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Archive for 3月, 2013

文章の力を信じる者として

私が手にしたGIFT(ギフト)は?

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私はこれまで一個人としてホームページやブログの更新を行い、運営を続けて来ました。

大手事務所やプロダクションからの所属を誘われたこともあります。一時期は頻繁に講演などもやっていましたし、雑誌等からの取材も相次ぎました。

私がどこかへの所属を断り、相互リンクや自作自演を繰り返すこともなくアフィリエイトすら殆ど行わずにサイトの運営を続けてきたのは、自分が一番最初に選択したツール、つまり「インターネット」という世界が好きで、その頼りないツール一本でこれまでを歩んだとの自負があったからです。

私個人は地方の三流高校卒です。何の背景も持っていません。それが社会において、どういう意味を持つのかは、私自身が過去の体験により深く知っています。

若い世代に向けて言いますが、学歴は無いよりあったほうがいいですよ(笑)。実例をあげますと、私が一番最初に出演を求められた「ワンダフル」(TBS系列)の番組でも、スタッフには「先生はどこの大学の出身ですか?」と聞かれたものです。

今では芸人、吉本興業や松竹芸能のタレントでも大学卒ですよ。

学閥や派閥、背景の力、一種の差別やパワーバランスと言われるものはこの社会の中に純然として存在します。それを誤魔化したり嘘をついたり、不平等だと怒鳴り散らしても意味はありません。

あなた方がもし、組織の中、会社という機構や公務員という枠組みで働こうとするなら、そういった肩書き、努力することで得られる学歴、学閥という背景の力は「無いよりはあった方がいい」典型的なものとなります。

そういったものが無いがためのイジメや嫌がらせ、謂れの無い中傷や誹謗、誰かから一方的に見下される感覚は男として心地いいものではありませんよ。それを跳ね除けるには、それなりの実力なり経験なりスキル、強い心構えが必要となります。

私は貧乏自慢もしませんが、学歴詐称もしません(笑)。それは私自身の過去や努力、家族や仲間をないがしろにするものだから。

あまり裕福でない家庭で育ち、親が離婚して板挟みになったからこそ身についた実力があり、相手の反応や表情を見逃さないからこそセールスや接客の世界で頭角を現したのであり、おそらくはそこに「離婚した私の両親からの大切なギフト」生き抜くための力が含まれていると思います。

英文で「ギフト」(GIFT)という言葉は、そのまま才能、という日本語に変換されます。

自分にあるものを数えて無いものに憧れない

私の口癖ですが、私は「無いものを」数えません。

確かに私は家庭が複雑で、勉強に打ち込むような環境にはとてもじゃないがありませんでした。ですが私が恵まれた環境で育ち、何不自由なく暮らしていたとしたなら、今と同じような会話能力、相手の反応を見抜く力、文章力や記憶力が備わったか? と聞かれれば否と応えるでしょう。

はっきり言いますが、ないものはないのです。親がいないとか恵まれた環境にない、例えば手足が不自由でまともに動くことが出来ない人が、自由に動く身体を求めても与えられることはまず、ありません。

誰かを羨むことに意味はありません。

私より恵まれた環境にあり、親から多くを与えられた者もいるでしょう。反対に小児まひとか、何らかの疾病や感染、事故などにより手足が動かない、自力ではなかなか思うに任せない厳しい状態にある人もいます。そこには金銭的な問題もあれば、身体的な問題、性別や人種、育った環境までを含んでしまう。

だからこそ、羨み(うらやみ)たくもなるもんです。

誰かを羨み、妬み、嫉む(そねむ)行為は、自分自身をもっとも貶めます。

そういったマイナスのスパイラルに陥るもっとも大きな原因は、「自分にないものを」他人の生活や環境から拾い出し、それを必死に数える行為から起こります。

私も聖人君子ではないですからね(笑)。普通に怒りも悲しみもありますし、他人が羨ましい瞬間もありますよ。それでも正気というか、自分を見失わないようにできるのは、自分にとって恵まれている部分、他の人には持っていないものを「私も持っている」との自負であり、自覚です。

背が高い人も低い人もいる。禿げてる人もいれば禿げてない人もいる。男前もいれば不細工もいるでしょ? すべてが画一ではありませんし、平等なんてものは社会に最初から存在していません。

