります。

誰かと「付き合う」ということはつまり、自分の生活に「変化」を求めることであり、また、自分自身、そして相手の心や身体、環境に刺激を与えることでもあります。

いずれ「変化」は「安定」へと変わります。お互いにいつまでも刺激を与え続け、環境を変えることは「楽しい」こともありますが、いつも気を張ってないといけませんからだんだんと疲れてきます。

環境が変わるたび、相手が何かを求めるたびに自分も適応しなけらばならないからです。

人間は環境の変化を求め刺激を求めますが、「刺激」だけでは生きて行けません。その都度に自分の心や身体、生活の環境を整える必要がでてきてしまうからです。

一瞬の環境の変化や刺激は、とても気持ちいい快感を伴う場合があります。

それは旅行に行って羽を延ばすことであったり、遊びに行くことかもしれません。飲みにいってはしゃぐことであったり、中には「浮気」などと答える方もいらっしゃるかもしれません。

毎日が「旅行」であったり、毎日「忘年会」であったり、毎日が「浮気」であったりしたら疲れるとは思いませんか?

一見、楽しそうに見えるし毎日の刺激とか変化も実現可能なように思えるのですが、実際にはそうは行きません。人間はどんな刺激にも「慣れる」生き物だからです。

よほどの強い刺激を与え続けない限り、人間は慣れます。刺激や環境の変化にも徐々に適応してしまい、「こんなものだったかな?」「思ったよりつまんないな」と思い始めるでしょう。

刺激は減って行きますが、それが年齢を重ねて経験を積むということでもあり、様々なトラブルにも対処できるのです。

それはある意味、「安定」へと近づくことでもあります。

相手が怒り始める理由

「安定」した生活や環境は「刺激」がない代わりに「安心感」があります。

毎日が「面白く、可笑しく」はないですが、代わりに「落ち着き」や「安らぎ」を手に入れます。環境がコロコロと変わり続けることは緊張を伴いますし、絶えず変化に対応する「心構え」が必要となるからです。

内紛や戦争が長く続いたり、毎日忙しい仕事を行ってきてその緊張感が長年に渡った場合、よほどの例外を除いて人は安定や平和を望みます。

刺激は楽しいですしスリリングですが、反面、自分が手にしたものをいつ失うかわからないといった緊張も伴うのです。レースや博打、株取引や仕事もそうですが、毎日がジェットコースターで乱高下や曲がり角が多いなら安心しないんですよ。

誰かと付き合うことで新しい刺激を受け、それにやっと適応したとします。本人は新しい刺激を求めることよりも「この人と一緒に」いることを望み、落ち着きを取り戻して行きます。

熱くドキドキとした感情は収まってきますが、代わりに傍にいると安心するようになるのです。その心の反応と同時に新しい環境を「安定」へと作り変えて自分の居場所(テリトリー)をその人の近くに作り出そうとします。

そんな折り、相手の異性からこう切り出されるのです。

「なんだか、つまんない」

「飽きちゃった・・・」

「他に好きな人ができた」

言葉やニュアンスは違うと思いますが、だいたいはこのような言い方や意味になると思います。事前に前振りや予備動作があればいいですが、いきなりそう告げる人もいます。

これで相手の男性や女性はカーッと血が頭に昇ることになります。

相手を追い詰める別れ方

新しい環境や状況になじむのには時間と努力が必要です。相手に「合わせる」ことも必要ですし、時には嫌なことを我慢することだってあります。元は赤の他人なのですから当然といえば当然なのですが・・・。

人の心はうつろうものです。明確な理由が無くても何となく心が離れることもあります。

それを一方的に「お前が悪い!」と決めつけ、相手に心の準備をする暇を与えず一方的に「出ていけ!」もしくは「会いたくない」と拒絶されることは、その人のそれまで一緒にいた時間、努力、全人格をも否定されたような感じがするのです。