整形手術でも追いつかないものはあります。年収、身長、学歴、付き合っている女性や男性、子供の有無やお受験での優劣。そんなものを数え上げればキリはないのです。

僻んだ(ひがんだ)り、妬む、嫉むよりも、自身の力で何かを掴むべき努力を。

それこそが未来なり将来なり自身の幸せを掴む、自分の周囲や友達を助け、両親への感謝に繋がると考えてください。自分に無いものを数えるのではなく、自分が手にしているもの、自分を支えてくれる仲間や友達、自分の周囲にあるものを数えること。

その感覚を忘れなければ、劣等感やコンプレックスを利用して悪意のある第三者に、変な価値観や歪んだ思惑を押し付けられることの予防に繋がります。

洗脳へのもっとも有効な対抗策

まあ、誰しも時に見失ったりサボったりもありますけどね(笑)。

一休さんじゃりませんが、一休み一休み。人生は長いんですから。

何が何でも今すぐに解決しよう、と焦ることで余計にしんどくなります。人間っていうのは珍しい生き物でね。限界が見えない、精神力で抑えこんで過労死にまで至る、自然界では唯一の生き物なんですよ。

限界はむしろ、自分からは見えません。まだ大丈夫と思うし、まだイケると思うものです。誰かにストップをかけてもらったり、暫く休むこともまた重要なポイントなのです。その一休みを怠ったがために、誰かにつけ入れられたり、トラブルになるケースはままあります。

ここ数日になって、またヒット数が跳ね上がっています。

検索結果とログからみてみると「洗脳の解除方法」についてが圧倒的に増えています。なにが原因なんだろう? と探ってみれば私が以前に番組でお世話になったタレントさん、私に番組の打ち上げで優しくしてくださったオセロの中島さんに関する報道、進展が多少あったようです。

私が危惧していたのは、彼女を取り巻く環境と安易な手柄争いです。

自称脱洗脳の専門家だとか、凄い占い師だとかが「私が彼女の洗脳を解いてやった」「簡単だった」と即座にしゃしゃり出ている姿をみて、これは後々、苦労するのではないか? と思いました。

それは本来、脱洗脳とかカルトからの脱出の対極になる行為です。

私も依頼として脱洗脳やカルトからの救出を手がけたことはありますが、それをどこかとか誰かに誇ったり、何かに語ったりテレビ番組や報道で宣伝文句にしたことはありません。

理由は簡単でね。それを目にした対象者が「私より」他の言葉を信用するようになるから。

結果として元の洗脳者やその洗脳者が所属する団体に舞い戻ってしまう可能性が高くなるからです。

私のホームページ上に噛んで含めるように、洗脳に関する記述があったり「あなたの持っているものを数えなさい」との記述が繰り返しなされるのは、脱洗脳に成功した人や、カルトから抜けだした人が私の文章を読むことを予期、期待して整えられたものでもあるから。

またその周囲も、施術や脱洗脳を行った私のサイトにある「こういった文章を」読むであろうと推測して整えられたものです。

つまりこのサイトそのものを彼らへの支援であり、脱洗脳の道具として捉えていました。

これも以前からの主張の繰り返し

洗脳がどういったシステムで成されるのか。脱出後にどういった問題があって、友人や知人とどういった軋轢が生じるのか。

私は見え透いた脱洗脳の宣伝を繰り返すよりも、常にそちらを中心にしてきました。

自由意志でそういった文章を目にする。そちらのほうが直接的な説得、何度も訪れて高圧的に解除を迫るよりもよほど効果があると知っているからです。

私は、文章の力、その伝達能力を信じる者です。

文章を繰り返し読むことで、人は先人や先達の知恵と勇気、経験と思考を学ぶことができます。

単純な話ですが、ミステリー作家は必ず、殺人の経験がありますか? 松本清張など有名な推理小説作家は作中で数々の登場人物を殺してしまっています。では彼は連続殺人犯でしょうか?