別れる(別れたいと望む)側にはそれなりの理由があるのでしょうが、別れられる、(もしくは「捨てられる」)側にもそれなりの準備とか理由は必要になのです。

何の予兆も予備動作もなく、ただ単に別れを突き付けられた側には心の余裕がありません。

いきなりばっさり斬ってしまうのではなく、予備動作というか心に準備をさせる必要もあるのです。

それがきっかけでストーカー行為を始めたり激しく感情を高ぶらせることもあります。最初はそんなつもりでなくても一旦感情が壊れると元には戻りません。

元の人格とか優しさとは正反対の行動を繰り返す例も多々あります。相手を追い詰めるような別れ方は厳禁なんですよ。双方にとって危険が伴いますから。

そこが最初に触れた諺(ことわざ)の「女とはタタミの目を数えるように離れて行きなさい」という諺の意味になります。

この諺が言われていた時代には男尊女卑が当り前で、女性の人権などは顧みられることは少なかった頃の筈です。一方的に男性から「別れる」といったことは何のおとがめもない時代だったのですから。

なのにどうして、こういったまったく逆の意味の諺が存在するのでしょう。不思議には思いませんか?

江戸っ子は心意気

昔の狂言や歌舞伎、瓦版などを調べると不倫(昔は不義密通と言ったんだそうで、ハイ)や恋愛沙汰の末に「刺された」とか「無理心中になった」とかいった例は結構あったんだそうです。

今の時代ならともかく、不倫などはバレれば打ち首か死罪、よくても遠島の時代ですからそのスリルは現在の比ではありませんね。それこそ「命懸け」です。侍ならお手討ちとか果たし合いにも発展しかねませんし、場合によってはお家ごとの取り潰しもあり得ます。

遊廓(今でいう風俗遊び)などにも昔は情があったのだと思います。

寒村から身売りされて連れて来られた女性を身受けするために、男性(職人)が何年も身を粉にして働いたという逸話もありますし、遊女が相手のことを思って死んだ(相対死、心中)という話もかなりの数残されていますから。

遊び目的とかブランド品目当てに売春行為をやった訳ではないんですよ。

確かに江戸時代を含め古い時代は女性に対し、確かに時代背景には「我慢」や無理を強要する部分もあったのかもしれませんが、実際には現代よりも情に厚い部分があったのではないでしょうか?

私の考えですが、「イザとなったらいつでも別れられる」と思う反面、「そのようなことを簡単にするのは男の恥だ!」と考える文化があり、女性や奥さんを意外に大切にしていたのではないでしょうか?

ですから逆に一方的に「別れる!」などという自分勝手な人は現代よりは少なかったと思われます。法律的(当時)には認められていながらも、心情的に、とか文化的にそのようなことを潔し(いさぎよし)とはしない風潮があったように感じます。

よほどのことがない限りそのようなことはなく、下手に「別れてくれ!」などと安易に言ってしまうと相手の女性は実家に帰るよりも死んでしまいかねない状況(時代背景)にありますから、当然、行動も慎重になったのではないでしょうか?

実際、遊廓や温泉場に男性が「遊び」に行く際にはそれなりのテクニックを遊女に教わりに行き、自分の「奥さん」を喜ばせるために通う人も少なくなかったと記録や風物詩に残っていると聞きます。

おかあちゃんを「喜ばせる」ことは男としての義務であると同時に喜びでもあったのです。

欲望ばかり求める今よりも、ずいぶんと粋ですね。

今の時代は両方怖い!?

まあ実際には江戸っ子と言われた男性たちも、女の人たちが恐かっただけかもしれませんが・・・。江戸っ子も意外に度胸がないのかもしれませんね。

ですからそういった遊びや浮気、独身時代の自由な恋愛においてもそれこそ「タタミの目を数えるように」遠ざかり、相手を傷つけない労力や気づかいを惜しまなかったのではないでしょうか?

昔の女性の方が後がありません。背水の陣で命懸けの分だけ「イザとなると」度胸は座っていたのかもしれませんね。

最近の男性にはまた違った意味で「恐い」人が増えています。女性にフラれたり恋愛上でトラブルになると過激な反応をしたりストーカーまがいの行為を行う人も増えています。

少々陰湿なのは交際していた女性の裸をネットで公開したり、写真を捏造して中傷する例もあります。

急激な環境の変化(女性の心変わり)などに対応できず、「お前がいないと生きて行けない!」と「別れるくらいなら死んでやる!」といった具合です。

ウ〜ン!? 元々このセリフは女性特有のものだったと思うんですけどね〜?? 昔もあったとは思いますが今ほどではないでしょう。

男性がそれだけ女性化してしまったのでしょうか?

残念ですが若い男性だけならまだしも、実際には年配の男性にもこのパターンは増えてきています。それも自分には家族や奥さんがいるのも関わらず自分の非は棚にあげてしまい、最後には「別れるくらいなら死んでやる!」と駄々をこねるのです。

自分がそのようなことは言えるような立場にはないのですが、そのようなことはまったく関係ありません。正直、恥ずかしいでしょう。

何か「粋」じゃありませんよね?

本当にその人が好きで相手の事を思っている(いた)のなら、相手の負担にならないようにお互いできないものでしょうか?

別れるにしてもそれくらいの配慮はあっていいと思いますよ。

相手のためではなく自分のためでもある

女性男性問わず、あまりにも自分の都合で結論を急ぎすぎて相手を追い詰め、気がつくと相手が後ろで包丁を持って震えてた、なんてのはシャレになっていませんよ。

瞬間で離れてしまうと、トラブルが無くなるどころかかえって悪化することもあります。

昔の人が「畳の目を数えるようにして離れろ」と諭したのは、それだけトラブルが多かったことを指し示すのでしょう。それはそっくりそのまま今の時代にも当て嵌ります。

相手が「変になって行く」のには必ず理由があるのです。

理由を考えず「私の勝手でしょ!?」とやってしまうことは相手の怒りに油を注ぐようなものです。

別れを言い出すご本人が心の中でどう考えていても構いませんが、(そのような内容を)すぐに言葉や態度に出してしまうことはとても危険です。先人(昔の人)に習い、「少しずつ距離を置くこと」を心がけましょう。

もう必要のなくなった元恋人とか元妻、元彼や元の夫のためではなく、別れを言い出したご本人や周囲のご家族、子供や友人のためにも準備期間を与えたり、備える為の時間が必要なことはあります。

いったんは好きで付き合った人なんですから・・・。

それくらいは「粋」に行きたいですね(笑)。

え、私? 私ですか? 私は相手を追い詰めるのも追い詰められるのも嫌いです。気がつかずに誰かを傷つけることもあるかもしれないですし、私自身が嫌なものから早急に逃げ出したい時もあると思いますよ。

それでもこういった仕事に携わっている立場です。

人間の心理とか心の動き、急激な環境の変化で心を壊す人達を数多くみてきました。その経験がありますからできる限り「多めに」「ゆっくりと」畳の目を数えたいと思っています。

その「目」をゆっくり数えているうちに、何となくそのまま縒り(より)が戻ったりなんかして(笑)。

元々私は女性に強く出るタイプではありません。

私が関係を経ち切る時は双方にとってプラスにならない時です。痛みや憎しみだけを抱えてなれ合って生きて行けるほど人は強くは無いから。そのままお互いが歳をとればやり直しは難しくなる。

相手から優しさや愛情、未来を感じれなくなったら距離を置いてあげることも相手に対する優しさであり礼儀です。

※この文章が書かれたのは1997年でこのホームページ運営を始めた当初です。時代背景にあわせて修正、加筆してあります。

1997年03月 初稿

2009年12月17日 加筆、修正

谷口信行

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