本当の意味での「殺人犯の思考」は、実際に殺人を犯した者にしかわからないのかもしれない。ただし、それを知りたいからといって実際に人殺しに走れば、そのまま戻ってはこないでしょう。文章を書く、物語を織る以前に狂気に囚われてしまえば、それはそのままその人物の思考そのものになって固定されます。

狂気と正気の狭間、そのギリギリの位置で研ぎ澄まして、犯罪者側に堕ちない者がおそらくは面白い文章を書き、現世に踏みとどまって何らかの作品を残せるのだと思います。

人々がそれに感応するのは、そこに自分では踏み越えられない「何か?」が存在するからです。

人間の中には確実に狂気が存在します。人を狂わせるもの。それは恋愛においても親子の情愛においても、会社における権力闘争、隣人との諍い、友人との付き合いの中でも微妙に生じます。

そして人には「それに対する」憧れが存在します。

狂気を厭い、怖いと思う。と同時にそれに魅せられ惹きつけられる瞬間があるのもまた確かでしょう。だからこそ人は文章による疑似体験、つまりサスペンス小説や推理小説、ミステリーに嵌ったり読みふけること、それを原題とした映画やドラマに魅入るのです。

それを用いるならばおそらく、洗脳に遭ったりカルトやいかがわしい占い師に騙されたり、操られる人も減らすことが出来るのではないか? との期待もあって私はこの場所で文章を綴り続けてきました。

これも初期の頃からの繰り返しで、何も変わっていませんよ。

私のサイト運営の方針は開設した当初、1997年から何一つ、変わってはいないのです。

形式の変更、種明かしを含めた全部

当初はテキスト、という形式ですべてを明かそうと考えていたんですけどね。

世の中にはこれほど、愚かしい人間が大勢いるのか? と知って情けなくなりました。

私のテキストの転売を企んだりね。私が洗脳の解除のためのテキストを書くとホームページ上で述べると、それをそのまま、自分のサイトで宣伝したりね。

私が「洗脳解除用」のテキストを出すと載せた瞬間に、脱洗脳の専門家を名乗る方が同じような商品を出すと宣伝していました。価格まで同じ。50万円だそうです。

あなた達は何か繋がりでもあるのですか? と聞かれてこちらがビックリしましたよ。

私から委託を受けてテキストの配布を行なっていると言い張ってみたりね。そんなの過去に一度も許可したことありませんよ。

正直、うんざりしました。

だれにでもわかり易い文章を、と思ってできるだけ専門用語は除いてサイト運営やテキストの配布を行って来ました。それが仇になったというか、盗用や流用しやすいとの錯覚を生んだのかもしれません。

今回は小説、という形式をとって全てを一気に取りまとめています。

解説書として書かれるテキストよりは気楽な部分もあります。今回の小説においても事実や過去の経験を元に詳細に多重人格やカルト宗教の現実についてを追ってはいますが、一部は私の推論や架空の人物で埋めてあります。

完全なノンフィクションとして書くにはあまりにも内容が重すぎます。下手にヒットしてしまい、マスコミが犯人探しというか該当者探しに走っても困りますから。

指導用、練習用のテキストで出せば誤解や錯覚が増える可能性がある。技術的な部分とかテクニックばかり聞き齧ろうとする人たちも世の中には多いのです。都合よく抜粋してスーパーテクニックだの、スーパー催眠術などと言われたくはない。

しっかりと書きたいのは、むしろ被害者とか対象者を取り巻く環境やその整備、カウンセリングや脱会を手がける側の心構えと準備、相手の手口や「背景に」ついて、になります。それを考えれば向き合っている当事者、家族や友人、私自身の「心の動き」の記述も重要になります。

それならばフィクションである小説の形式がベストとなるでしょう。

おそらくですが、推理小説やミステリーとして考えても、こういった切り口の小説はこれまでにはなかったのではないか? と思います。商業ベースか、ネットでの配布や販売になるかはまだわかりませんが、とりあえず完成を急ぎます。

学歴も学閥も関係のない、経験と知識で織り成せるもの。それが文章であり文学です。私の手にした「GIFT」(ギフト)は、おそらくはそういった能力です。

願わくば、そういった「記述」文章の力が、微力ながら洗脳やカルト被害のトラブルに見舞われているご本人やご家族の力となりますように。

2013年03月29日

谷口信行

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